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白羽の悪魔  作者: 山田 並月
第一章「河清と宿望」
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第一話

 目を覚ましてすぐ、冷たい灰色の天井が砂屑(すなくず)を落とした。歪な形に穴が開いた天井の奥に、白く清々しい空が覗く。この空に似つかわしくない閑静な空気を吸い込み、俺はコンクリートから剥き出しの骨組みに注意をして立ち上がった。そして、苔の生えた洗面台の前に立つ。昨日のうちに置いておいたコップの中に、蛇口から一滴、水が滴った。


 よかった、溜まっている。


 慎重にコップを傾けて、少量の水を手の平に受けた。それを額に垂らし、顔を伝う水で目元を洗う。次に鼻や頬を軽く湿らすと、服の裾で拭った。

 顔を上げると、自分の顔が、割れた鏡に映った。


「・・・・・・」


 皮膚がちぐはぐに再生したのであろう左の眼がある箇所を、指の腹で撫でて、そしてぐっと押した。何の抵抗もなく、肉は押されてひしゃげた。俺はズボンのポケットから眼帯を取り出し、ひもを両耳にかけて、もう一度鏡を見る。右目の下にほくろがあるのを、軽くなぞった。


 ただの男だ。


 ふうと息を吐き、何度か呼吸を繰り返すと、朝食の存在を思い出した。洗面台に背を向け、あ、と振り向いてコップを手に取ってから、朝食の元へ足を進める。床に置かれたパッケージを眺めつつ、水を喉に通し、座る。


「ろ・・・・・・りえ、ま・・・・・・」


 やはり読めない。


 早めに諦めて箱を乱雑に開け、スティック状のクッキーを噛んだ。水分が持っていかれる。あまり水分を無駄にしたくないので、クッキーは箱に閉まい、床に置いて、もう一度水を飲み、朝食を完了した。万が一ここに戻ってきた時のために、蛇口の下にコップを置き直し、彼女の待つ屋上に向かうことにする。

 吹き抜けになってしまったこの建物の階段をのぼると、向かい風が頬を撫でた。のぼるにつれ姿を現した、栗色の髪の彼女の背中。風のままに、彼女の着物の赤い菊が揺れた。


「遅い」


 凛とした声が耳に入ったと思うと、彼女はこちらを向いていた。


「ごめん」


 俺はそう言うしかないので、そう言った。彼女の眼球は黒く、黄色い瞳が不機嫌そうに細められた。しかしその次の言葉がないことから、怒っているわけではないことがうかがえて、俺は胸を撫でおろした。そして、また無機質な街に目を向けた彼女の横に立ち、尋ねる。


「今日はどうするの」

「知らん。が、ここ最近会ってないから、そろそろ会いたいものだな」


 彼女は顎先を触り、呟いた。彼女の赤い肌から突き出した、赤黒い角に目をやり、俺はもう一度彼女の目を見る。


「ここもすでにやられていたから、先回りする道を考えた方がいいのかもしれない」


 彼女は横目で俺を見て、「口を挟むな、人間風情が」と唾を吐いた。再び謝罪を入れようと口を開くと、同時に彼女は言った。


「それしかないだろうな」


 風が強く髪を撫で、街に砂埃が巻き上がっていた。


 天使が地上に降りて何年も経った。地球のほとんどが廃れて、かつて住んでいた名残を残すばかりである。もはや人間がどれだけ生きているのか、知る術を失くしていた。今はただ、天使の討伐を掲げて生きるだけで十分なのだ。他をする暇なんてない。


「ありがとう、魔鬼(まき)


 彼女は鼻を鳴らして身を(ひるがえ)し、階段を降りていった。


 天使が地に降りて人間を殺す行為は、人間でない者からしても、良いものではないらしい。彼女は言った。とどのつまり、掟破りだという。暗黙の了解で成り立っていた世界の理を崩壊させた。悪魔である私には、理由は知らない。が、好都合であると。悪魔である彼女は、それにふさわしい邪悪な笑みを浮かべて、俺を利用することにしたという。


 しかし、これには俺にも利点がある。悪魔との契約により、人並みならぬ身体的な力が手に入るのだ。そして、再生力。彼女の気まぐれによって、その力の注入には差異があるが、到底敵わぬ相手に対抗する力が少しでもあるだけで、俺は生きていける。


 彼女は魔鬼と名乗った。そして、俺に名付けた。


「行くぞ、(ひだり)。まどろっこしい奴は嫌いだ」


 俺の名を呼ぶ魔鬼の声に反応し、俺は足早に階段を降りた。背後で朝日が顔を出し、息の無い街を明るく照らし始めたようだ。



 ふと、足を止めた。



 見覚えのある感覚。魔鬼に目をやると、彼女は薄く頬を持ち上げ、空を見ていた。察しがついた。俺は体ごと太陽に向き直り、雲の切れ間を見た。


 点々と見える人影。空を舞うように落ちている。


 魔鬼が弾んだ声で言った。



「天使だ」

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