白の篇⑥
エイプリルネタを仕込もうと企んでいたら、当日見事に寝過ごして没投稿が増えた落ち。ちくせう。
「魔だ何だなどと、大仰に不安を煽り立ててみせたところでね。所詮は世界に遍く要素を象る一属性でしょうが。妖精族の一方的な都合なんざ、知った事かよ」
『……それは、危うい考えだな』
余りにも今の我には打って付けに過ぎる、その有り様。
この若者の吐き捨てる言葉、正しく同意見。今や妖精族でさえない成れの果てたる身にとって、魔だ何だなどといった古臭い定番の説法はいい加減飽いたもの。
だから、何のしがらみもなくそうと言える相手と識った時点で既に、此度の事態に際してはこの若者と共に潰える覚悟さえ決めていた。言ってしまえば、気が合ってしまったという事だ。
しかしながら、それを実行に移す為には幾つか解決せなばならない難題があった。
「きーす、さま?」
「――ん、どした?」
こうして再び相対する最中にも不意に形作られる、人格そのものの虚構感。
持ち得る本質こそ凡庸なる人族そのものでありながら、時折見せ付けてくる異端と言えようその姿勢。
その裡に抱える業こそは。人が人として許容出来る域を遥かに逸脱している。
傍らには精霊でありながら意志持つモノという、矛盾する在り方をして漠然とした不安に駆らせよう、明らかなる精神異常。僅かな間を置いて返された若者の声からは、先程まで抱いていたであろう熱が一切感じられはせずに。
『お前自身も気が付いてはいるだろうが、まずは我の力不足について詫びねばならない――』
さて、凡その問題点は洗い出せた事でもあるし、そろそろ我の側の演出も拘ってみせないと。
大掛かりな仕掛けになる程に、こういった一つ一つの小さな仕込みが生きてくる。げに善き演出とは見る者を愉しませるに須要となろう大きなファクターで、それらを巧みに組み合わせて魅せた先にこそ、振り返ってもなお色褪せない、心に染み入る追憶が形作られるのだから。
「……あのくそジジイ、こんな大事な事を隠しやがッテ!」
ここまで出来の悪い悪夢の類は、ついぞ見た覚えがない。
目の前にはいっそ殺気の域とも言えよう不機嫌を晒す、紅苑の子が一人。それが持つ貌は信じ難い事に、幾度も泉の鏡面で見返した覚えも強き……生前の我、そのものだった。
持つ色こそは違えども、月の光を金の色に照らし返すその髪質、肢体を象る華奢な印象も同じくする。そして背に擁こう妖精族の証たる、支脈の形状に至るまで―――
(――白との混血、か)
聞くに、今の妖精郷では色の仕切りが強いらしい。ライタと名乗る若者による事前の説明から照らし合わせれば成程、この子の身に舞い降りてしまった不遇が察せられようものだ。
そしてこの子の分け身たる、より白き色の濃い姉が今代の巫女だという。否が応でもあの頃を思い起こさせよう、皮肉な現実。
いっそ清々しいまでの当時の焼き回しを目の当たりにし、我を繋ぎ止めていた最後の自負が、ぷっつりと解れてしまう。
お前達は、周回遅れの出来損ない。今更舞台へ戻ってきたところで、何処に出番があるというのか―――
そこまで、虚仮にしてくれるか。そこまで、不要と断じるか。
何処の誰が仕組んでいるのかは分からない。あるいはこれも、無貌が呪いの一環なのかもしれない。
何れにせよ、仮に運命というものがあるとすれば、我が抱くこの異質も含め、きっと運命には必要の無い部品とでも言いたいのだろう。
裡にはふつふつと煮え滾る想い。おくびにも出さず、若者達への指南は続けられていく。
『魔を誘うとは即ち、魔との親和性だ』
魔、即ち想いの澱……当時の幻魔が悲痛に沈む、あの惨禍の二の舞にばかりはならぬよう。いっそ当時の建帝が理想に倣い、全てを偽りへと染めてしまえ―――
あの壊れた無貌が御業をして、歪な結果に終わるが精々だった当時の我等。
ひとたび始まってしまえば、止め得る手段などは無い。ならば初めから起こり得ないよう、決してその答えに行き着かぬよう、起こり得るべき真実を捻じ曲げてしまえばいい。
『この場合の魔を誘う資質とは外的要因。平たく言えば、魔の属性を宿す者との縁を結ぶに易い性質を持つのだ』
「あぁ~、そッカ!それであの子達、吸い寄せられた魔に染められて真っ黒くなっちゃったのネ」
幸いにして、目の前には形としての魔そのものを宿す、稀有なる君が居る。精々近しきその認識を利用してやるとするさ。
対象も定かでない我が復讐は、未だ始まったばかり。まずはより昏きへと惹かれるこの子を被検体として、ピピル、君を救い出す為の足掛かりとさせてもらおう。
「ふふーン。当時のボクは姉ちゃんと一緒に巫女守の任に就いていたからネ!その程度は朝飯前ダヨ」
『……あの神儀を可能とするのであれば、それは巫女としての適性さえ持つという事になろう』
それにしても、とピノと名乗る紅の子を眺め見る。
当時にそれっぽく作ってみせただけな祭儀、そして儀礼顕現が出来た程度でこの浮かれ様。今の妖精郷では一体、どれ程な珍奇に言い伝えが捻じ曲げられているというのだろうかと、少しばかり往年を想い起させる好奇が疼いてしまう。
そんな、表向きには大真面目にも偽りの誤誘導へと励む最中、ほんの僅かな意識が向けられるのを感じた。
話す合間にその先へと何気なく視線を移してみれば。そこにはやはり、複雑げな感情を顕わにするピピルの姿。目が合った直後、これ見よがしに視線を逸らされてしまう。
「こいつら、当時の代表格だった白蛇に腹を立ててただけみたいヨ?」
「しろ、いじめるからきらいー。きゃははっ!」
『なん、だと……』
そうだろうさと思う反面、零れてしまった言葉通りに茫と揺らぐ心。
更なる孤独な覚悟を固めた矢先に、そんな当時の理想とも言えようものをあっさりと、それも何の縁も無き者によって投げ込まれてもみろ。惨めに過ぎて、どうしたって運命論などという妄想じみた現実逃避に縋り付きたくもなってしまう。
こうして何も考えていないようでいて、その根っこの部分はいやに共感を受ける若者の言葉により。我等の間に横たわる大きな溝はそのままに、奇妙な協調関係が結ばれてしまった。
「貴様等は過去に魔への餌として差し出された豚だ!翅を侵され蛾に堕ちた、傷物の蝶の成れの果てだ!」
「キキッ!?キィー、キィッ!」
『………』
目の前に広がるは、我一人では到底辿り着けなかったであろう光景。
何のしがらみに囚われる事なしに、今の森に生き。そしてただ思うままに、為すべきを為す。
突飛に過ぎるその告白に、これまで築き上げてきた自己があっさりと崩れ落ち往く錯覚。それでも―――
(――悪くは、無いのかもしれない)
そんな、一時ばかりの気の迷いを独り零してしまう程度には、長き風雨に晒され続けたこの心も疲弊していたらしい。
「鎮魂だぁ?知った事かよ!お前達だって郷の都合でそんな目に遭って、このうえ更に退場しろなんて好き勝手、とても受け入れられやしねぇよなぁ!?」
「キッ、キー!」
「ピュイイイッ!!」
また、思考に沈んでいる間にも話が進んでいたようだ。
知った事か、ときたか。今の我が立場としては表立って言える話ではないが、このライタと名乗る若者の主張、それのみを挙げてみれば笑える程にしっくりときてしまう。そうと至るまでの彼我の足跡は、似ても似つかないというのに。
どうにも思うに、このライタ。レイモンドに似ているというよりも、だ。
『……我、そのものだな』
敢えて蛾堕ちの同胞達の歓声に紛れ、そう独り言ちる。無論のこと、それを聞き取れた者など居よう筈もない。
我が我としてあの子と言葉を交わすには、まだ早い。今は白き祖の真似事をするに留め、精々憎まれ役でも演じてやろう。
紅の子の姉が歪な残り滓へと絡め取られ、それ以上の下衆な手法を以て手痛いしっぺ返しを喰らってしまった、実に愉快な滑稽劇の一部始終を見納める。ようやく我の出番がやってきたらしい。
「ニケ、白さんの言う事ちゃんと聞いとけよー」
「あーい!」
緊張感の欠片も感じさせないその緩んだやり取りに、否が応でも失笑が湧いて出てしまう。
そういえば、ライタには言っていなかったっけ。妖精郷の一員として我が名乗っていたのは、白。その呼び方では、折角の白狐への擬態も台無しというものさ。
「白、だと……うぬは、いえ。貴女様は、まさか」
翁としての仮面が剥がれ落ちた、紅苑が一。紡がれるそれは、郷の中に閉じ籠り続けた妖精族にしては、妙に流暢と言えよう近代共通語。
我との邂逅に際してもそうだが、ライタ。君は、それ一つを取ってみてもおかしいと考えはしなかったのだろうかね。
巫女が社へと運び込まれたのを傍目に、たっぷりと時間を置いた後に覗き見る。
あの頃の利発的な眼差しを彷彿とさせよう、日々の苦悩の表れが眉間にしっかと刻まれた翁としての顔。それが驚愕に打ち震える様を向けられるのは、ややばかり面映ゆいものが無い訳ではない。
『紅き孫よ、久しぶり。聡明さは健在の様で、何よりだ』
「……何たる、事か」
つくづく、過去を引き摺る真似となって済まないと思う。
今やこの妖精郷に数えるばかりしか残っていないであろう、当時を識る生き証人。ピピルの後継として育てられ、その利発さ故に若きより苦悩を重ね続けた、今代の紅の翁よ。性質の悪い過去の亡霊に憑りつかれてしまったと諦めて貰って、ご協力を願うとしようか。




