第082話 サカミの夜②-夜も更けて-
本日より四日連続投稿となります。予告通り明日から三日間は小話系で。
サカミの砦町―――
そこは、三つの世界にて復活した天響族による突然の人類領域へ対する宣戦布告に始まり、以来四百年間にも亘る長い戦乱に飽いた者達が集う中立地帯に端を発した町である。
そんな立ち位置により疑心暗鬼となった人類領域からの圧力を過去に幾度も受け、対抗手段として町の周りにはいつしか巨大な城壁が囲まれるようになった。その範囲はアルカディアのヘイホー程とはいかないまでも、中規模ながら城郭都市の様相を呈している。
今から約三十年前、当時はまだ天響族の一兵卒として前線で人造人間相手に暴れまくっていたらしいジャミラがこの付近の戦闘で大怪我を負い、当時のサカミの町へ流れついた時に目の前で見た種族間の醜い抗争の無い情景。それは世に生まれ落ちてよりこの方、ずっと天響族のコミュニティのみで生きてきたジャミラにとっては正に青天の霹靂と言える衝撃であった。
「――以来、俺はもうこの町に惚れ込んじまってな。当時の頭だった人狼族のおっさんの器が広かったのも多分に影響はしたんだろうが、天響族である俺に対してもさ……誰も怖がったり憎悪の顔を向けたりしなかったんだよ、此処の連中は」
宴の時間も終わりを迎え大部分が酔い潰れる中、一同はジャミラの昔語りに暫し耳を傾ける。バイザーを外したジャミラの素顔は精悍さを感じさせつつも落ち着きのある、耳の先が少し尖っている以外は殆ど人間と変わらぬ顔の造形をしていた。どこか寂し気な様子で昔を思い出し語るその姿からは何とも言えぬ哀愁が漂い、それを見た俺は当初抱いていた天響族という種族へ対する印象が大きく変わっていくのを自覚する。
まだまだ人生経験の浅い俺だから、ただ場の雰囲気に酔っているだけなのかもしれないがね。
「天響族として戦い仲間達が使い捨てにされるのを目の当たりにし、心を摩耗させていた日々から俺を救い出してくれた、楽園なんだよなこの町は。此処との巡り合わせが無かったら、俺もとっくの昔に心が壊れ紋様の操り人形になっていたかもしれないな」
「……そうだったんだ」
「それで君はこの町に恩義を感じ、町の発展と組織の維持に努めていたというんだね」
「もう今の俺にとってはここが故郷と言えるからな。自分の居場所を護る為でもあるのさ」
最後にそう誇らしげに言ってジャミラは話を終える。その頃にはすっかり宴の熱も冷め、ある者は酔い醒ましに席を立ち、またある者はそのまま酔い潰れて話を聞くものも疎らとなっていた。俺はそこまで酒が強い訳でも無いし、この街からしてみれば雇われたばかりの外様だからな。他に話す相手が居る訳でも無し何とはなしに耳を傾け、気がつけば最後まで聞き続けてしまっていた。
「この様な言い方をすると気分を害される方もいらっしゃるとは思いますが……よく天響族を町の長とすることを皆が認めたものですよね」
手に持つグラスを傾けワインを味わう姿は上品に、だがそれなりに酔いが回った影響か頬を軽く染めながら。蠱惑的とも言える流し目をジャミラへと向け、シェリーさんは楽しそうに言う。
自身の中での葛藤に決着が付いたのだろうか。ジャミラに対するその表情は穏やかであり、つい半日前までは相入れる事の無い敵同士として殺し合いをしていた間柄にはとても思えなかった。それはジャミラも同感だったらしく、少々戸惑いの様子を見せながら話に応じる。
「まさかアンタがここまで早く俺に対する態度を軟化させるとは予想出来なかったな。何か思う所でもあったのか?」
「ええ、まぁ」
そう問われたシェリーさんはと言えば、横で自らの膝を枕にして眠るサリナさんの頭にそっと手を置きその髪を優しく弄りながら、何とも複雑そうな表情で溜息を吐く。
「……本音を言いますと、未だ目の前の貴方が芝居を打っているという疑念も捨てきれなくはありますが。その……ここ数日で自身の価値観が大きく変わる出来事と立て続けに遭ってしまいまして。今の私は、これまで過ごしてきた数年間というものに疑問を持ってしまっているのですよね」
皆さんと出逢う前でしたら、きっと今の貴方の話もまともに取り合う事は無かったでしょうね――そう続けたシェリーさんはやや自嘲気味ではあるものの、ぎこちない笑顔を俺達へと向けていた。
うん、此方ではアルカディアとは違い異世界の存在からして認識が無かったみたいだし、そんな所に予想だにしなかった出来事があれだけ重なれば自分の持っていた価値観というものに疑いを持ってしまうのも無理からぬ事だろう。シェリーさんにとってはもう一人の自分自身とも言えるサリナさんからして、見た目と実力の高さといった分かり易い共通点以外の印象としてはあまり似ていないからね。
引き合いに出されたサリナさんは完全に酔い潰れており、シェリーさんの膝枕で今も気持ち良さそうに静かな寝息を立てていた。その相棒は釣鬼との飲み比べをしており――お、どうやら飲み比べではアデルさんに軍配が上がったようだ。釣鬼先生、どうも吸血鬼となる夜間は更に酒に弱くなっちゃったらしくてね……とはいえ基本酒好きな鬼族の血を引く者だ、その辺の連中よりはまだまだ強い方ではあるのだが。こりゃ明日の朝起きたらまた落ち込むだろうなァ。
「ふぅ、何とか飲み勝てた……うっぷ」
「お疲れっす。美人産の吐瀉物がご褒美なんて特異な嗜好の持ち主は此処には居ないと思うんで、吐くなら向こうで吐いて下さいよ」
「むぅ、最近頼太はわたしにそっけなくないかな?初対面の時なんかあんなに舞い上がっちゃってて可愛かったというのに……」
「ぐっ、いやっ!冒険者仲間への礼儀というか、あまりそんな素振りばかり見せるのは逆に失礼かなと思いましてね。ある意味親愛の証と言う事でそれ以上の追及は避けて頂けるとっ……」
「ふふふ、親愛ね。今日のところはその照れ顔に免じて誤魔化されてあげようか」
そう言ってアデルさんは隣の席に座り何故か俺の肩へと手を回す。予想外の力強さに身体ごと引き寄せられてしまい、慌てる俺の目の前に悪戯っぽい表情をしながら酔いで真っ赤に染まった顔を近付けて……ふぉおおっ!?肩周りに心地良い弾力の感触がっ!
「ちょ……近い近い!アンタ実は無茶苦茶酔っぱらってるでしょ?」
「ん~?んー……かもしれないね。あれだけ釣鬼と飲み比べをしたばかりだ、ちょっとばかり酒臭いのは大目に見て貰えると嬉しいな」
「そりゃ俺としては役得なんでその位は別に……ハッ!?」
つい本音が口からっ。その本音を聞き目の前で形作られた邪悪な笑みを見て我に返り、慌てて言い繕おうとするが……だよネー。
「あらヤダ……アデルと頼太がいちゃついてル!」
「ら……頼太が最近節操無しに」
こちらはこちらで何時の間にか湧き出してきた幼女と狐モドキが、何故か近くの柱の陰から顔だけ覗かせたままこちらをガン見しておりましたとさ。
「あぁ、まさかこのわたしが頼太少年の毒牙にかかってしまうとは……その青い情欲を喚起させてしまった責任がわたしにもあるか――仕方が無い、今夜の過ちは犬に噛まれたと思ってお互い、ね……?」
「さっさと寝ろこの酔っ払い!」
「あははははっ……実は本気で限界みたいだから、悪いけど適当にサリナ共々寝かせておいてくれないかな?悪戯は……するならまぁ、程々に……」
最後にまた確信犯的な発言をしながら――言い終わる前に力無く俺へと体を預け、そのまま寝息を立て始めてしまった。
「なんつぅ言置きだよ……全くこの人達は」
「ふふっ。こちらのアデルは本当、何と言いますか伸び伸びとしていて楽しそうですよね」
「本当に、舞台が変われば人も変わるという事実をまざまざと見せ付けられてしまうというものだな。見た目は瓜二つだと言うのに、あのアデルとは似ても似つかない」
俺達のやり取りをどこか羨ましそうな様子でぼんやりと眺めていたシェリーさんがそんな感想を漏らし、ジャミラも愉快そうに笑いながらそれに同意する。楽しそうなのは否定しないが、その陰で弄られてる存在があるという哀しい事実は忘れないで欲しいのです。
「ね、頼太……悪戯、する?」
「優しく、してネ……?」
「お前等、その台詞間違いなくシズカ辺りの入れ知恵なんだろうけど使う場面と言う対象間違ってるからな?」
さぁ、この爛々と目を輝かせた耳年増共をどう落ち着かせたものだろうか。その対処に頭を悩ませつつも、サカミの夜は和やかな雰囲気で更けて行く―――
翌朝―――
「……オハヨー」
「おっす」
昨夜は宴の後始末もままならぬ状態で皆宴会場にて雑魚寝状態となっていたが、町の顔役であるジャミラとその連れに対する配慮という事で俺達だけは奥の座敷に仕切りを置いて休んでいた。
あまり酒の入っていなかった俺、そして妖怪底無し幼女であるピノの二人だけは朝早くから目覚めることが出来たらしい。残りの理想郷勢は皆二日酔いで全滅しており、暫く起きそうにもないようだし昼辺りまではそっとしておくか。
見回すとシェリーさんとジャミラも既に起床しているらしく、その姿は見られなかった。
「――お、起きたか」
「お二人共、お早うございます」
「シェリーにジャミラ、オハヨー!」
「おはようございます。二人とも早いっすね」
酒場の方へ出てみると、二人はテーブルへ広げた紙にお互い何かを書き留めながら話し合っていた。こんなところで何してるんじゃろ?
「こうして協力関係となった訳だからな。早速お互いが知り得る事についての情報交換をしているんだよ」
「まだ朝方ですが目も覚めてしまいましたので。この状況では後片付けもままなりませんし」
「片付けはこいつ等が起きてからだな。お前等も今は好きにしてて良いぞ」
今後の為の資料作成の前段階といったところか、二人共随分と気が早い事で。なら此処に居て邪魔しちゃ悪いし、席を外すとしますかね。
「んじゃちょっと朝飯までの間、散歩でも行ってくっか?」
「ピコも呼んでクル!」
俺達は二人にそう断りを入れ、一度座敷へと戻ってからピコとミチルを連れ今日も晴れ渡る秋の空の下、早朝のサカミの町をぶらつくことにした。
「ピノ。どっか行きたい場所とかあるか?」
「ンー、ボク達まだ昨日ここに来たばかりだしネェ……行きたい場所って言われてモ」
「それもそうだな、なら気の向くままにぶらつくとしようかね」
「オー」
しかし早朝のサカミの町中はまだ人通りも少なく、若干閑散とした様子で面白味という意味では若干役不足感が否めなかった。
「飽きタ――ネ、頼太。あの壁って登れるのカナ?」
「いや防壁だし登れないだろう……階段があるのか」
ピノの問いかけに返事をしながら町を囲む壁の方を見てみれば、一定間隔おきに階段があり人数は少ないがちらほらとその上を散歩しているらしき町民達の姿が見える。お、あの階段の下に衛兵が居るな。
「すみませーん。ここの壁って登っても良いものなんですかね?」
「ん?あぁお前等、昨日の来訪者達か。緊急時じゃなければ特に制限は設けてないぞ」
「アラ、昨日のオッチャン」
「おっちゃん……俺、まだ三十前なんだけどな」
その衛兵はピノにおっちゃん呼ばわりをされ軽く落ち込んでいた。それでも俺から見ると十歳も上だからな、おっちゃん呼ばわりもやむなしか。実年齢はピノの方が高いけど。
「昨日の宴会に参加した方でしたか。朝早くからお疲れさまです」
「俺は今日の朝番があったからな。さっさと抜けたんだよ」
「ソッカー」
「まぁあまり騒いだり町民の迷惑になる事だけはやらんように注意して貰えれば、好きに壁の上を歩いても構わんぜ。この辺りはちょっと周りより高い位置にあるからな。結構な景色だぞ」
「「おー!」」
よし、それじゃあ早速登ってみるか!その衛兵さんに礼を言い、俺達は早速近くの階段から都市を囲む城壁へと登り始めた。
「――オォ!」
「うーむ、絶景かな絶景かな」
つい天下の大泥棒の台詞を流用してしまう程に、城壁の上から見下ろす秋の色が入り始めた一帯は風光明媚な情景であった。
このサカミの砦町、座標的にはアルカディアのサカミ村よりも若干北に位置するのだが、地域的にはほぼ同じ平野部に位置している。町の北には山とその麓に湖、すぐ南の正門前には恐らく港町クシャーナの面する海まで続くであろう大きな川が流れ、また西の側を見ればアルカディア側で本来の異世界との接続口があった洞窟を内包する森が広がるという、自然の活力溢れた土地となっている。これで天響族の脅威さえ無ければ、交易都市として栄えそうではあるんだがなぁ。
「ン~気持ち良い風~」
「今の時期が一番過ごしやすいな、この辺りの平原地域は」
「ダネー」
ひとしきり壁の上からの景色を眺めた後、そろそろ朝食も出来上がった頃合いだろうということで酒場へ戻る事にした。少しばかり歩いてみたのだが、ピコに乗ったピノはともかくピコとミチルの位置からでは壁の外があまり見られず、二匹ともつまらなそうにしていたからだ。
「戻りました」
「タダイマー!」
「お帰りなさい。丁度朝ご飯が出来た様ですよ」
うん、良いタイミングだ。散歩に出かけて寝惚け気味の頭も覚めたし、身体にも朝の活力を取り込まねばね。
一度座敷を覗いてみたが、やはり全員二日酔いで死屍累々のままだった。なのでそちらは放っておくことにして酒場へと戻る。朝食は透き通った綺麗な鳥ガラスープと少し厚めのナンの様なパンに、ハムサラダのオマケ付き。スープには野菜と鶏ガラの味がしみ込んでいてパンとの相性が抜群だ。朝食べるには丁度良い程度に軽くそして味わいのある、美味しい朝食でした。
「「ご馳走さまでした」」
俺とピノはほぼ同時に食べ終わり、揃ってご馳走さまを言う。日本に居た一月でピノもすっかり彼方の慣習に染まったらしく、こうして両手を合わせる仕草も堂に入ったものだ。その様子を見たジャミラも少々興味が湧いたのか、ピノに聞いてきた。
「ライタは更なる異界の住人って話だから置いといて、ピノは東の方の出身なのか?この辺りじゃあ食事後に祈りを捧げる慣習は無いんだがな」
「夏の間に暫く頼太と扶祢の故郷に滞在しててネ。皆でやるのが楽しそうだったから癖になっちゃっタ!」
うむうむ。何事も礼に始まり礼に終わる、善き哉善き哉。俺も葛見先生には子供の頃からその辺り徹底的に躾けられたものだ。
「そういえば頼太さんと扶祢さんは同郷でしたっけ。幼馴染なお関係なのですか?」
「いえ、こちらに来るまでは見ず知らずな赤の他人でしたね。むしろその前日に初めて会った位で」
「あら。気の置けない間柄に見えたもので勘違いしてしまいましたわ」
「気の置けないって言ったらうちのパーティ皆そんな感じですからね」
「一緒に組んで数か月も冒険してれば慣れちゃうもんネー」
「そんなものですか」
俺達の言葉にシェリーさんは曖昧に頷きを返しながら考え込む。
そうか。彼女はここ数年間、この世界でひたすらに戦い続けていたからパーティ行動というものに慣れていなかったんだな。ふと思い付いた俺はピノに二、三言耳打ちをし、どうよ?と反応を伺い、当然の事ながら向こうも何時もの好奇心に満ち溢れた楽しそうな表情で返してきた。よっし、決まりだな。
「それじゃあ今日はシェリーさんも一緒に付近を探検しましょう!」
「えっ?いえでも今後についての会議等がまだ――」
「どうせ座敷で寝てる連中は二日酔いで今日一日使い物にならないシ、シェリーももっと気楽にいった方が良いと思うヨ!」
戸惑うシェリーさんに対し二人で強引に誘いをかけみるものの、やはりそう簡単に長年培われた性格が変わる事は無いか。まだこういった誘いには抵抗感がある様子……うーん、手強い。
「良いんじゃないか、アンタはちょっとばかり気を張り詰め過ぎに見えるからな。周辺の状況把握ついでに少し骨休めでもしてきたらどうだ?」
しかしそこにジャミラからの援護射撃が飛んできた。うんうん、シェリーさんからは何処となく危うい脆さを感じる事があるからな。破裂してしまわない様に、定期的な息抜きというものが必要だとは思うんだ。
「う、うーん……そうですね。それでは、今日一日だけ」
「一日と言わず暫くのんびりしていても構わないと思うぞ。どうせこれから俺達がやろうとしている事は相当な長丁場になる、休める時には休むべきだな」
「そう、ですね――」
おんやぁ?昨夜あの後の話し合いで何かあったのかね?何やら二人の間に妙な絆のようなモノが見えた気もするが……取りあえず俺がここで為すべき事はと言えば―――
「ピノ、シェリーさんは真面目なんだから変にからかったりするんじゃないぞ?」
「チッ」
こういった細やかな気配りか。日々の気配りによって世のありふれた悲劇の大半は未然に防ぐ事が出来るというものだ。
「お二人共、聞こえてます……ジャミラとは志を同じくしたというだけで、別に何かあった訳ではありませんからね……?」
おっと、これは失礼しました。
そして朝食後。各自少々荷物を確認してから寝込んでいる面子への言付をジャミラにお願いし、シェリーさんを加えた俺達三人と二匹は周辺の探索へと向かうのだった。




