第043話 妖棲荘に住まう者
「いらっしゃいませ――おや扶祢ちゃん」
「こんにちは。お久しぶりですおじさん」
妖棲荘の入口をくぐり中へ入ると若干老年に差し掛かった辺りの、いかにも茶店のマスターと言った感じの人が出迎えてくれた。
「はいこんにちは。この暑い中よく来てくれたね。注文は何にする?」
「んー今日は連れが居るので、メニューを見ながらゆっくり決めますね」
「あいよ、それじゃあ奥のテーブルにどうぞ」
今の会話からも分かる通り扶祢とマスターは直接的な面識があるらしい。扶祢の挨拶ににこやかに対応しながら俺達を案内してくれた。
「ささ、まずは注文しちゃおうか。ここの料理はどれも美味しいよ~」
「ハハ、またサキさんに内緒で何かおねだりでもしに来たのかな?」
「うっ……いや、美味しいのは本当ですし。今回のは母さんとは関係無いというか―――」
学生時代にも色々あったらしい。随分と気軽な会話のやり取りが交わされていた。
「随分と親しそうじゃな。さては互助組織の話を別にしても入り浸っておったな?」
今の時間は俺達以外に客は居なかったからか、その店内を眺めていたシズカが互助組織について口にする。
「おや?これはこれは。扶祢ちゃんがついに同類の友人を得られた様だね。おめでとう」
「あの……その言い方だと私がぼっちだったみたいに思われるので……」
「はっはっは。まぁゆっくりしていきなさい」
ばつの悪そうな顔をする扶祢にそう言って、マスターはカウンターの側へと入っていく。何というか親戚のおじさんっぽい感じだな。
そして各々注文も決まり、それを受けたマスターが料理をしながら話しかけてくる。
「互助組織、って言葉が出たという事はそちらのご同類の皆さんに関係があるのかな?そちらの扶祢ちゃんのそっくりさんは霊狐さん、かな。それに西洋風の可愛らしい妖精さんと魔犬君に、妖魔さん?……とそこの少年はちょっと分からないな」
そういった者達を見る目に長けてでもいるのか、次々と当たらずとも遠からずといった指摘をしていくマスターさん。だが俺を見たところで首を傾げそんな事を言ってきた。
「あ、頼太は人間ですね」
「――人間?こりゃ驚きだ。まさか扶祢ちゃんが人に正体を明かすなんてね。そこだけはサキさんに口酸っぱく言われていたというのに。もしかして彼絡みの話かい?」
「ぶっぶー。あ、全く関係が無い訳じゃない、かな?生活費に関わる事ではあるし」
「何だ、本当に小遣いのおねだりに来たのか」
「違うって!ちゃんと対価は持ってきてるよぅ」
俺の話になったところで少し目を見開きこちらを見やるマスター。目が合ったのでつい会釈をする俺に対し、あちらも頷きで返してくれていた。いきなり険悪な雰囲気になってしまうのかなんてドキドキしてたけどそんな素振りは無さそうだし、今は扶祢に任せておこう。
それにしてもコイツ、ここに来てから言動が随分と子供っぽくなってないか?
「あとピコは犬じゃなくて狼だかラ」
「おっとこれは失礼。あまりに礼儀正しい子だったので勘違いしてしまったよ。その子のは味付けはした方が良いかい?」
「あぅわぅ」
「ok」
そこにピノが先程の指摘の訂正を入れる。だが当のピコはその辺りの細かいことはどうでも良いらしく、いつもの調子で何かを答えていた様だ。
「ども、陽傘頼太と言います。ピコの言葉が分かるんですね」
「あぁ、僕はここの店のしがないマスターをやっている六郎って者です。僕も獣妖の一員なのでね、何となくだけど解るんだよ」
「そうだったんですか」
「まぁ詳しい話は料理が出来てからにしようか。皆さんもう少し待ってて下さい」
「はーい」
それから雑談をしながら待つこと十数分。各々の料理も出揃い、マスターが椅子を持ってきてテーブルの脇に座る。
「では召し上がれ」
「「「「いっただっきまーす」」」
「――む、これはイケるの」
「こりゃ美味ぇな」
「んまーい!」
「でしょお、おじさんは昔テレビの某料理対決番組にも出て良いところまでいったのだ!」
料理に舌鼓を打つ俺達へ、扶祢が我が事の如く自慢そうにえへんを胸を張る。マスターもとい六郎さんは少し照れた様子で、しかし扶祢に優しい視線を向けながら笑顔で語る。
「おいおい、恥ずかしいからあまり吹聴しないでくれよ。店の宣伝なら大歓迎だがね」
「えー、だって六郎おじさん鉄人の一人に勝ったじゃない。知り合いとしてはこれは鼻が高い事だよ」
「随分と懐いとるのぉ」
「ははは、扶祢ちゃんは小さい頃からうちに入り浸ってたからねぇ。サキさんが遠出をした時は……よく託児所代わりに預けられたものだ」
「その節はお手数おかけしました……」
シズカの指摘に六郎さんが答えるが、最後の方は尻すぼみになって肩を落としながら言う。扶祢の母親っていい性格系の人の匂いが……見れば扶祢も肩身が狭そうな様子で縮こまっていた。
「ふん、あのクソ婆め。相も変わらず好き勝手をしくさっておるのぉ」
「うん?その話し方からするとサキさんと知り合いなのかな?顔も扶祢ちゃんそっくりだし、親戚さんとか?」
「まぁ、の――」
そんな六郎さんの言葉に肩を竦め、皮肉気な表情を浮かべて曖昧な返しをするシズカ。代わりに扶祢がその問いに答える。
「シズ姉――シズカは私の姉さんなんだそうで。父方は違うみたいですけど」
「……シズカ?」
「ん?何ぞ心当たりでも有ったかや?」
「――いや、うん。有ると言えば有るんだけれども。まぁ僕が聞く事ではない、かな」
「ふむ……」
何だろう、この沈黙。だがその沈黙はすぐに解け、六郎さんはおどけた風に言う。
「それに女性の齢を聞くのは失礼だしね。おっと、こんな事を話すの自体失礼だったね。アハハ」
「何か思う所が有る様じゃな。ま、齢位構わぬよ――詳細に幾つかとはもう覚えておらぬが、童が生まれた時分には既に平安の都で藤原某が台頭しておったかのぉ」
平安藤原氏――平安時代中期に恐らく最も知名度の高いと思われる道長を筆頭に皇室迄をも思うままに操ったと言われる一族。因みに道長は天皇の外祖父となり凡そ敵う者の無い絶大な権力を握っていたそうだ。
【この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば】
の歌はあまりにも有名だ。日本史の時間に先生による歌の説明を聞いて、その意味に呆れてしまった覚えがあるな。
自らの生まれを軽く語り終えたシズカはこれで良いかや?と六郎さんへと視線を向ける。
「藤原氏!?と言う事は紫式部の居た時代だから……齢千を超える大霊狐じゃないですか。そうか……サキさん若作りしてるとは思ってたけれど想像以上に……」
「あぁ……汝もアレに苦労させられた口かや。アレの代わりに謝罪するのも癪じゃが、我が母が済まんかったのぉ」
「いえ、狐に噛まれたと思って諦めてますから」
「ハハ、狐に、の。これは捻りが利いとるわ……ハハハ…ハ」
二人の覇気の無い掠れた笑い声を最後に場には再び沈黙が支配する。それは先程とはまた違った悲しい沈黙であったという。
「もう扶祢の母さん、トラブルメーカーにしか思えなくなってきたんだけどな?」
そんな俺の言葉に曖昧な表情のまま無言で目を逸らす扶祢。そうか、自覚はあるのか。
「それにしてもシズ姉そんなに齢いってたんだ、本当に大妖怪って感じだねぇ」
「その言い方じゃとよぼよぼの年寄りみたいにに思われる故やめて欲しいのじゃが……」
「フッ、こういう時の返しが扶祢ちゃんそっくりな辺り本当に姉妹なんだね。妙な勘繰りをしてしまい、大変失礼致しました」
「まぁこやつ等よりも扶祢と長年付き合ってきた身にすれば、童の存在を疑るのは当然じゃろ。汝もそれなりに年月を重ねた化生と見た、それが知らぬ相手となれば警戒するも詮無き事よ」
「お気遣い恐れ入ります」
「あぁ良い良い。此方ではもはや童は居ないも同然じゃからして、堅苦しい言葉遣いなぞ無用じゃ。皆と同じく対応せぇ」
「ですか。それでは以降そうするとしましょう」
そんなこんなで皆の食事も粗方終わった様で。六郎さんは姿勢を改め、眼光も鋭く、組織の長としての顔で問いかけてきた。
「それじゃあそろそろ本題に参りますか。この度はこの『妖棲荘』へようこそ。僕がここの纏め役、化狸の六郎と申します。本日はどの様なご用向きで?」
「おじさん。しまらないからそういうのは食器を洗いながらじゃなくて、全部洗い終わってからにしない……?」
「む、これは失礼。まずは洗ってしまおうか」
しかし隣で別の皿を洗っている扶祢が溜息を吐きながら突っ込みを入れていた。中々のお茶目さんですな。
それにしても狸か。昔から狸と狐は仲が悪いなんて話も聞くけれど、その辺りどうなんだろうな?どうみても親戚の子にしか見えない懐き方をしている扶祢はまぁ置いておくとしてだ、シズカの方をちらっと窺ってみた。
「――ハッ」
見なきゃ良かった……考えてる事がバレバレだったらしく、物凄い馬鹿を見る様な目付きをしながら鼻で笑われてしまった。くっそう……。
「実はね、金目の物があれば換金して欲しいんだけど」
そして扶祢が当たり障りの無い範囲で異世界へ出入りした事、これまでの経緯と戻って来た理由等について六郎さんへ説明を始める。
「成程ねぇ。正式な取引と言う事であればこちらとしても異存は無いよ。それじゃあ早速見せて貰えるかな?」
こうして説明も終わり、六郎さんも納得したらしくいざ取引、という流れになったのだが。このままここでそんな取引をしちゃっても良いのか?
「あの。ここって一般人も入ってくるんじゃありませんでしたっけ?場所を変えたりは……」
「既に人払いの結界は張られておる様じゃぞ?」
「本当ダ。いつの間ニ」
どうやらその心配は無かったらしい。俺が言い終えるのを待つことも無くシズカがそう指摘する。
それを聞き、納得の気持ちと軽い驚きが同居した感嘆の言葉を上げる俺達。
「ふっふっふ……この私の繊細かつ力に満ちた指捌きで一瞬の内に結界を張り終えたのだよ」
「「な、なんだっテー!?」」
そこに付け加えるかの如くドヤ顔の扶祢が言う。こいつがそんな高度な結界の術を使えただとぅ!?
しかし釣鬼は、それを見逃しはしなかった―――
「確かに指捌きだわな。その棒を何やらポチポチと押してたみてぇだけどよ」
「………」
どうやら結界のオンオフもリモコン式で任意に発動できるシステムが組まれていたらしい。釣鬼によるばっちりと見ていましたよ発言に硬直をしてしまった扶祢の脇では、それを生暖かい目で見るシズカと六郎さんの視線。
「こほんっ、それじゃあ本格的に取引へ入るとしましょうか」
「そんな可愛らしい咳払いで流せるとでも思いましたか、お嬢さん?」
「恰好付けたかっただけなのじゃ扶祢は悪くないのじゃ。つい邪気眼が疼いてしまっただけじゃよな?勘弁してたもれー」
「……調子こいて済みませんでしたっ」
そんな俺達のやり取りに顔を真っ赤に染めてしまい、つつかれたゼラチンの如くプルプルと震える土下座狐がおりましたとさ。
その後、金目になりそうなものを何点か換金し、妖棲荘を後にする事となった。
「おじさん、有難うねー。帰りにまた寄ります!」
「あぁ、扶祢ちゃん達も気を付けて……と、そうだ頼太くん」
「?」
ふと六郎さんに呼び止められ手招きされたのでそちらへ行くと、耳元で―――
「話を聞いた限りでは大丈夫だとは思うんだが、この面子の中では君が唯一の人間だからね。扶祢ちゃんが君にかけたと言う呪についてだが……」
「……問題ないっすよ。呪の内容がどうであれ、たとえ呪なんてモノが無かったとしても、扶祢はもう一緒に世界を旅する仲間ですから。心配なら六郎さんも何かの保険でもかけときますか?」
そんな俺の言葉に、六郎さんは僅かに目を見開き驚きの感情を露わにする。
うん、何となくそんな気はしてたんだよな。六郎さんのこの反応を見てようやく確信に至った訳ではあるが。
あの隠れ気遣いを多分にしてしまう扶祢の事だ。口では何だかんだ言いながらも相手を術で縛り付けるような真似をするとは思えず、そしてこの六郎さんの反応からも分かる通り、やはりそんなものは元から無かったらしい。
全く……あの甘ちゃんめ。アレの記憶の影響でこの手の秘密が漏れ出てしまったらどうなるかなんて自分が一番分かっているだろうにな
まぁ、そんな愚劣とも言える無償の信頼ではあるけれど、そんな信頼を受ける身としてはこう、むず痒いと言いますかね。期待に応えずして何が男か、なんてちょっと恰好付けたくもなっちゃう訳でありまして。
「――いや、やめておくとしよう。もしそれが扶祢ちゃんにばれて、恨まれて口を聞いて貰えなくなったりしたらおじさん生き甲斐が一つ減ってしまうからね。でも少し初対面の相手を信じ過ぎじゃあないかな?」
「それはあいつにこそ言ってやって下さいよ。それに、これでも俺は一応人を見てるつもりですから……ちょっとくさい台詞言いすぎて背中が痒くなっちまった」
「はは、今は君を信じることとしよう。だが宣言だけはさせて貰います、もし扶祢ちゃんに対し悪意を以て責め立てる真似をした場合……我等妖棲荘の全てを以て、君とその親類縁者恋人友人に至るまで、不幸な出来事に見舞われると知りなさい」
「怖ぇぇ……胸に刻んでおきますよ。まぁ、どんなからくりで音を遮ってるのかは分かりませんけど、扶祢はともかくシズカには多分この会話丸聞こえでしょうし。あのおねいさんなら妖棲荘が動く前に速攻で俺の事をミンチにしてくれそうだからその必要もないんじゃないっすかね」
「当然じゃ」
うん、分かってはいたんだけれどもさ。当然の如くそっぽを向いたまま声だけで参加されると心臓に悪いんですよね。
六郎さんは俺の答えに僅かに目を瞠り、
「気づいていたのか。人にしては随分と気配に聡いらしい」
「えぇ、これのお蔭で扶祢と出会えた様なモンですからね」
「なーるほど。恫喝する真似をして済まなかったね」
そう言って右手を差し出す六郎さん。それを握り返し、今度こそ妖棲荘を背に仲間達の下へ歩いて行く。
「何話してたの?」
「男同士の秘密♪」
「……きも」
「うっせ!」
そして再びいつも通りの他愛の無い会話を始める。だが、六郎さんと会話をした事で改めて自身の置かれた特殊な環境を再認識出来た気がするね。
「それはそれでアリじゃな」
「アンタそっち系かよ!」
「冗談じゃって」
「……シズ姉は両刀の気があるから」
「まじで!?」
「くふっ」
否定しないのかよ!戦慄した……母親が腐で、姉が両刀使いとは……。
「ある意味サラブレットと言う事か……」
「違うからね!?私は至ってノーマルだからね!」
「何か楽しそうだネェ」
「いつものこったな」
「わぉん」
それでは軍資金も得たことだし、本命の扶祢の故郷へ向かうとしようか。
妖怪変化の居る日本では妖狐よりも霊狐と呼ばれる事が多いのです。認識の差とかそんな設定でヨロシク。




