第069話 邂逅再び
「――よっし、こんなものかな」
お盆の静さん復活事件から約二週間。シズカへの報酬として付き合った日本の夏休みも終わりに近付き、いよいよ再び異世界へと出発する時期がやってきた。
リュックサックに必要な荷物を詰め、一月半の間お世話になった部屋の中を見回す。元々行き先が日本だった為、最低限必要な荷物以外は持っては来なかったと思うのだが、こうして荷物を見直すと来る時よりも随分と量が増えていた。
「インスタント麺、ちょっと買い過ぎちゃったかな?」
サリナさん達へのお土産としてまず真っ先に浮かんだのがカップ麺だった。
日本ではご当地物でもない限り、カップ麺をお土産にするなど正気を疑われそうな選択ではあるが、世界が違えば話は別だ。出会った初日の釣鬼の反応からしても、恐らく喜ばれることは間違いないだろう。それに、冒険者って連中は基本体力勝負かつ常に非常事態を想定しているものだからな。受付嬢の面々ですらこれを持っていけば我先にと奪い合いになるのは目に見えているんだよなぁ。
流石は現代日本の最終兵器、宇宙空間のみならず異界にすらも通用するとは。
ただ、需要が高い割にはカップの麺では大分嵩張ってしまうので、カップ麺はサリナさんを始めとするギルド職員とアデルさん達、面識のある人達用の一つずつに留め、残りは袋詰めのインスタント麺を山盛り詰め込んでいく事にした。
「頼太、そろそろ時間だがよ――準備は出来てるみてぇだな」
「あぁ、すぐ行くよ」
「若干一名程、まだ寝ぼけてて準備が遅れてる奴も居る事だし、別に急がなくても良いぞ……それにしてもこの袋詰め麺も結構嵩張るなぁオイ」
「まぁ人数が人数だからな。一人一食だけじゃ間違いなく暴動が起きるだろうし」
「確かにな。こいつの味と利便性の前には俺っちの世界の矜持なんて吹っ飛んじまうわ」
どうせならば持てるだけ持って行こうという話になり、ピノ以外全員のリュックサックの中身の半分と、釣鬼の手牽きカート内全てがインスタント麺といった極端な構成になっている。当然ながら、今日の昼食に使う予定のカップ麺用の水も、ボトル入りで万全の用意だ。
最後に夏の間お世話になった部屋の前で向かって一礼をし、若干嵩張るリュックサックを背負いながら釣鬼と共に集合場所のリビングへと歩いていった。
「お早う、頼太君」
「サキさん。皆さんもお早うございます――あれ、大神さんまで来てたんすか」
「あぁ、お前達が異界へ戻るという話だったんでな。それとこの前話していたサキ殿のもう一人の娘の話を聞いて、興味が湧いたからついでにだな」
「なぁるほど……あれ、話題の本人はどこだ?」
大神さんの話を聞いて当の静さんが居ない事に気付く。あれ以来、山荘で共に過ごしていた静さんが、皆が集まるこの場面に居合わせないってのも珍しいな。
「丁度入れ替わりであの寝坊助を起こしに行っておるな」
「あぁ……ならすぐ起きるか」
「うむ。あやつ大人しそうに見えて案外情熱系だったのじゃよな」
「――おはようございます……また、唇を貪られちゃった……」
「……ご馳走さまでした」
噂をすればその本人が扶祢を連れてリビングへと戻ってきた。
この静さん、どうもLikeとLoveの区別が今一付いていないらしく、特に家族の三人に対しては愛情に満ちた接吻をしまくるキス魔だという事がこの二週間で判明していた。
一度見かねたサキさんが止めに入った事があったのだが、当の静さんは不思議そうに首を傾げるのみだった。
「どうして……?九郎さまは好いておる者にはこうするのが礼儀だって言ってたよ。わらわと初めて逢った夜から毎日の様にその先までしてくれたものだけれど」
この様に、逆にサキさんへと質問を返していた程だ。これで子持ちだったというのだから恐ろしい。そしてそんな純粋な静さんに色々仕込んだ九郎判官、てめーは死して尚その罪許すこと能わず!
「……ちょっと冥府に行ってあの女誑しの魂魄を細切れにしてくるよ」
そう言いながら鬼気迫る表情で山荘を飛び出そうとするサキさんを、扶祢とシズカと妖怪トリオの五人がかりで必死に止めていたのは記憶に新しい。
尚、シズカも昔初対面の時に同じ様な目に遭ったらしいが―――
「戯けた真似をする雄じゃって、即座に蹴り潰してくれたわ。数日後に童が癒してやるまで全く使い物にならずに世を儚んでおったと記憶しておるが、ククッ――」
などと悍ましき事実を語り、それを聞いた野郎四人が痛々しい顔をしながら一部分を竦み上がらせていたという。同一人物の筈なのに、どうしてここまで差異が出るんだろうね……。
「それじゃあ、行ってきます。静姉さん、母さんのこと宜しくね」
「任せて。扶祢も、気をつけてね……」
「ハハハ……アタシはまだまだ子供に心配される程、耄碌してはいないつもりなんだけどね」
静さんは今の世の中行く当てもなく、暫くの間は母親であるサキさんの下でこの山荘に住みながら現代社会の勉強をする事にしたらしい。元御先稲荷本人とは言え、躰は既に人口生命体のそれとなってしまった静さんは、お稲荷さんとしての復帰の見込みは無いそうだ。見た目だけはまんま妖狐なんだけどな。
それと今の静さんはその躰のベースとなったシズカの影響を受け、生前と比べれば随分とロリ化が進み中学生位の見た目となっている。それなりに不便をする事もあるだろうが、勉学をする分には有利な要素として働くかもしれないな。
その静さんはそこで視線を扶祢からずらし、次に向けた先は――鏡合わせの自分自身。
「わらわの躰……いえ、シズカ」
「――うむ」
静さんが両手を胸の前へ翳し、それを受けたシズカも躊躇う事無くそれに掌を合わせる―――
「あの夜のシズカの声、全部聞こえていたんだよ……」
「……そうかぇ」
二人は徐々に、その合わせた手の指を絡ませて行き―――
「――有難う。嬉しかった」
「童と汝は本を糺せば同体じゃ、気にかけるは当然のことよ」
そのまま抱擁をし合い、お互いの顔が付く程に近付いていく―――
「でも、わらわと貴女は別のモノとなってしまった。それは悲しい事かもしれないけれど……」
「全てが同じではつまらぬよ。互いに差異があるからこそ、相手の存在に興味が尽きず、触れ合いが生じるというものじゃ。現に今、童は汝に……愛しさを感じておる」
そして最後に、額をこつんっ、と軽くぶつけ合い、想いを交わす儀式はここに完成を見る―――
「――そっか。愛しく想ってくれるのだったなら安心して言えるね、わらわの姉妹」
「ふっ。この場合はどちらが姉となるんじゃろうな」
小さな腕で互いの躰を包み込み、たっぷり十を数えた後に示し合わせたかの様に身体を離すシズカと静。二人の目からは既に、過去への憂いといったものは消え失せていた。
「ふふふ、それはこれからの活躍次第だね。異界でも元気でね、わらわの鏡映しの姉妹」
「然り。汝も精進を怠るでないぞ?我が姉妹」
―――生まるる時は同じくすれど、死せる時は違えた二人。
それは何の悪戯か、理由などは知らざれる。
ここに姉妹の契約は果たされた。
願わくば、この小さな幸せが続かんことを―――
「――実は、あそこでディープキスに行くかとちょっとドキドキしちゃってたのだわ」
「……俺も」
「ボクも」
「お前ぇ等、本当そういうの好きだよなぁ」
釣鬼さん、あなたがちょっと枯れているのかもしれませんよその感性!
「まぁ、オレの目の届く範囲では余計な介入などはさせぬよ、安心して行ってこい」
大神さんも静さんの状況を視て大体を把握したらしい、大神さんが目を光らせてくれるなら安心だな。
「スンマセン。宜しくお願いします」
「おぅ。坊主も、狗神の面倒をちゃんと見るんだぞ」
「言われなくてもですよ、な?」
「あぅわぅ!」
「そっかそっか――ピノ、自然破壊は程々にな……」
「ボクがオチ担当カヨ!?」
「わはは……なに、三分の一位は冗談だ」
ピノの非難にそう返しながらも、御山の長の目は死んだ魚の如き濁った色を見せていた。
「お前、一体山で何やらかした……?」
「ちょ……ちょっと火災旋風ヲ一丁?」
「心中、お察しします」
「心遣い痛み入る……」
この瞬間、大神さんともまた何かの絆が生まれた気がする。気がするだけだが。
ともあれ、そろそろ頃合いかな。いい加減話す事も無くなってきた俺達は自然と口を開く頻度も消え、誰が合図するともなしに山荘の玄関へと歩いていく。
「それじゃあ、名残惜しいけれども――」
「そうだのう。このままじゃ扶祢ちゃん達、またここで一泊する事になりかねんからな」
「行ってらっしゃい~、姐さんのことは心配しないで良いからぁ」
「むしろ僕達が面倒を見て貰っている気もするけれどもね」
最後に山荘の主であるサキさんの言葉に始まり、妖怪トリオとも挨拶を済ませた。では、行くとしようか。
「シズカ、扶祢――わらわも沢山現在を学ぶから……次に帰ってきた時は一緒に、何処かへ出かけようね!」
「うむ。指切りげんまん、じゃな」
「うんっ、またね姉さん!」
時は八月の晦日、心なし早い秋の訪れを感じる残暑の砌の朝方の出来事。
妖怪変化の面々に見送られ、俺達は薄野山荘を後にした。
「う~~ん…っ」
山の麓へと歩くさなか、扶祢が気持ち良さそうに伸びをする。こっちに来た頃に比べると昨今の朝晩は随分と過ごし易くなったものだよな。
「来た当初は近くに火山帯でもあるのかと思ったモンだが、慣れてみりゃこっちも住み心地は悪く無かったよな」
「だよネ。インターネットに小道具と色々揃ってて便利ダシ」
「もう向こう戻ったらインターネット出来ないからね~。二人とも禁断症状が出ちゃったりして?」
予想外にこっちの暮らしに慣れ親しんだ二人へ向かい、扶祢がからかい気味に話しかける。
「それは否定できないカモ……」
「いやそこは否定しようぜ……お前、一応自然の権化だろ」
「ご先祖様はそうだったかもしれないけどネー。ボク達の世代じゃもう自然に囲まれて暮らしてる種族っていうってだけで、人族達と大して変わらないヨ」
「そんなものか」
「俺っちも正直こっちの釣具一式や釣りブログ漁りに嵌まっちまったし、異世界で釣具新調する時なんか耐えられるか分かんねぇな」
どうやら二人とも、予想以上にこちらの利便性にどっぷりと浸かってしまったみたいだな。少々げんなりとした表情でそんな事を言い合っていた。俺と扶祢も最初に異世界に行った時は、慣れ親しんでいた小道具が使えなくなり、こちらでの常識も役に立たない事も多く苦労をした部分もあったからな。その辺りは容易に想像が出来てしまい、ついつい苦笑いをしてしまう。
「ま、そうは言うても一月もすればまた慣れるじゃろ。住めば都というやつじゃな」
「カナー?」
「そうだと良いがなぁ」
そんな取り留めの無い話をしながら歩くこと十数分。目的の場所が見えてきた。
「――此処かや」
「あぁ、ここだな」
「だね。初めてここを見付けてから、もう半年振りになるかな」
目の前の山肌にぽっかりと口を開く、異世界ホールの入り口――俺達の原点との、二度目の邂逅だ。
次回、楽屋裏。その後、新章となります。




