紅き亡失、その真相:前編
今回は紅童子の謎に触れるお話。
心手折られ、頽れてしまった狐の娘を肩に担ぎ、若者の姿を簒ったそれは闇の中をひた歩む。
無貌。そう呼ばれたモノの後方には白きに蒼くも酷似した形持つ、歪な鏡の裏返し達が、傅いて……いたのは、少しばかり前までのこと。
―――あなたが望むのが、あくまで彼の立つ舞台そのものだと仰るのであれば。
最後の信徒であった者として。『わたし』もまた、魅せるべきを奉じてみせましょう―――
―――好キニ、スレバ良イ―――
白き片割れはそう遺して、似姿へと自らの在り様を被せ合わせた後に去っていった。
取り残された現在の似姿はしかし、自身の内面に起こった変化を無頓着にも受け流す。今はそれよりも、足元さえも覚束ない狐の娘の腰を支える方が余程大事だからだ。
「ソコマデ慕ワレテ、コノ娘ハ幸セダナ」
「別ニ、そんなんじゃないシ」
不貞腐れた返しが含む、へそ曲がりとしか言い様のない語彙の無さ。それだけでも感じ入ってしまうものが、ある。
そのまま腰を支えられ、目も虚ろなままの衰弱した娘を連れた一行は、森の中を一歩また一歩と進んでいく。
「ココニ、スルカ」
「ここッテ――」
ややあって、若者の姿が歩みを止めた。
都合三人分の目が向く、その先には。ここ妖精郷の各地に湧いた、形も同じくする禊の泉。
「ソレデハ、始メル……前ニ、ドウヤッテコノ娘ヲ正気ニ戻シタモノカ」
「そんなノ、簡単でショ」
存外にも人格を感じさせる素振りで頭を掻く仕草を見せる若者の姿。対し、答える声は何をつまらない事で悩んでいるんだと言わんばかり。
ほぅと興味深げにも翠に朧灯る目を向けた無貌は、得意気にも舌っ足らずな半音ずれた抑揚を見せるピノの、次の言葉を待つ。
「ねェ、扶祢?」
「………」
何かしらを感じさせよう、含みをみせる言葉。
しかしながら呼びかけに応える声は未だ無く、ただただ彷徨うばかりは考える事を放棄してしまった、目線。
「頼太、もう居ないんだッテ」
「……ぅ」
噛み砕いて言う、事実の一つ。言葉にならない息遣いが、聞こえる。
それを語る側もまた自らの言葉により傷付けられて。しゃりしゃりと内面の認識が削り下ろされていく、音にならない喪失感。
「寂しいよ、ネ?」
「……ぁ」
それが、どうした。
「急過ぎるよ…ね…?」
「……ぁ、ぅ…」
だからこそ、今動くべきだ。そんなのは、分かりきっていた。
「――ね、扶祢」
「……ぅ?」
だからと自らにも言い聞かせて。もう一度を、問いかける事に費やす。
今度は、ほんの少し。反応が見られた。
「ちゅー、したかった?」
「……ひゅぇっ!?」
本当は、もっと。時間をかけてから。
もっと、もっと。じっくりと満喫をしてから、そんなやり取りをしたかった。
話を聞くに、あんまりいいものじゃないみたいだけれど、何だったら修羅場なんてものも体験してみたかった。
「もっと、甘酸っぱい思いとかして。イケメンなライバルからの壁ドンとかされちゃったりして」
「ふぁ、なに、ちょっ……?」
だって、しょうがないじゃない……今この状況が、私達に大人になる事を求めているんだから。
だから、敢えて気付ける為に。取り入れたばかりな歪な想いを想い起こして、手段としてその続きを紡いでみせる。
そうとぶっちゃけてみせた方が、余程ぼくらしいのだもの。
「それとも、略奪愛とかいうので……ドロドロの愛憎劇なんかも、ちょっと興味あったよね?」
「ピノちゃん何言ってるのぉ~~~!?」
予感だけは、あった。あの、どこか危うい無鉄砲さ。
いつかは、こんな日が来てしまうかもしれないと。
「ピノちゃんは、永遠に可愛いまんまでいいのですっ!そんな滅茶苦茶コミックの鬼嫁漫画みたいな真っ黒いやつに染まる必要は、ないのですっ!」
打って変わって業の深げな必死さで迸るマシンガントーク。腐った魚の様な濁り目でミッションコンプリートの合図を送る。
それを受け取めて見せた若者の姿はどうにも皮肉気に、しかし大いに満足をした様子で肩を揺らせながらにご満悦の様子。
「後は、任せたヨ……」
「フッ。一度ハ儀礼顕現ヲ見セナガラモ、現実主義ニモ道化ヲ晒シテ解決ヲ図ルカ」
「……うッセ」
白き片割れがお節介にも遺していった、あのぼくの囁いてくる経験説からすれば――だ。
結局のところ、亡失などは心の持ち様の一形態。心理を診測る観点から語れば、哀しみに暮れるといった主観に重きを置いて、周りが見えなくなってしまっているだけの没頭状態に過ぎない。
その物言いに多少の瑕疵こそあるかもしれないが、そうと理解ってしまえば後は対象の性格性質との一対一の攻略戦。
それがましてや、根が生真面目でかつ、一般的な良識の観点で言えば聡明と言える扶祢ともなれば。ぐちゃぐちゃに揺れる心の中でだって、きっと。解決の糸口を探るべく、耳に言葉が届いていない筈もない。
「ドウヤラ、オ前モ無事ニ正気ヘト戻ル事ガ出来タラシイ。ナラバ、始メルトシヨウ」
ややばかり顔に朱を差しこそすれども、既にその意志は確固とした光を見せる扶祢。
いつの間にやら出現した、泉へ面する台座を背に。大仰にも両の腕を開いてみせる無貌の現身が一挙手一投足を見逃すまいと、真剣な心持ちを向ける。
「ネェ、鬱陶しいんだけド……?」
「しっ」
とはいえ、心細きをも器用に両立演出してみせる、小さな幼子へと纏わりついた七尾の挙動についてはご愛敬。
心に覚悟は決まれども、やはり。心震える不安だってまた、彼女達の本心であるのだから。
☆ ☆ ☆
無貌の残滓による、千々に張り裂けてしまった頼太の魂を復旧させる全行程の説明も終わり、その裡に辛うじてこびり付いていた影法師の情報が泉へと映し出されていく。
「ンだよ、また随分と面倒臭ぇ状況になっちまってんなぁ……」
未だ鏡面に映るばかりな仮初ながら、やや口の悪さが勝っている以外は彼を知る者が見て尚本人そのもの。先程まで漂っていた重苦しい空気は何処へやら――そんな陳腐な表現が実に似合う、呆けた顔を晒すは泉を覗き込む娘達。
「シカシ、元ノ状態ニ戻レル見込ミハ限リナク低イ」
「欠損した記憶部分が、どんな結果を齎すか……でしたっけ」
「『魔狗』に焼き付けられた記録情報からも、そのシズカ――だっけ。そいつの姿形だけは、綺麗さっぱり消えてんだよな」
ここ妖精郷を取り巻く状況、その一点に於いては凡そ関わる筈のない人物。
何故、あの御使いは数ある中から、あのひとの記憶だけを消したのだろう。
―――『汝はほんに稚児じゃのぉ。ナリだけは大きくとも、まだまだ可愛い《ワタシ》の妹――《ね》?』―――
それも、扶祢と頼太の二者に限ってだけ。たとえば傍らで愛らしい顔を小難しくも顰めて考え込む素振りを見せるピノなどは、その人物像から秋の記憶までを今もはっきりと思い返せるらしい。
「まっ、今考えても仕方のねぇこった」
残る謎に思考を費やす間にも、『魔狗』の側の準備は整った様子。
ざばりと自らの身体を支えて泉から這い上がり、黒き斑の縞模様に染まった魔気の顕れを存分に魅せ付ける。
「我が身の母たる無貌たってのご指名だ――偽物はオレらしく、あの無鉄砲が自らを取り戻すための、礎となってやろうじゃねえか」
自らを偽物と自覚して、尚。我の揺らぐ危うきを感じさせない意志の灯火。
それを不遇と嘆こうともせず、覚悟完了臨戦態勢はばっちりと闘志を瞳に、腕に、背に――滾らせる。
その要因となろう、無貌の一言の重み。見守っていた二人の娘もまた、悼ましきを隠せずに。
《オ前ニハ、苦労ヲ背負ワセル――スマナイ――》
「……よせやい」
『魔狗』が実体化を果たすと引き換えに、台座へと横たえた頼太の身体より滲み出でた無貌。
そっとその頬を撫でる、実体のない感触に。熱きを滾らせ続ける魔狗の声色に見られる、ほんの少しの……湿ったもの。
その覚悟に、見守るだけの自分達が何を言えようか。思う処は多分にあれども、この一人と一柱の間に比べてみれば、部外者。
だから―――
「らい、た」
「魔狗を、その名で呼ばないでくれよ」
語りかけようとしたその矢先に、目線も向けずに、示された――拒絶の意。
それ以上なんて……口に出来よう筈が、ない。
「なァんて、お前の好きな創作物語なんかの主人公だったら言うんだろうけどな」
「……えっ?」
打って変わって叩かれたのは、やっぱり見覚えも強き、あの軽口。
呆と気の抜けてしまった、その落差に。ぽんと置かれる温かみ。そこまでが限界だった。
「まっ、こんなオレが言うのも甚だ不本意だろうけどな。任せておけよ」
「っく、ふぇ……」
気恥ずかしげを見せつつもくしゃり、と撫で下ろされるその感触に、どうしたって視界が滲んでぼやけてしまう。
だって、こんな臭い芝居を敢えてしてみせる辺り、何処から見たってこいつは頼太そのもので。
ましてや命短しにも程がある、一夜の刹那に消え往く紛い物を自覚した上で。こんなの、涙腺が緩んでしまうのは、しょうがないじゃないか。
「むゥ……」
ふと聞こえた下方向からの不満げな声に、はっと飛び退る二人。その後にもんやりと漂い始める、気怠げな気まずさからさえ、あいつの彩をとみに感じさせられて。
「あのォ~、良い雰囲気作ってくれちゃってるところ、申し訳ないのですけどォ……」
「「わひゅぇうッ!?」」
互いにぎこちないながらもくすり、と零し合ってしまった直後に、またしても雰囲気をぶち壊しにしてくれる唐突な声がにょきっと生えてきた。そろそろいい加減にしてほしい、とは事が済んだ後に樹精神殿へと赴いた狐耳による、割と切羽詰まった訴えだ。
「って、えっ……ニケ、ちゃん?」
「はいっ!身体は子供、中身も子供、然してその実態はッ……!」
「ミーアだよネ」
「……ピノさん、少しは空気を読みましょう?」
凡そこの夜に起きた奇異の中でも、見た目と中身のギャップとしては無貌に次いでのインパクト。
そう。この少ないながらも見も蓋も無いやり取りから察せられる通り、見た目としては場の面々もよく知る氷精の少女そのものながら、その言動から仕草表情に至るまで。
此度の騒動に於いてある意味発端と言えなくもない、彼の御使いの僕が一にして、お前にだけは空気を語られたくない第一人者との認識で一致されつつある、ぶっちゃけ神官そのひとであったのだ。




