プロローグ
目の前の景色はいつもの自分の部屋だった。
嫌な夢を見た。
けれど、初めて見る夢ではない。
見飽きているはずの薄暗い部屋を習慣的に見回す。保安球に照らし出された必要最低限の家具が少し寂しげに置かれている。
額にじっとりとかいた脂汗を拭うTシャツの袖からも、昨夜風呂上がりに嗅いだ香とは程遠い臭いがした。人間は寝ている間にコップ1杯の汗をかくという、にわかには信じがたいこの話も『なるほど』と思える。心地の悪いTシャツを脱ぐと、朝の空気に触れて肌の表面に残っていた汗がスーっと引くのが分かった。着替えのTシャツを手に取り、洗面所へ向かう。
脱いだシャツを洗濯機の上のカゴに放り込み、大きく右に一歩。鏡に写った男は本当に睡眠をとったのかと疑いたくなるような顔をしていた。それに比べて無駄に引き締まった身体は、特にそれを生かす機会がないだけにまさに「不釣り合い」と「何か残念」いう言葉が相応しかった。
顔を洗い、Tシャツに腕を通しながらベランダに出る。まるで自分をまっていたかのようなタイミングでオレンジの光がゆっくりと顔を出し、暗闇の中からぼんやりと、次第に燃えるように街のフォルムを浮かび上がらせていた。安っぽい悲鳴を上げる柵に半分身体を預け、しばらくその景色を眺める。
「…世界は広い」
ゆっくり息を吐きながら、自分でも無意識に呟いていた。
そして必ず、毎日、毎朝、いつだったか本屋で見つけた小説の一説を思い出す。その最初の一文に取りつかれて衝動的に買ってしまった。勢いで買ったものの、怖くて先を読むことができないまま、寝室の棚に山のような冊数の本と一緒に並べられている。
『あの日、小さな人達がついた大きな嘘を、この広い世界は罪だと言うのか、愛だと語るのか』