第318話 タイム・リミット:後編
だから、我も共に逝こう―――
分かっていた。このひとなら、きっとそうするだろうと。
自らを殺し続けて妖精族を護る。そんな馬鹿げた滅私を現実にしてしまった、このひとであれば。
たとえ短い時間の触れ合いであろうとも、見過ごす事は出来ないであろう、その不器用さ。だから、影が消え逝くのであれば、きっと散歩に付き合うくらいの軽い口調で躊躇いもせずに、そう言ってくれるのだと。
「――させ、っかよ」
だから、こそ。
この場面でこそ、立ち上がるべき者が居る。
諦めるという言葉を知らぬ筈もなかろうに、知った事かと見て見ぬ振り。
熱き想いを胸に刻まれ、手繰られる自覚を知って尚、それを由としよう。
「オレ達は所詮、この妖精郷にとっては外様。言ってしまえばただの観光客だ」
『……それでこそ、だな』
もう届かぬかと思われたその言葉はしかし、少しの間を置いた後に思いの外はっきりと返された。
所詮はひとたび羽根を休めに軒先を借りた、大した関係もない部外の旅人。そんなオレの為なんぞに、手法や結果はどうあれ、長きに亘って郷に尽し、進んで犠牲となった立役者が、その身を挺する?ふざけるな。
「無貌の奴にしたってそうだ。人には添うて、我が身を顧みろだの言いながらその実、自分達はどうなんだって話だっ!」
『ならば、どうするつもりだい?如何にこの特殊な環境へと置かれ、仮初に歪な個を確立しようとも、たかが人の成りそこない風情。そんな君に、何が成せるとでも?』
あぁ……最早遠き記憶とも言えよう、懐かしくも憎たらしいこの物言い。今この時だけは生まれも育ちも違えども、影の置かれたその環境、充実感に共感出来ようというものだ。
試す様なその物言いに、魔狗はにぃっと口を引き攣らせる。
「ああよ。外法の狗遣いは外道らしく、アンタに呪いを一つ、刻んでやる」
『……何?』
額に浮かぶは珠の汗、萎びた四肢は気怠げに、立っているのがやっとといった体たらく。それでも今こそ、無駄に恰好付けるその時だと震える指先を突き付けて、その意志の表れはまるで仇敵へ対するそれ。
短き今生の相方へと呼びかける。までもなく、こちらもまた特徴的な耳と尾の形状を薄靄と崩しながらにしっかと手を添え、覚悟完了。
あいつが願いを託したのであれば、対するオレは――傷痕を遺す。
それまでの激昂はどこへいったか。身は穢れに塗れながらも言祝ぎ捧げ始めるその様は、妖精族の祭祀たる者の目をして、静謐。
「我が身、奉じる無貌の女神――我、ヒノカサライタが全身全霊を以て願い奉る――」
―――どうか、あの時の二の舞にだけはならぬよう。
祝詞としての韻さえ満たしていない、エゴばかりが際立つ枕言葉。こんなものが成り立っては世の道理の大半は螺子曲げられてしまうであろう、そんな言葉遊びにも似た印象を受ける、祈りとも言えない出鱈目な要求の数々。
それでも、だ。今こそ、あの堕ちたる者の琴線に響かせてみせよう。
「ここまで来て、ゴール間際にあいつに頼らなくちゃならねぇのは、癪だけどよ……何度考え直したって、もう、こんなのは真っ平御免なんだよォッ!」
その後も続く、惨めにも零された想いの吐露。
祭祀の何たるかを知る者達は見ていられないとばかりに目を背け、対して魔狗を識る者達は悼ましげに二人を見やる。そしてその想いを受ける、今や淡い灯の向こうへと閉ざされつつある声は。
初めがあれば、いつか終わりもまたやって来る。それを初めに言ったのは誰だったか。
長きを垂れる口上は終わりを迎え。やがてその時は、訪れた。
我は無貌の大神官――果たしてその、先に往き着く者の名は―――
「オレだって――陽傘頼太であることに変わりは、ねぇんだっ!」
「―――!」
まるで消え去る直前のあの影を彷彿とさせる、満身創痍な重苦の中で。
一際大きく吼え上げて、魔狗と七尾は手に手を取り合い、願いを捧げる。
願いの是非――ここに至っては、言わずもがなというものだろう。
それは、最早弱き光の中に辛うじて残り香を残すのみな――白き祖であった者の健在。
「それでもオレなんぞの為に残り滓になっちまった、無貌じゃもう願いを叶えるに不足だと言うのなら!元半身として援護するでも何とでもしやがれ、無貌の女神ィッ!!」
凡そ願い奉る者に相応しくない、立場を弁えぬ絶叫。
そうであっても。で、あればこそ。切なる想いは時の枷を喰い破って、到達する。
《待って、いたわよ……お前が堕ちてくれる、この時を――》
その瞬間、場の情景としては何が変わろう筈もなしに。
しかし間違いなく何かが捻じ曲げられてしまった、絡繰り仕掛けの填まる音。
《一先ずは、そうね。後始末を、手伝いなさいな》
最後に、堕ちたる者はそう言った。もう、お前は逃げられないと。
あぁ、好きにしろ。だけど、こっちだって抵抗だけはさせてもらう。
それから、どれだけの間を立ち尽くしていただろうか。固唾を呑んで推移を見守っていた者達は、目に、耳にする事となる。ちっぽけな人間が足掻いて足掻いて、足掻きぬいた末に、奇縁の果てに成就をさせてしまった、その呪いが足跡を。
「それを、人は奇跡と呼ぶ、か――やって、しまったね?」
「へっ……この程度の後悔で済むってんなら。何度だって、やってやらぁ」
やはり、我がこの舞台を去るにはまだ、為すべきを為していないという事らしい。
達観の中にもそう零して、どこか愉快気にも見せる確信めいたその笑みは。今度こそ地面にへたり込んで動けぬ者達へと向けられる。
加護と呪いは表裏一体。所詮は御業が向いた側の違いに、人がどうこうと後付けをしたに過ぎない――彼の堕天使が御言葉だ。
しかも、その基点となったのは恨みつらみなど縁遠き、凡なる者が遺した呪い。効果としては精々の所、人が生きる数十年の間、そうあれと願うのみときた。
「――初代様っ!」
大地に手足を投げ出す魔狗へと向かい、踏み出した足はもつれてかかり、自らを支えきれなくなってしまう。
当時に課した想いの枷こそ、無貌の歪な顕現、そしてちっぽけな呪いが成就により打ち消されはした。だが、見た目としては変わらずとも、その精霊体を形作ろう活力はとうに時間切れ。
結果としてその肢体は、魔狗たらんとした若者の上へと覆い被さるように崩れ落ち―――
「んッ……」
「~~~っ!?」
これこそが日常に還るべき一歩目とばかりに、見事なまでの道化を晒したのだった。
「んむッ……う、ごぉっ!?ちょっ、やめっ、締まッ!?」
「――!~~~!!」
敢えて、一連のやり取りについて卑俗に語るとするならば。
濡れ場を想わせようしっとりとした艶の声と共に。何故だか頬を軽く染め、その薄紅の花唇を無抵抗な相方のそれに重ねられるのを目の当たりにしてしまった、七尾が影の激情は。
あれ程に曖昧となっていた輪郭は心なしかその境界を取り戻し、いい加減にしろこの人外誑しとしでも言わんばかりに涙目でぷるぷると締め上げる。そんなプチ修羅場とも言えよう情景を見るだに七尾が影の心境、推して知るべしではあるのだろう。
「……ふふっ。どこまでも往生際の悪い、誰かさんに対するお返しさ」
「こっ、こきゅっ……いきッ、しぬッ!?」
「―――ッ!」
一見すれば妖怪たる面目躍如。どう考えても人間の限界を超えて見える膂力に、締め上げられた側の顔色が真っ赤を通り越して白くぶらんぶらんと揺れている気もするものの……馬に蹴られて何とやらではないが、古来より無粋なお邪魔虫は煙たがれるものだ。その後の一悶着についてはまた、別の機会に語るとしよう。
ともあれこうして辛うじてとは言えようながら、三度舞台袖へと引き揚げられた白。程なくピアによる応急処置も一段落がつき、今度こそ、その身に残り香薫る虹の色は消え去った。
「初代様。もしかして、あの彩は――」
「裏方に回ってくれたあの子の魅せ場を奪ってしまった、せめてものお詫び代わりに、ね」
徐々に明けゆく冬の終わり。未だほの昏くも空全体を照らし始める、山吹く光に目を細め、去っていった者達への哀悼を捧げよう。
「ご、ごほっ……だけどこの結末じゃあ、奴は良くともこのオレの側が、不十分ってか…ヒヒッ……」
オリジナル譲りの乙女回路がようやく落ち着きを見せた後となり、精根尽き果てた様子の魔狗が枯れた声を絞り出す。
その頭を膝枕に抱えて白へと要らぬ警戒を向ける七尾の影も、見るも無残に象る形が曖昧となっている。そんな二人を見守る目は、痛ましさを噛み締めており。
「まず、ったよなぁ……オレとあいつが限界までぶつかり合って、その果てに喪っちまったあいつの記憶を今一度焼き付ける、きっかけとする筈だったんだけどな」
若者の影が打倒してしまったあの紅き童子は本来、とある事情により喪ってしまったシズカの認識を、間近で当時のトラウマを演じる事により精神の裡へと焼き付ける為の映写機のようなもの。幾多の想定外にかかりあの様な結末となってしまったものの、結果としては影の側には強くその記憶が焼き付けられたことだろう。
一方で、魔狗の事情は違う。無貌をはじめとする協力者達より話には聞いていたものの、魔狗自身はその基となった影法師からの「情報」としてしか知り得ない。
無論、個としての自身はこの結末自体をある程度の満足をもって受け入れてはいる。たとえこのまま消え去ろうとも、あの影に負けずとも劣らず成すべきを成せたと言い切る自負はある。
だがしかし、このまま無貌の許へと還ってしまっては、シズカの想い出を永劫に喪い、仮に頼太として復元しようとも、その人格に間違いなく悪影響が出てしまう。
「―――」
心配そうに見守る七尾のオリジナルである、扶祢だってそうだ。
その出自により器の許容量においては頼太を遥かに超える扶祢でさえ、本来の意味では姉の存在を思い出せてはいない。それ程に、無貌による強引な顕現の爪痕は大きい。
ここに至っては終始余裕を見せていた白でさえ、曇った表情を隠せない。それは正に人智を超えた、人の身にある者ではどうしようもないと言える領域の話だからだ。
どうすれば、良い……?
先程とは違った閉塞感に、揃って口を噤んでしまう。こうしている間にも魔狗と七尾の活力はどんどんと失われていって、そのまま時間切れとなってしまう。
徐々に高まる焦燥感、一同の間にそんなものが重たく圧し掛かってきた、その時だった。
「――くふっ。さればこの童が、ひと時ばかりのお相手をしてしんぜよう」
振り向くまでもない。その声色に。立ち込める気配に。その姿を識る者達は真に茫然を晒してしまう。
当然だ。何故ならばそれは、真なる魔の誘い。
「おま……どうし、て……」
「なに。どこぞのひよっ子共が童恋しさに泣きじゃくっておると、風の噂を耳にしてのぉ」
曙光眩しくその背に浴びて、伸び立つ狐耳には紅の彩。
太々しくも積み重ねた年季を前面に押し出して、妹にも増した得意顔を惜しげもなしに魅せ付ける。
嗚呼、そうだ。ここまで自己を主張しながらも、腹立たしくも嫌味を感じさせない堂々たる有り様。これこそが、想い出したくとも至れなかった、あの夏の想い出で。
「とはいえ、時間も無いようじゃ。ほれ、さっさと往こうぞ。用意せぇ」
「いでぇっ!?耳っ、ちぎれっ……」
本当に、先程までの感傷はなんだったのか。そう苦情を出したくなる程に、懐かしいまでの傍若無人っぷりを押し付けてくる、紅き童子姿。引き起こすにしたってもう少しやり様があるだろうに、ともすればそのまま消え去りかねない二人の身体を物臭ながら器用にも、自らの尾を絡めて強引に引き摺り起こす。
「おいっ、何をするつもり――」
そして、今度こそ。在りし日に見た妖刀にも酷似した得物を片手に虚空を切り刻む。その先に口を開けたのは――秋の夜のトラウマとも言えよう、影絵の世界。
「ちょっ……」
「~~~!?」
「聞くに汝等、この童の記憶を喪っておるとか?」
なればこそ。もう想い出せないというのであれば、このシズカが直々にトラウマを植え付け直してやる。嗜虐の笑みに隠れるは、忘れられてしまったモノが抱く意地の灯。
「何でお前がこんな場所にいるんだよぉっ!?幾ら何でも有り得ねぇだろ、このタイミングでっ――」
「――あの真夏の一夜が夢、よもや忘れたとは言わさぬぞ?」
皆まで言わせず、割り込んでくる愉快を前面に押し出す貌より、剥がれ落ちゆく仮面の一欠けら。その下より覗いた一つ眼は紅き童子がそれとは似ても似つかぬ、まんまるとした漆黒に染められて。まるで隠していた悪戯がばれた子供のように、恥ずかしげに瞬きなどしてみせる。
「はっ!?ニケ、ニケはどこいった……?」
「うむうむ。斯様な場面での察しの良さ、そこのみは褒めるに値する、汝の数少ない長所じゃな」
珍しくも蒼褪めてしまった魔狗のその言葉に、これぞ本物と言わんばかりのニンマリとしたしたり顔を向ける紅き童子姿。その肯定にこそ、現実離れをしたこの状況の全てが詰め込まれていた。
「って事は……神通力!使っちゃやべぇやつだろってそれ!?」
どんな理屈でその本質がこの場へ到達したかは測りかねるが、よりにもよってこの女狐、器としてのニケを介して自らの容を神通力で覆い、常識外れにもこの舞台へと乱入をしてきたと言っているようなものだ。
「ほぉ。その禁則までをも覚えていたとはのぉ……おねぇさん、嬉しいぞよ?」
「―――!~~~、……」
「いやちょっ……待て!?本当、ちょっと真面目に待ってくれぇっ!」
そんな俄かに騒がしきやり取りをする間にも、既に七尾は声なき絶叫の中に亀裂の狭間へと放り込まれてしまった。残るは薄情なギャラリー達が遠巻きに見守る中での、茶番とも言えよう三文芝居。
せめてもの抵抗として亀裂の端にしがみつくも、これまたいつぞやの夜を想わせるかな情感じさせる、太もも挟みからの裸締めに平常心を奪われてしまう。
「元よりこの身が本質とて、彼奴の記憶より掘り起こされし、残り滓じゃ。なれば創り出した者こそが、相応に責任を取れば、良い」
その完全に後始末丸投げな発言を聞いて、魔狗は今こそ悟ってしまう。願い奉じたその時に、堕ちたる者が語った、後始末のその意味を―――
「は、謀ったな、あの駄天使ィ~~~!?」
「くふっ。童の知らぬ間に、また随分な奇縁を結んでおったようじゃ。されば神通力の後始末、任せたぞぇ?」
こうして魔狗であった者は、抵抗空しく亀裂の奥へと消えていった。
最後に見せたその顔は哀しきかな。消滅の憂いを感じさせない、実に生き生きとしたものだった――知己をして脱力せざるを得ない、そんな締まらない印象を受けたそうな。
ニケ「しずか?いんすとーる!」




