不貞腐れた家出犬
今回、野郎しか出てこない薔薇話、やや注意ッス。
「釣鬼先生……俺、どうしたら良いか分かんねっす……」
「またいきなりだな、おぃ?」
ある日の昼下がり。頼太が妙な事を言い出した。
春も近い温かみにこざっぱりと裾を揃えた黒髪は、心地の良いそよ風に靡かせるにはやや役不足。それが余計に、冬の寒きに取り残された心境といったものを感じさせてはいる様で。
「俺は、俺って奴はァ~~~!」
これまでも時折素っ頓狂な事を言い出す節はあったが、何やら深い迷いを抱えた素振りに縋り付いてくる鬱陶しさ。何とはなしに餓鬼な時分の世話焼き気風を呼び起こしてくれる、自らの不足を責めるかなやりきれない想いというものばかりは伝わってくるのだ。
「はぁ、しゃあねぇなお前ぇはよ」
「―――!うぉおおお釣鬼先生、あんたって奴ぁ!」
つくづく、傭兵業を廃してからというもの、自分も甘くなってしまったものだと溜息を吐いてみせる。釣鬼自身、あの軍務副総括とも馬がそれなりに合う通り、当時はもっと置かれていた環境に応じた、非情にも切り捨てる部分など持ち合わせていたものだが。
ひょっとすると、と釣鬼は思う。この微妙に目の離せない不肖な弟子から人生相談を頼られる如き、こういった自負をくすぐられるやり取りが嫌いではないのかもしれない。自他共に認める、些か枯れた部分がある釣鬼だが、こんな些細な意外性を見出せる、今の環境を存外楽しんでいるという事なのだろう。
「んで、何があったんだぃ?」
大鬼族という、全般を通して厳つい印象を持たれる種族としては努めて優しく、落ち着いた口調で問いかける。
好みの多寡こそあれはすれど、精神的に不安定にも訴えてくる相手には、親身になってその言葉に耳を傾けてやるが無難だろう。生憎と人間心理の何たるかを諳んじるには肉体的面にポイントを振りすぎている感のある我が身だが、身も世も無い素振りに頼ってくれる相手を受け止めてやる程度は出来ようものだ。
「みっ……ミチルが……」
「―――あん?」
涙と鼻水をずびずびと、温暖特有の万年広葉樹である手近な葉っぱを千切って吹き付けたかと思えば、時期尚早にも花粉症でも患ってしまったかの様子である単語を口にする頼太。
いきなり飛んだその思考に戸惑い半分。残る半分程は、あぁまたかとスンと醒めつつある、俯瞰に見下ろす自身の幻視。
「ミチルがっ、何やってもなんか、戻ってこねぇんすよぉおおおおっ!?」
「ンな事ぁ、手前で考えろいっ!」
どうしようもなく身も世も無いどころか、どこまでも身も蓋も無い話だった。
☆ ☆ ☆
先生、ひどい。
俺にとっては切実なる重大話だというのに、たった一言で切り捨ててしまわれた。これが傭兵上がりに総じて通ずる、命と隣り合わせたる環境故の非情というものかっ……!
「ちきしょオ……ミチぃールぅ……」
駄目だこいつと言わんばかりに片手を顔に当て、深い溜息と呆れた目線を向けてくれた釣鬼。それでも、ぶちぶちと零しながらも最後にはどうにか手伝いを約してくれた。やはり持つべきものは仲間であり、頼りになる先生だよね……。
「鬱陶しいケモオタに纏わりつかれるのもいい加減面倒臭ぇし、そうと決まったらさっさと捕まえんぞ」
「サーイエッサー!」
気概も新たに、敬礼一つ。この際少々刺さる小言などは二の次だ。
今この場にて肝要たるは愛犬の帰還ッ、その為にならばこの魂、堕天使にだろうと売り渡してみせようともっ!
尚、その旨を篤き語りに某御使いへと訴え出たところ、まるっきり莫迦へと向けるような白けた意識を感じたその後に。現在進行形での心の既読スルーという、惨い仕打ちを受けてしまったらしき事実が発覚した。解せぬ。
「んで、お前ぇは戻ってこねぇっつってたがよ。その言い方じゃあ、見つからねぇって訳じゃねぇんだろ?」
「そりゃもう。どうやらミチルもここんとこ焦れてきているらしくってね、森の中をぶらついたりすると割と……ほら、あんな感じに付いてくるんすよ」
言ってる間にも、散策する俺達のやや斜め後方よりは、いじけた風ながらもそれなりに疼いた好奇心が隠せない様な、もやっとした感情の発露。俺一人で歩いている際よりも気持ち距離を多めに取っている辺り、釣鬼対策としての彼我の速度差をもしっかりと把握した、飼い犬出自のミチルらしい頭脳プレイの賜物と言えようね。
「……お前ぇ」
「どやぁ」
ふふ。この俺のモフ愛を舐めてもらっちゃあ、困りますね。その程度の呆れなぞ、我が修羅道の前ではむしろご褒美に近しきものよっ!
「……まぁ、今は困る事でもねぇし。構わねぇか」
得意気を晒す俺に愛想をつかしたらしく、こめかみをぽりぽりと掻いた釣鬼は何気ない風に問いかけてくる。教え込んだ対動物捕獲のイロハは、忘れてはいないだろうなと。
「合点承知の助でさ!」
言うなり無形の鎧を形成し、気持ち尻尾を振りながらミチルの居場所に向けて一直線。
と、一歩目を踏み出す前に尻尾を掴まれ逆方向へと投げ落とされた。
「ふぐぉ!?」
「お前ぇの、頭は、脳筋族以下か?」
掴んだ手の皮が灼ける焦げ臭さを背景に、何気に自虐で押し込んでくるガチ怖めの据わった眼よりのお供には、ぷっくり膨らむ青筋が左右に一本ずつ。せめて、せめてっ……俺なりに考え抜いた独自性というものに耳を傾けて、欲しいんだッ!
「言ってみろぃ」
「なんか無貌の影響からか無形の鎧が女体化しちゃったみたいなんで、犬っぽい形状にすれば雄なミチルが引っかかるんじゃないかなって」
久々に脳天直撃の回避不能防御無視な鉄拳を叩き込まれた。
「ぬふぅ……」
「阿呆か手前はっ!?そもそも目の前であんな目立つ変身をされた日にゃあ、突撃狂の狂乱牛だって警戒して迂回するっつぅの!」
痛みに若干正気を取り戻した頭でお叱りの言葉を反芻する。成程ご尤も。
次いで、今の無形の鎧を纏った自身を改めて見下ろしてみる。
以前はあれ程に禍々しくも剥き出しの骨が外部骨格然とした凶悪な魔獣といった印象のフォルムであった無形の鎧。ではあるが、現在は心なしトゲトゲしい部分が減って流線形の部分が増えたというか、漆黒に染められた胸部と腰回りなどは明らかに妙な曲線が目立つ形状へと変化をしていたんだ。
「大体お前ぇ、ミチルが居なけりゃそいつを纏えなかったんじゃなかったんかぃ」
「その筈だったんだけどな……どうも、この前から出来る様になっちゃってさ」
「何だそりゃ」
本来、狗神が邪霊たるその本質を利用して、瘴気を鎧として利用できないか、と夏の帰郷時に幻想世界で実験しまくった結果の延長が、この無形の鎧の成り立ちだ。
帝国の地へと足を踏み入れてからというもの、必要に狩られて使う機会も圧倒的に増えて、今では魔爪の出し入れ等々、先端部分のちょっとした形態変化程度や緊急時のスムーズな着脱などは相当に慣れてきた様にも思える。
「多分だけど、これな。あの夜に『影』が使ってた、無貌の女神ヴァージョンの魔気による鎧なんじゃないか?」
「ほ~ん。そりゃ、また随分とけったいな話だな」
その見解を聞いた釣鬼先生、先程までの不機嫌もすっかり忘れた様子で興味津々にも唸り始めてしまう。俺もまさか、自身の身体に影達の記憶がフィードバックされたというだけで、自前でも無形の鎧が創り出せる様になるとは思わなんだ。
とはいえこの事実そのものは、今のところは利便性の意味では利点以外の何物でもない。特に俺達のような、何かと経費で落ちない出費が多い稼業の場合、先立つものや日々のメンテナンスが不要な全身鎧というだけで、相当なアドバンテージではあるからな。素直に有り難い。
「にしても、なぁ」
「ノーコメ」
釣鬼先生の目に胡散臭げな光が混じり始めた所で、無駄とは思いつつも先んじて制してみる。
「それ、サイズこそ桁が違ぇけどよ。あん時に御使いの姐さんが模していた形に、そっくりなんだよなぁ」
「言わんといて……」
無駄でした。
と、ともあれだ。
俺自身は幻夢の彼方に見た覚えしかないものではあるものの、そうと指摘をされてみればそのものとしか思えない程度には、『あの時』のリセリーが象っていた形状まんま、瓜二つ。言わば、これこそが半身であり、今や俺の裡へと宿り詰まったあいつの魔気の鎧の、正当な形状という事なのだろう。
「まっ、それは置いといてだ。帝国に入ってからといもの、俺っちもろくすっぽ修行を見れてなかったからか……基本が、すっかり抜けちまってんな?」
「ぅぐっ」
じとり、と睨め付けてくる、釣鬼先生のプレッシャー。
しゅるしゅるすぽんと無形の鎧(無貌ver)を裡に仕舞い込んだ俺は、修行のし直しだとの宣言にデンスの森の頃を思い返しつつ、約一年ぶりとなるサバイバル訓練に勤しむ羽目になるのであった。
☆ ☆ ☆
【いぬのきもち】
Case1:
まずは仕切り直しと言う事で公園広場へと戻った後に、対動物捕獲の一環として、野生を残す動物全般の心理状態のおさらいから始めるくだりとなった。
なお、先の変身を目の当たりにして更なる警戒を見せていたミチルの気配だが、いつもとは別角度のアプローチであったが為か、どうやら好奇心の方が勝ってしまった様子。今も森の中から興味半分不貞腐れ半分といった、ぱっとしない感情の靄っぽいものを向けられている真っ最中だ。
「元は飼い犬とはいえ、向かって来る訳でもねぇ四足獣に対して真正面から突っ込むなんざ下の下ってモンだ」
基本、四足獣の類はその身体的形状から、走る事に特化している傾向が強い。
短距離、長距離、または一撃必殺となろう急襲と、用途に応じて細分化をしていくものの、総じて追われる立場となった場合には、身の危険を察知して反射的に逃げ出してしまうものなのだという。
「中でも狼を祖にすると言われる犬は、猫科のそれに比べて持久力に優れる長距離走が得意だからよ。一度距離を離されちまえば、余程の基礎速度の差でもねぇ限りはまず逃げられると思っていい」
「あぁ、それは解るな」
実際俺も、負けん気の強かった子供時代にミチルと張り合った事も多々あったが、全盛期を過ぎたシニア盛りな頃のあいつにさえ、ついぞ競走勝負で勝てた試しはなかった。それ程に、走る事に特化している狼類縁相手には、近距離での短期決戦でなければ勝ち目はないものだ。
「つぅ訳でだ。参考人、つぅかこの場合は参考犬として、ピコを借りてきた」
「わふぅ」
「ありがてぇ!」
そしていつもながらの苦労犬ポジ、すまねぇピコ!
悪びれも無しにピコの首根っこを掴む釣鬼先生。イヌ科の皮はネコ科のそれと比べて硬いから、まだ種としては子供とはいえ超大型犬並の身体を持つピコにその処遇はきついものがあるとも思うのだが。
「その辺りは犬を飼っていたからか、よく分かってんじゃねぇか」
「わひぃ……」
多少は機嫌も上がり調子になってきたのか、にかっと快活な笑みを浮かべてはピコの首根っこを離した掌でそのままべしべしと背中を叩き始める。大鬼族の中では小柄とはいえ、軽く身長2mを超すながら筋肉質に見えようその筋量からの平手打ち連打は、流石のピコでもダメージが入っているレベルじゃなかろうか。
「ごめんなー、ピコ。こんな事もあろうかと思って熟成技術を磨いておいた、猪肉ジャーキーの試作第五号をくれてやるから、勘弁してくれなー」
「わんっ!はふはふっ」
「お前ぇは本当、そういう部分だけは気が利くよな……っと、ほれ一丁あがり」
「ギャヒンッ!?」
「先生ぐっじょぶ!」
ピコへの餌付けを満喫していたところ、いつの間にやら近くまで来ていたらしきミチルがあっさりと先生の手により捕獲された。この辺りの機微は流石、長年を大デンスの管理人として研鑽を積んでいた釣鬼だと思う。
「とまぁ、今回のは群棲を好む犬類特有の気質と、あとはピコも呼んでの「何かをやっている」のを見せる事による、思考を得意とする犬種に対する好奇心を利用した仕留め方ってやつだな」
先のピコと同様の首根っこを引っ掴まれたミチルには同情するものの、先生の説明パートも始まった事であるし、もう少し落ち着くまでの間を人に近しいものとして、ここで猫との対比でも挙げてみるとしよう。
真正面から追いかけてしまう、という愚の前には、やはり二足と四足といった絶対的な隔たりの前に同様の結果が見られてしまうのは否めない。
対照的に、追いかけるのではなく捕まえる為に必要な「追い込む」行為に帰結するものとして、犬は猫のそれに比べ、本能よりも能動的な思考の側へと重きを置いている節がある。
特に生前のミチルの犬種であったドーベルマン等、中型犬以上ともなると頭脳も相応に発達し、どちらかと言えば本能よりも自律的な思考行動を優先するのは犬を飼っている皆様方としても大いに同意出来るところであろう。
「捕獲あざっす!」
得意気に語る釣鬼先生より、逃れようともがき続けるミチルを受け取ろうとする。と、すいっとその手を下げられて、そのまま無情にも開かれた、掌。
「ぎゃひんぎゃひん!」
「みっ、ミチルぅ~~~!?」
このクソ外道ッ!感動の再開に水を差すその行為、たとえ世間の大半が許そうとも度し難い!
「さっきも言ったろうが。これは、お前ぇの鈍り切ったサバイバル技能再訓練の一環だってよ」
しかしながら、返されたのは至極真っ当にも冷たい視線と底冷えのする声色。どうやら先生、今日は本気で俺を鍛え直すつもりらしい。
Case2:
今度は違う方面からのアプローチで捕まえてみろとのお達しに、頭を悩ませること小一時間。
手持無沙汰に懐から小道具一式を取り出しピコのブラッシングをしていたら、ほんわかした空気に誘われたらしいニケとパピヨンの何人かがふよふよふわふわと漂って来た。
「きーすさまー。にけもー」
「ピィ!ピピッ!」
おーよしよし、この際だ。君達にも徹底したブラッシング技能を駆使しちゃって、さらっさらのキューティヘアに整えてあげようとも。
「……やる気があんのか?手前はよ」
「ぎっ、ギブギブギブッ!」
ついでに言えば、最後尾にはミチルも紛れ込んでいた。これ、ブチ切れた先生がアイアンクロウをかましてくれなければ、そのままブラッシング捕獲が出来ていたんじゃあるまいか……。
Case3:
「次は、真面目にやりやがれよ」
「うへーい」
気の抜けた返事にこめかみの一筋が更に気持ちぷっくりと膨らんで見せる釣鬼先生。
しかしながら、テイク2での結果から持ち得た持論としての、四足獣相手ではなく飼い犬としてのミチルという個体へ対する効果検証を力説してみたところ、ならばやってみろとのお達しを受ける事に。
「いいすか?野生環境であれば確かに、先生の言う通りにピコ……は論外として、例えばこいつの親であるギア辺りには通ずる『厳しい自然環境の中で危険にいち早く気づき、身を守ること』を基準とした行動心理を主とするとは思うんすよ」
「わひぃ!?」
「つまりは、お前ぇはその逆に人と共に在る環境で育った、こいつみてぇな『飼い犬としての心理』に焦点を当てて、ミチルに適用させようって肚なのかぃ」
「がうがうっ!」
そろそろ夕餉も近い時分の関係上、この際ピコの言葉にならない反論は事が終わった後に受け付けるとしてだ。こうして最後の締めとなる、ミチル回収へと向けた試みが始まった。
その、中身とは―――
「良ぉお~しッ!よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし」
「……わふ」
ミチルはっ!俺がこの半生で唯一飼って、最期を迎えるその日に看取るまでを共に過ごした、心の相棒ッッッ!
つまりは、こうして兄貴分でもあるピコをこれ見よがしにかいぐりかいぐり可愛がってみせればっ!
「ぐるるる……」
「ほらっ、こいつならきっと、飼い主である俺の前へと現われてくれると思っていたよッ!!」
くうッ!分かっちゃいたけど、この忠心。こんな俺なんぞには勿体なくって、感動で涙ちょちょ切れてしまうんだぜ……!
「……そろそろ俺っち達は、避難しとくかぃ」
「わひん……」
おや、ピコ君。何故に急に余所余所しい態度を取ってくれるのかね?ぼかぁ、君のその実に撫で応えのあるもッフい金毛だって、そりゃあミチルとは比べるに難いものではあるけれど、希少価値かつ日々の幸福の象徴として、見ているのだよ。
あぁ、もう涙で目の前が薄らぼらけてしまった……でもね、愛する忠犬が目の前へと進み出でてくる気配ばかりは、気付かぬ筈もないだろう?
だからおいでよ、愛しきミチル。そしてここ暫しを離れていた寂寥感というものを、互いに埋めて、心に溢るる温かみを分かち合おうじゃあないかっ。
「さぁッ!この胸に飛び込んでこい、ミチルぅ~~~!」
「がうがうがうがうっ!!」
しかしてこの日、勘違い野郎と嫉妬犬によるすれ違いも良い所な絶叫コンボのオンパレードが公園広場の隅々までへと響き渡る事となる。
げに忌避するべきは主観に想い縛られてしまった、思い込みの裏返しか。
よくよく考えてみなくとも、元はと言えばその裡にどこかの残滓がぎっちぎちに詰まってしまった、飼い主へ対する嫉妬から来る不貞腐れが故の家出なのだもの。そんな本犬を蔑ろにしてこれ見よがしに楽しんだり、ましてやその妬心を膨らませる真似なんぞをしてしまったら、身から出た錆、撒いた種。インガオホー(半角)とはよく言ったもので、ありまして―――
結局、思いついたネタは長文化にも程があるんで別途新たなテーマとして一話作成する事に。
その穴埋めにモフスキー要素強めにしたら、収拾が付かなくなってもーた_(:3 」∠)_




