白の篇⑱-褪せた彩のトッカータ:前編-
「ふ、ふふっ……地に這いずる、小虫共の分際で……」
ただ零された、抑揚も薄いその一言に。
―――ぞくんっ。
刹那に圧し潰すかな、限りなくも沸き上がる怖気。絶望感とも言い換えられようそれを前に、対峙を余儀なくされた者達は一足飛びに距離を置く。
「どこまでも、舐めた真似をしてくれる」
次の瞬間、立っていた床はこそぎ取られ、消失した。
膨大なる黒鎖の群れ――と評するが最も近く、然るにそれは決して物質的な鎖たりえない。
それが証に黒鎖が通り抜けた、その中途。名のある職人の手製が窺われよう、木目も艶やかに組み上げられたテーブルには傷の一つも付く事は無く。それでいて、艶がかる作り手の息吹ばかりが目に見えて萎れた風に萎び、崩れ落ちていく。
「なん、だっ!?これはっ!」
「この怖気、知らぬ筈もないだろう?君があの夜に断ち割り果てた、無貌が妄執――その、再来さ」
だからこその、二代目だ―――
抑揚高くも繰り返された、揶揄交じりの断定調。貌は白亜の向こうに閉ざされ俯き加減ながら、それでも何故かとろりと滴り落ちて見える、微笑みは……者者に喩えようもない震えを呼び起こさせる。
「うわ、それを堂々と言ってのけちゃいますか」
それが舞い降りた場よりじわじわと虫食み始める、不可視の何か。
凡そ生持つどんな存在であれ、負の側へと誘うであろう魔の極地。その支配域を広げていくその最中、場違いにもひょっこりと首を覗かせるのは翠の娘。白虎の一撃を受けた事実などおくびにも見せずに、どこかおちゃらけた雰囲気のままにそう零す。
「流石は先代の大神官!主を失って尚ここまでしぶとく気概を保ち、あまつさえ我等へ立ち向かおうとは、手強いですっ」
「ミーア」
「はひっ!?」
余計な事を言うなとばかりにぴしゃりと打たれる、端な言葉。震え上がった風に直立不動の姿勢を余儀なくされる翠の娘ではあれども、受ける印象としてはその一部始終さえもがどこか喜劇的。
ぽそりと呟かれるその声が、仮に独りであったとしたら―――
短き響きに含まれる、苛立ちさえもが人智を逸して見えたろう―――
「なん、っだ。ここはっ!?」
場違いにも、ほんの僅かに見惚れてしまった一瞬の綻びを衝いて。視界がぐるりと反転する。
向こうに佇む朧な姿よりは依然として垂れ流される、身震いする怖気。今にも圧し潰されそうで、こうして立っていられるのが不思議な位。場へと充たされつつある気配は圧倒的で、叶う事なら今すぐにでも逃げたしたい、と相対する者達に弱音を吐かせよう程に場の支配権を確立しつつあった。
だがしかし。それよりも何よりも、だ―――
辺りは時が止まったかのように、我等を中心として半壊した外務省をまるまる包み込む、セピア調にかすれた色模様。何気も無しにあっさりと切り取られた日常の一コマという、その事実こそに総身が怖気を訴えてくる。真に震え上がるべくは、現実を侵して食らい続ける、この異常事態だと。
「極まれば時空間をも侵食すると伝えられる、時空系魔法」
「こんな時に何を言って……時空、だと……?」
不意に口を衝いて出た、貌無き面を被った不明の本質。横手よりの訝しげな合いの手は、その中途に言葉を濁し、何かを察したよう。
「古きは過去の賢人達もが辿り着く事叶わなかった、物質転送陣――」
「……まさか」
旧王国の滅亡。その泥沼な移り変わりを間近にし、魔導系魔法への不信も長らく根強かったここ帝国の地。さりとて今ここに並び立つ虎の雄は、元は冒険者として大陸各地へと足を運んだ見分故に、辿り着く。
「――近しくは、長きの研究の末にようやく仮実用へ漕ぎ着けたと云われる、簡易収納術の賜物」
興味も強い幼子へと御伽話を読んで聞かせるかの如く、傷だらけの白き半霊体は口ずさむ。数多な時空系魔法による恩恵。その効果の基となった、異能を得意とする存在についての考証を。
「―――」
帝都の地に足を踏み入れたあの日に感じたそれと同質の、人ならざるモノが証。
―――異界化現象。
仮に目の前の現実を、遥かな異邦に住まう愉快ながらも憎めない霊狐達が目の当たりにしたとすればだ。揃って食傷気味な面持ちを晒すと共に、そう零しただろう。
それを齎した張本人は至って涼やか貌を白亜の仮面へと貼り付けて。先程よりは幾分落ち着いた風にも見え、余裕の証だろうか。斜に構えて腕組み佇み、こちらの出方を窺っている様にも見える。
「あれこそが、狂い狐が語っていた、真実なのか……?」
人ならぬ異形の残滓。この短い時間で見せた異能の数々……そして極めつけにお披露目をしてくれた、皮一つ向こうへと繋がる、狭間の可能性。
惜しげもなしに人智を超えたる証を見せ付けてくるというのに、その一方では何故、と思わせる。ものが、ある。
「最近のお前は、魂までをも捧げた下僕である自覚に薄いのではないかと、ワタシは思うのよ」
「ぁひィんッ!?ちょ、ちょちょちょっ!今、戦闘中!それどころじゃないと、思うのですけどぉっ!?」
「……元はと言えば?お前が妙な色気を出した結果、アレを覚醒させてしまって、挙句に本来辿るべき筋道への誘導をしくじったのが原因だったと思うのだけれど?」
「だだだってっ!まさか慣れない観測から帰ってきた直後のへろへろなタイミングで、よりにもよって無貌殺しと偶然たまたまはち遭うなんて!予想も付かないじゃないですかっ!?」
その輪郭も薄ぼらけたままに始まる、本末転倒な即興劇。そのやり取りにちらほらと入り込んでくる、笑うに笑えない重大な告白の数々。今、こいつらは何と言った……?
《……今コソ、当時ノオ前ガ●●タ……》
――また……この、声が――
「……う?」
「グルゥ……どうした?」
――、―――、―――。
きこえない。わからない。ぼくは、なにを、して―――
きゅうにぼうっとしてしまったあたまを、ひっしにひねっておもいだそう。
えぇと……axa,ソうだった。
――そうだ。どうして鬼気迫った筈のこの場で、そんな場違いにも垣間見せてくる。背なの獣毛を逆立てた虎の雄にして抱かせよう、ほんの一抹ばかりの心和ましき名残よ。
「だからといって、あれが規模こそ小さきながら天変地異と同等の類である事実は変わらない。心して、かか《だまれ》――」
異常の中に生きる、平常。あるいは日常の中へと隠れ潜む、非日常。それが未だ表舞台へと姿を見せようともしない、不可思議さ――《否、違う。今この状況こそが――不可思議極まりない》
「ぅ…《くっ》……」
いつだって《いつだって》。思考を続ける者にとって脅威となるのは《おまえこそが》、理解の届かぬ行動※理。
それが不気味にさえ映り《どうして?》、逞しくも膨らませるは不明な事実を補って余りある《補うまでもない》、智&を生み出す根幹たる想像力《いいや、この不可思議こそが現実》だ。
結果としてここで膝折り●しようとも《屈したからこそ、現実がある》。そんな彼等の《我の》選択を非難する事など出来やしない《邪魔など、させるものか》。
それ程に《それ程に》、人の精神がその身へ齎す影響は、大き《くて、でもそれだけ》い。
「おいっ!?」
「流石に、君の一撃が駄目押しとなってしま《ウ、あァ……?》ッタらシ@」
矛盾を孕ンだ現象ガ、人間達の領域の象徴とモ言えるこの帝都の一角へと惜**もな%姿を晒s。そんな出鱈目の切欠となった白き名残は、既に死ニテイ。
超常Trう存在Wo、自らの矛盾を――わ、れ――ぶつけ日常の狭間へと==ぼ、ク?==強引に引き摺り出+・代償。故に彼等も先人達の轍を踏み、満身創痍に今度こそ……尽き果t)”:}}
『貴様は、それで良いのかッ!?』
―――混濁していた、もの語りが。すぱんと切られる、音がした。
「な、んだ……今の、いや――まさか」
どこかで聞いた、終わりの前の絶叫。
否、どこかで覗いた……思い返したくもない悪夢だ。
「ボル、ドォ……きみ、か?」
はっと振り向いた。自らの内容物を地に宙に撒き散らしたまま届かぬ想いを切に訴える、あの悪夢が片鱗は既に消え失せて。大小無数の傷を負いながらも総身は活力に満ち溢れる、白虎の姿がそこには在った。
「何の話をしている?それよりも、本当に大丈夫か!?」
あの時、血に塗れて地に伏せるまで、ずっと語りかけてくれた。
目先を覆ってしまった絶望に振り回された我へと、届かぬ声を最期まで届けようと――してくれた。
「まさか本当に、こんな処で終わるなんて言うつもりじゃなかろうな!」
―――語気は荒くも、渋面に湛えるは過ぎたるまでの愁い。白きを支える今の相棒でさえ、そう受け止めたことだろう―――
「――ふ、くくっ……なるほど、な」
またしても思考を上塗りするべく流れ出してくる、何処かよりの不快な雑音。
束の間に視てしまった、今の我では到底知り得る筈のない、陰惨たる結末の絵図。
良いだろう。お前達がそのつもりなら、その思惑に乗ってやる。
―――ましてや晴れてきた土煙の向こうより、欺かれた憤りの中にも未だ余裕の表れを見せる、悠然と佇むモノ達などは語るべくも―――
「――なに。君の影響力だって、そう捨てたものではないさ」
「お、おい……?」
―――今にモ消え入りそうな灯火へt――《もう、そんなものは要らない》
繰り返される、絡繰り仕掛けのメッセージ。どんな仕組みでそれが成り立っているかなど、興味の埒外。元よりそれが効果を発揮し得るのは、確固たる現実味を帯びた領域のみ。それだけが分かれば今は十分だ。
「《もう、駄目だ……終わり、だって?》」
音叉の要領で音を介し、機械的に垂れ流されゆく台本を上塗りする。
これもまた、確固たる礎が築かれた場では、良い処が認識の誤誘導を果たすのみ。身を取り巻く精霊達へと「お願い」して、聞く者達に芝居がかった物腰を魅せるが精々。
「ふふん――《馬鹿なっ!?お前は間違いなく、絶望に染まりきっていた……筈なのにッ!》」
果たして思惑通り、というべきか。一際はっきりとせせら嗤ってくれた後に、相対するモノは手法も同じく再現し、そう返してくる。
何を考えているかも分からない、悍ましさばかりが目立つ印象ではあったが。中々どうして、話が分かるじゃあないか?二代目よ。
「《今更、この我が――》いや、こればかりは自らの口で語るとしよう――そんな聞き分けも良く引き下がるとでも、思っていたのか?」
「でしたらこちらは望まぬ役割ながら、にっくき敵役を全うしましょうか――《ワタシの眼は、誤魔化せない……今にも消え去り果てゆくその襤褸な躰で、今更何を出来るというッ!》」
そうだな。今や我も曖昧な残り滓となってまで、ここまでの舞台を誂えてくれた。我が一時の主への感謝を込めて。
思えば物心を覚えてこの方、諦観も、絶望も、慟哭さえも味わい尽した。挙句が今に再び目覚めた後の、道化に据えられた不出来な滑稽劇に、未だ見果てぬ筈であった悪夢まで。
「時代遅れの老成を、あまり舐めるなッ!変わるを知らぬ、固定化された現象風情がッ!!」
ここまでを付き合ってくれた、物好きに過ぎる異形へと幾許かの感謝を。
せめてもの敬意と共に、侮蔑の極みに吐き捨てた我が口上。しかるに無貌たる仮面へ覆われた筈の貌は、にたりと大きな裂け目を見せる。
「蚊蚊と小うるさい羽虫の分際で、よく言ったッ!ミーアッ、準備をなさい!」
「はいなっ!」
今にも消え入りそうなこの灯火。精一杯に希望の微風を凪ぎ戦がせて。
迷えぬ異質を背負っていた往年の身体は今や、形もあやふやに現実を揺蕩う迷い鳥。
それでも今この場のみは、長年の柵を断ち切ってでも厳に昂り、踊り狂おう。
「遅れるなよ、ボルドォッ!」
「何を言っているか分からん!後できっちりと説明はして貰うからなッ!!」
我等は終わりを知って尚、諦めきれない足掻く者たち。
いざ、昂る情熱を走句に乗せて、追悼の儀式を始めよう―――
踊って、踊って、踊り狂えよ。観客たち―――
次回かその次辺りで白の篇としては終わります。




