現在逃走中
拝啓、地球の皆々様方
吾輩は鳥である。名前はまだない。
皆さんごきげんようです。突然ですが、皆さんは今日という素晴らしき日をどうお過ごしでしょうか?
家族と時間を過ごし、友と笑い合い、恋人と愛を語らう人もいるでしょう。仕事に疲れて日がな一日ゴロゴロと過ごす人もいるかもしれません。
日常が楽しいと思う人もいれば、毎日がつまらないと感じる人もいることでしょう。
しかし、美味しい物を食べてゲームや読書などの趣味に時間を費やし、適度な運動で汗を流す。そんな文化的な生活は、私から見れば素直に羨ましく思えてしまいます。
大切なものは失って初めて気が付く。昔の人は良いことを言うものです。
現に私は当たり前の日常を無作為に過ごしていた口でして。最近では何故あの日常を大切にしてこなかったのかと、何故あの日常を愛してやれなかったのかと、後悔の連続です。
今思えば、あの何でもないような日々が私を構築し、育み、守っていたのだと痛感させられます。
さて、皆様は今日という素晴らしき日をどうお過ごしでしょうか?
これから一日を始める人も、そして既に終えた人も。
参考になるかはわかりませんが、これから大切な一日を過ごせるように、私の現状をお伝えしようかと思います。
余計なお世話と思われるかもしれませんが、皆様が私の分まで充実した日々を送っていただけるのであれば、これに勝る喜びはありません。
どうかお節介などと切り捨てたりせず、私の願いを聞き届けてください。
そして願わくば、私の分までどうか強く生きてください。
「ヒャッハァッー! みつけたぞ! オイッおとうと、にがすなよ!」
「わかってるよにーちゃんっ! でもこいつ、いがいとすばやいよ。にーちゃんこそにがすなよ!」
「オレたちのエモノだ、にがすわけないだろう!」
「ニクだぁああ!」
この声から分かる通り、どうやら私はこの日、この場所、この時をもって、二度目の死を迎えてしまうようですから……。
敬具
「ギャァーーーーーッ! へ、へるぷっ! ヘルプミー! 美味しくないから! 俺なんて食べても美味しくないから来ないでくれぇえええええええ!!」
世紀末に出没しそうなセリフを撒き散らし、遠慮無用に襲い掛かってくる礼儀知らずども。
薄緑色の肌をした二体の無礼者に追われる可哀想な俺。マジ可哀想。
なにより絶望的なのは、こいつら、セリフは小物のくせに、図体だけは見上げるぐらいにデカいということだ。
ズシン、ズシンと重低音な足音を響かせながら、丸太をそのまま引っこ抜いたような棍棒を振り回して追いかけてくる。
信じられないだろ? 現実なんだぜ、これ。
この森は一体全体どうなっているのか。基本的に尺度が狂っている。
「あ、やばい泣きそう」
生まれる世界を間違えた。それを痛感せざるお得ない。
俺は何を調子に乗って果物採取なんかに来てしまったのか。キキやグルーと別行動するなんて、それはもはや自殺と変わらないではないか。
そんな明々白々なことにも気が付かないだなんて、俺は俺が情けなく思う。
「まてーしょくりょう!!」
「とまれーエサ!!」
既に生き物とすら認識されなくなってしまった俺は、この出会いを呪わずにはいられない。
「いい加減にしろよこの野郎っ! お前らなんて俺の仲間が来たら瞬殺だかんな!! いいのか? 俺のバックにはマジでおっかない軍団が控えてるんだぞ!? 命が惜しかったら俺を食おうなんて考えずに、反転して田舎に帰れバカっ!!」
「じょうとうだコノー!」
「おまえをくったら、おまえのなかまもいっしょにくってやる!」
「俺を食った後なら『一緒に』じゃねえだろうがっ!!」
なぜ俺がこんな状況に追い込まれてしまったのか。
それは聞くも涙、語るも涙の深い事情があるのだ。
あれは散策を開始し、広葉樹が茂る森の中に分け入り、クオンがマフラーのように鳥首に巻き付いてた時のことだ。
先導するために首に巻き付いていたクオンが地面に降り、俺が付いていく構図で川沿いをのんびりと下っている最中。クオンは俺に気を遣って鳥脚でも歩きやすい道を選んでくれているのか、特に不便は感じなかった。
時折クオンが立ち止まり、足に擦り寄ってくるのが可愛らしい。
木々の間から漏れる木漏れ日。
川に光が反射して輝く水面。
まるで戦闘など無かったかのような穏やかな時間。
もう、ね。平穏という言葉がピッタリな心地だ。
気分は昼下がりのシロガネーゼ。
白い帽子(アホ毛)を被り、白いワンピース(羽毛)を纏い、軽井沢の別荘付近を散策しているお嬢様気分だ。――鳥だけど。
いいなぁ~。
やっぱり生きるか死ぬかの殺伐としたやり取りよりもラブ&ピースだよね。
世界は何故争うのか。こんなにも世界は美しく、そして平和なのに。
ちょっと世界平和について思考を割いてみようじゃないか。
Q、何故争いは無くならないのか。
A、生存競争だから。
ハイ答えが出ました。これが真実です。
装飾されていない原始に返った今の俺は、既にこの世界の住人なのだ。生まれて間もない0歳児である俺の適応能力は、他の追随を許さない。
柔軟にして究極。
今の俺は液体と言われても見劣りしない程に柔らかな思考回路を有している。
まあ、つまりは気がゆるんでいる。
「なあクオン。果物ってどこにあるか知ってるか?」
「くぅ~うん」
「そっか、知らないのか。なら地道に探すしかないなぁ」
なんだかんだでクオンと意思疎通が可能になっている今日この頃。ジェスチャーというのは優秀なコミュニケーションツールであったと思い知らされる。
海外に旅行に行ったとして、例え言葉が話せなくても、ボディーランゲージだけで案外どうにかなるようなものだ。クオンとのやり取りも似たようなもので、異文化どころか異種族にもかかわらず、不便のないやり取りが交わせている。
これはクオンが賢いからという点が大きいだろう。
察しが悪いと定評のある俺にすら伝わる分かりやすさ。それを狐が意図して実行しているのだ。クオンの頭の良さが浮き彫りになるというもの。
フフンっ、知ってた? こいつ俺の仲間なんだぜ。
「クオンは賢可愛いなぁ~」
「クゥ~ン」
毛並みを撫でてやれば、甘えるように頬ずりしてくるクオン。
癒しだ。ささくれだった俺の心を癒す清涼剤だ。クオンは神様が俺に与えてくれた天使なのではないかと真剣に考えてしまう。
ろくでもない神様だが、あいつも偶にはいい仕事をするもんだ。
「……ん、何だあれ?」
そんな風にクオンが俺のピュアハートを修復してくれていると、目の前に不思議な光景が飛び込んできた。
最初、遠目から見たら何かわからず、段々と近づいてくることによってソレが鮮明になる。
「……魚?」
それは空流を泳ぐ魚の群れ。
金魚に近いだろうか? 木漏れ日できらめく青い鱗が目につくが、大きさや姿形などはお祭りの出店で見かける金魚と似通っている。
まるでここが海中であるかのように、樹々を縫うようにして泳ぐ金魚の大群。統率された一糸乱れぬその行軍は、そのきらびやかな輝きも相まって、見惚れるだけの魅力を放っていた。
「おい見てみろよクオンっ、魚が空中を泳いでるぜ!」
どんな理屈なんだよな!
思わずテンションが上がり羽差すが、すぐにただならぬ気配を感じ取る。
「………………ん? あれれぇ~? いや、たぶん俺の勘違いだと思うんだけどさ、あいつらなんかこっちに突っ込んでこないか……?」
まったくスピードを落とさない魚群に、研ぎ澄まされた感覚を持つ、さしもの俺も危機感を募らせた。
「実はピラニアみたいに肉食で、俺たちのことを食おうとしてたりしてなっ!」
ははっ! と笑ってみるが……自分で思っていた以上に掠れた声しか出なかった。
その間にも魚たちは止まらない。
引かず怯まず顧みず。そんな不退転の精神に蝕まれているのか、数メートル目前に迫ってきていた。
「ってぇええええアアアァァあぁあああああああああああーーーーーーーーーッッ!!!」
今更逃げようにも間に合わず、あっという間に飲み込まれ、俺の嘴から絶望の咆哮が上げる。
視界を埋め尽くす魚、魚、魚!
あっちを向いてもこっちを向いても魚、魚、魚!
点の集合体が、面となって俺たちを覆いつくした。
「アァアァァぁあぁああ食われるぅぅうううううう――……ってあれ?」
骨だけになった自分を幻視していた俺だったが、一向に痛みが襲ってこない。冷静に状況を見回してみると、魚群は俺たちを避けるように通り過ぎていく。周囲にはエアポケットのような空間が出来上がっていた。
「……………………な、なんだよ驚かせやがってっ。またしても死を覚悟しちまったじゃねえか」
どうやら命の危険に晒され過ぎて、神経質になっていたらしい。この魚群に襲う意図はなく、ただ単に進行方向に俺たちがいたというだけのようだ。
見向きもせずに通り過ぎていく魚たち。悪意も害意もないのならば、純粋にこの光景を楽しめるというものだ。
俺は気分を持ちなして、観察に復帰することにした。
動く壁によって形成される青い洞。隙間から入る日の光が魚の鱗を照らし、乱反射される光によって空間を彩っている。
まるで海中にいるように錯覚させられて、下手な水族館やアトラクションよりも胸が躍る。
「キレイだなぁ~」
「くぅ~ん」
呑気にその光景を眺めながら、ボケ~と、マヌケ面を晒していたせいだろうか。
不意に、不可侵であるはずの領域に突撃してきた弾丸を避けられなかったのは。
――スポンっ。
――ゴックン。
「……」
開いた嘴が塞がらなかった。
……いや、これは塞がなかった故の悲劇といえるだろう。
味も食感も認識できないまま、口内に飛び込んできた異物を生理現象に基づき嚥下してしまう。
「……」
考えるまでもなく、俺が飲み込んだのは魚だ。
さっきまで「キレイだなぁ~」なんて言っていた対象である。
なというか…………意図せずとはいえ、美しい光景を作り出していた一端を丸呑みしてしまったという事実は、否応なしに俺の罪悪感を刺激する。
ふとクオンのほうを見下ろしてみると、邪気の感じられない『美味しかったですか?』そう言わんばかりの瞳で俺を見つめてくる。
やめてそんな綺麗な目で俺を見ないで! ワザとじゃないのっ! 食べようとしたわけじゃないのよっ!
俺はたまらず両翼で顔を隠して悶えた。汚してしてはいけない何かに触れてしまった気がして、恥ずかしくなってしまったのだ。
「うっぷ……」
途端に気分が悪くなる。
胃がもたれるというか、胃が重いというか。
そう、俺は魚を丸のみにしてしまったので、胃袋の中で踊り食いのような状態になっているのだ。
生きたまま、活きの良いまま取り込んだので、お腹の中で魚が歓喜するように暴れているのだ!
「オロロロロロロロロロロロロ――――」
想像してしまえばもうダメだ、俺の博愛精神が見過ごさない。せり上がってくる酸味をそのままに、救助活動をすることと相なった。
清涼な空気が心を癒す森の中で、俺の吐瀉物がアクセントを加える。
そしてゲロにまみれながら、ピクン、ピクンっ、と痙攣する青い魚。
……グロイな。
「俺は悪くない」
とりあえず一通り出し終えて、盛大な責任転嫁を試みてみるが……案外その通りだと思う。
いや、この場合悪いのは自分から俺の口に飛び込んできたこの魚だろう。前方不注意の過失はこの魚にこそある。自業自得なのだ。
……だがそうだとしても、このまま放置するのは気が咎めたので、せめて魚らしく水に還してやろうと思ったのだ。
俺はゲロにまみれた魚をすくい上げて、脇に流れていた川に魚を放流する。
哀れ魚は抵抗もなく見えなくなった。
「サラバだ戦士よ。成仏してくれ」
無茶しやがって。
俺は追悼の意を述べて、敬礼しながらそれを見送った。
そしてすぐに手を洗う。自分のとはいえゲロはゲロだ、汚いったらありゃしない。
「ふう、良い事した後は気持ちがいいな!」
しっかりと洗浄した羽毛は穢れなき純白。酸っぱい匂いがなくなって、実に爽やかな気持ちだ。
誰かに親切を働くと、自分の心も豊かになるものだ。例えそれがどんなに小さなことであったとしても、お天道様は見てくれている。
幸せになりたいと思うなら、まずは誰かを幸せにしてあげることを考えればいいと思う。
だってほら、見てみろよ。それを証明するかのように天高く吹き抜ける青空は、俺の善行を祝福するように輝いているではないか!
俺の隣に住んでいた爺ちゃんも言っていた。『隣人を愛しなさい。それは巡り巡って貴方に帰ってくるから』ってなっ!
あぁ……懐かしいなぁ。いつも世話していた爺ちゃんとのやり取りが、遠い昔のように感じられる。
毎日爺ちゃんの飯を作り。
毎日毎日爺ちゃんの洗濯物を片づけて。
毎日毎日毎日爺ちゃんの家の家事に精を出し。
毎日毎日毎日毎日同じ話を繰り返し聞かされた。
そう、嘘偽りなく毎日だ。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日――――
なんで親族でもない俺が面倒見てたんだよっ! おかげで露出放浪して警察に通報がいくたび、何故か俺のところに連絡がくる始末。
身元引受人はボクではございません!
ボクと爺ちゃんは赤の他人ですっ!!
ボクの青春時間を返してください!!!
「…………ぐすん」
取り返しの利かない日常。それは、思春期特有のデリケートな部分を深く傷つけた。
……………………うん、マジごめん。
無理があるよな。不自然だったのは俺もわかってる。
ただちょっとだけ、そう、ちょっとだけ強引に逸らしてみようと思っただけなのだ。許してくれ。
最初に魚を乱獲していた罪悪感も後押しして、俺の良心が拒否反応を起こしてしまったのだ。俺の思い出したくない過去を掘り起こしてしまったのだ。
悪意はなかった、それだけは信じてほしい。
気を取り直し、元居た場所に戻る。空中を泳ぐ青い群魚は過ぎ去って、影も形もなくなっていた。
まったく、加害者である俺が悲しんでいるというのに、仲間の追悼に参加しないとは薄情な魚たちである。
冷たい奴らだなぁ……なんて魚事情に嘆いていると――地面が揺れる。
地震、ではい。
断続的に聞こえる音の発信源はだんだんと近づいてくるようで、ともすれば足音のようにも感じられた。
数秒後、その正体が明らかになる。
天罰というのは本当にあるんだと、茫念とした感慨で思った。
現れたのは二人の巨人。身長は見上げるほどに高く、森に生い茂る大木と比べても遜色がない。
肌は薄緑色で、なにか動物の皮で作られた腰巻を身に着け、誰が見てもわかるようなザ・棍棒を装備している。
ガリバーの世界にでも迷い込んだのかと思ったね、マジで。
あっちが主人公のガリバーで、俺が小人の役柄ね。
「おぉ~? なんだこいつ? クウギョはどこいった?」
「にげられたみたいだなぁ。どうしようにーちゃん、メシなくなった……」
その大きさで出合い頭に衝撃を受けてしまったが――こいつら喋ってる!
四十代オヤジのようにポッコリとお腹が出ていて不摂生体のようにも見えるが、巨人のたくましい腕にはくっきりと影ができ、隆々たる筋肉を際ださせていた。
どう好意的に見ても粗野で粗暴な出で立ちだが……俺は同じ過ちを繰りかえさない。
いくら見目が悪かろうと、いくら凶悪そうに見えようと、見た目だけで相手を判断してはいけないのはどこの世界でも一緒なのだ。
俺は強面のグリーからそれを学んでいた。
なにより、キキとグリー以外で初めて言葉が通じる相手との接触だ。
ロック鳥のように言葉を介さない畜生とは違い、彼らはしっかりとした言語を介していたのだ。それはつまり、理性と知性を持ち合わせている証明ではないか。
ならば大丈夫。きっと話せば仲良くなれるさ。
「ごきげんようっ! 気持ちのいい朝ですね!!」
相手を警戒させないように細心の注意を払い、会心の笑顔で渾身の挨拶を撃ち込んだ。
俺は今! この世界で初、人類(?)との接触をはかろうとしている!
これは世界にとってこの一歩は小さな一歩だが、俺にとっては大きな一歩となることだろう!
「……………………ヒャッハァァアアア、エモノだエモノだ!」
「……………………クウギョがとれなかったんだ、こいつはぜったいににがさないぞぉー!」
「そんな判断を下した俺のバカぁん!」
所詮言葉が話せようが言語を理解していようが畜生は畜生だ。分かり合えるはずもなかったのだ。
考えてみれば、世界平和を謳う元の世界ですら人同士の争いがあるんだ。異なる種族である彼らと、簡単に分かり合えるなんて考える方がどうかしていた。
そして追うに追われて冒頭に戻るというわけだ。