白の篇②
「このっ、傍若無人な振る舞いには意義を唱えるのでっ、あーる!」
真っ先に目に留まったのは半裸の襤褸にて吊り下げられた、情けなさ極まる人族達の恨み言。
無言のままに右隣へと首を巡らせる。これ見よがしに我と同じ側へと顔を向ける君、その方角には特に何も見当たらないのだがね?
「……保護、したの」
そうか。これをあくまで保護と言ってのけるか。
改めて人族達の惨状、もとい彼等が置かれた状況を具に眺め見る。
まず見られたのは揃いも揃って理不尽に憤る怒りの表情、それに付随する強い警戒に疲労感といった所。それでも我等お得意の神秘力感知による簡易診断では三名共に、まだまだ活力にも余裕があるようで何よりと言える。
そんな彼等が囚われているのは朧の樹へと複雑な編み目をかける、蔦の群れ。少しばかり扱いの難しい部分はあるものの、その強烈なまでの滋養強壮効果は我等が懐かしきくそったれな故郷に置いても折り紙付きだ。
自らが寄り添う宿り元としてだけではなく、溢れる栄養をもたっぷりと吸ったあの蔓達を使った樹精の檻。さぞかし粘り強くも頑強に、その役目を果たしてくれていたことだろう。
「ボス。そろそろ、護りの加護も限界です」
「この狂わしいまでの眩惑効果……奴等、我々をここで果てさせるつもりに違いない」
それを口にしたのは口数も少ない神官風な立ち振る舞い。眼光鋭くながらも憔悴しきった様子でその焦燥が隠せていない。
その傍らではやはり秘めたる殺意を視線に込めて、対峙する中でも最も目を引くであろう真白な色を纏う相手――つまり我へと容赦も無しに刺し貫いてくる鎧姿。いつの時代も溢れんばかりの活力を見せる若き者は、やはり世界の宝と言えようね。
とはいえのっけから喧嘩腰で臨まれてしまうのも、情報収集の観点からすれば些か考え物だ。多分に手遅れな感はあるものの、古今東西この手の交渉事には互いの歩み寄りが欠かせまい。
最後に今ひと度ばかり白い視線を向けて、空惚けた真似を演じる紅き同胞へと釘を刺す。然る後に二つ指をパチンと鳴らし、人族達の周囲を取り巻いていた蔦の群れより開放した。
「――なっ!?」
「あのいけ好かないエルフ共でさえ、それなりの手順を踏んだ上で精霊力を捧げてようやく可能としていた業を……」
いけ好かない、ね。
街で暮らす人族達にとっては、辺鄙としか言いようがないここ妖精郷。そんな言葉を零す辺りに、わざわざ彼らの足をこの地へ向けさせた背景があるのだろうか。
そして神官風が口にした、精霊力という固有名詞。耳長達が人族の領域へとその存在感を示してよりそう時が経っていないこの時分に、明確な認識を以てそれを口にする者が訪ねてきた、か。
「ここ妖精郷は我等の森さ。本来は他人が立ち入る道理もないのだから、傍若無人で何が悪いと言うのかな?」
「言われてみればご尤もなので、あーる!?」
一先ずは小手調べとして軽い口調で投げかける。返されたのは案外に同意とも取れるような、聞く者の脱力を誘う独特な物言い。
成程、ピピルの仕掛けで襤褸にされたであろう以前であれば、それなりに格式を感じさせる被服に身を包んだ成年前後な齢の頃。小麦調の明るい髪色をやや古めかしい両脇カール風に整え仕上げ、動揺に震えつつもその蒼き瞳よりは、過日の好敵手を彷彿とする深い知性を感じさせる。残る二者の示す姿勢から見ても、この男が人族達のリーダー格か。
「それで」
「――ッ!?」
「自身の領域に集落をつくり、その領域を広げる事に腐心するばかりな君達人族が、一体全体この妖精郷に何を求めてきたのかな」
気も短な取り巻きの一人が妙な気配を見せるに合わせ、半呼吸程をずらして機先を制する。主想いなのは感心だが、些か物騒なその姿勢はご遠慮願いたいな。
「吾輩、てっきり『我等の神聖な森へ足を踏み入れる不届き者めが――』なんて言われるかと危惧していたのであーるが……」
「そういったバイオレンスな展開がお好みであれば、ご要望通り今からでも当時の盟主であった耳長にも劣らない、熱烈な歓迎をしてあげるけれど?」
「誠心誠意をもってご遠慮願うのでっ、あーる!?」
あまり自慢が出来たものではないが、この手の相手を煙に巻く手法は長きの経験により、今や我の得意とする所。
しかしながら、数日を檻の監視に囚われていた彼等からは切羽詰まった感も見られることだ。その不安が良からぬ方向へと暴発しないよう、話の流れを誘導するとしようか―――
「――ここに居たのであるか」
「やぁ。今宵はどのような御用向きかな、愛しの旦那様」
とある深夜半のこと。ここ最近のお気に入りである蒸留酒を片手に月光浴と洒落込んでいた所、月明りに誘われたらしきレイモンドがやってきた。
「その呼び方は、やめてほしいのであーるが……」
「何を言っているんだい。古くより、別個の郷が納得のいく理由もなしに結び付くには御頭、あるいはその類縁者同士の婚姻関係が手っ取り早いとされている。君達、旧王国に生きた貴族の節操の無さなど、その最たるものじゃあないか」
「幻想の最たる妖精族に、そういった生々しい話を言われるのは複雑なので、あーる……」
わざとらしく頬を染めてみせた我の仕草に、純にもそっぽを向けてくれるレイモンド。まだまだ、我も捨てたものではない。そんな年甲斐もない自悦を感じ、内心くすりと零してしまう。
「それとも、何かい。こんな種族も違う変人相手に欲情してくれるというのかい?ならばそういった方面の探求心を満たす意味でも、我としては吝かではないよ」
「そっ、そういう事をそんな表情で言われると本気になってしまうので、あーる!?」
我のアプローチへ対しどぎまぎとさせられた風に動揺を隠せないながらも、愚直なまでに年頃の娘を心配するような、そんなずれた気遣いを見せる。だから、我としてはそれでも構わないと言っているのにね。
けれども、そこまで恥ずかしがってくれる可愛い仕草を目の当たりに出来るのは眼福と言えよう。こうしてわざわざ、儀礼顕現までをもしてみせた甲斐があるというものだ。
そのまま暫し得も言われないむず痒さ奔る演劇もどきへと二人、身を興じる。出逢ったその時よりは幾分近くに見える若者の顔を間近に見上げ、頬へはそっと両の掌添えて。愛おしげな逢瀬を演出しながらも、その耳許へと声色も低く囁きかける。
「半耳長族である我が、一族ぐるみで主城デュ・トリュフォーへ恭順した。それを見て、どれ程の勢力が君の側へと靡いたろう」
「……その言葉のみを切り取ってしまえば、貴様は希代の悪女と言えるであーるな」
先程までとは打って変わって、中々どうして人の悪い笑みを浮かべ、睨めつけてくれる。そうでなくては、こちらとしても協力のし甲斐がないというものだ。
こうして我らが睦み合うこのテラスは、古き良きを感じさせよう歴史建造物。無論の事、そんなものが我等の郷に存在する筈もない。
今の我は妖精郷を離れ、レイモンドの生家である旧王国南方の別荘を拠点としていた。
その目的とは言わずもがな。我等が妖精郷までもが無用な戦乱に巻き込まれるを厭い、ふとした縁を結んだ彼等との共同戦線。半耳長族の戦時期孤児を名乗り、影響力を強めつつあった耳長達へと対したのも、偏にその背景から。
「蒼の子達の様子は、どうだい?」
「存外に頑張ってくれているので、あーる。戦場式格闘術習得に対する向上心も目覚ましいものを持っておるのであーるし、何よりも――」
何よりも。敵対勢力へと回っていた耳長達へのカウンターパートとして、手繰る精霊への影響も相まって耳長達を大陸北西の僻地へと追いやる事が、出来た。そう続けるレイモンドの目には、入り乱れる想いが見え隠れをしているように感じられた。
「お役に立てたようで、何よりだ。ならば残る掃除は任せ、我等はそろそろ郷に戻らせてもらうとしよう」
一応の護衛と社会見学を兼ねて、護りの蒼に連なる子供達を連れてきてはみたけれど、それもそろそろ潮時だろう。
この地で我が果たした役割など、精々が大きな運命の歯車が動く為の一部品に過ぎぬ程度のもの。ここ暫し大陸西北部を騒がせていた旧王国の亡失にかかる後継争いは、大局的には既に決着が付いているのだから。
「寂しくなるので、あーるな」
「何だったら、新たな国を纏め上げた後には綺麗処でも見繕って、我等の郷へと逃げてきても良いんだよ?」
君が再びあの地へと赴くならば、その時には辛い過去を何もかも忘れさせよう、自堕落に満ち満ちた退廃的な甘い日々を約しよう―――
そうと言える程度には、この剽軽に見えよう中にも確固たる信念を持った、しかしながら自身は何の突出した力も持たぬ若者へ対し、愛着も湧いていた。そして、これから彼が歩み往くであろう巨大帝国の長としての、苦悩に満ちた日々への哀切も。
「だから、レイモンド・ゴア・デュ・トリュフォー」
「ノン……今の吾輩はただのレイモンドなので、あーる」
あぁ、分かっているさレイモンド。古き善き貴族の出である君が、自らの出自を捨てる。それの意味するところの重きもまた、我と同じくだ。
「混迷へと進みつつあった今の大陸を偽りの安寧にまとめ、騒乱へと歩み始めんとする道往きを無理繰り手繰り戻してしまった、希代の詐欺師よ」
持ち得る奇異な志により、離れていった者達も多かろう。だがしかし我等妖精族を始めとする、新たな縁を得た数だって負けてはいまい。
「せめて。偶さかの自愛ばかりは、忘れぬよう」
「……ん」
ひとたび含んだそれを聖別に見立て、ぼうっと染まったその両の頬に添えた手を自らの口許へと近付ける。そして―――
「――んぐっ!?」
これはせめてもの、肩に力の入り過ぎた今の君へ対するお節介。
「げぇっほ、げぇっほ……これは、何なのであーるか!?」
「つい先日に実用化へと漕ぎ着けたばかりな、メガプラムの蒸留酒さ。若い身空である君には、いま少しばかりきつかったかな?」
「ぐぅぇーっほ、ぐぇっふ、げぶっ!?」
まぁ、こんな些細な悪戯心を存分に満たせるのも、平和を享受出来るこの環境あればこそ。君にはまだまだこれからも、我等が安穏とした暮らしへと沈み込んで、そしてあの忌まわしき過去を忘却の彼方へと置き去りに出来るよう、頑張ってもらわないと。
後に大陸有数の強国家として名を馳せよう、インガルシオ帝国黎明期の伝説として語り継がれた、建帝レイモンド。
本人曰く、歴史の古さだけは折り紙付きな地方領主の出である彼は、今に語り継がれる有能などとは程遠い人物だった。
当時の呼ばれ名としてはレイモンド・ゴア・デュ・トリュフォー。この長ったらしいフルネームで呼ばれるのを彼は、随分と嫌っていたものだ。
―――吾輩は、名を重んじる風潮そのものを断固否定するのであーる!
―――生憎と吾輩、言語学には一家言を持っておるのでっ、あーるっ!
嗚呼、今も鮮烈に記憶へ残る、聞く者の脱力を誘おう独特な物言い。どうしようもなく懐かしくって、思い返すだけで笑みが零れ落ちてしまう。そんな憎めないあいつとの日々のやり取りが、楽しかった。
何の事は無い。普段は訳知り顔で何だかんだと語る我にしたって、その責務の重さに知らず感情を押し殺し、無駄に肩を張り詰めていただけのこと。
数百年の長きが経って、ようやく得られた新たな友人のお蔭で辿り着けた真実の一つ。それを自覚した今になって、やっと肩の荷を降ろす事が出来たようにも思う。
「この書の数々は、君達への最後の餞別さ」
「良い、のであるか?」
―――だから我等は、書物を捨てた。
今は昔、一部の翁にのみ伝えられていた伝記。それは見る者が見れば、我等の起源を悟られてしまう傷となりかねないから。
我等の名は、妖精族。過去に在ったとされる幻魔の一族はとうに潰え、ここ妖精郷へと新たな根を張り次の世代へ育み伝える、妖精族だ―――
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「――と、いう訳でね。蒼の一部のみではあるけれど、当時の交流の一環として今で言う合同訓練などに明け暮れていた時期もあったものさ」
「あっきれタ……当時の巫女であるお前からして破りまくってた掟なんテ、最初からあっても意味ないものだったんじゃン」
場が場であれば無礼千万極まりないと言えよう、ピノの呆れ声。対し白さんはそれを気にする風もなしに、どこから引っ張り出してきたかメガプラムの蒸留酒など目の前へと置いて、挑発的な顔を向けてくる。
ウワバミ同士、これからが迎え酒とでも言わんばかりに視線を弾けさせながら、何だかんだで気の合った風にグラス片手に延長戦。その傍らで俺は一人、身も蓋も無い事実に背筋を奔る怖気を感じ、身震いをしてしまう。
言われてみれば、有事の際に見られるガードフェアリー達のあの動き。帝国軍の軍式格闘術に通ずるものが、あったよネ……?
次回投稿、明日3/18(日)夜予定。




