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狐耳と行く異世界ツアーズ  作者: モミアゲ雪達磨
妖精郷&帝国の日常:閑話の章
423/439

日常の裏側へと、潜む怪異は呪怨と共に

 ツンデレにも唸り声、薔薇薔薇しい痴話喧嘩に付き合うのは真っ平御免と心無い言葉を投げつけられて。

 ここ暫しの孤独を埋めんとせんばかりに今も二の腕に甘噛みをし続ける、もと家出犬との再会に歓ぶ、とある散歩の帰り道。


「……うん?」


 何やら、妙な気配を感じる……ような、気がする。そんな曖昧な表現しか出来ない、漠然(ぼんやり)とした予感にも近しき感覚とでも言えば良いのだろうか。


「何だ、こりゃ」

「がるるるっ――わぉん?」


 知らず歩みを止めてしまったらしき足に、後追いをかけるは、焦燥感。

 今直ぐにでも足を動かして、全力疾走でこの場を立ち去れと。でなければ、降りてくる夜の帳に絡め取られて二度と、這い上がれない。そんな――追われる者が総じて持ち得る、生存本能へと切に訴えかけてくる。


「ミチィル」

「ぐる……わふ」


 良い子だ。


 幾許かの葛藤を抱えた素振りながら、ここ一番では正着への模索を優先してくれる――切り替えの、早さ。ミチルはやはり、こうでなくっちゃあな。


 さて、と自らへと言い聞かせる様に、これ見よがしに呟いてみせる。

 未だ勝手も大分違う、狗神(ミチル)を裡へと引き込めない不自由な我が身。有事の際の持ち味さえ手探りの中で、あれ程に取り返しのつかない想いを抱えてまで……こういった未知なるものへの探求心が抑えきれない。


「ヒヒッ。これもまた、我が身抱える救い様のない業ってか」

「くぅん……」


 これまでにも幾度かを味わった、この手の破滅的な直観。だというのに、俺は、今なおこうしてここに在る。

 掴み得られた結果としては健全とまでは言えないまでも、時には奇縁に扶けられた、想いの足跡に縋り付いた代償を払ってまでも。

 だと、するならば。破滅の未来を前にしてでも辛うじて生還の目を掴めよう、一線すれすれを歩み抜ける、特有の人生経験値といったものが相応に溜まってもいると、思えてやまない。



「――俺は、まだ。何も成し得ちゃあいないんだ」



 それは、不意に襲い来るこの危機的状況において(こころ)の奥底より湧き上がる、どうしようもない渇望。

 自意識過剰と謗られても仕方がない、思い上がりも甚だしい――そんな、ちっぽけな自尊心ではあるけれど。

 ここで何もかもをも恐れて無難に生きてしまっては、あの終わらない悪夢よりの歪な生還者として想いの楔に打ち留められた、あいつ(・・・)らに申し訳が立たない。


「まずは、見極めろ」


 今はまだ。拙くとも、構わない。

 解決なぞは勿論のこと、望むべくもない。

 そうであろうと、観察を続ければきっと。見えてくるものは、ある。


 あの白き幻魔が、紡いで果てたその先に。受け渡された、先達よりの贈り物(バトン)

 それを次へと繋ぐべく、何があろうと生きてこの場を脱しなければならない、義務があるんだ。


 ―――ぴちゃ、り。


 その音を認識すると同時に、ミチル共々反対方向へと大きく飛び退る。

 勢い余った身体のバランスを取るべく、片膝立ちにも着地した俺の目線は不審の側へ。




「……へっ?」



 ―――それを視た、否。それが、視えてしまった時点で―――



 見極めてやる、などと息巻いていた、ほんの少し前の自分は……尻尾を巻いて逃げ出した。

 そうとしか言い表せない、今の俺の心境は。


「う、う、うひっ……」

「ぎゃひっ!?ぎゃいーん!」


 声をまともに発する事さえも出来ない恐慌状態で、それでもよく動けたと。

 当時を振り返って、後から自画自賛をしてしまった程度には。


 ―――びしゃり。


 先程よりもはっきりと聞こえる、水面の静寂をかき乱そう水の音。

 すぐにも逸らした、だのに視界の端にはべっとりと貼り付いて残る―――茂みの隙間より覗いてしまった、目の前の泉よりは心おぼつかなげにも、その目的ばかりははっきりとした突き出された片手(・・・・・・・・)


 目的とは何か、だって?そんなもの、言葉に表せようものでさえない。

 ゆらゆらと、何かを探るべく揺らめくその手は、皮膚や肉といった生身を感じる部分のそこかしこが痛々しくも剥げ落ちており。創口の至る箇所よりは黒ずんだ粘液をどろりと垂れ流しながら、やがて一点を見据えたかの様に、一指しその念を向けてくる。


「逃げろォーッ!!」

「きゃいーん!?」


 時折、ジジ……とノイズの入った映像のごとく、画面がコマ飛びする錯覚。

 最早視線は真逆を向いている筈なのに、瞬きをする度に、肘が、袖が、合わせて逆の腕までもが。徐々に不気味な造形を露わとしていく、狂気の情景。


「ひっ、ひぃっ……!?」


 既にその半身は泉より這い上がり、ざんばらに乱れた髪を全身に貼り付かせつつもこちらへと向かって、その呪怨の念を向けつつある。せめてもの慰めは、今以てなお俯き加減に、その貌ばかりは見られなかった事、だろうか。


「ハッ、ハッ、ハッ―――」


 我に返ったその頃には、既にミチルの背へと跨り、脱兎の勢いで駆け出していたらしい。

 耳に響くは息も荒く上下をさせる、ミチルの呼吸困難にも喘ぐ声。

 それでも、高速にブレる視界の中では。


 物理的に遮られた筈の、あの視線のみは依然としてねっとりと、この身を絡め取ろうと縋り付いてきており―――


 ・

 ・

 ・

 ・


「――あぁ、言われてみれば」

『もう、そんな時期だったの』


 命からがらに社へと逃げ込んで、勢いそのままに白さんの陣取る奥側のスペースへとミチル共々スライディング着地。然る後に今も視界の隅へと貼り付いて離れない、アレへの恐怖に支離滅裂なる震える泣き言にも訴えてみたところ、ピピと顔を見合わせながらも至って平然と返された、暢気に過ぎるお言葉。


「あんたら、アレ知ってたの!?」


 勢い込んでそう問う俺に、鬱陶しげにもその微苦笑ばかりは平時と変わらず返してみせる。

 そして、あの破滅の予感ひしひしと迫る、奇奇怪怪なるモノについての背景を語ってくれたんだ。


「アレもまた、当時の耳長達より受け継いだ遺産の一つなのさ」

『この森の管理を引き継いだ頃は、ライタみたいに引っかかっちゃう子も多かったの』




 ―――曰く、妖精郷はこの森の最深奧にある何かを封じる箱庭だ―――




 これもまた、ここ妖精郷へと遺された言い伝えの一つ。

 たとえ負の、との冠詞が付こうとも、遺産は遺産と白にも蒼き双子は響きも揃えてこう謳う。


「とはいえ、その詳細は妖精族を名乗っていた頃の、当時の耳長達に聞かねば分からない事だろうけれども、ね」


 今は昔を懐かしむ、素振りも新たに俺の左右の頬を挟み込む、半身達。

 片や取り出した魔糖水飴に、不足を補う季節菜のほろ苦さを混ぜ合わせて。

 やがて顕わにされた往年の造形を懐かしむ、残る一方については今更語るまでも無い。


「過去の昏きに惑わされ、舞台の裾へと絡め取られた旧き亡霊――」


「――今は()だ、然にあらず。あるべき軛に曳かれ、去り往けよ」


 ほう、と見惚れてしまう、手に手を取り合っての語り継がれし、言祝ぐ祈り。

 白き極地が二重に眩き、社全体を覆う柔らかな光が収まったその頃には、これもまた過ぎた影響力に引き摺られた代償というものか。見事に巻き添えを食って浄化され尽してしまったパピヨン達が、在りし日の姿に一糸まとわぬ惨状を晒して揃って素っ頓狂な悲鳴を上げてしまう。


「身体の具合は、どうだい」

「えっ、と……あ、あれ?見えなく、なってる?」

「ふふっ、それは良かったの」


 二人に問われ、自身に起きた変化を自覚する。

 先程までの、いつかはきっと、ここに来る――といった純然たる、悪意にも近しき怨の念。俺自身を焦燥に駆り立ててくれた、視界の端にこびり付いて離れなかったあの強迫感は、嘘の様に消え去っていて。


「結局、アレって何だったんすか……?」


 返されるはいつもの通り、皮肉気にも両の肩を竦める素振り。


「さっきの『祈り』も、耳長達から教わった通りの手法に過ぎないの」


 そしてピピからは、苦笑いにもそんな言葉が向けられる。

 その後の説明を聞くに、どうやらこれは妖精族達にとっても不明となろう、この地に根を張った当時の春先にのみ起きていた、超の付く程のレアケースとなる現象であったらしい事実が発覚する。


「そも言い伝えにある通り、我等が未だ異邦の地に在ったその頃よりも、更に昔の話だからね。その意味では妖精族(われら)だって、アレに対する姿勢としては部外者のそれなのさ」

「うっへ……そんなのにピンポイントに遭遇するって、俺どんだけ運がねぇんだよ……」

「それこそが、あの紅き童子が後始末――といった説もあるようだけれど?」


 言われ、ぐっと詰まってしまう。そこに話が飛んでしまえば、最早何でもありと言えなくもない。


 ともあれだ。こうして今回も、一つ間違えてしまえば薄氷踏み割って奈落の底へと真っ逆様――そんな破滅の道往きのみは辛うじて避ける事が出来たらしい事実に心底ほっと息を吐く。つくづく、悪運というか、妙な縁に絡まれてしまう難儀な体質となってしまったものだと思う、今日この頃であったとさ。




☆ ☆ ☆




 その日の夜更け、時分としては丑三つ時も良い所―――


「んで、どーして浄化を手ずから施した筈のあんたが、わざわざ藪をつついて蛇を出す様な真似を好んでやろうとしているんすかねぇ」


 呆れて物が言えないどころか、今言っておかないときっと俺までとばっちりを被ってしまう。そんな、どうしようもない腐れ縁に引き摺られた我が身を軽く嘆きつつ。無駄とは思いながらも蘭々と目を輝かせる、傍らの白き華奢へと尋ねてみる。


「『わたし』は常々、思っていたんだ。遥かな過去に何があったかを知る手立ては、もう我等には無いけれど」


 ここで『わたし』ときたか。

 成程それで、心配そうにしていたピピを置いてまで一人、俺のみを強引に連れてきた訳だ。


 舞台の幕へと隠された真実を識る者が限られた、本来在ってはならなかった幻夢(ゆめ)の賜物。

 それとしての自身を語る際には、敢えてその一人称を交えてみせる様になった。

 これもまた、事が終わった現在(いま)となって白さんに見られた変化の一つ。


「その通り――そして舞台と聞いて、君は今、何を連想した?」


 この期に及んでにやにやと、人の悪い笑みを浮かべてくれる。


「……つまりは、アレも。その類だと?」

「よく出来ましたっ」


 そこまで嬉しそうに褒められてしまっては、こちらとしても悪い気はしない。

 とはいえだ。どうにも、あの時の惨状を見るだにだな。


「でもなぁ……正直な所、嫌な予感しかしねぇんすけど」

「なに。我等だって、一歩でも踏み違えていれば狂気の果てに呑み込まれ、歪な舞台装置となりかねなかったんだ」


 解るだろう、と殊更に同意を得るべく、真摯な貌を向けてくる。


「だとしたら、同類足り得たかもしれないその存在とだって。話し合う機会が、もしかしたら」


 あるかもしれない。

 そうと結ぶは、古の《誓い(オース)》に冒涜され、救われない業持ってしまった、歪んだ理想の成れの果て。

 そんな言われ方をされてしまえば、今の俺には否と論ずるべき言葉を持ち得ない。つくづく痛い所を衝いてくれるひとだよ、全く。


「……あぁ。来るな、こりゃ」


 場違いにもわくわくと弾んだ感情の発露。それが向けられた先よりは、逢魔が時に味わったばかりの、あの破滅の予感を抱かせよう、不審の気配がひしひしと。


 ―――ぴちゃり。


 本日再びとなる、出来れば二度と御免被りたかったあの雫の音が夜半の静けさに波紋を打った。

 それと共に、傍らで弾んでいた筈の感情の発露はぴたりと止まる。ですよねー。


「……あれっ?」


 ―――びしゃりっ!


 ややばかり硬直した面持ちを見せる、白さんを小脇に抱えて本日都合二度目となる全力疾走の姿勢へと入った。

 真逆となろう筈の視界には既に、社で言祝ぐ祈りを受けた際に消えた距離感そのままに。更に徐々に近付きつつある、半ば崩れた四肢をぎくしゃくと大地に貼り付け追いすがる呪怨の形。


「これ……対話不能なタイプの、怪異だね?」

「だっっっっから!言ったじゃねぇか、あれ絶対無理な奴だってよぉっ!?」


 一方の白さんは後ろ向きに担がれた結果、それを直視してしまったか。

 どこか錆び付いた螺子を想わせる、ぎこちなくもぎりぎりと、引き攣った貌をこちらへと向けて、精神の一部をやられたかな平坦な口調で寝惚けた事を宣ってくれる。


 触らぬ神に祟りなし。この場合は触るの字面がきっと障る方になっていそうな、そんな破滅の予感は相も変わらずに。

 それでもと懲りずに試された白の手からの浄化の御業ではあるが。その悉くが大した障害にもならず、ぴちゃりぴちゃりと聞こえる筈のない滴る音に上塗りされるばかり。


「ひっ……ヒィッ!?らららライタッ、はやッ、はやク社にッ……!」

「わぁってる、っつぅのォ~~~!うぉおォおおおぉっ……!!」


 ―――ドドドドドドドドドッ!!


 結局のところは、夜露に濡れた柔らかい森の下生えを道産子ばりに耕し尽す勢いで絶叫しつつ突っ切った後に。

 やっぱりかとでも言わんばかりの溜息を出迎えの挨拶代わりに、社の入り口で待ち受けていたピピと共に。ガチめの涙目となった白さんによる全身全霊を以てようやく退けた事を、ここに記しておく。

 くーるー、きっとクるー。


 呪怨の文字が入ってはおりますが、どこかパニックホラーに近い伽耶子よりは、貞子の方が日本のホラーとして純粋に入り込める作者でした。

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