赤いスイートピー
バイトに向かう途中に花屋を見かけた。たびたび通っている道であったが、本当によく注意しなければわからないほどのこじんまりとした小さな花屋だ。
何故、見つけたのかと聞かれれば、スイートピーが一因だろう。 店の軒先、一番目立つところに置かれたスイートピー。
赤いスイートピー。
それがやけに僕の目を惹きつけた。
と、同時に少し不思議にも思う。記憶に間違いがなければ、スイートピーは、4月ごろが開花時期だ。3月の中旬ごろに咲くのは、なかなか珍しいのではないか。だから、目が惹きつけられた。
店先で花を並べる店員と目が合って、逃げるようにバイト先へと向かう。
「よぅ、若いの」
古書店の中では浪速竜子さんが待っていた。
手には煙草を持っている。流石に店内で吸うつもりはないのか、持っているだけだ。
「今日もよろしく頼むわ」
浪速さんは言うが、動き出そうとする気配はない。彼女が腰掛けているパイプ椅子がキィッと鳴く。
「あ、言っとくけど、今日はここで時間潰すから」
「えぇ……」
「なんだよ、不服か?」
「いや、そんな事は」
「高校生のガキンチョが、こんないい女と二人きりなんて滅多にないぞ」
浪速さんは手に持っていた煙草を片付けて、ぐっと身体を伸ばす。
服の端々から、刺青が覗かせる。 ついつい視線が惹きつけられる。
「んー? 思春期の小僧も気になるかー? お姉さんの身体」
「そんな事はないですよ。というか、あなたそんなキャラでしたっけ?」
「気にするな、遠慮なく見ろ。タダにしてやる」
「金取るつもりなんですか」
「当たり前だ。店ならかなりの金額とるぞ」
「あんた暇なんですか?」
「暇だねぇ」
ぎいっとパイプ椅子が鳴く。
これは関わってられないと仕事にとりかかる。が、一時間もすればやるべき事が片付いてしまった。残り勤務時間はなんと二時間もある。
「そろそろ、若いのも暇になったんじゃねーの?」
浪速さんがサングラスをかけたままにニヤニヤと笑う。
「まぁ、座れよ。珈琲淹れて休憩だ」
「そんな疲れてないですけどね」
「それでもやる事なくなったらするのが休憩だ」
パイプ椅子から浪速さんは立ち上がり、奥の事務所へと姿を消した。それからしばらくして、珈琲を二つ持って現れる。
一つ受け取り、口にする。
が、途端に後悔する。
渋みが口の中に染み渡り、舌の裏から喉にかけて、ドンドンと痺れていく気がした。
「うーん、今日は成功かな」
どこがだ、と聞きたいが我慢する。
突然、浪速はスマホをレジの上に置いた。
「音楽でも聴こうぜ。何聞く?」
「突然すぎるだろ……」
「何聞く? なんでもあるぜ、ネットだし」
折角の提案だから、乗ることにした。が、音楽として何が聞きたいかとなると迷う。ポップスでもいいし、ロックもいい。
そこでふと思い当たる曲があった。
「赤いスイートピーとかどうです」
サングラスで隠れていない口元が、浪速さんが驚いているのを表していた。が、それは本当に短い間のことで、すぐにニヤリと笑う。
「わかってんねぇ、いい趣味してる」
曲を準備しながら浪速さんが言う。
「雇って正解だったぜ。お前さんを」
捻くれた褒められ方だと思った。
同時に心の中で、浪速さんに対する警戒心が薄れていくのも感じた。