14 転生
「まずは自己紹介からいきましょうか」
「いつつ……それは構わないけど、さすがにさっきのはやりすぎだと思わない?体が痛いんですけど」
ロニエは体の痛む部分をさすりながら、半眼で目の前の少女に文句を言う。
「それは言いがかりでしょ、どう考えても。先に仕掛けてきたのはそっちなんだから、そんな風に怪我をするのは仕方ないことよ。それよりも、自己紹介」
「……わかりました」
「うん。それでいいよ。私は……そうね。魔女と名乗った方が良いのかしら」
「っ!?」
ロニエは咄嗟に椅子を倒すことを気にせずに立ち上がり、後ろの大きく距離をとった。
先ほどの攻防から考えると、距離をとることに大して意味はないほどの実力差があるが、それでも反応せざるを得なかった。
ロニエのその必死な様子を見て、魔女と名乗った少女はくすくすと笑った。
「何がおかしいの?」
「何が?だって、そんなに警戒するとは思っていなかったのよ。精々、敵意を向けてくるくらいだと思っていたのだけれど、まさか本気で警戒して、しかも恐れてくるなんて」
魔女の言葉に、ロニエは普段の彼女らしくなく、頭に血が上った。
「恐れるなんて……そんなことあるわけないでしょ!」
ロニエ自身そう思っているのだが、魔女にはそれが、必死に恐れを振り払うし仕草にしか思えなかった。
「あなたは本当にかわいいわね。もしかして、さっきのでプライドでも傷付いちゃってた?」
「そんなこと……」
言いよどむロニエを見て、魔女は笑みを浮かべる。
それは楽し気というわけでもなく、あざ笑うでもなく、ただの笑みだった。
「無いとは言い切れないのね。まぁ、それでもいいわ。私にはあなたのことが良く見えているの。あなたの心のうちにある波紋、感情の揺らぎを。それを恐れと呼ぶのよ。あなたはおそらく、これまでの人生で、本当に恐れたことがないのでしょうね」
「馬鹿にしているんですか?」
「そんなことないわよ。ただ単に、あなたが心底恐怖したことがないから、自分自身が感じている恐れというものを理解できていないだけということよ」
「そんなことはないわ。そもそも、あなたは一体何なんですか?私を混乱させたいんですか?そんなことをして、一体何になるんですか?ここは一体どこですか?」
そんなロニエの矢継ぎ早な質問に、魔女は笑みを崩さなかった。
その笑みはただの張り付けた仮面で、その裏に何かを隠しているように思える、機会じみたものをロニエは感じていた。
「そこまで一気に聞くことはないじゃない。でも、一つ一つ答えてあげる。まず最初に、私が何なのか。それはさっき言ったでしょ?私は魔女よ」
「そんなの嘘よ。魔女は五百年も前に死んだはずよ」
少なくとも、本当に魔女と言うのなら、目の前の少女は五百年前の死んだ魔女とは別人を思える。そして、ロニエと大して年が離れていないその少女が、一体何者なのかはロニエには見当もつかない。
「なるほど。確かにそうだね。でも、私はその五百年前に死んだ魔女と同一人物であることは間違いないわ。そして、それはここが一体どこなのかということにもつながってくる」
「どこなのか?本当に、ここはどこなんですか。こんな真っ暗な場所、私には心当たりがありません」
「それはそうよ。ここは本来物質としては存在しない場所なのだから」
「物質としては?一体何を言っているんですか?」
「ここはあなたの心の中ですよ。だから、物質的には存在しません」
魔女のその言葉を、ロニエがすぐに信用して、受け入れることなどありえない。
そもそも、自分の心の中など見たことがないから、ここが本当にそんな場所なのか説明も証明もできない。
「そんなの、信じろっていう方が無理ですよ」
「でしょうね。でも、ここが心の中であるかどうかをあなたが理解するかどうかというのは、正直なところどうでも良いことよ。重要なのは、私がどうしてここにいるのか。そして何のためにここにいるのかよ」
「……それは一体、どういうわけですか?」
「私が五百年前に死んだと言っていたけど、それは本当かしら?あれから五百年経っているという実感がないのだけど」
「まだあなたは自分が魔女だと言い続けるつもりですか?」
「言い続けるも何も、本当のことだからね。あなたも私の記憶を見て知っているでしょ?」
「記憶?」
ロニエは首を横に傾げた。魔女の言っていることに身がわからなかった。
そこで、魔女はなるほどと納得したような表情をしていた。
「そう言えば、記憶の定着がうまくいっていなかったわね。でも、いくつかは夢で見たはずよ。まぁ、夢だから現実とは混合せずにすぐに忘れてしまうということは仕方のないことかもしれないけど、それでも幾らか覚えているところはないかしら?たとえば業火に包まれるところとか、勇者に切られるところとか」
「そんな物騒な記憶はありませんよ。あ、でも」
と、ロニエはそこまで行ったところで口をつぐんだ。
そこに目ざとく気付いた魔女がじっと見つめてくるのに耐えかねて、ロニエは目を逸らし、倒れていた椅子を立て直してそこに座った。
しかし、向きを正面ではなく少し斜め。
ちらりと魔女の方を見てみると、いまだにじっと見つめ続けるので、ロニエは観念して、はぁ、とため息を吐いた。
「たぶん、小さい子どもの記憶、だと思う。貧しくて本もろくに読めなかったけど、一度読んだらすぐにその内容すべてを記憶していました」
「なんだ。やっぱり記憶はあるんじゃない」
「これがあなたの記憶だとでもいうの?だったら、あなたはなぜここにいるの?ここが私の心の中だというのなら、なぜあなたは私の中にいるの?」
「それはね、私が自分に……いえ、正確には自分の魂にある一つの魔法をかけていたからなのよ」
「魔法?あの五百年前に失われた……」
「失われた、というのは少し表現が違いますね。正確には、使い方を忘れたという方が正しいわ」
「忘れた?そんなの書物とか見れば、すぐに思い出せることじゃないですか。それなら魔法がなくなることはないはずです」
ロニエの言葉に、魔女は首を横に振った。
「違うわ。忘れたから、いくら書物を読んでも使えないのよ。忘れたということは、体内の魔力の循環のさせ方、魔法式の構築の仕方、魔法の制御の仕方。それら魔法に関するあらゆる技術が、人々の記憶、そして感覚から消え失せたの。だから、人々は魔法を使えなくなった」
魔女が説明しているが、ロニエはその意味を完全に理解することなどできない。なにせ、現代ではもう魔法を研究しているのはごくわずかの人間で、その人たちは魔法を復活させられないかと何十年もかけて研究している人たちだ。
ロニエに、その人たちと同程度の知識すらないのだ。理解することは、とてもではないが、今のロニエには無理だった。しかも、今は頭が混乱もしているのだ。正常に動いている時ではないのだから。
「か、仮にそうだとしても、あなたがここにいる理由は何なんですか?」
「それを今から言うつもりだったのよ。私が死ぬ前にある魔法を使ったのは言ったわね。その魔法と言うのが、いわゆる転生魔法と言うやつでね」
「転、生……魔法……」
「そう。未来のある人に自分の魂を焼き付ける魔法。それを私は行ったのよ。でも、その対象はランダム。私と波長が一番あった人になるわけだけど、何年後になるのかもわからない。失敗する可能性の方が高かったけど、それでも成功して、今こうしているのよ」
「……よくわからないわ。あなたは一体、私の体に転生して、何がしたいんですか?」
「安心して。何もあなたの体を完全に乗っ取ろうと思っているわけではないの。そもそも、人の意識に刻み込むというのは、あまり長時間は機能しない。私の魂があなたの中に居続けられる時間もそう長くはないわ。だから、あなたを乗っ取ろうとしても、あなたの体と強く繋がっているあなたの魂を塗り替えることはできないわ」
「それじゃあ、一体何のために……」
「死ぬ前に一つ、やり残したことがあったのよ。それは、とても大事な、大事なことだったのよ」