こんな感じです
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その日は赤く燃え。
朱く舞い。
炎よりも紅く染まった紅蓮の業火に包まれた。
魂まで燃やし尽くそうとする勢いの炎。
地獄の釜の蓋が開くとこんな感じなんだろうか?
そんなことを他人事のように思いながら――それでも熱さは感じなかった。
守られるように覆われ、揺り籠に眠るように安らかに。
大した感慨も感傷も湧かないまま意識が薄れていった。
―※―※―※―※―※―
――という感じの夢を見たわけだが。
いやー随分とリアルな夢だったけど、夢でよかったわ。そうじゃなければ死んだことになるからね! 俺が!
まさか俺が火事で死亡とかあり得ないし。あるわけがない。
ここで改めて自己紹介をしよう。俺の名前は――――………………うん?
あれ、なんだっけ?
「…………」
ブレイク。ブレイク。
落ち着け。冷静になれ。まだ最初の段階でにつまずいただけで、慌てるほどのことじゃない。
誰だって自分の名前を忘れる時ぐらいあるさ。自分探しの旅に出るなんて人生に迷った人が辿る有名な話だし、特段珍しいことでもない。
隣の家に住んでいた爺ちゃんなんて三日に一度はパンツを履き忘れてるんだ。それどころかズボンだって履かずに近所を徘徊する愉快な爺ちゃんだった。
それに比べたら名前を忘れることぐらいはよくあるさ。
大丈夫だ。大丈夫。まだ慌てる必要なんてない。ここで混乱しようものなら状況を悪化させるだけだ。ここは落ち着いて対処しようじゃないか。
なに、俺が焼死なんてするわけがないんだ。出掛けるときはガスの元栓だって閉めてるし、未成年だからタバコだって吸っていない。揚げ物を作るときだって火の扱いには十分注意していた。
実際に、ほら。透き通るような白い肌には火傷一つない。綺麗なもんだ。
なんで裸なのかは分からないが、きっと風呂上りかなんかなんだろう。
まったく。野外で全裸とかどこの露出狂だよ! 隣の爺ちゃんと同じじゃねえか。誰かに見られでもしたら即通報されるな。
いや、これだけ魅力的な身体だったら襲われる可能性だってある。
不用心にも程があるだろ、俺。
「…………」
あれ?
俺って女だったっけ?
「…………………………」
いや、違うから。これはそういうアレじゃないから。
混乱するな。クールになれ。
そう、これはアレだ。昨日は食べすぎちゃったから太っただけだ。そうに違いない。
まさか一晩で胸だけ太るとか人体の神秘を垣間見た気がするな。
俺が女じゃないという証拠にほら、股間には……。
……ない。
あれ? おかしいな。生まれた時から一緒だった兄弟がいない。太り過ぎてしまったせいで肉に埋まってしまったのだろうか?
でも代わりに地割れみたいな割れ目が……。
あははは。そんなはずないだろ。
俺と兄弟は正に一心同体。
健やかなる時も、病める時も、共に支えあう事を誓い合った仲なんだ。あいつが俺を置いて何処かに行くわけがない!
クレバス――ジーザスッ!
「…………………………兄弟ーーーーーーーーーー!!!!」
えっウソなんで!?
なんだこの消失感。
焼失だけに消失感。
バカヤローー!
くだらないこと言ってる場合じゃないだろコレ! 親父ギャグとか言ってる場合か!
ちょ、まっ……これって慌てる段階に踏み込んでないか?
混乱してるし、落ち着いてないし、慌ててる。冷静さなんてどっかに吹き飛んじまったよ!
OKわかった。
分かったよ。
認める。俺は死んだのかもしれない。それは認めよう。
だがしかし! なぜ俺の兄弟まで死ななければならなかったんだ!
あいつはいい奴だった。
使う機会に恵まれなかったが、それでも文句一つ言わずに俺にツイて来てくれた。
ねえよ。
ついてねえよ。
そんなのはあんまりじゃねえか……。
あいつが何したってんだよ。ナニもしてねえじゃねえか。
こんなのは認めない。認めていいはずがない!
「兄弟ーーーーーーーーーーカァムバーーーックーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
俺の魂の叫びは山々に木霊して、虚しく山彦となって帰って来るだけだった。
♢
ふう。
俺としたことが取り乱してしまった。大声を上げたら何かが吹っ切れた。いわゆる賢者タイムってやつだ。
無い物は無い!
それを見苦しく足掻いたところで結果は変わらないのだ。だったら現実を受け止めて、もっと建設的なことを考えようではないか。
だいたい、俺ってばアイツのこと好きじゃなかったんだよね。時と場所を考えないし、我儘だし、自分勝手だし。横暴だし。将軍だし。
むしろ消えてくれてラッキー! 清々したぐらいだ。
……いやごめん。強がった。それとちょっとだけ見栄も張った。俺のブラザーは将軍ではなかった。精々部隊長ぐらいだった。マジで。
それなのにどういうことよ!
わたくしが女になるなんてそんなバカなこと認められるわけないじゃない!
「…………」
笑えない。
思ったより面白くなかった。
マズイ。自分を見失いかけている。
落ち着け。冷静になるんだ俺。
まずは現状確認をしよう。
ここはどこだ?
まず日本ではない事は分かりきっている。それどころか地球ですらないだろう。
俺が俺として覚醒する前にそれは確認済みだ。地球には翼を生やした人種も、巨大すぎる木とかありはしない。もちろん月だって二つもあるわけがない。
ならばここはどこなのか?
サブカルチャー溢れる日本で生きてきた俺にとって、答えは簡単に導き出せる。元居た世界とは異なる世界。異世界だろうと思われる。
いやまさか。そんな訳ないだろ? と思われるかもしれない。常軌を逸したバカバカしい結論だが、そうとしか考えられないのだ。
というか、そうでなければ俺が困るのだ。そうでなかった場合、俺は気が狂った狂人か、夢と現実の区別がつかなくなった異常者になってしまう。
もちろん俺は常人であるし、通常者だ。
――でだ。
俺が死んで、ここが異世界だとしたらここはどこなのだろう?
世界とか次元とかの話じゃなくて地理的な問題としてだ。
そんなことが分かっても理解はできないだろうけど……気にはなる。
空中散歩を楽しんでいるときに、断崖絶壁の上に巨大な城という人工物も目にしているので、この世界にも人間、もしくはそれに近い知能を有する生き物が住んでいるということになる。
これは俺にとって僥倖だ。
世界で唯一人生きている人間(羽根つき)なんて笑えない。寂しくて孤独死する自信があるね!
まあ……いつまでもなぜ、なんで、どうしてなんて考えていても仕方がないからな。とりあえずは辺りの探索が必要だと思う。
一刻も早く城に行ってみたい気もするが、それは時期尚早だろう。
なんの予備知識もないまま突撃して、非友好的な人種がいたらそれで終わりジ・エンド。そんなのは御免だ。
そりゃ誰かが居れば衣服も手に入るかも知れないし、欲しいが。
今は翼で身体を包み込むようにして隠しているからあんまり問題はない。
……というか誰もいないんだから隠す必要もないんだけどね!
いつかは城にも行かないといけないだろうけど、今はその時ではない。
まずは周囲の探索でもして、この世界の様子を確認してからでも遅くはないだろう。
フッ。我ながら己の周到さには恐れ入るぜ。
…………いや止めよう。こんな時に誤魔化していても仕方がない。人間、素直が一番だ。
死んだことすら認められたんだ。あり得ない程巨大な城に向かうのが怖いということだって認めようじゃないか。
そうだよ! 怖いよ!
なにあの城!? 世界樹みたいな樹だってあるし、刺した画びょうみたいな山の上に、どうやって建てたんだよ! 業者さん頑張ったな!
おいおい勘弁してくれよ。こちとら法治国家の保護下で甘やかされて育った一介のフリーターだぞ?
王政が敷かれている世界でどうしろってんだよ!
生憎と、なんの予備知識もなしで飛び込むなんて自殺願望も破滅願望も持ち合わせてないのだ。
ただでさえ訳分かんねえのに、こんな状況を受け止められるなんてそれこそ狂人か異常者だけだろ!
なんだ? 世界は俺に何を求めている?
パッパラピーでポンパラチャーな反応を求めているのか?
それなら安心しろ! 素っ裸で大自然に立っている時点でご要望には応えている!
そうだ。なにを隠そう俺は変態だ。強制的に変態へとジョブチェンジされてしまったのだ。
……ひでえよ。
今まで真面目にコツコツと生きてきたのに。なんで裸体森ガールにされなきゃいけないんだよ。
いいのか?
泣くぞ?
みっともなく大泣きしてやるぞ?
「世界のバッキャローーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
ふう。スマン俺。また取り乱してしまった。次から気をつけるから許してくれ。とりあえずは周囲の探索を優先させようと思う。
とは言っても、どんな生き物がいるかも分からないのに、いきなり森の中に裸一貫で突っ込むようなマネはしない。
いくら空を飛べるとはいえ、俺みたいな不思議生物がいるんだ。他に好戦的な奴が居ないとは言い切れない。他にも飛べる奴もいるだろうし、不意打ちでもされればひとたまりもない。
そうなると長期戦で挑む必要性が出てくる。ではまず食料を確保せねばなるまいて!
俺は現在、琵琶湖ぐらい大きな湖の畔に立っている。
水場が近くにあったというのは幸いだ。これで魚でも獲れば生きるぐらいはできるだろう。
生水なので腹を壊さないかが心配だが……まあどうにかなるだろう。
水場なので他の生き物達が集まって来るかもしれないが、水場から森までは少し距離があるので近づかれれば直ぐに分かる。
どんな生き物がいるのか観察もできるし、一石二鳥。いや、一石三鳥な作戦だ!
まさかいきなりサバイバルをするとは思っていなかったが、この調子なら何とかやっていけそうだ。
♢
舐めてた。
俺はサバイバル生活というものを舐めていた。
むしろ現在進行形で舐めきっている。
「あははははは! 我が糧となれることを光栄に思うが良い!」
湖にある岩場の上で高らかに吠える全裸の美少女がいた。そう俺だった。
魚を獲るべく、昔ながらの銛突き漁法を試してみたんだが……。
獲れるは獲れる! そこら辺の尖った枝を投げれば一投一殺って感じで大漁だ!
いやね、俺だって最初はこんなのでどうにかなるとは思ってなかったよ?
でも試してみればチョロ過ぎてお話しになりませんわ。
いいね! なにこの身体能力。
普通に投合しただけなのに狙った所に行くし、風切音が鳴るぐらいに速い!
流石は羽根つき。普通の人間とはスペックが違いすぎて笑えてくる。俺ってばこのままアマゾネスとしてもやってけるんじゃね?
「フッ、悲しいな。弱いということは」
こんなセリフを臆面もなく言えちゃうぐらいハイになっていた。
そして集まった山のような魚。
もうね。こんなに獲ってどうするんだって感じ。十歳前後のこの体で食べきれないのは明白だ。
……うん。調子に乗り過ぎた。反省している。
でも今はそれどころではない。
「火どうしよう……」
火がないんだ。
これも原始人がやるように、摩擦で熱を起こそうともしたんだけどさ。
いやー。人生はそんなに甘くないわ! 全然上手くいかなかった!
「…………」
やる?
やってみる?
触れないように目を逸らしてきたけど、向き合うなら冷静になった今じゃないか?
俺は自分の手のひらを眺めて、少しの間逡巡してから手を突き出した。
「ファイヤーボール!」
しかしなにも起こらなかった。
………………。
たぶん発音が悪かったのだろう。
俺は気を取り直して、さらには気合を入れなおしてもう一度試す。
「ファイアーボール!!」
しかしなにも起こらなかった。
………………………………。
「ファイヤーボール! ファイアーボール! fire ball! フレイムボール! 炎球! 炎よ在れ! ソニックブーム! かめはめ波ぁあああああああなんでだよ! 魔法が使えるんじゃねえのかよっ!」
一体どうなっているのか。いくら試しても炎なんて出てこない。それどころか魔力らしきものも感じられない。あの白い炎はなんだったのか。
秘めたるなにかに目覚めたんじゃないのかよ!
これでは俺の羞恥心に多大なダメージを負っただけだ。
騙された。
本気で騙された。
ちょっとだけワクワクした俺の興奮を返してほしい。
乙女の純情をなんだと思っているのか。神様がいるならぜひ問い詰めたい気分だ。
無駄にはっちゃけたせいで結構お腹がすいた。
今日はまだいいが、このままでは探索どころか生きるのも厳しくなるだろう。
なんとかして解決案を見つけねば。
と、悩んでいるときに俺は閃いたね。
「……生でいけるんじゃね?」
今の俺は抜群の身体能力に加え、ある特徴がある。
そう――翼だ。
羽根。つまりは鳥類。だったら魚だって生で食べても問題ないのではなかろうか?
日が明ける前に行動して、今はもう夕暮れだ。
お腹がすいていた。とてもとてもすいていた。
そう思ったら後は早かった。直ぐさま喰らいついて—―――直ぐさま吐き出した。
「うぇ~なんだよこれ。なまぐせぇ~」
どうやら味覚はそのままのようだ。
無理だ無理。こんなの食べられるわけがない!
考えてみれば鱗だって取っていないし、寄生虫の心配だってある。刺身とかよくあんなに美味くできるもんだ。日本の食文化の偉大さを身をもって思い知らされた気分だ。
日本の食文化はすごいと思う。ぶっちゃけ帰ってカップ麺でも食べたい。インスタント文化万歳!
たぶん俺ってばもう死んでるから帰れないんけどね!
「…………ぐすん……」
やめよう。
自虐ネタは時と場合を選ばないと本気で泣きそうになる。
……さてどうしよう。
今日は銛突きしかしてないしもう日も暮れる。だというのにねぐらどころか食糧だってない。丸一日を無駄に過ごしてしまった。
俺は夜に行動するのは危険と判断し、その場を後にしてそう遠くない場所の木に上る。
今日はここで夜を明かそう。
お腹がすいて中々寝付けなかったが、極上の羽毛布団さえ霞んでしまう我が翼に包まれて、どうにかこうにか眠りに着くことができた。
あぁ……お腹すいた……。