フェンの独白1
世の中には、時折『真実の愛』というものに出会い、何を失ってもそれを貫こうとする人がいるらしい。
僕は物心つく前に母を亡くし、父は家にいないことも多かったから、親の愛というものがよくわからなかった。兄弟もいないし、親戚はあまり付き合いがない。
使用人たちはみんな優しくてよく仕えてくれるが、主と使用人として立場をわきまえているし、それぞれに本当の家族もいる。
乳母のメルは母のように思っていたけれど、とても仲の良い旦那さんと息子と娘がいて、みんなで笑い合ったり喧嘩したりしているのを見て、やっぱり僕は本物の家族ではないんだと寂しく思った。
五歳の時、結婚というものをすれば本当の家族になれると知った。
父は女の人と一緒にいることもよくある。見る度に違う人だけど。でも結婚はしないらしい。その人たちでは僕の母にはなれないのだそうだ。何故かはわからない。
十代になると、たくさんの女の子が話しかけてくるようになった。女の子たちは可愛いし、僕のことも素敵だと言ってくれたけど、それは僕が公爵家の唯一の跡取りで、お金を持っていて、顔が綺麗だからみたいだった。
高価なものをプレゼントすると喜んでくれるけど、平民でも買えるようなお菓子とか、リボンとかはあまり嬉しくなさそうだ。
夜会で王族や上位貴族の友人を紹介するとみんなとてもよく喋るのに、下位貴族や商人の息子だと「そうですか」しか言わなかったりするのはちょっと悲しい。みんな同じくらい優秀でいいやつなのにな。そのうちあまり友人は紹介しないようになった。
学園にも通ったけど、『真実の愛』は見つからなかった。そろそろ家のために結婚しないといけないのはわかっている。でももう少しだけ、探してみたい。どうせなら、この人しかいないと思える人と家族になりたいじゃないか。
幼馴染の王太子は幼い頃からの婚約者とうまくやっているので、それは『真実の愛』なのかいと聞いたら、よくわからないと言われた。まあ、昔からこの人と結婚するって決まってたんだもんね。最初から家族だったようなものなのかも知れない。
そんな時だった。学園の卒業パーティで、『真実の愛』を見つけたと言って婚約破棄したやつが現れたのだ。残念ながら僕の在学中ではなかったので、知り合いの女の子に詳細を聞いた。宰相の息子だという。
そいつは婚約者がいるにも関わらず、学園で出会った平民の少女と結婚するなどと、よりによってパーティの最中に宣言した。バカなのだろうか。
しかも、在学中も婚約者を蔑ろにし、平民の少女とイチャついていたところを大勢が見ていたそうだ。婚約者本人や周りの誰が忠告しても聞く耳を持たなかったとか。
その行動が自分の立場を悪くすると誰もがわかることなのに、『真実の愛』とはそこまでして貫きたいものなのか。
もしも自分にそんな相手が現れた時、婚約者や伴侶がいては迷惑をかけてしまうのではないか。
そんなことがないよう、早く『真実の愛』を見つけたいと、より一層思うようになった。
そして、とにかくたくさんの女性と知り合ってみたり、この令嬢は他の子たちと違うのではという人に交際を申し込んだりしてみたが、『真実の愛』には出会えない。良さそうな子はみんな早めに婚約者が決まっている。
もう無理なのかなあと思い始めた頃、王太子妃から頼み事をされた。なんと、例の婚約破棄事件の被害者である友人を楽しませて欲しいと。
被害者側の話を聞くのは初めてだ。何か参考になるかなと打算もあったが、僕と出かけてこいと言われて明らかに困った顔をした彼女に興味も湧いた。
マグリットは真面目で慎ましく、目立つのは苦手なようだった。
待ち合わせに紺色のワンピースで現れた時、もしや僕の髪の色に合わせてきたのかと一瞬思った。けれど形は侍女のお仕着せとあまり変わらないシンプルなものだったし、髪型も化粧も控えめで、単に派手な装いは嫌いなのだなとわかった。
買い物中も事務的で、これがデートだとは決して認めない。それでも領地のことなどを話すうち、表情は和らぎ、自分からも口を開いてくれるようになった。
バカ息子の言動には呆れたけれど、素直で前向きな彼女の性格も垣間見れた。本当に何故、話もせずにつまらないなどと言えたのだろう。見た目だって派手ではないが、可愛らしい顔立ちをしている。もっと明るい色を着たら映えるだろうに。
雑貨屋で似合いそうなブローチを見つけて、思わずプレゼントしてしまった。最初は遠慮していたからやっぱり安物はいらないのかなと思ったけど、高くないと言ったら嬉しそうに受け取ってくれた。本当に遠慮していただけらしい。
少しだけ見せてくれた笑顔をもっと見たくてまた誘いたいと言ったら、返事は素っ気なかったけど断られなくてほっとした。
逢瀬を重ねると、少しずつ緊張も取れてきて、彼女のほうから質問をしてくれることも増えた。女性の髪型などの流行の話が、侍女の仕事に役立ったらしい。王太子妃には昔からお世話になっているからと、一生懸命尽くそうとするところが微笑ましかった。
実家のためになる話も好む。両親や兄二人も堅実な性格で、事業を拡大したり新規開拓したりすることには疎いので、王都にいる自分が何か役に立てればと思ったそうだ。
服装もだんだん変わってきた。こんな色が似合いそうだよとアドバイスすれば、次にはその色の服を着てきたりして、思わず顔が綻んでしまう。
一緒に選んであげた時も、プレゼントするつもりだったのに激しく遠慮された。買ってもらって当然という女性ばかり見てきたので驚いた。彼女が奢られてくれるのはせいぜい食事くらいだ。
いつまでも「イーヴン様」と家名で呼ぶので、名前で呼ぶように言った。彼女に名前を呼ばれるとなんだか温かい気持ちになる。もっと呼んで欲しい。もっと笑った顔が見たい。困っているようなら、自分が助けたい。
僕は今まで、一目で恋に落ちてお互いしか見えなくなるような『真実の愛』を探してきたけれど、そんなものはもうどうでもよくなっていた。
それよりも、彼女と居る穏やかで温かな時間がずっと続いて欲しい。そう思うこの気持ちこそが、『真実の愛』なんじゃないだろうか。
出来ることなら彼女にも、同じように思って欲しい。まずは自分の気持ちを伝えようか。しかし、断られるのが怖い。
彼女の慎ましい所は長所だけれど、自分を下に見るきらいがあるから、公爵家の嫡男の僕が急に告白してもうんと言ってくれないかもしれない。
数ヶ月前の玉砕が蘇る。よし、外堀を埋めよう。今度は失敗したくない。しっかり調査して、知らなかったなんてことがないように、堅実に行こうと僕は誓った。