白の篇⑮-歯車は動き出す-
思わせぶりにも段取り誂えられた、其の舞台が公称は帝国外務省。
その名の通り、外務を司る旗振りとしての役目を担う、政務分野の一拠点だ。
―――ふぅ。
一拍置いての溜息一つ。最上級の拵えに座り心地は上等ながら、醸されるは曖昧にも愁いを湛え、やはり居心地悪そげに身じろいで。
「当時から常々、思っていたのだけれど」
「言うな……」
通された応接の一部屋、来客用のソファには三名程の訪問者達が腰を下ろしていた。
内二人は取り揃えられたかな白を持つ。片や、町娘風の衣服へと袖を通した白き小柄。片や、纏う色は同じくしながら荒々しき活力を総身に抱き、獣人としての特徴を各部に宿す毛深き大男。
「この国の皇族達は、凡そ危機管理意識といったものに欠けるのではないかな?」
「お蔭でオレ達が、こうして苦労をさせられるんだっ!」
肚に溜まったものを無理繰り吐き出す様に、絞り出される切ない小声。それ一つを取ってみても、この虎人族の気苦労、察するに余りあろう。
その気苦労の本を辿っていけば切りがない。元来の無愛想ながら面倒見の良さは言うまでもなく、長年の慣れぬ隊長職を勤めるにあたり、その気質が妙な方向へと開花してしまった現実然り。
あるいは本人は自覚をしていないらしきながら、ある冬の夜に囚われてしまったであろう、超常たる禁忌との接点然りか。
「つくづく……関わった全てを、狂わせてくれる」
「何の、話だ?」
詮無き事と首を振り、今この舞台に訪れた現実へと目を向ける。
目下のお目当てである会談の相手、この帝国の今を担う皇族が一と聞いてはいるが。何れにせよ、その相手がここ外務省へと到着するまでには、今少しばかりの猶予があるらしい。
―――その、猶予こそが。宿した狂気が膨れ上がるには御誂え向きな土壌。
「どうした?」
「……っ」
束の間の白昼夢。戦場に於ける、心の隙間を抉る行為。あの時の、あいつは。あの子を喪わせてしまった、その要因たる、おまえは。
最早止めるにも難き、こみ上げてくるもの。それを人は、嘆きと呼ぶ。
波濤万里を渡った果てに、今やこの帝都の地にたった独り。違う、そうじゃない。我はあの子を取り戻す、為に――どうして、こんな事に―――
いっそ狂ってしまえれば、どんなにか楽だったろう。そんな淀んだうねりに呑まれかけ、夢現の境界さえもが怪しくなる。
虎の雄をして身近なる異形の瘧に身を強張らせ、怖気る躰が衝動を押し留めたのは意外にも。
「どうして、俺っちがこんな目に……」
如何にも気落ちした素振りでぽつりと零す、最後の一人。上背に湛える厚みは先の虎人族に匹敵しよう逞しき巨体を誇り、それに比すれば小ぶりと言えよう二つ角。この特徴には、当時の戦乱の最中にも見覚えがある。
大鬼族。過去にはその威容から人喰い鬼とまで揶揄をされ、その陰では同時に恐ろしくまでも高い身体能力、そして鬼としての闘争本能を最も強く受け継いだ戦士と怖れられていた種族。
過去に流れていた無責任な風聞、それを思い返した我の眼前には何の冗談か。執事然とした黒装束が窮屈そうに身を縛り、その威容を大分和らげたオーガの若者。肉厚な肩を小さく窄めて、とんだ貧乏籤を引かされたとばかりに恨めしげにも虚ろに眼を彷徨わせていた。
―――何故。
我が抱いてしまった、後戻りの出来ないどろりとした衝動は。そんな軽い言葉で、止められるようなものでは、なかったのに。今もその身より滲み出してくる、ほんの微かな翠の残り香に惹かれて……やまないんだ。
「釣鬼、だったか」
「あいつの面でンな真面目に話されっと、何だか妙な気分だなぃ」
がりがりと遣る瀬無い風にその禿頭を掻いて、残る腕は膝掛け斜に腰掛ける。
とみに主張されるは、この男なりの腹立ち紛れ。すぐにそうと気付く事が出来ない程度には、余裕と言えようものは残されては、いなくって。
あの子の現状を識ってしまった今、こうしてのんびりと構えている暇は無い。一刻も早くこの帝都を発ち、何を置いてもあの子を留めるべく動かなければならないというのに。
(この、男さえ。居なければ)
居心地悪げに身じろぎ捩ぐ、虎男。そのくせ目の前で我等を見張るオーガに対しては強い警戒を抱いたまま、何かを護る様に構える。そんなお人好しより向けられた視線の先の庇護対象など、態々口にするまでもない。
心の渇きに応じて合わせ、我が身に残されたあの狂神が名残もまた、既に立つ事も出来ない程に萎びて零れ落ちていく。
淀んだ憤激を映すかな真っ紅に染まった視界と共に。この意は知らず、懐に入り込んだ位置からは無防備となったその喉笛へ。
精霊達を纏め上げよう、呼びかける生来の能力は絶えて久しく、引き換えに得た神力さえもが風前の灯火。だから、やるとすれば今をおいて他は、ない。
―――だと、いうのに。
《誰かに、止めてもらいたい。そう、思ってしまったのでしょう?》
不意に囁き込んでくる、異質なる意思。否、それはあるいは――遺志とも呼べようべきもので。
今にも喉笛へと喰らい付かんとしていた我を識り、弾ける様に意識を逸らす。その視線の先には偶然にも……この言い様もまた否、なのだろうな。
「姫さんは一足先に妖精郷への下見に行っちまうし、扶祢の奴ぁ公儀の代行。アトフの旦那にまで頼み込まれちゃあ仕方がねぇとはいえ、こんな姿形を連中に見られた日にゃあ反応が目に見えてらぁな」
どこまでもご丁寧に、誂えられた日常。ささくれ立って痩せ細まって、罅の入った心の隙間は偽りの充実感に置き換えられる。
「だからよ、悪ぃがもうちっとだけ待ってくんな。今こうして待たせてくれるあちらさんは、何でもやるべき大掃除が残ってるとかって話らしいぜ」
「大掃除、だと……?」
果たしてそれを偽りと断じる資格が、今の我にはあるのだろうか。
漏れ出てしまった毒牙に気付かぬ筈もあるまいに、ボルドォは未だ見据えるオーガの視線より我を庇う姿勢を見せる。
たかだか一日二日の接点に、どうしてこうも親身にしてくれる。本来であれば君だって、帝国軍に属する者の矜持を以て事にあたっていた。その結末たるあの血塗られた真実は、この我自身が視てしまったんだ。
「言いたい事があれば、聞こう」
心は意に反せども、想いにこそ忠実に。
渦巻く心の裡を正確に見て取ったであろうボルドォよりは、告解とも取れる響き。
「あの夜にオレが破壊した偶像。それこそが、貴様の求めていた無貌の女神……なのだろう?」
だとすれば、貴様にはオレを仇とする権利がある――こいつは、馬鹿正直にもそれを言ってのけた。
思いがけずも対するを強いられてしまった、この我は。紅く染まった視界は先触れも無しに、端よりその彩が消えていく。
「急に、そんな事を言われてもな」
それだけを返すが精一杯だった。
傍らには、鬼扮する執事姿による醒めた目付き。
今この場には、互いの立ち位置を再認識してしまった、相容れぬ者同士による対峙の情景。
「そう、か」
「あぁ、そうさ――言葉を交わす時期は、もう過ぎた」
唐突ながら血に濡れたあの時を再現すべく、ここに再演の準備は整った。
事ここに至っては、今後を見据えた会談など目もくれる道理はない。あの子を見喪わせてしまった、復讐相手がここに居る。我は、ただあの場面を再現してやればいい。
あの時に道が分かたれてしまった、その選択の報いが今ここに訪れた。ただそれだけの、取るに足らない八つ当たりでしかないのだから。
「馬鹿な……貴様は、自身を精霊力など持たない残り滓だと……」
大地の底よりは、床下を突き抜け襲い来る大理石の数々。言葉を返してやる義理は無い。
「そう。我に残されたのは、今にも消えかけたこの僅かな神力のみさ」
中空からは窓枠を突き破って吹き荒ぶ、冬の寒きを含んだ暴風。だからこれは、あくまでただの独り言。
ちらと視線を移ろえば、音も立てずに部屋の隅への避難を終えたオーガの姿。我等の仲違いに首を突っ込むつもりはさらさらないらしい。認識の端へと置くに留め、にっくき虎の雄へと凄惨と言えよう笑顔を湛えて向き直る。
「さぁ、あの舞台と同じく。血濡れの君を再現して、この心の瘧を洗い流すとでもしようか?」
「き、さまは……」
あるいは、君があの像を貫いた時の様に――いっそのこと―――
こんな時に不仕付けとも言えようが。一つ、告白しよう。
我はこの不自由にも不器用な白虎を、気に入ってしまっている。
同時に、あの子との縁をより戻す鍵であった、神霊機構を消し去る原因ともなったこの男を、どうしても赦せない。
「だから、一つの賭けをしよう」
「賭け、だと?」
そう、訝しげに目を細めるボルドォの顔は一際大きな唸り声と共に。見るも懐かしき戦士のそれへと変貌を果たしていた。
何もかもが手遅れとなってしまった、この短き旅路の中で。我が感じたどうしようもない違和感。それを塗り潰さんとする、隠れた異形の数々に。
たとえその結果が無為に終わろうとも、このまま敷かれたレールに流されるばかりの結末には、どうしても納得がいかない。手の届かない安全な場所から、我等の葛藤を見て何が楽しい。
だから、これは本来駆けさえ成立しないであろう、賭け率も崩れた一つの暴挙。
我が身を粗末な掛け金に見立て、それを暴いてみせようじゃあないか!
書き繋げ作戦、失敗。ようやっと盛り上がる場面にまで辿り着けたんで、このまま勢いに任せていきたいものです。
その他日程などにつきましてはページ右上の作者名リンクより、活動報告などご参照下さいましm(_ _)m




