第057話 幻想世界⑦-大神の試練-
俺達の目の前には現在、オーガ姿の釣鬼程ではないが引き締まった筋肉に包まれた長身の男が立っていた。
犬……いや狼か?イヌ科のそれを想わせる獣の耳と尻尾を生やし、見る者を威圧するかの如き攻撃的な眼差し。大神と呼ばれたその男は何処となく楽しげな様子で獰猛な笑顔で場を見回し、最後に俺へと首を廻らした。
「で、どうなんだい?坊主」
照さんの前振りがあったとは言え、力が欲しいか?なんてあまりにも直球に、しかも質問の形で試されようとはな。些か予想外であり、正直どう返せば良いかを考える思考も止まってしまっていた。
「そりゃ、欲しいかと聞かれれば当然欲しいとは思うけどな……」
「ふむ――本来は先程の戦闘でどさくさ紛れに譲渡をしようと思っていたんだが。お前達、特に西洋鬼と野狐の二人が存外に良い動きをするのでな。こうしてオレ自ら出向く事になってしまったよ」
かと言ってこの状態で再戦などをやっても結果は見えているからなぁ……そう零しながら困った様に頭を掻いている大神。いや、大神さん?それとも神様らしいし様の方が良いか?
「別に様付けなんざ要らんぞ。今の世の中じゃあ山の神様です、なんて言ったところで笑われるか正気を疑われるだけだからなぁ。寂しい話ではあるが」
だがこのお言葉のお陰で俺の場違いな悩みはあっさりと解決してしまった顔に出てたかな?まぁ本人がそう言うならお言葉に甘えよう。
「じゃあ大神さんで。そこの爺による暴露のせいで大体何を力、と言うのかは予想出来てはいるんですが……実際の所、代償等が必要な事なんでしょうかね?」
「ん――いや特には無いな」
「無いんですか」
俺のある種の覚悟を以て臨んだこの問いかけに、しかし大神さんからは緊張感に欠ける答えで返されてしまい、微妙に弛んだ空気が流れていく。えっと、それじゃあどうしろと……?
「いやな。さっきも言ったが元々はあの戦闘で受け渡す予定だったんでな。試練を欲するならあれ自体がある意味試練というべきものになる筈だったんだが……」
そう言って本当に困った様子で、どうすっかなーなどとボヤいている大神さんの横では扶祢と釣鬼が気まずい表情で目を逸らしていた。いや、あの戦闘の時点ではきっと最善の行動だったと思うから君達は悪くないと思うよ、うん。俺の問題だしな。
「よし、それじゃあ今からオレがさっきの【大神】を一人用に調整した強さで創り直すから、それと戦って貰おうか。既に要素は此処に揃っているのであるし、自力で呼び出すも良し、自力で倒せるなら倒しても良い。その場、合報酬という形でヤツをくれてやる。これでどうだ?」
「……分かりました。それでお願いします」
微妙にしまらない展開となってしまったが、これも一つの神様による試練と考えれば良いだろうか。
そういえば照さんは【大神】の前で名を呼びかけろ、と言っていた……そういう事なんだろうな。
「準備は出来たか?なら始めるぞ」
先程の戦闘の負傷と疲労を今出来得る範囲で癒し、準備が整ったところで大神さんに肯定の意を返し、やがてその場に不穏な雰囲気が漂い始める。
まず、始めに輪郭が―――
その輪郭に骨が入り込み組み立てられていき―――
血管、神経、肉、皮膚の順序で被さっていく―――
最後に、見覚えのある毛並に覆われた懐かしきその姿は―――
「よぅ、久しぶりだな――ミィィチルゥッ!!」
「……グルルルルルゥ」
瘴気、とでも言えばいいのだろうか?真っ黒に渦巻く不穏なモノが目の前の【大神】へと纏わりつき、体色こそ真っ黒に変化をしていたが……見紛う筈など有る訳も無い。それが証拠に、こんな姿に成り果て唸り声を上げつつも尻尾だけは千切れる程に振っており――尻尾?
「あの、尻尾。むっちゃ振ってるんすけど!?」
「振ってるわね……」
「あんな振り方見た事ねぇな」
「ピコでもあそこまで振った事無いヨ」
せ、折角上げたテンションが……だがしかし、気を抜けばそこを衝いて今にも襲ってきそうな雰囲気に満ち満ちている【大神】。どういう事かと大神さんの方へと顔を向け尋ねるが……、
「……んんん?おかしいな。殺気をばっちりと放っている癖に、何でこんな嬉しそうにしてるんだコイツ……狗神から解放されてる訳でも無いよなぁ」
意味不明らしい。どういうこっちゃー!
その戸惑いの隙を感じたか、一気に【大神】が飛びかかってくる!試練と言うからにはこのままで済むなどと思ってはいなかったが、心構えが出来て尚、ヤツの衝撃は力強く、そして想像以上に速かった。
「ッチィ。ミチル、意思が囚われてるって事か?」
「……グロロロロゥ!」
答えなど帰って来る筈もない問いにしかし【大神】は何かを答えるかの様子で吠える。
「クッ、そう言う事か。流石は犬の癖に荼毘に伏してから三年以上もの間を現世の苦しみの中、愛しの主に纏わりついていただけはある……好きにするが良いさ」
「大神さん?」
「あぁ、待たせたな。もう気にする必要は無いぞ、コレは直にお前へと襲い掛かるだろう。手段は問わん、コレをお前の全てを以て除けてみよ」
人型をとってからというもの終始ご機嫌な様子であった大神さんだが、初めて神妙な顔付きをして俺に語りかけてくる。ここまで来れば細かい話はいいだろう、本番が始まるという事さえ解れば十分だ。
では、始めるとするか―――
「ミチルよ、この際だ。ご主人様の意地ってやつを――見せてやるぜぇっ!!」
「グロロゥルル……ウォンッ!」
・
・
・
・
「――かふっ」
「ガハッ」
互いの武器と牙がその身体へと突き刺さり、双方もつれ合って倒れ込む。
闘いの時間はそう長くは無かったとは思うが……一応俺が上側でコイツが下側だ。また喉を咬みちぎられるかと警戒したが、【大神】は力無くその場へ横たわったままだ。それ以上動く気配は無く、そして来ると予想していた噛み付きを見る事も無かった。
「そこまでだな。見事、とは言えんがよくやった」
「あざーす……」
そうだよなぁ。序盤から攻撃を捌き切る事が出来ず即取っ組み合いにはなるわ、右足のアキレス腱と左腕の肘から先は半分千切れた状態だわで一度喉元を食い千切られて死にかけた位だし……。
ゲームシステム内であり自前の回復魔法があったからどうにかなった様なものの、大神さんの評価の通り、見事とはかけ離れた内容だった。現実なら喉をやられた時点で間違いなく終わっていたものな。
『いやぁ、これはこれで野性味溢れて見応えのある闘いだったぞい』
『本当ねぇ~。まさかあそこで逆に噛み付き返すだなんて。【大神】の左目潰れてたわよね』
『直後振り払われて、前歯が軒並み持っていかれたのは痛そうだったけれどもね』
ああ、あれはきつかった。鼻から下が無くなったかと思ったぜ……幸い衝撃が大きすぎて感覚が麻痺している間に治療を済ませられたが、痛みを感じてたら悶絶どころじゃなかったかもしれないな。
「頼太、生きてる?」
真っ先に駆け寄って来た扶祢があんまりな事を言ってくるが、まぁ仮想世界内だからという事だろう。
「おーおー、こりゃ酷ぇな。ちと待ってろ、MPがもう少し回復したら回復魔法かけてやるからな」
「お疲レー。現実世界だったらボクが綺麗さっぱり治してあげられたんだけどネ」
俺達の闘いが終わったのを察し、残り二人もやってくる。ふぅ、とりあえずは何とかなったか……。
「――あ」
「どした?」
「いや……そういえばこれで初めて勝ち越したな、と思ってね」
一応システムの力を借りてはいるものの、ようやくコイツにご主人様らしい所を見せられたかな。出来れば、生前のまだ元気な内に見せてやりたかったんだが、な。
「ぐるぅ……」
お、目が覚めたか。皆が一斉に構えるが、当の【大神】は当然ではあるがもはや抗う気も無く―――
「――おい、お前途中から完全に正気だったろ?」
「ひゃふっ!?クンクン……」
そう、【大神】へ――もういいか、ミチルへと問い詰めモードに入ると途端にその全身の瘴気は霧散し、後に残るは人懐っこそうな、それでいてやらかしたー的な素振りで目を逸らし気まずい様子で尻尾を振るドーベルマンが一匹、お座りをしていた。こいつ、本当は毛色がドーベルマンっぽいラブラドールか何かじゃなかろうか……。
「わ、可愛いぃ。へ~耳を切ってないドーベルマンって随分と愛嬌のある顔してるのね」
お手!ぽふ。おかわり!もふ。
瘴気が雲散した後に残る素のミチルを見た扶祢が早速犬芸を披露し始める。うん、ばっちりと堪能しているみたいで何よりだ。それを見たピノもうずうずとした様子でやり始めたりしているが、君にはピコが居るでしょうに。
「くっく。流石に飼い主だな、意思疎通ばっちりじゃないか」
「まぁ、途中から動きが明らかにコイツ臭かったですし。それにしても飼い主の喉笛を咬みちぎるとは何て奴だ」
「くんくんくん……」
「あまりきつく言わないでやってくれ、一応俺が本気でやれと言っておいたからな」
成程ね。狗の総大将の様な存在である大神さんの命令ならば、それに作られたこのミチルでは逆らう事は出来ないか。ならば仕方が無いな。
「一応誤解の無い様に言っておくが、強制力は発していないからな?互いの再会の儀式としてどうだ、と提案したらこいつも乗り気になっただけだからな」
「ほぉ~?」
「!?きゅーんきゅーん……」
本当、この辺りのお調子者っぷりは相変わらずだなぁ……やっべ、こみ上げてきた。慌ててミチルにヘッドロックをかけつつ皆に見えない様顔を伏せ―――
「……お帰り、ミチル」
「……くぉん」
震え声は誤魔化せなかったな――まぁ良いさ。
・
・
・
・
「それで大神さん。今のコイツは一体どういう状態なんですかね?」
その後は暫し昂った気分を落ち着ける事に終始し、内心の疼きが収まってから大神さんへと事情を尋ねる。
ミチルが今目の前に居るのはいい。だが所詮は仮想世界内、現実のミチルは既に墓の下に居るのだから……それでも、こうして再会出来たというのはとても嬉しいのだけれどもね。
「それについて言っておくか。本来コイツは実体という物が無い幽世の存在な訳だから、現実世界じゃ御霊として術の一つとしての使い方が精々だった筈なんだが……」
何処となく困った様子の大神さんの語り口に若干の違和感を覚えながら、俺は真剣にそれを聞き、言葉を反芻し続ける。それは確かにそうだな、ミチルは本来もう居ない存在なんだし……「だが」とな?
「こいつ、媒体として使った狗神とその瘴気を取り込みやがってな。結果こいつ自身が狗神と成り代わり、実体化も出来る様になってしまっているんだよなぁ」
「――え」
「だよな、普通驚くよなぁ。何をどうやればこうなるんだか」
え?という事は、何だ。今俺の目の前に居るミチルは情報の名残とかじゃなくて……。
俺は思わず息を呑み、ある種の期待感を以て大神さんの神託とも言えよう次の言葉を待つ。それに対し、言葉を続けた大神さんの発言の内容は―――
「あぁ。この魂は本物で、お前のペットであるドーベルマンのミチルだ。多少の制限は付くが既に現世にも姿を現せる存在になっているぞ。良かったな坊主!」
「まじかぁあああっ!?」
「いやぁ、狗神を使って喜ばれるなんて初めての経験だな……うん、悪くは無い」
その衝撃の事実に暫く頭が真っ白になっていたが、我に返りミチルへと体ごと振り返る。
「わぅん?」
今此処に、在りし日の幸せの象徴だった、人懐っこい顔で首を傾げこちらを見返してくるミチルが居る。恐る恐る頭を触り撫でてみるが、相変わらずの存在感がそこには在り、嬉しそうに尻尾を振って応えてくれていた。
それを見て――心のどこかで何かが決壊する音が聞こえてきた。
「うっ…うぅううぅ……」
「……くぅーん」
Scene:side 扶祢
頼太のすすり泣く声が辺りに響く―――
すすり泣きと言えば遣る瀬無さそうに聞こえるけれど、実際には嬉しすぎて感情が制御出来なくなっちゃってたんだろうね。それでも大泣きをしない辺り、意地っ張りだなぁとは思うけれど。
「ぐすっ……ピコ元気カナー?」
ピノちゃんったら、貰い泣きしちゃって。そんなピノちゃんを抱き上げ、後ろから軽く抱きしめて頭を撫でてあげる。
「ピノちゃん、ピコと重ねちゃってたのかー。よしよし」
「あと一週間もすればあいつらも帰って来るだろ。それまではあの犬でも撫でときゃ良いさ」
「そうダネ。あの犬、人懐っこそうだし。そうしとこうカナ」
そんな事を話しながら頼太の方を振り向いて見るが、あいつまだ泣いたまんまじゃない。もう少し、そっとしておいてあげとこうかな。
「……良かったね、頼太」
このお話は、犬と野郎とショタの涙で構成されています。




