第068話 真夏の夜の夢⑤-そして夢は現へと-
「そいつぁ、また何と言うか」
「そんなのが居るなんテ……」
「だから、お前はそこまで頑なに拒否してたのか」
「――これは最悪の話じゃでな。亡者一人の為に一時ばかり幽世への門を開ける程度ならば、あるいは問題は無いのかもしれぬが。然りとてアレが現れる可能性が無いとは言い切れぬなればこそ、到底許可などは下りまいて」
むう、そんな究極的事態に関わりそうな恐れがあるのであれば、流石のシズカでも無理か……しかし幽世へと受け入れて貰う可能性を知ってしまったサキさんは、それで納得いくものだろうか。
サキさんの側を見るとやはり、はっきりと今の話は聞こえていた様だ。二人ともこちらを向き、救いを見出そうと必死な表情をしてはいた。しかし、詰まってしまった声を振り絞るかの如き様子でサキさんが紡いだ言葉は意外にも、シズカの発言に理解を示すものだった。
「それについては確かに、彼方で聞いた事項に関わるからやってくれとは……言えないね」
「ま、童程度の格であのヤマへ直談判など出来よう筈も無し。やるのであれば地獄の官吏を通しての長い手続きとなろう。時間の無い我等にはどの道無理があるのぉ」
どうやら案その一は廃止となったようだ。もしそれが成功したとしても結果は成仏、だからなぁ。
本来亡霊にとってはそれが一番望ましいことなのだろうけれども、当の静さん自身がここに残りたいと希望している現状、やはり根本的に現世に居座れる手段を考えねばならないだろう。
「なら、霊体を維持する方法をどうにか見つけるしかないか」
「じゃな。しかし、現世に繋ぎ止める為の寄る辺が無くばな。どうにもならぬのじゃ……」
「その寄る辺ってなぁ、繋がりみてぇなものなんだろう?親子の絆とかじゃ駄目なのか?」
「現世へ渡る導としてはそれで問題無いのじゃが。この場合の寄る辺とは『存在』を許される場のようなものじゃからな。もっと確固としたモノでなくばならぬ」
「例えば核、みたいナ?」
つまり、この世へ繋がる縁ではなく、実際に留まる為の足場といったものが必要という事か。
「極端な例となるが、強い妄執で場所に縛られた地縛霊というモノがあるじゃろう?あの『縛り付ける』という概念を利用してはどうか、と思うの、じゃが――」
まずはシズカが案を提示する。しかし内容を語りながらもその表情は浮かぬまま、語尾も若干弱々しくなっていた。自身でも肝心な部分の解決に至っていない事を自覚しているのだろう。問題はどうやって現世に『縛り付ける』か、だよな。
「当の静さんには強い想いは無いのかな?サキさんと扶祢に逢えた喜びの気持ちが未練に転じて……とかな」
「それのみで現世に縛り付ける程の強い未練となると、もはや妄執の域と化しまともな思考は残らぬ故な。あやつは至って正気じゃ、未練はあれど縛るには足りぬじゃろうな……」
うぅむ、これは難しい問題だな。ふと創作物にありがちな設定を思い出して提案してはみたものの、やはり現実としては解決せねばならない問題が多々あるらしい。
「何かに憑依させるってなどうだ?地球の幽霊ってのは生き物に乗り移って身体を操る事が出来るんだろ?」
「それは憑依という能力の効果であって、この場合の問題とはずれてるんじゃないか?」
「然り。存在の根幹の問題をどうにかせねば、憑依したところでそのまま消え去るのみじゃろう」
「ぬぅ、むっずかしいなオイ……」
だから皆困ってるんだよな、本当どうしたものか。
その後、ああでもないこうでもないと各々思い付いた事を口にしては、理論の綻びを指摘されまた次を考える……の繰り返しで、気付けば時間は深夜二時を回っていた。
「ぬぁああっ、考えよシズカ!童は何の為にあの時生き恥を晒してまで生き永らえ、今日この日に至るまで研鑽を積み続けた!?もう二度と、この様な悲しい死に目に遭いたくはないからであろうが!ここで役に立てずに何が天狐か笑わせるッ!!」
日付が変わった辺りから皆焦燥感を募らせ始め、目に見えて疲弊してきていた。そして遂に目の前でシズカが仰け反りながら絶叫をし……その後反動でテーブルへと突っ伏してしまう。その奇行に思わず皆の視線が集中するが、シズカはそれを気にした様子も無く、珍しく弱音を吐き始める。
「だめじゃあ。もうなぁんも思い付かん……異界巡りなどをして知識を溜め込んだところで、所詮はこの程度なのかや……」
「俺も頭が煮詰まり過ぎて駄目だな。こういう時は一息吐いてリフレッシュさせた方が良いか」
「だな。俺っちの脳味噌なんぞもう思考放棄しかけてるわ」
釣鬼は直接戦闘担当だもんな。俺もだがこの手の知識に関しては皆無であるし、急に考えろと言われて良い考えが浮かばないのも無理からぬ事だろう。
「何か冷たい甘いモノでも食べて頭をすっきりさせたいネ」
「……じゃな。童もちと夜風に当たって頭を冷やしてくるかや」
少しばかり息抜きと行こう。そして会議は一時中断され、俺は場を離れるついでに静さんの様子を見に食堂の隅へと向かう。
「――静さんの容体はどうです?」
「……丑三つ時に入ったからか、さっきまでに比べれば随分と安定してきてはいるよ。だけど小康状態さ、夜が明ければもう回復することは――」
「姉さん……」
サキさんの顔色は真っ青を超えて血の気が完全に引いて白くなっており、精神的に憔悴しきったのだろう。普段は扶祢と同じく黒く染まった長髪と耳の色も、本来の白狐としてのそれへと戻っていた。
「……こっちはまだ進展無しです。済みません」
「そうかい……いや、しょうがないさね。そんな簡単に思い付く様な問題では無いか…ら……くぅっ」
俺の言葉を受けそれに返す途中、再び感情の波に浚われたのか、サキさんはそのまま嗚咽を上げ始めてしまった……。
「……悪ぃ、触れない方が良かったな」
「ううん、母さんは夕方以降ずっと気を張り詰め続けてたから……」
「扶祢は大丈夫なのか?」
「私は、サポートだからね。霊力の消費こそあるけど、維持自体はそんなにきつくもないし」
「そっか」
その後少しの間、気分転換のつもりで扶祢と他愛の無いやり取りを交わす。だがサキさんは俯いたまま、まともな反応が帰って来ることは無かった……やがて話す事も無くなり場に沈黙が降りる―――
「ちょっとシズカの様子を見てくるわ」
「うん。頼太も、無理しないでね」
「一晩程度ならどうって事は無いさ。それに、今はそんな事言ってる状況じゃないしな」
そのどうにもやるせない重い雰囲気が居た堪れずに、俺は敢えて軽薄に皮肉気な表情を作って肩を竦め、後ろ手をひらひらと振りながらその場を後にした。
バルコニーの側に足を運んでみると、シズカが外枠に背を預け、何をするわけでも無く上弦の月を見上げる姿が目に入ってきた。
「――頼太かぇ」
特に足音を忍ばせていた訳ではないが、見もせずに相手を判別する辺りやはりシズカも感覚に優れた獣妖なのだなと、改めて認識させられる。
「ご名答。流石は天狐様、この程度は御見通しってところか」
「ふん、皮肉のつもりかや。この程度、汝とてやろうと思えば出来ようが」
「――いや、こんな後ろの足音だけで確信を以て誰かと断定するのは、流石に無理じゃねぇかなぁ……?」
そんな無茶振りをしながら、シズカは天狐特有の太く大きな四本の尻尾を払い此方へと振り向いた。最初に声をかけられた時のシズカとの距離、5m以上あったんだが……何スかその達人的な要求。
「静さん、今は小康状態だってよ」
「それも朝までじゃろうがな。平常時ならばいざ知らず、あの状態で陽が昇ってしまえば再び消耗が再開し……あとは坂を転がり落ちるが如く、よ」
「やっぱ分かっちゃうか」
「まぁのぉ。彼の眠りより目覚めて後、現世と幽世について膨大な記録を漁り続けた時期があった故な。今代の天狐共よりは余程詳しい自負はあるぞよ……とは言えど、所詮この身は既に御先より追い落とされたはぐれ天狐じゃがな」
弱々しくも先程までの切羽詰まった雰囲気とは一変、シズカは不敵な笑いを顔に張り付け自虐ネタを披露する。どうやら少しは落ち着いたみたいだな。
「なら丁度良い機会だし、少しばかり質問させて貰おうかな」
「うむ。少年老い易く学成り難し、若き頃より向上心を持つのは良い心がけじゃな。そんな頼太少年に今なら大サービスじゃ。お姉さんが何でも教えてやろうぞ」
「じゃ、じゃあおねいさんのスリーサイズと大人の愛を手取り足取り腰取り……」
「……くふっ、良かろ。気分転換にしっぽりと――精根尽きるまで喰ろうてくれよう?」
げっ、そうきたか……流石は長きを生きる女狐。この程度じゃ余裕で返されてしまうか。
「スンマセン調子こいてました。猛省いたしましたんで真面目な話に戻っても良いスか?」
「つまらんのぉ……所詮は人の子など儚き命なのじゃから、もっと自らの欲に素直になれば良いものを」
場を和ませるつもりで放った俺のあまり上品とは言えないジャブだったが、手痛い返しをされるどころか本気で喰われる羽目になりかけたらしい。慌てて掌返しをするも、何故か本当に残念そうな溜息を付かれた事に思わず戦慄してしまう。リアルデストラップ恐るべし……。
「ま、まぁそれは置いといてだな。静さんって亡霊――つまり死霊って事だよな?」
「む?……そうじゃな。分類としてはそれで合っておるが」
あからさまに話題を変える俺に、しかしシズカは気分を害した風も無く付き合ってくれる。この際だ、疑問に感じた事を全部聞いてみるとしようか。
「よく幽体離脱して生霊を飛ばす~、とかって話があるじゃん?死霊と生霊って何が違うんだ?」
「現世と幽世に属するモノの差、というのは勿論じゃが、その者自身が還る『場』の有無じゃな。霊体そのものの構成には大した違いは有らぬよ」
「そうなのか?でも死霊は不気味な気配が漂ってたりするみたいだけど、あれはどういう理由でなんだろうな」
「あれは大抵の場合、その死の原因と肉体との繋がりが絶たれる事による一時のショック症状の様なものじゃな。静を見てみぃ、あやつも亡霊、つまりは一般的に言われる死霊の類じゃが、不気味な気配など皆無じゃろ?」
あぁ、だからその繋がりの元となるべき拠り所となる、確固とした居場所が必要だってことか……そう言われてみれば確かに、腑に落ちるといった表現が合う話だな。
「成程なぁ。本来幽世に属するってんなら、何で居場所があるだけで現世に留まれるのかが不思議だったんだよな」
「先も言うたが霊体そのものには何の差異も無い訳じゃから、寄る辺がある――つまりは現世に存在する権利があるという証明とも言えるのじゃ。命の力の前には、幽世のモノは無力故な」
「でもそんなモノ程度で幽世、ってか閻魔大王だっけ?それを欺けるものなのか?」
「欺くのではなく、現世へ居られる保証の様なものと捉えれば良い」
「……そういう事か」
「そういう事じゃ。ま、であるからこそ、その証明を如何にして作るかが問題なのじゃがな」
うーん、証明……証明か。霊的な生と死の定義についての理解こそ進んだが、だからと言って何が解決するでもなく、新たな袋小路に嵌まり込んでいく様な錯覚に陥ってしまうな。
「さて。随分と熱も冷めた故、童はそろそろ戻るが――汝は如何にする?」
「ん……ならご一緒させてもらおうかな」
シズカのその儚げな美貌を間近で目の当たりにし、僅かに心揺り動かされながらも俺は同行の意を示す。そしてシズカと共に館の内部へと足を向ける。
戻り際にバルコニーの窓を閉める時、吹き込んできた隙間風に秋の気配を若干感じた。まだお盆の末だというのに、夜明け前は随分と涼しくなってきたものだ。
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「――ア!シズカ来た来タ!」
「何じゃ?少し見ぬ間に元気になりおって」
「それどころじゃ無いんだヨ!これ見てコレ」
「んん?」
そう言いながらピノがこちらへ寄越したのは……プリン?
「さっきこれを食べながらサキに霊の話を聞いてて思い付いたんだけどネ」
「えっ。サキさんが話だって?」
言われて気付けばサキさんもテーブルについてこちらを見ていた。幽鬼然としていた先程とは別人であるかの様子でシズカを真剣に見つめ、その目には希望を見出した者特有の輝きに満ちていた。
「結界の方は、大丈夫なんすかね?」
「今は静も安定してるからね。維持するだけなら暫くは扶祢だけでもいけるさね」
「ひーん……」
扶祢。哀れな……だがこの場に満ちる空気だけで、明らかに状況に好転が見られたという予感をひしひしと感じるのだ。ここは一つ、サポート業務に集中して貰うとしよう。
「兎も角、まずはピノちゃんの話を聞いておくれよ」
「う、うむ。して、如何な話なのじゃ?」
「ウン。えっとネ――」
その後ピノが語った内容は驚くべきことではあったが……バルコニーでシズカに霊についての話を聞いた俺にはすんなりと頭の中へ入り込み、納得出来る内容でもあった。
「おい、いけるんじゃないかコレ?」
「ただネー、材料が手元にはネ……」
「……恐らく可能じゃっ!母上、此方で今すぐ用意出来る品は何々じゃっ!?」
「――大体この辺りかね。昼までには揃えてみせるよ!静だって何としてももたせてみせるッ!」
サキさんも完全に元の調子を取り戻し、シズカに対して力強い口調で応えていた。もし、この案が上手い事実行出来ればほぼ全ての問題が解決するからな、サキさんが発奮するのも当然だろう。
「承知!童はこれより狭間の門をこじ開けて残りの素材を揃えて来よう。なぁに、いざとなれば野干女の奴も引っ張り出してあのネタと引き換えに……クククッ」
「荼枳尼様をそんな呼び方する霊狐はお前位のものだよ。一応アタシ等は、あの方に仕えてるとも言えなくもないんだからね?」
「そんなモン、人間共の都合による勝手な妄想じゃろうが。童と彼奴とは八百年来の付き合いじゃ、友の頼みとあらば快く聞き入れてくれるに違いないわっ!」
シズカも理不尽っぷりを発揮し始めたらしい。だが行き詰っていた事態が一気に好転したのだ、これも仕方の無い事だよな。
「では童は早速出立する!時間が惜しいでな。神通力を使う故、母上後始末は任せたっ」
「なっ!?そんな事したら……」
「静を救う為じゃ、それに母上としては監視者の初仕事ともなる訳じゃ、先輩としての作業指示じゃっ」
「あっ、こら……シズカ待てぇっ!」
そしてサキさんが止めるのも聞かず、シズカは高笑いを上げながら文字通りとんでもない速度で、何と空を飛んで行ってしまったのだ……あの方向って、俺達が地球に戻ってきた異世界ホールの方だよな。
「……シズ姉が壊れた」
「前からあんなモンじゃナイ?」
「あンの阿呆娘~~~!!」
後には、頭を抱えつつも完全に調子を取り戻した様子に見えるサキさんと、事態解決の期待感に溢れながらも、茫然と夜空を見上げる俺達だけが残されていた。
「……まぁ、今回はピノの大手柄だな」
「確かになぁ」
「フフーン」
ともあれ、後は素材が揃うのを待つだけだ。その合間を使い、そろそろネタばらしに入るとしよう。
―――ピノが話した内容、それはカップに入ったプリンだった。
「プリンはそのまま表に出しっぱなしにすると、乾いてダメになっちゃうデショ?これを今回の例に照らし合わせてみると、空気が現世、プリンが静となるのヨ。それでネ――」
「真空パック状態……つまり強靭な境界を持つ疑似的な躰に霊体を込め、現世の理に相反する事無く定着させると言う訳かっ!」
どうやら俺達は思い詰めるあまり、霊体を霊体のまま現世へと縛り付ける方向でばかり考えてしまっていたらしい。何も霊体のままで居なければならないと言う法がある訳でもなし、結果静さんの魂が消滅を免れ現世に在る事さえ出来れば良いのだから……そして、俺達には異世界で得た知識とそれに基づいた発想がある。
「ソウソウ。こっちの世界にも言い伝えだけはあるみたいだケド、ボクの世界には人工的な生命体を作る研究っていうものがあってネ……」
「もしそれに定着が成功すれば確かに現世に存在出来る証明となるね……シズカから見てどうだい?」
「人工生命体の素体となるモノを創る技術ならば、童も以前立ち寄ったとある世界で蒐集しておる。彼の世界の技術では、肝心な魂をどう作るかの部分で躓いてはおったが……」
「今回は既に魂があって、しかも容れ物を探している状態だからね。いけるんじゃぁないかい?」
といった流れで少し前の場面へと繋がる訳だ。これは一息入れて正解だったな!
そして、こちらではサキさんが伝手を頼って素材の手配を進める一方で、各々休息を入れながら半日程が過ぎ――そのひとがやって来たのだ。
「どーもー。稲荷神の一柱、ダキニちゃんでーす。何かいきなりシズカに拉致られちゃって、素材諸々の配達を要求されましたー。こっちの世界にもダキニちゃんの鏡映しが居るしー、面倒な事になる前にさっさとやる事やって退散したいと思いまーす」
午後の太陽が照り付けて活力真っ盛りな蝉の声が鳴り響く中、やたら眠そうな顔でローテンションかつ一方的に言いたい事だけを言ってくる、ダキニちゃんと名乗る神様。
ダキニと言えば所謂「荼枳尼天」の事だよな。古来はインドにて半女神の一柱として畏れられ、日本へと伝わった後に密教に取り込まれ信仰の対象として広く伝わったと記憶している。
その「白狐に乗る」という姿が元で荼枳尼天は狐との結び付きを強められ、日本では神道の稲荷と習合するきっかけとなったともされてはいるが……そういった繋がりって事なのかね?言い伝えの通り、その口調も相まって落ち着いた感じというよりかはほんわかとした、何処となく浮世離れした印象を受ける綺麗なひとだった。
戦国時代の大名達からは怨敵退散を祈願し闘戦に勝利する御本尊としても祀られていた程の、本来の性質に近い荒ぶる神の側面も持つらしいが、このだらけきった姿からはとてもそうは見えないな。
その神様?が何処からともなく取り出した巨大なケースの中には、時の流れの異なる狭間の亜空間とやらでシズカの血と他諸々の素材を混ぜ混ぜして創り上げたという、シズカの鏡像が一糸まとわぬ姿で横たわっていた。
ダキニ様はサキさんより受け渡された静さんの霊体を、そのシズカの鏡像に沈めていく。傍目には無造作に押し込んでいる様にしか見えないが、サキさんやシズカ曰く、こう見えてもかなり丁寧に定着させていっているらしい。
「はい、おしまい。じゃあシズカ、例の件は――」
「うむ、恩に着るぞぇ。彼方は万事滞りなく……」
やはり事前にシズカが零していた様に、裏取引の類をしていたらしいな。二人して黒い笑いを浮かべながら何やら怪しい雰囲気で言葉を取り交わしていた。これで静さんが助かるのであれば誰が悲しむ訳でもなし、別に良いんだけどな。
「――あ、そうそうついでに業務連絡ねー。神通力の無許可使用に神様の強制召喚と、この世界の界隈を騒がせたペナルティとして、組織からシズカの財産八割強制上納命令が下されたよ。狭間にまで苦情が来て大変だったんだからね?狭間にあるシズカ名義の神具魔具の類はもう全部押さえたって連絡が来てるからー。じゃね」
「……なぁっ!?ちょ、ちょっと待つのじゃ!」
「それじゃ、此方の世界の狐達。貴方達の行く末に幸ある生を―――」
訂正しよう。約一名程泣きを見る羽目になってしまった様だ。よくは分からないが財産八割没収て。シズカ、南無。
最後に慈愛の表情とも言える笑顔を浮かべたダキニ様は、俺達を見回して一礼をしてからシズカの苦情を聞く素振りも無く、前触れも無しに消え去った。後に残るはダキニ様が消えた空間を茫然と眺める、哀愁漂うシズカのみ。
「わ、童の五百年以上に渡る蒐集の成果が……」
衝撃の裁定を下されたシズカは、膝の力が抜けへなへなといった感じに座り込んでしまう。一応、今回の一番の功労者でもあり、本来ならば労われるべきシズカではあるのだが、何故だろう、自業自得と言う言葉がよく似合う気がしてしまうのは。
改めてこの言葉を送らせてもらうとしよう。シズカ、南無―――
「――わらわは」
そして……シズカと全く同じ顔と声を持つ、もう一人の「シズカ」が目を覚ます。
「静……」
「姉さん……」
それから先は説明するまでも無い事だろう。八百年越しの親子の再会に水を差す程、野暮なつもりは無いからな。ここは揃って回れ右をしておいた。
「これにて一件落着ゥ~、ってか」
「サキも静も良かったヨネ、本当ニ」
「うぅ……童だって頑張ったと言うに。一人だけ財産八割没収などと、惨いのじゃ……」
「クスッ。シズ姉一番頑張ったもんねー。よしよし」
「うん、良く頑張ったよな。お疲れさんシズカ」
「……もっと撫でぃ」
やれやれ、これは重傷だ。シズカ様の不貞腐れた機嫌が直るまで、精々付き合ってやるとしますかね。
―――斯くして、真夏の夜に現れた過去の夢は、ここに現実となったのである。
という訳で真夏の夜の夢、終了です。サブタイの元ネタとなるシェイクスピアの真夏の夜の夢は喜劇ですので、この話でもそれに倣い悲劇とはならない結末を選びました。作者がトゥルーエンドよりもハッピーエンド派なだけだけどな!
次回はエンディングから次の章への繋ぎを経て、日本からの旅立ちとなります。




