第072話 三つの世界の事情
体育の日連休2/3日目。
あちらの世界だのこちらの世界だのややこしい言い方がようやく解決しました。長かった……。
舞台は再び釣鬼達の世界へと移り、異邦人用のログハウス内部にて―――
「未だ信じ難い話ではありますが、ここまでの現実を見せられては納得するしかないのでしょうね」
中級コースの門を通りその先で出会った、もう一つの世界のサリナさん。どうにも殺気立っているというか、常に張り詰めた様子で全方位を警戒し続ける彼女をどうやってこちらへ連れてくるかで悩んでいたのだが、思ったよりも随分あっさりと同行の同意を得る事が出来てしまった。あの様な殺風景極まる火山の斜面で長話をするのもなんだし、出来れば落ち着ける場所であの世界についての話を聞きたかったからな。問題も無く連れてくる事が出来て良かったとほっとしてしまう。だからという訳でもないのだろうが、ついつい益体も無い思い付きを口にしてしまい、それにやはり似た様な思いであったらしき皆が乗ってきたのも無理からぬ事だろう。
「ところでさ、吸血鬼って招き入れられないと建物の中に入れないとかいう伝承があったよな。釣鬼、その辺どうなんだ?」
「そういえば、うちの山荘は母さんが招き入れてたから分からなかったもんね」
「さぁな。釣具屋とかコンビニには普通に入れてたから、特にそんな制限は無ぇんじゃねぇの?」
「でもああいうお店って店員が招いてる事になるのかもしれないシ、判断が難しい所だよネェ」
「汝等、ほんに話を脱線するのが好きじゃのぉ」
案の定この程度の話でも盛り上がり、シズカからは呆れ顔でそんな事を言われてしまった。あまり強く言い返せないのが悔しい所である。
「――ここは、平和な世界なのですね」
そんな弛んだ空気の中、無言で俺達の会話を聞いていたサリナさんがそうぽつりと呟く。
一見無表情にも見えるその顔からは、よくよく見れば羨望の現れとでも言うべきか……何かに救いを求めたい望みと現実的を見据えそれを否定する諦観が綯交ぜになった、複雑な色を宿す様子が俺達にですら容易に見て取れた。
「ねぇ、シズ姉?」
「言いたい事は解らぬでもないが。全てに付き合っておったら身が持たぬという事だけは自覚せぇ」
「……うん、そうだよね」
あの山で少しばかり聞いた話の内容からすれば、あの世界は相当に先行きが昏く、そして人類にとっては厳しい現状である様だ。そんな中、もし俺達が向こうの騒動に関わってしまえば途中で引くことは出来なくなってしまうに違いない。あるいはどこかで見切りをつけて、強引に撤収するという選択もあるかもしれないが、それならば最初から関わらない方がましというものだ。
こちらの世界での冒険すら中途だというのに、そんな半端な俺達が一時の感情で別の領域の問題に首を突っ込んでも良いものか……シズカはきっと、そういう事を言いたいのだろうな。
しかし、思わず考えさせられる指摘をされ黙り込んでしまった俺達に、サリナさんはと言えば、弱々しい笑顔を向け―――
「これは私達の世界の問題、異邦人である貴方達の関わるべき事ではありませんわ」
―――悲し気に、それでいて断固たる意思を以てそう宣言をしたのだった。
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「私の要求への皆様方の回答は果たされましたので、こちらの事情も包み隠さずお伝えするとしましょう」
そう言って語り始めたサリナさんによる彼の世界の話。それは俺達の予想通り、人類領域にとってはあまり望ましい内容ではなかった。
彼の世界には、こちらではお伽話の中にのみ語り継がれる天人が実在する。
それらは総じて【天響族】と呼ばれているらしい。数百年前に突如姿を現したその時までは、こちらと同じく存在すらも信じられてはいなかったが、ある日を境に地の底から突如現れ、そして世界を恐慌の波に晒し始めたのだそうだ。そして現在、残った人類達はマイコニド火山より南側の、この大陸の一部の領域に追いやられ戦々恐々とした日々を送っている。また、釣鬼達の世界で言う魔族の大陸との連絡もそれ以来一切取れておらず、状況は不明のままだと言う。
今俺達の目の前に居る彼の世界のサリナさんは、こちらのサリナさんと同じく公国魔導学院に於いて近年稀に見る神童との呼び声が高く、またアデルさんともやはりある時期までは同期として共に行動することもあったらしい――しかし、公都で起きたある事件を境に行方不明となってしまい、数年後に再会をした時には既に天響族の尖兵と化していたという。
自らの故郷をも討ち滅ぼし、『背信者』として残った人類からは恐怖と憎悪の対象足り得る存在。それが、彼の世界でのアデルさんの立ち位置という事か。
「彼の世界での転換点は大局的に見れば数百年前からの天響族とやらの台頭、そして直近ではアデルという者の失踪、人類への利敵行為という事かや」
「……そう、なりますね」
彼の世界のアデルさんについては実際に目にしていない俺達には何とも言えないが、あのサリナさんがここまで昏く、憎悪に蝕まれてしまった程のこの数年。時々本気で怖いけれど、基本的にはいつもニコニコ、そして割とお調子乗りなこちらのサリナさんを見てきた俺達には、これ程の悲壮な覚悟を持つに至らせてしまった過去の体験というものを想像出来ずにいた。それは戸惑いとなってその場へ漂い、先程までの緩んだ空気も吹き飛んでしまう。
「皆さんと出会ったマイコニド火山、あの麓も数百年前に天響族が復活する以前にはここの大森林同様、緑溢れる土地であったと聞きます」
「……つまり、この森をあんな一体丸々焦土と化す何かが起きたって事か」
「ええ。当時の文献では、天上より何か巨大なものが舞い降り、辺り一面を焼き払った、との記述が確認出来ますね」
天上より舞い降りたもの、か……隕石か何かでも落ちてきたのだろうか?
「あるいは、その何かを質量弾として投擲する技術を有していた可能性も……否、然様な技術を持ち現存の人類を滅ぼすつもりであれば、その一度では済む筈があるまいな」
「ええ、その現象については当時より研究はされていましたが、仮に隕石を召喚するような大魔法が存在していたとして、数撃てるものではないだろうという推論が今も主流です。むしろ、その隕石の落下を切っ掛けとして地に眠る者共が目覚めたのではないか、と言われております」
成程な……あるいはこの世界の地下にも、そういった存在は眠っているのかもしれない、という事か。この世界ではその様な悲劇が起きず何よりだとほっとする反面、もしもその様な災厄が目覚める事があれば―――
「ぞっとしねぇ話だな」
「ウン、怖いネ」
だな。つくづく平和なこの世界との縁が出来た幸運に、唯々感謝するしかないぜ。
「それじゃあ、こっちの世界とそっちの世界は似て非なる世界という事で確定なのか?」
「確定とするには参考となる要素がまだまだ足りぬが……まぁそうじゃのぉ」
「それにしてもこっちとかそっちとか、いい加減世界の呼び名を知りたいところよね」
話が一段落した所でふと思い出したかの様に扶祢が言う。言われてみればそうだよな。これで俺達の地球に更なる異世界なんてものが出てきたりしたら、いい加減呼び辛くって仕方が無い。気分転換を兼ねてその辺りを試しにサリナさんへと聞いてみる。
「そうですね……こちらではどういった呼ばれ方をされているかは分かりませんが。私達の世界では、自らを三つの世界と呼ぶ場合が多いですわ」
「三つの世界――か。天上、地上、地下って事かな?」
「天界、魔界、人間界と大仰な言い方をされてはいますが。概ねその認識で合っていると思われます」
「あるいは、人間、魔族、天響族の三つを指すのやもしれぬな」
単純ではあるが、分かり易いな。こっちの世界の学者達が主張しているらしき円環だの交差世界だのといった、厨二病溢れるセンスよりは余程真っ当でついほっとしてしまったぜ。
「――それでは、名残惜しくはありますが私は元居た世界に戻りますね」
その後細かい部分の情報交換をしつつも合間に雑談などを交わしている内に、何時の間にやら結構な時間が経過していた様だ。ふと窓の外を見れば見事な夕焼けが目に映る。
その気配を察した訳でも無いのだろうが、話も一段落がつき静まり返ったのを見て取ったらしきサリナさんは若干の寂寥感といったものを漂わせながらそう言ってきた。
「え……」
「皆さんとの語らいは久方ぶりに心が安らぐものでしたけれど、このまま居ては帰り辛くなってしまいますので――そろそろ失礼しますね」
あちらの世界のマイコニド火山で出会った時こそ一触即発の雰囲気だったものの、世界を跨ぎこのログハウス内で語らった数時間で随分と気配が和んでいただけに、まさか夜も越さずにすぐ戻ると言い出すとは思わず、俺達一同は驚きを隠せずにいた。
「折角異界との接点を持てたんダシ、向こうの危険な世界に残るよりも、このままこっちでのんびりと暮らすって選択肢もあると思うヨ?」
「そう、ですね。今は小康状態とは言え、あちらはいつ天響族に攻め滅ぼされるか分からぬ現状。我が身を案じるのであれば、きっとそれが賢明ではあるのでしょう。ですが、それでもあちらは私の生まれ育った世界です。無辜の民達が苦しみ続けるこの現状から目を背ける事は……私には出来そうにもありません」
「……そうかぃ」
「はい、それでは――」
ピノの提言に若干の戸惑いを見せながらも、はっきりと言い切ったサリナさんはソファから立ち上がり、一礼をしてログハウスを出ようとする。その背なより感じられるは決然とした覚悟。その姿に俺達は最早何も言えず、唯々無言で見送るしか出来なかった―――
「――まぁ待つが良い」
だがそこに、予想外の人物が声をあげる。
「彼方の事情を鑑みるに、今日明日に事態が激変するという訳でもあるまい?女子の一人旅に盲いたままではきつかろう。せめてその創を癒してから戻ってはどうじゃな?」
今にもログハウスを出ようとしていたサリナさんを呼び留める声。それは、横に座る扶祢の目に大粒の涙を溜めた無言の訴えに折れてしまい、何処となく不貞腐れた様子でそっぽを向きながら言葉を紡ぐ、シズカだった。何だかんだでこいつも姉馬鹿なんだよなぁ。
「癒す、ですか?ですが先程もお話した通り、この眼は呪いによって――」
「童が見るに、呪いそのものは確かに在るが、盲いた直接的な原因はその創じゃな。何ぞ誓いの類でもあるならば已むを得ぬが、彼の世界の今後を憂い戦い抜くつもりならば、猶更のこと目の癒しは必須と言えよう?」
話し始めこそ扉の前で背を向けたまま、首だけを僅かに振り向かせ答えていたサリナさんではあったが、シズカの指摘に何かを考え込む素振りを見せ、やがて改めて俺達の側へと向き直る。その表情からは諦観の相が色濃く現れていた先程までとは正反対に、未来に僅かな光明を見出した者特有の、生き足掻こうといった意志がありありと浮かんでいた。
「あの背信者にこの創を刻まれてより数年、もう二度とこの目で光を拝むことは無いと諦めておりました。ですが、もしその様な事が可能なのでしたら、伏してお願い申し上げます……」
そう言ってその場に跪き、サリナさんはシズカへと懇願する。どうか自分を助けて欲しいと。それを受けた霊狐の頂点たる存在は自らに願い求める人の子に対し威厳を以て鷹揚に頷き、そして厳かに宣言する。
「うむ、ならば共にヘイホーへ赴き、腕の良い治療師を探すとしようぞ」
そのあまりにも現実的かつ身も蓋もない言葉に思わず、一同ずっこけてしまう俺達。
「話の流れ的にお前が治すんじゃないのかよ!?」
「私の感動と尊敬を返して!」
「何を言うとるか。童の得意分野は現地調査と破壊活動じゃ。軽い怪我や病気程度ならばまだしも、然りげな身体の機能を喪う程の深い傷など治せるとでも思っていたのかや?」
「堂々と言い切りやがったシ……」
俺達の批難も何処吹く風で受け流し、しれっとした様子でそう主張するシズカ。言われてみれば確かに、シズカは人狼族の村の族長が吸血鬼に呪いを受けた時にも完全に解く事は出来なかった訳だし、所謂神の奇跡の類と呼ばれる神職による治癒魔法が一般的に存在するこの世界ならば専門職を探す方が確実ではあるけどさぁ……。
扶祢もそうだが、シズカも霊狐の頂点というにしては精神面では俺達と何ら変わりはないんだよな。当初はお伽話の存在だと思っていた連中が、この夏の間で随分と身近なモノとして感じられる様になってきた気がするよ。
「どっちにしろ荷物の移送もあっからよ。じゃあ今日はサリナ嬢も、ここで泊って明日一番でヘイホーに行くってことで良いかぃ?」
「はい。それでは宜しくお願い致します」
その晩はログハウス内にて、俺と釣鬼で捕まえてきた猪を捌き、猪鍋を皆で美味しく頂いた。移動時に於けるカップ麺の利便性も捨て難いが、こういった野性味溢れる食事も悪くないよな。
翌日―――
目的の定まった俺達はかなりのペースで移動をし続け、ヘイホーへと到着したのが午後の二時頃となる。
お土産のインスタント麺はやはり皆に絶賛で、特に受付嬢の面々からは常連の上客の様な扱いを受けてしまった。何というか受付嬢達が揃って満面の笑みを浮かべ、飲み物などを注ぎながら話しかけてくる様子はキャバ嬢の如く……それを受ける俺に向けてくるうちの女性陣の眼差しが、何だか生暖かくなってきた気がするな?
「それにしても皆さんお久しぶりですね!頼太さんは随分と逞しくなった気がします」
キャバ嬢もとい受付嬢筆頭のカタリナなどはそんな調子の良い事を言っていた。だからといって人一倍袋詰め麺を確保していたのは見逃しませんからね?
「ンな事言っても一人三パックまでだからなー。余計に取った分はちゃんと戻しとけよ」
「あぁん、頼太さんのいけずぅー!」
「ちぇ~」
「媚びて損した。戻ろ戻ろ」
途端に波が引く様に去っていく受付嬢達。おのれ即物主義者共め……。
しかしカタリナだけはその場に残り、相変わらずの様子で楽しそうに俺達を見つめていた。
「カタリナは戻らないのか?御覧の通り、媚びられてももう何も出ないぜ」
「もぅ、頼太さんは冷たいですね!折角の皆さんのご帰還なんですから、私が歓迎したって良いじゃないですかー。それに皆さんも私に聞きたい事とか、ありますよね?」
「まぁ、そうだな」
成程ね。知らぬ仲でもない訳だし、その辺り気を利かして残ってくれたという事か。ならば遠慮せずに聞きたい事を聞いてみるとしようか。
「サリナさんは何処かな?これだけ皆が騒いでるのに出てこないところを見ると、今日はお休みだったりする?」
「ふっふーん。お母さまはですね、何と!この度新規で立ち上げる予定の地域のサブマスター候補として選ばれたのです。もしサブマスになれればギルド設立以降史上最年少となるのですよ!」
「「「……おおぉ~!」」」
扶祢の問いかけにやたら誇らしげな表情で胸を張り、そんな衝撃の発言をするカタリナに俺達は素直に称賛の声を上げてしまった。流石は僅か三年足らずでAランクにまで登り詰めた元エリート冒険者。受付嬢としての仕事っぷりも当然の事ながら、周囲の纏め役としての影響力も大きかったみたいだしなぁ、これも順当な結果というものか。
「お母様は昨夜遅くまでその手続きに追われていまして、今日からはその準備期間と言う事で自宅でお休みしてるんです。そろそろ起きる頃だと思うので、もしお暇でしたらお母さまの家に行ってみては如何ですか?」
「そら目出度ぇな。なら奮発してカップ麺も一箱贈呈しにいくとするかぃ」
「何と羨ましい!良いなぁお母さま、私も後でちょっと御裾分けして貰いに行こうっと」
ちゃっかりとそんな発言をするカタリナに、カウンターの側へと戻りながらもこちらの話に聞き耳を立てていた他の受付嬢達からの憎悪に滾る視線が突き刺さる。食い物の恨みは恐ろしいですな。
それと、もう隠そうともせずにお母さま呼ばわりしちゃってるんだな。カタリナのお母さま発言に後ろでフードを目深に被っているサリナさんが無言のままながらも目に見えて反応していたし、その辺りも道中説明しておくとしよう。
「それじゃあ早速行って来るわ」
「行ってらっしゃい~」
そして俺達は元気に手を振るカタリナに見送られ、サリナさんの自宅へと向かった。




