奴等が帰って来た
こうなれば自力でどうにかするしかない。
弱った今ならば怪鳥を倒せる! これはチャンスだと思い突撃し――
「ぐわぁっはっ」
接近すると同時に翼で薙ぎ払われ、そのまま樹木へと叩き付けられた。
あ、甘かった……。弱った怪鳥になら勝てると夢想した俺の考えは、世界一甘いお菓子グラブジャムンよりも甘々だった。
まさに瞬殺。取り付く島もなかった。
怪鳥のヤロー、空気砲なんて使わないでも充分に強いじゃねえか……。
あー……不味いな。頭がフラフラしてきた。血を流しすぎたかも……。
「……びゃくえん」
無駄だと分かっていながら、再度試さずにはいられなかった。
想像していた通り、炎どころか煙すら上がらない。火のない所には煙も立たないのだ。
「……どうすっかなぁ」
弱りながらも近づいてくる怪鳥を眺めながら、地面に伏した状態でぼんやりとした思考を巡らせる。
疲労困憊。全身打撲の満身創痍。おまけに片翼は無いときたもんだ。血も流しすぎて頭もよく回らない。
さすがの俺も事ここに至っては余裕がない。……というか、余裕があった試しがないな。
常にギリギリで、常にいっぱいいっぱいだった。それを誤魔化すために無理やりテンションを上げていただけなんだ。
にじり寄ってくる怪鳥に命乞いなんかしても、言葉が通じるとも思えない。
絶体絶命。そんな言葉が脳裏をよぎる。
諦めた諦めた詐欺ではなく、本当の本気で死にそうだ。
ったく、この短時間で何回『死』なんて言葉使わせる気だよ。
この世界ってば命の価値が低すぎるだろう。
「……よいしょっと」
ふらつきながらも立ち上がり、拾った石を隠し持つ。先が尖っており、上手くいけばあの怪鳥に手傷を負わせることができる……かもしれない。まぁ最後の悪あがきってやつだ。
そうこうしている内に怪鳥が目前に迫り、日の光を遮って影を作り出す。
近くで見るとやっぱりデカいな……。今更だけど、拾った石なんかじゃ棘が刺さったぐらいの痛みしか与えられなそうだ。同じ鳥類とは言っても、階級の差がありすぎるだろ。俺みたいな小物じゃなくて、もっと食い応えのある獲物を狙えっての。
「ぐふ――っ」
鳥頭とは言っても、同じ失敗はしないらしい。
直接食べるのではなく、足で踏みつけられて追い打ちをかけられる。完全に仕留めてから食べる気なのだろう。鳥のくせに生意気だ。
「――――――ッッ!!」
爪で固定されて体重をかけられる。
体中から鈍い嫌な音が聞こえ、声にならない絶叫が喉を穿つ。
出るッ! 出ちゃうよ! 本来出ちゃいけない何かが口から出ちゃう!
「ぐぼっ」
喉の奥からせり上がってくる不快感は、吐血という行為によって現れる。骨どころか内臓が潰されたかもしれない。
締め上げるという拷問は、俺がぐったりと動かなくなるまで続いた。
ようやっと解放され、怪鳥が足を離した瞬間――
俺は最後の抵抗心を奮起させた。
爪と肉の間に尖石を力いっぱい突き立てる。
「グギャァアアアアーーーーーー!」
本当なら目でも潰してやりたかったけど、嫌がらせぐらいの効果はあったかな。
しゃがれた悲鳴を聞き、満足げにほくそ笑む。
「へへ……ざまぁ」
やってやったぜ。
鼬の最後っ屁ここに成就せり。なんてな。
しかしそれもすぐに苦悶の怒号に塗り潰される。
我武者羅に怪鳥が暴れた衝撃で吹き飛ばされ、受け身も取れずにまた吹き飛ばされる。
先ほど違うのは立ち上がる余力がもう無いという点だ。怪鳥の怒号すら遠雷のようにしか聞こえない。
やれるだけのことはやった。
死力も尽くした。
一指も報いた。
もう指一本動かせない。
俺としちゃあ上出来と言っていいんじゃなかろうか。
大・満・足! これは死合には負けて勝負に勝ったと言ってもいいだろう。
「……あーあ」
怪鳥が俺の眼前に立って大きく口を開く。
ボロボロになりながらもまだ俺に執着するとか……どんだけ俺を食いたいんだよ。ほんと。
これで正真正銘……終わりかぁ。
世界は非情で無情。例え一つの命が終わろうとも世は事も無し。
それが走馬燈すら見れない状況で、俺が悟った真実だった。
「……誰か助けてくれないかなぁ~……」
そんな、現実を舐めくさったようなご都合展開を求めてしまう。
生きたまま咀嚼されるとか……R指定は確定だな。モザイク漏れに注意しないと。とてもじゃないけど無修正では送れないわ。
――やっぱ死ぬのは嫌だわ。
口から出掛かっていた言葉を息を止めて無理矢理飲み込んだ。言葉にしてしまえば、なんとなく負けたような気がしたからだ。
ちっぽけな意地。それ以上の意味なんてない。もちろん助命の効果なんて皆無だ。
俺の命は今この瞬間も着実にその量を減らし、襲い来る睡魔に誘われる。
微睡ながら、俺は死神に導かれるように瞼を閉じた。
R指定ならばこれが正しい。健全な青少年に、自身のスプラッタ映像はまだ早い。
「クォーーーン!」」
「あぁ――尊き御方。ついに私を求めてくださるのですねッ!」
「…………御意」
暗転しかけた意識に。
三つの声音が耳朶を打つ。
俺は新たな者の出現に閉じていた眼を開く。
「くぉーん……」
樹木の枝から見覚えのある銀色の狐が飛び降りて着地。俺の隣で膝を曲げて、心配そうに鳴きながら頬を舐め、
「主様の命だったとは言え、これまで我慢するのは身を裂く思いでしたが――しかしッッ!! 許しが出た以上ロック鳥如きに好き勝手はさせません!」
俺の影から現れた黒いゴシックドレスを纏った黒髪紅玉の少女は、怒りを隠そうともしないままに猛る視線を怪鳥に向け、
「……」
森から飛び出してきたファンシーな熊――溺れた時に助けてくれたファンタジー生物が、俺を庇うようにして前に立ち塞がり、怪鳥を無言で威圧する。
「くぅう~ん」
「お前……クオンなの、か……?」」
俺に狐の知り合いなんてクオンしかいない。
もしかしてと思いペロペロと労わってくる狐に聞けば、肯定するように頷き、甘えるように身体を擦りつけてくる。血の気の引いた肌に、以前と同じ温もりが心地良い。
でもなんでここに?
「クオン! 私だって主様に触れたいのにお前ばかりズルいわよ!」
「クゥン!」
「何を言うのよ! 大恩があるのは私だって同じ事。お前ばかりが寵愛を受ける対象じゃないわよ!」
キーキーとヒステリー気味な声でクオンと喧嘩するのは、なぜか俺の影から現れた十三歳前後の女の子だ。
夜を思わせる濡羽色の長い髪をツーサイドアップにし、血よりも鮮やかな紅玉の瞳はツリ目がちで、日の光など浴びたことがないのでは思ってしまう白い肌が黒いドレスによく映える。
西洋人形を連想させる整いすぎた容姿には幼さが残りながら、どこか妖しく魅惑的な色気を思わせる。
そして、何よりクオンとの言い合いで気が高ぶるにつれて伸びる、可愛らしい顔立ちに不釣り合いな好戦的な二本の牙。
どう控えめに見ても人間じゃねえ……。
「ああもう! こんな言い合いは後よ後! 今は何より主様の御身が大事なのッ! ――――主様、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございませんでした。不肖キキ、矮小の身ながら主様によって与えられた〝加護〟により進化し、御身の許しを得て参上仕りました。どうぞこの身、この心、この魂の一片までご自由にお使いくださいませ」
………………why?
仰々しい科白を述べて頭を垂れる美少女。その姿はどこか気品に溢れ、整った容姿も相まり背徳感を孕んだ快感にに変換される。
要は犯罪くせえ。
「は……え、えっと、キキ?」
「はい! 影の如く主様に付き従う僕、キキでございます!」
うん。確かに影から出てきたもんね。表現としては間違ってないと思うよ。うん。
じゃなくて!
〝加護〟とか進化とか、まるで身に覚えがないんだけど!
蝙蝠が人型になるとかありなわけ?
え? なに? それってこの世界じゃ常識なわけ?
……いや、まあ俺も鳥になってたし、ありかもしれないけど。
でもさ、そうだとしてもさ、ツッコミどころが多々あるんだけどさ。
それはともかくとして、クオンとキキがいるってことは、
「……もしかして、もしかしてなんだけど――あの怪鳥と睨み合いをしてるのって……?」
「グルーにございます」
やっぱり!
え? なんでキキもグルーもそんな超進化しちゃってるの?
なんで蝙蝠が美少女に。なんで可愛げのあった熊があんなファンシーな熊になっちゃってるわけ?
唯一姿が変わっていないクオンがいなかったらたぶん信じられなかったぞ。
「――痛っ!」
「クゥォン!」
「主様ッ!」
身を起こそうと体を動かすと、全身のあちらこちらで痛みが走り声が漏れる。
二人が駆け寄って支えてくれるが、それどころじゃない。再会できたのは嬉しいがまだ怪鳥がご健在なのだ。今は新手の出現で警戒しているようだけど、長くはもたないだろう。
狐は元より、いくら美少女になろうと、いくらファンシーな熊になろうと、そもそもの体躯からして違いすぎるんだ。
「どうかこのまま安静に。後の露払いはお任せください。クオン、主様を頼むわよ。私はあの下劣な鳥を始末してくるから」
言われるまでもない! と言わんばかりにクオンが一鳴きすると、キキはグルーの横に並び立つ。
違う。俺のことはいいから早く逃げろ!
そう言いたいのに、嘴から出るのは声にならない擦れた音だけ。
意味ある言語を紡ぐことができなかった。
「よくも私の珠玉たる御方に……ッ! 許さない、許さないわよこの下等種が!」
「…………滅殺」
可視化できるはずのない怒りが。憤りが。
二人の背中を通して、質量あるモノとして圧をかけてくる。心なしか黒いオーラ的なものまで見える気がする。
ぶっちゃけ怖い。
「クェエエエエエエッ!」
怪鳥も同じものを感じたのか、はたまた単純に堪えが効かなくなったのか。
エリマキトカゲよろしく翼を大きく広げ、威嚇するように哭いて臨戦態勢に入った。
そこからの光景に、俺は我が目を疑った。
「煩いわよ。主様の前で耳障りな奇声を上げるなんて身の程を弁えなさい」
「……」
怪鳥が哭き終わる前に二人は動いていた。
キキの瞳から紅い虹彩を残して白目がなくなり、代わりに黒が染め上げる。着ていたドレスの背中から一対の羽が生え、宙に浮かぶ同時にその影から槍が飛び出した。
「邪魔な羽ね――【影槍】」
槍はキキの中心に囲むように広がり、手を振るうと槍が標本のように怪鳥の両翼両足を貫いて、そのまま地面に縫い付けた。
「ウフフ、足掻く姿も醜いだなんて救いようがないわね【縛甲束】」
苦しみもがく怪鳥だったが、貫いた槍が溶けるように解れていき、這うようにして締め上げて動きを制限していく。
怪鳥はどうにか拘束を解こうとするも――それはグルーが許さなかった。
走り出していたグルーは怪鳥の近くまで行くと、熊らしからぬ跳躍を見せて太い両腕を振り上げた。
すると肘からギロチンのような刃が勃起し、指からは鋭い爪が顔を出す。
「……」
無言のまま。無慈悲に。無情にも、ギロチンが甲高い声で哭く怪鳥の首を刎ね、一切の感情を排した爪が体を三枚におろす。
血飛沫が舞う中で悠然と佇むグルー。
その姿は寡黙な武士を連想させる。
すげぇ……。
二人の動きは、自分でもなんで見えたのか不思議なぐらいの早業だった。
俺があれだけ苦労して何度も何度も死にかけたっていうのに、キキとグルーはあっさりと脅威を取り除いてしまったのだ。
この前まで蝙蝠と熊だった生き物とは思えない戦闘能力だ。
「あら、最後は好い声で鳴くじゃない。知性の欠片もないロック鳥にしては中々によかったわ」
牙を剥き出しに、物騒なセリフを吐くキキ。
艶めかしく唇を舐める仕草は男女問わず惑わせる色気がある。
あぁ……そうだった。
ここは異世界なんだ。
今更ながら俺は思い知らされたよ。
…………わかった。もう何も言うまい。
人生とは往々にして、思いもかけないことが起こりうる。これもその一環なんだろう。
幸いにも、どうやら三人とも俺に危害を加える気はなさそうだし。ひとまずは安全になったと思っていいだろう。
安心して気が緩むと急速に眠気が襲ってくる。
力が抜けて、上げていた頭が自重で落ちる。
《………………………………【炎転回帰】》
意識が遠のいていくと、そっと寄り添うような囁きが聞こえた気がした。