第087話 二度目の遭遇
「よぅ、今昼飯中だからちっと待っててくれな」
「……お前達には緊張感というものが無いのか?」
姿を見せた剣姫アデルへ向かい、真っ先に気配を察知した釣鬼がのんびりとした様子で話しかける。対する剣姫の表情は相変わらず硬いままではあったが、その口調からは若干の呆れというものが感じられる。
「俺の故郷には腹が減っては戦が出来ぬという、有難いお言葉がありましてね」
「へぇ、それは理に適った良い言葉だね。あ、扶祢わたしには大盛りでお願い」
「はいは~い。あ、良ければそちらのアデルさんもご一緒します?」
「いや、結構だ……」
この様に、扶祢の無自覚な更なる攻勢を受けた剣姫は目に見えて動揺し始めていた。うむうむ、良い傾向だな。ところでアデルさん、昨日は剣姫を刺激させまいとずっと顔を隠していたというのに、今日は普通に素顔で昼食を食べているんだな。折角海沿いに来たのだからという事で、スパイシーな味付けをしたブイヤベースもどきを味わうのに夢中でその辺りの認識が頭からすっぽりと抜け落ちていた、なんて事は無いと思いたいが。
案の定剣姫もそれに気付いたらしく、しかし予想よりは随分と落ち着いた様子でアデルさんへと話しかけてくる。
「昨日お前の声を聞いた時にはまさかとは思っていたが、やはり――わたしと同じ姿だったのだな」
「うん、どうもそうみたいだね。ま、種明かしは後でシェリーにして貰うとしてだ。わたしは別に、君の複製という訳ではないから安心するといいよ」
「ゴフッ!?ケフッケフッ……私が説明するのですか?」
いきなりな振りを受けたシェリーさんは可愛らしい仕草でちびちびと飲んでいた海鮮スープを気管に詰まらせてしまい、暫く苦しそうにむせた後に引き攣った表情で聞き返す。またいきなりな振りだな。アデルさん、三界に来てから随分とはっちゃけてるというか、こんな人だったのか。
そういえば公国周辺では有名になり過ぎて、何処に行っても注目を受けてしまうからあまり好き勝手出来ずに随分と窮屈な思いをしていると道中零していたっけ。そういった鬱屈が溜まっていたという事なのかね。
「そりゃ見ず知らずのわたし達が言うよりは抵抗感も少ないだろうし、この場合適任だと思うのだけれど?」
「む、言われてみればそうですわね。それでは――」
「まぁまぁ、シェリーもそんな焦らずに。まだ昼下がりですし話す時間はたっぷりあるのですから。こちらのアデルさんも積もる話がお有りなのでは?」
「わたしはまだお前が本物のサリナと認めた訳ではないと言っただろう……確かに、純粋な疑問が今日になって随分と増えはしたがな」
いきなり本題に入ろうとする二人をサリナさんがやんわりと止め、さりげなく剣姫を話へと引き込む。流石、こういった場面では受付嬢としての応対能力が物を言うな。
「まず、お前はサリナのことをシェリーと呼んだな?それと、そこのお前――ブレアと言ったか。サリナの母方の祖父の家名がシェリーブレアだったと記憶しているが」
「ええ。言葉だけでは信じては貰えないと思いますが、私は間違いなく貴女の知るサリナ本人です。今は公国を離れ、ここから陸路で約二日の平原地帯に位置するサカミの砦町を拠点としているわ。そちらでは天響族の方々も暮らしておられるので、名が知れ渡ったサリナではなくシェリーと名乗っているのよ――」
真摯に自身を見続け話すその貌から視線を外す事なく、剣姫はシェリーさんの訴えに耳を傾ける。やがて説明も終わり、口惜しそうに言葉を切るシェリーさんを揺れる瞳で眺めた後に視線を切り、暫し何かを考える素振りを見せた剣姫はジャミラヘとその剣を突き付けた。
「……そういえば貴様、いつぞやに遭遇した天響族共の部隊長をしていたな。あの時とは違い随分と大人しいが、何を企んでいる?」
「おっと、飯の席でそんな無粋なモンはやめとけよ。場が白けちまわぁ」
「……フン」
そのまま切りかからんとした剣姫だが、その気勢に差し込まれた釣鬼の警告にはっと我に返り、剣を背中へと刺し直す。
「いやはや、こちらのわたしは何とも物騒なことで」
「そうなってしまう程に、これまでの数年間を厳しい状況に置かれ続けてきたという事なのでしょうかね?」
「……どうにもお前達と話をしていると調子が狂う」
そんな剣姫の様子に対し、片やヤレヤレといった風に肩を竦め、片やのんびりとした様子で素直な感想を述べる。自身に瓜二つな容姿でそんな緊張感の無い事を言われてしまった剣姫の眉根は思わず垂れ下がり、無念そうに溜息を吐きながら改めて話かける様子に少しばかり同情してしまったのは仕方の無い事だろう。
「それで、何故貴様がサリナと共に居る?いや、まだお前が本物のサリナと認めた訳では無いが」
「もうその発言だけで半ば認めているようなものだね」
「喧しい、はぐらかさずに答えろ」
「何故も何も、お前がこいつ等に人類領域の狗では無い証拠を見せろと言ったから、わざわざ天響族としての俺がサカミから連れて来られたんだろうがよ」
「ふん……ならば次の質問だ。本物のサリナにはせめて公国の救えぬ現状に絶望して世を儚まぬよう、我が一族に伝わる秘呪にて認識阻害をかけていた筈だ。百歩譲ってあの深い創が癒せたにせよ、神職がとうに滅びたこの三つの世界にはあの呪を解く術などある筈が無い。だのに今此処に居るお前からはその呪の気配なぞ微塵も感じられない、これはどういう事だ?」
認識阻害、か。サリナさんがシェリーさんの眼の創を治療する時ついでにあっさりと解呪もしてしまい殆ど気にする事は無かったが、その呪い自体は本人曰く剣姫がかけたものに間違いはないらしい。
思い返してみれば当初のシェリーさんは、見ず知らずの怪し気な一団に遭遇したとはいえ剣姫への敵意を剥き出しにしていたりと随分と過激な感があった。恐らくはその認識阻害とやらの副作用で、思考が一定方向に引きずられていたという事なのだろう。
それにしてもあれから一日程時を置いて考える時間が出来たからだろうか。剣姫の態度には明らかに困惑が混じり、初対面の頃と比べれば随分と話せるようになっていた。物言いこそ厳しいが、触れ合いを拒否しているというよりはどこか、人と触れ合う事によりこれまで纏い続けた心の鎧が崩れ落ちるのを恐れている様な――そんな印象を受ける。
実際そうでなくば、この場で見ず知らずの俺達に秘呪について軽々に話す事自体有り得ないだろうし、納得に足る証拠を見せろなどと期待を込めた物言いもしないだろう。証拠、か……。
「もう話しても良いんじゃないかな?この人は、きっと今まで裏切られ続けて、人を信じるのが怖くなっちゃっただけなんだよ」
「……何を。誰が何を恐れているというのだ!」
この場面で剣姫の気持ちを一番理解出来るのはやはり、こいつだった。
その出自より常に周りの人間へ対する疎外感に苛まれ、おっかなびっくりとその狐生を歩んできた扶祢。そして心の奥底で深き眠りにつく、人と魔の争いの矢面に立たされ戦いに明け暮れた、傷だらけの魂の残滓。
その断片的な記憶から、人類領域に謀られ、孤独のまま数年間戦い続けた今の剣姫の心情が否応に理解出来てしまうのだろう。今も見る者を射殺さんとする剣姫の鋭い凝視を受けながらも真向から寂し気に見返し、一歩も引く様子は見られない。耳は伏せてしまい、特徴的なその七尾も地に垂らすといった有様で、本人の今のしょぼくれた精神状態が如実に現れてはいたが。
暫し睨み合った後に、先に目を逸らしたのは剣姫の方だった。
「……言ってみろ、ただし全てを包み隠さずだ。聞くだけは聞いてやる」
「それでは、まずは私が皆さんと出逢った場面から――」
「あ、じゃあアデルさんの椅子も用意しますね。地面に座り込んじゃったら警戒のしようも無いでしょうし」
「……妙なところで気を回してくるな」
そう言って扶祢がリヤカー大破時の全壊を免れた貴重なパイプ椅子をいそいそと組み立て、剣姫へと勧めていた。そして剣姫がそれの具合を確かめて座ったのを確認した後にシェリーさんは語り始める。俺達と出逢ってからアルカディアへと向かい、自身のそれまでの認識が塗り替えられる程の衝撃を受けたその内容。サリナさんとアデルさんに出逢った経緯、その後に至るサカミの砦町での出来事を―――
「――荒唐無稽にも程があるな」
「ですよねぇ」
「しかし、そこのサリナ……いやこの場合はブレアだったか。お前が三界では失われた僧侶系魔法の熟達者だというのであれば、こちらのサリナのあの創の治療をしあの秘呪を解くことが出来たというのも解らんでもない。それに、そこの天響族が以前わたしと対峙した時明らかに手を抜いていた理由も、腑に落ちるからな」
「まぁ、あんな三文芝居じゃ見え見えか」
「当然だ。分かり易く手を抜きおって」
どうやらこの場で交渉決裂即戦闘、といった事態だけは避けられたらしい。その事実にほっとしながらも、一方でジャミラの謎の存在感というものが益々増してきた様に思えるな。剣姫の話からすれば、ジャミラはこの剣姫相手ですらのらりくらりと躱し逃げおおせた経験があるらしい。思い返せば釣鬼とアデルさんのダブルインパクトの直撃を喰らっても自力で逃げる余裕があった程であるし、まだまだ手札を色々と隠し持っている様に思える。
「それじゃあ……」
「――だが!」
これまでのやり取りで一定の理解を得たと判断し、ある種の期待を込めた視線を向けるシェリーさんであったが、剣姫はそれに強い語調で言葉を被せ、まるで一度零れ落ちた殺意を拾い直すかの如く苦しげな表情で俺達を見回して、言った。
「それはお前達の話が真実であれば、だ。言うだけならば誰でも出来るからな」
確かに、これだけで信じたらまるっきり詐欺被害者の典型、か。しかし実際に証明をするとなると難しいな。
「実演でもすれば良いってコト?」
「そうだ、だが通常の傷を癒すだけならば精霊魔法でも出来るからな。四肢を喪う程の重傷を目の前で治してもらわねば。それと、解呪もだ」
理由を一つ一つ挙げていく剣姫の言葉に皆納得の表情を見せる。その辺りが妥当な所か。
「じゃあまずは釣鬼辺りの腕でも斬り落としてもらってだね」
「何でそこで俺っちなんだよ!?お前ぇだって頑丈そうなんだから、言い出しっぺのお前ぇがやれよ!」
「だって今の釣鬼は吸血鬼で、最悪治せなくてもその内勝手に生えてくるんだろう?それにレディの腕を斬り落とせと言うだなんて、釣鬼ったら乱暴だなぁ」
「貴女のどこがレディなのよ。耳長族の皮を被った小人族の癖に」
「お前等ちょっと落ち着け、剣姫も呆れてるだろう」
いきなりなアデルさんの無茶振りにああだこうだと程度の低い言い争いを始める俺達。それにジャミラが突っ込むも、当の剣姫は表情を変えずに話を続ける。
「……わたしがこの近郊から動けない事は先日話したな。その理由は、ある娘を匿っているからだ。お前が本当に熟達した治療師だと言うのであれば、どうかわたしを庇い負った傷によって死の淵に瀕しているあの娘を救ってやって欲しい……この通りだ」
語り終えた剣姫は椅子から降りて跪き、深々とサリナさんへと頭を下げる。俺達のことを本当に警戒しているのであればこんな真似はしないだろう。これまでの俺達へ対する警戒感は、そういった事情が大きかったからなんだな。
「ええ、構いませんわよ。それで、患者は現在何方に?」
対するサリナさんは平常時と変わらぬにこやかな笑顔でそれに応じていた。その軽く応じる様子に剣姫だけではなくシェリーさんまでも呆気に取られてしまう。
「うん、わたし達の目的は君達二人を引き合わせることだからね。既に目的は半ば達している訳だ、だからアフターサービス位はきっちりとやらせて貰うさ」
「それにお二人、見たところ相思相愛の様子ですし?事後報告期待しておりますわよ、シェリー」
「「なっ!?」」
如何にもな意地の悪い笑顔を浮かべ、顔を真っ赤にした剣姫とシェリーさんをにやにやとした表情で揶揄い始めるASコンビ。相思相愛とは言っても比喩であり百合という訳ではないのだろうが、それにしても性格に差がありすぎるよなぁ、彼方と此方の二人達。
「あぁ、サリナさんがまた黒い顔し始めちゃった……」
「二人共、ご愁傷様であります」
「……あの二人、何処に行っても変わらないんだな」
「まぁ、あんなだな」
「ダヨネ」
ジャミラもようやくこの二人の本質を理解したらしい。呆れ果てた様な顔をしていたが、情報を正確に把握する事は大事だからな。是非ともこの二人の性格を把握した上で今後の作戦等の立案に役立てて貰いたいものだ。
そして俺達は、剣姫――三界側のアデルさんに先導され、港町の裏側に位置する洞窟にてその『娘』と対面する事となる。




