第066話 真夏の夜の夢③-異変の始まり-
「ふぁ~……おはよーございます」
「おはよ。頼太君が三番目だったかー、全くうちの寝坊助共は……」
翌日の午後も随分と過ぎた時分になりようやく目が覚めた俺は、蒸し暑い廊下を歩き厨房へと顔を出す。もう昼過ぎどころかおやつの時間に近いのにな、これでもまだ最後では無かったらしい。
「扶祢の奴は確定として、共ってことはシズカもまだ寝てるんですか」
「そ。朝っぱらからクーラーつけて二人仲良く団子になってるよ。そんなに暑いならくっつかなきゃ良いのにねぇ?」
「もふ団子か……アリだな」
サキさんの言葉にその様子を想像して、少しばかり和んでしまう。耳と尻尾を隠す事は可能ではあるらしいが、この古旅館は盆の間サキさんが借りきった別荘みたいなものだ。故に扶祢もシズカも存分にその本性をさらけ出し、モフモフふさふさな尻尾をいつでもどこでも気分良く揺らめかせながら闊歩をしていたのだった。
扶祢のもっさもさな七尾も良いモノではあるが、シズカのその一際太く大きい四本の尻尾も何とも見応えがあるものだ。シズカもそんな俺の視線に当然気付いているのだろう、機嫌良さげに度々、自らの自慢の尾を好んで見せ付けてくれたものだ。もふリストとしては至福の極みというものだね。
「――おはよう、ライタ」
「あ、静さんもお早う。昨夜は眠れ……る訳ないか、スンマセン」
「ううん、母上が一緒に起きていてくれたから――」
くぅっ、このか弱さにキュンとくるぜっ……彼方のシズカに見習わせてやりたい位だ。
「まぁそう言わないであげてよ。シズカはあの鬼の討伐の後八百年もの間を世界を渡り歩いてきたんだから、そりゃ太々しくもなろうってものさね」
「そんなもんですかね。とりあえず、そろそろ二人を起こしてきますよ」
「ありがと、お願いね」
食堂を出て扶祢とシズカの寝る部屋へと向かう。おぉまだ見ぬもふ団子、期待に胸を膨らませ、「百合の間」と書かれた看板を見て命名者のセンスに戦慄を覚えながらも部屋の襖を開く。
「……んむぅ」
「んー……」
そこにはお互い半ば浴衣を開け、艶めかしく絡み合う、見目麗しい狐姉妹の姿があった。
文章表現だけ見れば部屋の名に恥じぬ百合情景とも受け取れなくもない。しかし現実にはお互いの頬を足で押し合い、尻尾は中央で絡み合って毛玉団子と化している有様であった。接している面積が広いから、これじゃ折角のクーラーの効果も薄いだろうに。
実際二人ともその額は汗ばんで随分と暑そうな様子で唸っており、寝ながらもお互いを足で遠くに追いやろうと無為な作業を続けている。
「二人とも起きろー。これ以上寝るとまた夜眠れなくなるぞー」
「……むぁ、もう昼かや」
「んんぅ……?zzz」
「昼どころかそろそろ三時のおやつな時間だぞ――そこ、二度寝すんなっ」
「……あ~づ~いぃぃ」
何とか二人とも目を覚ました様子ではあるけれども、これは明らかに暑さでだれちまってるな。
「そりゃあそれだけ絡み合ってたら暑いだろうよ。シャワーでも浴びて頭を覚ましてすっきりしてきたらどうだ?」
「そうするかや――んぉ?扶祢よ、尾が知恵の輪状態になっておるぞ」
「ふぇ?……あ痛っ!?何これ?」
ようやく寝惚け眼の扶祢もこの現状に気付いた様だ。絡み合った尻尾をお互いどうにか解こうとするが、尻尾の方は本人達の意志に反してしぶとく抵抗を続けていた。
「寝てる間にお互い絡み合ってしまった様じゃな……む、解けぬ」
「えぇ……うわ、あっつ。熱が篭っちゃってるわ」
「詮方無いの。ここは仲睦まじく湯殿にて洗いっこでもするかぇ?」
「――げぇっ!?」
「乙女にあるまじき悲鳴じゃな……じっくりねっぷりと隅々まで洗ろうてやろうぞ、くふふっ」
片や洗う気満々なのに対し、片や切羽詰まった表情でその魔手から逃れようと必死で尻尾を解きにかかる。されど、毛先が複雑に絡み合ってしまった複数の尾はがっちりとお互いを離す事は無く、結果……。
「たーすーけーてー!?汚されるぅぅぅ……」
「何を言うとるか。ぴっかぴかになるまで磨いてやると言うに、ククッ」
そのまま風呂場へと、尻尾諸共引きずられていったとさ。
取りあえずは二人を起こすというミッションも達成したし、俺は一足先に戻るとしようか。
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「起こしてきましたー。今シャワー浴びてるんでもう少ししたら来ると思います」
「ご苦労様。そこにお昼出来てるよー」
「うっす、いただきます」
今日の昼食は餡かけ堅焼き蕎麦か。水分を飛ばしたパリッパリの焼き蕎麦お焦げにちょっと濃い目の塩ベースな餡が絡んでうんめぇー!汗で失った塩分も補給出来て言う事なしだな。
「ところで、ここ旅館の筈なのに従業員とか居ないんですね。俺達の貸切だってのは聞きましたけど」
「アタシの知り合いが此処のオーナーだってのはこの前言ったっけ。ほら、この旅館って目の前にお墓もあるし、町外れの山の麓だから人気無くてねぇ。今じゃ殆ど妖怪変化の別荘になっちゃってるんだよ」
掃除とかもしなきゃいけないから管理は持ち回りだけれどね、などとサキさんは続けていた。それで貸切状態だったのか。確かに、夜のバルコニーから見るあの墓場は不気味だったからなぁ。
「此処はどことなく居心地が良い――人間の臭いが無いからだったのね」
サキさんの説明を受け、静さんがふとそんな感想を漏らす。いや人間、ここに居ますから。
「あの、俺は人間なんですけど」
「――え?」
「今の頼太君はミチルの匂い付けで狗っぽい臭いがしちゃってるからねぇ。初対面の相手だとすぐには人間とは気付けないんじゃないかなー」
「そうだったのか」
「人間……怖い……」
「何…だと……」
サキさんの指摘に納得するも束の間、幽霊に怖がられるという事実に若干のショックを受けてしまった。しかし本を糺せば静さんは人間達に陥れられた結果、鬼と化して討伐されてしまったんだったな……静さんのこの反応も、人間の救えぬ罪によるものであれば、哀しい事だが同じく人間である俺にはどうにも出来ない事なのだろう、な。
「嘘、ちょっとからかっただけだよ」
………。
傷心系の無口お姉さんかと思いきや、実は結構なお茶目さんでした。してやられたぜ……。
「ふーさっぱりした!母さんお昼頂戴」
「相も変わらず盆地の夏は暑いのぉ、廊下を歩くだけでまた汗が噴き出そうじゃ」
そんなやり取りをしている間に、寝坊助姉妹がシャワーを済ませて戻ってきた様だ。確かに、飯も食ったからか代謝が活発になっており、既に服の背中が汗で滲んできちゃったな。
「はいよ。もういい時間だし食べ過ぎると夜に差支えが出るから少なめにしとくよ」
「はーい」
その後、静さんも交えてボードゲームやトランプ等をしてのんびりと過ごした。
何と静さんは一晩もしない内に物に触る事が可能となったらしい、まだ手の先だけしか触れないと残念そうに言ってはいたが。過去に討たれて力の大部分を失ったとはいえ、やはりそこはシズカと同スペックの元妖狐、霊的資質に関してはとんでもないらしい。
同スペックと言えば、シズカが静さんに囲碁で挑んだところ、圧倒的な差で静さんの勝利に終わったという出来事もありましてな。
「あ、有り得ぬ……元は同じ性能だと言うに、なぜここまでの差が生まれるのじゃ……」
「碁は、よく打ってたから」
「ちなみにシズ姉は?」
「………」
スペックは同じでも、互いの歩んできた歴史による経験の差異はどうにもならなかった様だ。人狼の村で扶祢を軽く一蹴してよりこの方割と向かう所敵無しな所ばかり見せてくれたシズカだが、こういった他愛の無い事で悔しがる様な人間味を目の当たりにすると何故だか安心してしまうね。人間じゃないから人間味という表現もどうなのかとは思うが。
「童は将棋の方が得意なのじゃー!」
「ごめんね、将棋はよく分からないから……」
もう駄々っ子とそれをあやす家族にしか見えなくなってきたぜ。微笑ましいネ!
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「うーっす。帰ったぞー」
「帰ったゾー!」
夕飯前になり、今度は川を遡りダムまで釣りに出かけていた釣鬼とピノ達が戻ってきた。
「今日の釣果はこんなだな」
「デカいのあるゾー」
オイカワ・アマゴ・ニジマス・ブラックバスと、今日は内陸を攻めた証として淡水魚祭りになっていた。
「なんかキモいのも釣れたケド、のたうち回っててぬるぬるしてたから捨てちゃっタ」
「うーん、ああいうゲテモノ程実は美味かったりするんだがなぁ……」
「そんなこと無いッテ。ピコも気持ち悪いって言ってたシ」
「ミチルはえらい興奮してたんだけどな」
その言葉に反応したミチルがしきりにピノへ向かって何かをアゥアゥと訴えていたが、取り合うつもりはさらさらないらしい。ミチル、ドンマイ。
「それってナマズじゃないのか?生は寄生虫が居て危ないらしいけど、天ぷらに蒲焼にアラ煮と、身も皮も捨てる所が無い位美味いって聞くぞ」
「ほら見ろ!やっぱり美味いやつだったんじゃねぇか!」
「そ、そんな馬鹿ナ……あんなグロ生物が美味いだなんテ……」
衝撃の事実に固まるピノ。ピコもやはり見た目から敬遠したいらしく、そんなピノを慰める様に寄り添っていた。確かに、あのヌメった外見でびったんびったんと跳ねられたら知らない人は思わず手放したくもなってしまうか。残念だけど仕方が無いな。
「うーん、今日も随分と腕の振るい甲斐がある量だねェ。ブラックバスは……どうしようか。調理出来なくもないけれど、まな板が泥臭くなっちゃうのがね」
「ん?なら俺っちがクリーナーで汚れを落とそうか?」
「クリーナー、って洗剤使っても臭いが染みついちゃうんだよ、この魚」
「クリーナー使えば臭い程度なら綺麗さっぱり消えるだろ」
「え……?」
「――ん?」
どうもサキさんと釣鬼の言っている事が微妙に噛みあっていない気がするな。何やら二人の間に認識のズレがある様だ。
「釣鬼の言ってるクリーナーって、もしかして生活魔法の洗浄術のことじゃない?」
そこへかけられた扶祢の言葉に、釣鬼は少し考え掌をぽんと叩く。そういえば、あっちのアレもクリーナーって名前だったっけ。
「あぁ、そういやこっちじゃ一部の洗剤をクリーナーって言うんだっけか。道理で何かおかしいなと思ったぜ」
「はァ~、異世界ではそんな便利なモノまであるのかい。掃除洗濯が捗りそうで羨ましいねぇ」
ついでなので軽く洗浄術の説明をしておいた。サキさんは単純に驚いているだけだったが、意外にも過剰反応をしたのがシズカであった。
「何じゃとっ!?彼の世界には然りげな品が売っておるのかっ!」
「ど、どしたのいきなり?」
「それがあれば一日の使用制限がかかるとはいえ、衣装の管理が遥かに楽になるのじゃぞ!?あの人狼の村の文化レベルはお世辞にも良いとは言えんかったでな。あそこにおった頃は近くの川で毎日手洗いをして、それはもう精神的にきつい日々じゃったし……」
「そ、それは確かにきついのだわ……臭いとか」
「うむ。これは彼方へ再び行った暁には是非とも手に入れねばならぬなっ!」
とまぁ、そこには今迄に見た中で一番やる気満ち溢れたシズカの姿があった。女性の日々のお手入れって大変なのですなぁ。
それから数日の間、静さんを加えた俺達は避暑を兼ね、その旅館を拠点にして過ごしていた。
そして暦は八月の十五日、送り火の時期がやってきた盆の終わりの夕方に、次の異変が起きてしまったのだ。
「――静?」
「……?母上、どうしたの?」
それは丁度夕飯の準備で全員揃って食事の配膳等をしていた時の出来事で、その異常を目の当たりにした一同の視線が静さんへと集中する。
「静姉さん、姿が……」
元々半透明ではあった静さんのその姿が、弱々しい明滅を繰り返しながら、段々と透き通っていったのだ―――
~霊狐の位階についての豆知識~
天狐になると尻尾の数が九本→太くて大きな四本へと変化します。でも力が減った訳ではなく、むしろ超出力モードになる感じ。神通力つおい。




