転生ものが廃(すた)れない理由(わけ)?
最近、マット・リドレー氏の「繁栄」をちょっと見ています。
かみ砕かれた人類の歴史?経済史でしょうか?
まだ最初のところですが、「アイデアの生殖」や「集団的頭脳」はほんとうに興味深いです。
すみません、全然関係ない話ですね(苦笑)
「アイデアの生殖」あたりは、なろうの「転生もの」などのアイデア共有?参照が近い気もするんですけど(笑)
「肉体と精神は、個という存在を確立する両輪のようなもの」、
自分の場合、いつからかはわかりませんが、前からそんなふうに考えていました。
「病は気から」、なんて言いますが、
肉体と精神は確かに影響しあっていて、
片方の調子が悪いときには、もう一方も万全な状態にはなりません。
お互いに繋がり、影響しあっています。
まあ、どちらが優位かといえば、やはり精神でしょうね。
根性論ではありませんが、スポーツやさまざまな競技、職業としてのプロ意識、ここぞという所での気迫や、
気の持ちようで、病が回復へ向かったり悪化したり、
精神の及ぼす影響は、やはり大きい気がします。
さて、
肉体の精神へと影響する状態、変化としては、病以外に成長、老化という時間の経過があります。
精神は肉体の影響を受け成長して、そして衰えてゆく。前には漠然とそう思っていた時期があったのですが、
でも、どうやら違うらしいと、最近になって考えはじめました。
精神は成長はするけれど、基本的に衰えはしない。
成長し成熟した精神は、成長した状態のまま衰えずに維持される。あるいは更に円熟してゆく。
精神が衰えて見えるのは肉体的な影響、老いなどから来るのではないか?と。
知り合いの年配者の方幾人かとの会話。
自分の親などとの雑談や自分自身の考え、最近思うこと。
その辺りから総合し出てきた結論です。
自分も精神的な部分は実年齢より若い感じですが、
60〜70代の年配の方でも、精神的に自分自身を意識する時は、若い頃の自分の姿を精神に投影しているようです。
幾人か話を伺った方たちは、精神的に30代くらいを意識しているそうでした。
自分の場合は20代中頃から後半です。(お話を書く時はもう少し下げてるイメージですね。20代初めくらい?)
なぜその年齢なのかは、よくわかりませんが、
精神的、肉体的に自分が理想と感じる、バランスの取れた年齢ということで、そう感じるのでしょうか?
もしかしたら、経済的な安定への世代的な感じ方もあるのかも知れません。(60〜70代の方が若干、年齢が高めに思えるのはそれですかね?)
自らがあらゆる意味で絶頂期だと考えている時期、その時をこころが覚えて、思い出している。そんなところでしょうか。
肉体的というのは成長し、完成され、やがて衰えてゆくものですから。
山登りのように登ってゆき、山頂に着いてやがて下りはじめる。
精神もそれに引きずられながら夢中で頂を目指し、山頂の景色を眺め、帰る道のりを下る。
そして山頂からの絶景を思い出して頂を顧みる、そんな心情ですかね。
転生ものってのは、そんな追体験の道具なのかな?なんてね(笑)
ちょっと考えたのです。
本を開く時、昔を振り返り、短い高みをもう一度と思い、
生まれ変わりたい。もう一度若い頃を体験したい。
そんな気持ちから、転生ものを読むのでしょうか?なんてね。
最近、年配の主人公が若い肉体を得て新しい人生を歩むという話を、本屋の書籍棚でときどき見受けますが、少しそういう作品が増えてるんですかね?
年配、あるいはそれに差しかかる主人公の転生ものってお話。
なろうのその辺りの動向は疎くて、よくわかりませんが、
だいぶ前によく見かけた、現実から目を背けて異世界で楽をするためのお話でなく、
昔の若い頃を振り返り、楽しく思いだすためのお話が増えているならいいな。なんて思ったのでした。
自分もそのうち書いてみますかね。
年配の方も楽しめそうな転生もののお話(微笑)
…あれ?
よくよく考えたら、拙作の長いのも成人中年?が学生に転生するやつでした(¨;)
すっかり忘れてました。TRPGだらだらやる話の気でいましたね(苦笑)
まあ、ジャンルTRPGはちょっと楽しめそうな範囲が狭いですね(笑)
母が運動がてらの散歩の途中で行きあった外国人、中国から来た姉妹だったそうですが、
どちらも20歳は年上の日本人と結婚されていて、もう日本での生活も長いのだそうです。
彼女たちは自分の旦那さんのことを、60歳を過ぎた年になっていても、「男はいくつになってもガキ(笑)」なんて評していたそうです。
外国の人からみても、男は変わらずにやっぱりガキなんですね(苦笑)