白の篇⑬-次なる標-
次への標を示したジェラルド将軍が次の予定に追われてギルドを去り、我等もまた陽の傾いてきた時分の往来へと足を踏み出したのが一刻ばかり前のこと。
この帝都では標準的な服装と言える人族用の子供服へと身を包み、連れ添われて歩くこの目に飛び込んでくるのは、整然ながらも賑やかな街並み。抱えた業を俄かに忘れさせてくれる落ち着いた活気に、知らず朗らかな面持ちとなる、そんなゆったりとした時間。
―――で、あった筈なのだが。
『これは、どういったつもりだい?』
立つ瀬の岐路となったのは、西の商店街を抜けて中央区域を東へと向かう曲がり角。先触れもない身の異変に隣を歩くボルドォが即座に反応し、変異も最中の物陰へと横っ飛び。後に聞く然るべき処置とやらを施された後に、首を曳かれる一定方向への誘導のままに再び往来へと姿を現したのがつい先程の話となる。
「仕様がなかろうがっ!」
分かっている。彼とて無用な混乱を避けるが為にこの様な暴挙に訴え出たのだと。
「近頃はこの帝都でも動物愛護だの、自然回帰がどうのだのと妙な論を訴える連中が多いんだ。昨日だって急に変異した貴様を誤魔化すのに、どれだけの苦労をさせられたと思っているっ」
とは自らも安易な欺瞞に手を出してしまった、ボルドォの言。
嗚呼、我が身の不便かつ不可思議よ。こうして我は今の帝都を落ち着いて見る間もなしに、不本意極まる白狐の従獣を演じる事となったんだ。
『とはいえ、理由も分からずこうまで不安定である我が身を鑑みれば止むを得まい。余りにも用意が良い首輪といい、引縄といい、論じたくある要素は数知れずあるけれど』
「ここ最近は特に、帝都内でこれ見よがしに暴走する狂犬共も多いからな。万が一の際を想定しての捕獲用だ、他意は無い」
狂犬――ははぁ、昨夜も酒の摘みに語られていた、ライタの所属するという一派か。
ジェラルド将軍麾下の独立機動小隊とも幾度となく衝突を繰り返し、然るに彼等の握る政治的背景と物理的な証拠の不足も相まって、幾度も煮え湯を飲まされた、仇敵とも言えよう相手。
『そして、その頭目こそが我の望む情報により詳しい形で関わっている「姫君」だったか』
傍を歩く気配に剣呑なものが混じり入る。
その道では揶揄も込めて『狂い狐』と呼ばれる、皇国特使団の長。その名が界隈に広がった十年以上の長きと外見の齟齬により、出会った者は皆が皆、その正体を見誤るとまで噂されているのだとか。
次のお目当てと言うにしては、過分な程に危険な相手。それが「姫君」について聞いた際に受けた印象。
「あの連中とただ一度、対立をしなかったあの夜に見た詳細は……オレには何と言えば良いか分からん」
歩きながら零される告解に、漠然とした不安が膨らみ始める。
もう、全ては手遅れなのではないか――だって一度は無貌の器となり、幾百の年月をその虜とされた我が、この様に自らの意志の下において悩み、惑い、彷徨い続ける事が出来てしまっているだもの。
『……悩、む……惑う?』
その中途。急制動をかけられてしまった思考に引き摺られ、歩を止める。我は今、何と言った……?
「どうした?」
気遣われる声に応える余裕すら、残されてはおらず。今一度は自ら意識して、思考の奥深くへと潜り込む。
何が有ろうともあの子を取り戻す――非情な覚悟を胸に、そうと誓ったあの日の我。
だのに現実にはどうだ。目覚めてよりの短き道中、幾度その主張を翻した?
ましてや当時は目的へ一身向けて切り捨てていた、雑多な些末にこそ目を向け、今もこうして手探りに道を彷徨い続けている。
次の瞬間。その異常を自覚すると共に辿り着いてしまった、ここ暫しを悩ませてくれた形容し難き決定的な違和感の正体。
「まさか――今のあの子はっ!」
「っ!?……おいっ!」
衝動的にそこまでを吐き出した所で、我が身が知らず白き幼姿へと変じている現状を識る。それと同時に道往く先に茫と立ち尽くす、雅な意匠をあしらわれた着物を纏う、狐の血引く証持つ娘が居る事実にも。
「えっ。あの、えっと!ボルドォさんっ、幾らピノちゃんがこの前悪戯やり過ぎたからって、そんなマニアックなお仕置きプレイはあんまりだと思うんですけどっ!」
「……また、面倒な奴が……」
年の頃は活力旺盛にも艶づく娘盛り。豪奢な意匠をそつなく着こなしてはみせつつも、その芯とは些かちぐはぐにも見える様な佇まい。背なの半ばまで伸ばされた癖の少ない黒髪は、同じくぴんと放射状に立ち揺らめく多数の尾と絡み合い、その裡に抱く混乱の度合いが容易に見て取れる。
くっきりとした輪郭を残した中にも優しい印象を受ける眉根を上げて、その瞳もやはり瞠ったまま。聞いた外見に近しくも思えるけれど、この娘が彼の「姫君」なのだろうかね。
「とっととと取りあえずはっ、ピノちゃん!服着て、服!」
「ほぅ……ありがとう」
優に小さな部屋一つ分はあろう距離、それを一足飛びに詰め我等の間へと割り込んでくる。そのままボルドォへときつい目線を送って後に同じだけを後ずさった娘の手には、何時の間にやらボルドォが片手に提げていた、着替えの入った麻袋が握られていた。
「彼女が?」
「いいや、その娘は表向きの傀儡だ」
「……?何の、話ですか」
ボルドォへと強い警戒を見せた後に、改めて我の側へと顔を向けた所で自らの思い違いに気付いたらしい。途端慌てた素振りで謝罪の言葉を口にしつつも、どうしてか護る様な抱擁の両腕は離さない。そのままじっと我を見詰め、何を思ったのか節操もなしに頬擦り始める体たらく。
けれど、その感触が懐かしい。当時にも、何かとあればピピルにも嫌という程に似た扱いをされたものだ。
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「へ~!ピノちゃんったら、そんな大役やってるんですかぁ……頼太もまぁ、相変わらずというかー。肝心なとこでやらかしちゃうからなぁ、あいつ……」
「ははっ。中々に心配性だなぁ、君は」
そのまま行きずりとなった娘の印象は、俗に表現すればちょろい、だろうか。
傍らの巨漢へ対する白い目はそのままに、得体の知れぬ筈の我には打って変わって無警戒にもあれこれと話しかけてくれる。ボルドォが抱えていた麻袋を奪い去った際に見せた手練れとは対照的に、随分と平々たる物腰というか、その背に擁く尾の奇奇怪怪さにさえ目を瞑れば至って普通の娘に見える。
聞かずともぺらぺらと物語ってくれたこの娘曰く、娘の側でも急遽取り次ぎたい事があっての「姫君」捜索中なのだという。その「姫君」とやらは、随分と奔放なお転婆に思えてきたよ。
「という訳で、ボルドォさん。差支えなければ、出雲ちゃん捜索にご一緒お願いしますっ」
「どうせ断ったところで、しつこく付き纏って来るのが貴様等だろうが……好きにしろ」
先程までの白い目も忘れたかのように、ころっと表情を入れ替えては顔の前で両手を合わせ、調子も良く人懐っこい笑顔を向けてくる。この愛嬌の前では生半可な凍り付いた感情など、軽く絆されてしまいかねないな。狙ってやっているのだとすれば、大した策士の素養だよ。
それからの道中は、そう口数の多い方ではないボルドォそして副官である沈んだカンナと歩んだこれまでよりも、大分賑やかとなった。
やれ、頼太はデリカシーを発揮する方向がずれている、だの。
やれ、ピノちゃんはもちもちほっぺが可愛いしあのおませな所も堪らない、だの。
「あっ、勿論白さんもそのピノちゃんそっくりな顔……あれ、白さんの方が年長って事は逆……?まぁ良いや、可愛くていつでも抱きしめたくなる位にウェルカムですからね!」
「うーん、ピピル枠」
「えっ」
「いや、気にしないでほしい」
ましてや独り寂しく重い足取りを進めていた、あの渇いた道中なぞとは比べるべくもない。
今も有言実行を心情に、その狐耳をぴこぴこぱたぱたと忙しなくも器用に歓びの感情を表す娘。こうまで無条件な愛情を目一杯に注がれてしまってはな、あの紅の片割れが懐きもする訳だ。
「ありがとう」
「えっと……?どーいたしまして?」
意味も分かっていない風に礼を返されたまま、思考は既に先程零れ出してしまった仮説へと向けられる。
悩み、惑い、そして彷徨い続ける仮初の生。まるで、それはこれまでそうと在った我が半生の―――
(――いいや、まだだ。まだ、この目で確と見極めるまでは)
仮にそうだとすれば――その先に導き出された憶測に、これまで築き上げてきた足場ががらがらと音を立てて崩れ去るような、異質な重きが圧し掛かってくる。
今は、考えない様にしよう。そうでないと、精神が保たない。
「トビさん見っけ!て事は~、あそこが隠れ家の一つかなっ」
「小隊の手の者からの報告と照らし合わせても、間違いないだろうな」
漠然とした予感とは全く違う、確たる証左を伴っての経験より形作られた推論。識れば全てを喪いかねない、その確信ばかりは同じくして。
それでも時は、確実に過ぎていく。娘の手により抱かれたままに、血の気は引いて、元より白いその彩が益々白まっていく程に思考に没頭しながらも。
我に帰れって見回してみれば、東部区域も人影が少なく、あの樹精神殿の建つ遺棄地域に近い住宅街より少し裏へと入った、ややばかり物々しい建物群。その一角より眺め見られる気配に娘が走り出した――その両の手には華奢な我が肢体を抱えたままに。
「いっずもちゃ~ん!アトフさんが危急の用事で呼んでますっ。出来れば表沙汰にはしたくないからって、釣鬼と二人で手分けして探してたんだよ~!」
「阿呆かぁっ!!!」
狐の娘が大声を上げるのとほぼ同時に、想定していた戸建の一つ手前の二階部分より可愛らしくもドスの利いた怒声が浴びせられる。
対応をしようとなけなしの神力を振り絞るよりも早く、ほぼ受動反射とも言えようタイミングで我等の眼前に張られた、神力にも似た波長を感じる霊的障壁。これまた小気味の良い出来芝居であるかの様に蹴り割ってくれた小柄な襲撃者は、そのまま倒れ込んだ狐娘の上へと跨り、握ってみせた拳骨をぐりぐりと娘の頬に押し付け始めた。
「用があるにせよ、もっと自身の状況と余らの立場を考えよっ!それどころかよりにもよって、捻くれの相棒を連れてここに辿り着くとは、何事かぁっ!」
「びぅっ……だっで!探索とかに慣れた釣鬼はともかく、私じゃどうやって探せば良いか分がんなかっだんだからぁ~!?」
また別の場に相見えれば意気壮健にして明朗闊達を感じさせなくもない、この場の誰よりもギラギラとした覇気に溢れる小柄な少女。
しかしながら残念かな。同じく狐の証持ちながらも容量ばかりは色々と緩そうな、年甲斐も無しに涙目での言い訳を始める娘の前では、感じさせる激しい生き様の印象も見事に半減。どちらかと言えば駄目な姉にお仕置きをしながらもじゃれつく妹の様な、素直でない心の表れが前面に押し出されていた―――
扶祢ちゃんの!狐のイメージを率先して駄目にしていくスタイル!
狐って本来、野生剥き出しな肉食獣なんすけどね(白目
結局日付を跨いで連投になりませんでしたねorz
それでもどうにか、次回投稿は二日後を目指して……期待せずにお待ちくださいませ。




