第307話 白き後継の歪み
「巫女様、あなたへの解任要求を発議します!」
紅の巫女守を任ざれた少女は、優先するべきものがあると言って、この場を去った。
対する筈の蒼の子は、一族の意向に真っ向逆い樹牢の虜となってしまった。
多大な動揺に揺れる心を隠しながらも、フェアリーガード達へと事後処理の指示を出す巫女へ、糾弾の言は突如として投げられた。
「え……」
心の支えとなっていた双子の妹までが去った今、巫女を扶ける役目を担うべき最後の巫女守。その者による訴えに、しかし自らも亡失の魔堕ちた同胞達へと声がけていた巫女の反応は鈍かった。
「ミキ、それはどういう――」
「巫女様、いえ紅苑のピア。あなたは元より、巫女の資格を持ち得ない。そう言っているんです」
衆目を前にして、公然と真名を晒す。妖精郷では忌避される呼びかけを巫女へ対して行うという、掟の根幹を崩す行為。
その意味を識る者は一様に顔を強張らせ、自らの任に忠実なガードフェアリーの一部などは乱心せりと巫女守を糾す。
「このぼくが、乱心?君達こそ立場を分かって言っているのかい?」
抗する者あらば、准ずる者もまたあるべくして在る。人が変わったと見紛うばかりに確とした気勢を見せる白の巫女守によるその暴挙に、場へは更なる動揺が奔る。その指が鳴らされるや否や、対峙する妖精達に比する数の同胞が前へと躍り出た。
代々の巫女は、白の一族より選ばれしもの―――
白の血を引くとは言えど、お前は混ざり者の紅。その資格足り得ない―――
何より先代の巫女は、お前を後継者に選んでいないではないか―――
呪詛の如く繰り返される、異口同音。それを紡ぐ者達の出自は様々な色ながら、熱に浮かされたかな不揃いな統一感。そこに物恐ろしさを感じたか、気圧された様子で浮き足立ってしまった面する者達はそれでも自らの任を強く意識して、巫女を護るべく立ち構える。
「ミキ、貴方だって分かっているでしょう。先代の巫女は……わたしの母は、わたし達を産み落としたその折に、祖霊の末席へと旅立っていった事を」
口にする言葉は震え声。怒り…哀しみ…あるいはまた、それらとは一線を画する想いだろうか。
妖精郷の巫女は長老衆が策定した試練を受け、先代の巫女が健在の間に自ら後を託す指名制。不慮の事態により巫女の引継ぎを不可能とした場合、長老衆がその任に当たると策定されている。
しかしながら、それはあくまで次善の策。掟により明確にされている訳ではないところに、解釈の差が生まれてしまう。
「そもそもが、先代の巫女からしてその資質に問題が、あったんだ!」
今度こそ。禁忌を破るその発言に、場の面々が凍り付く。
時の巫女であったピアの母。若き身にありながら郷への尽力、歴代の中でも指折り数えられたという。古きに閉じられ、外界との接点が皆無であった妖精郷の結界を減じたのもまた、先代の巫女。
その選択については賛否両論あったものの、結果として魔の落とし子達の発生率が大幅に減少した功績は計り知れない。ピア自身、顔も知らぬ母へ対する崇高を持ちながらに比較をされ、責任感に押し潰されそうになった事もあった。
ミキの叫びは、そんな母の全否定。身震いをしてしまう程の怖気が吐き奔る。
「ミ、キッ……あなたはっ!」
抑えきれない、濁った激情。その正体に薄々気付きながらも、その抗い難き誘惑へ首振り懸命に耐えようとする。
だが、その葛藤が長く続く事は無かった。何故ならば―――
「今昔の妖精郷にとって、何が一番の脅威となっているか。それを比して鑑みれば結論は既に、出ていると思うがな」
「エイカ、さん?」
郷を外の脅威より護る為とはいえ、その一切合切を閉じてしまえば長きに亘り、変質してしまうものがある。この妖精郷にとってのそれは、魔の落とし子。
数多の同胞が魔の気質へと囚われ、そして堕ちていった。事実、目の前に頽れる魔の落とし子達こそは、過去に魔を誘うその特性により、受け皿となってしまった者達が成れの果て。
そう事もなげに口にするのは、ここ暫しの寝食を共にする郷の外よりの客人。外の世界を知らなかった巫女へと向けて無愛想にも柔らかく語りかけ、鋭くも訝る視線を白の巫女守へと向ける。これもまた、外との接点を持ったが故に起こった変化の一つ。
その最中、悼む気持ちに振り向いたピアの視線の先には彷徨う様に森へと足を踏み入れていく、蛾堕ちの同胞達が姿。引き留める言葉に何ら反応を見せもせず、そのまま森の奥へと消え去ってしまう。
「俺っちも声をかけちゃみたんだがよ。どうにも呆けちまってるみてぇだわ」
日暮れを迎えたつい先程に、ピアも知る異形達とはまた別の変化を果たした銀髪の女。それは鬼の巨躯を誇っていた以前と変わる事なしに、気まずげな顔を向けてくる。
「そこの帝国からの使者達がぼく達の事情を知っている。それこそがピア、この郷を導く立場にある巫女としての資質に欠ける、何よりの証拠じゃないかっ!」
「ミキ……爺さま……」
ヒステリックにも上げられる、巫女守よりの訴え。救いを求めて目を向ければ、そこには無念の面持ちで瞼を閉じる祖父の佇まい。蒼の翁は苦虫を噛み潰したかな顰め面を崩そうとはせずに、唯一白の翁のみが一人、一切の表情を蓋に隠して見せようともしない。
守りの兵、その三分の一程は未だピアの側へと付いてくれてはいるものの、それと同数は既に白の側。残る三分の一にしても、長老衆の見せる態度に一人また一人と心が揺らいでしまっているのが手に取るように分かってしまう。
孤立無援――脳裡に浮かび上がる遠き異邦の知識よりの言葉。それを噛み締めると共に、これまで積み重ねてきた認識そのものが崩れ去る錯覚をも受ける。
膝は盛大に笑い始め、身体の裡よりは変わる事のない濁った澱が溢れ出すような、怖気が産声を上げてこみ上げてくる悍ましさ。嗚咽を上げて震えながらも、しかしここ数年を久方ぶりの巫女として取り仕切った自負により、辛うじて抑えつけるのが精々。
「お前は少し、休んでいろ」
その肩が背後より強引に引き込まれる。護衛達にピアを任せたエイカは、疲労に疼く身体を押して自らが矢面への一歩を踏み出した。静かな瞳の光が刺し貫くは、過度な緊張感で顔を引き攣らせたままに混濁した敵意を向けてくる、白の巫女守の思惑。
「は、ハハッ――あの人達の言った通りだ!やっぱり出て来たな、天昌の鬼崩れっ。人の心に忍び寄り、関わる者すべてを堕落させる天性の淫売め!」
「なっ……」
驚きの声を上げたのは、誰だったか。あるいは自覚がないだけで、ピア自身だったのかもしれない。
天昌の鬼崩れ。裡に刻まれた知識にも名を連ねる、密通の一族。古くは東方の皇国が成り立ったその時より時代の影に蠢き続け、近くは十と余年ほどの昔に起きた、帝国と皇国双方の国境での小競り合いの裏で糸引いていた者達。
その知識の元となった人物の記憶によれば、現在の帝室周りへも幾許かの鬼崩れが巣食っているとされる。
「その髪――輝やかんまでの金色に、染め上げられ――」
「………」
背後より集う視線に気付かぬ筈もないだろう。巫女自身により謳い上げられるその声に、しかしエイカは無言のまま。襲撃者との連戦により疲労の色濃き振る舞いからは、最早自らの黒髪の一部に見え隠れをする金の一房を隠そうとする気配さえ見られない。
「――私は、ただ。猊下よりの下知を賜っただけだ」
「そこのお二人!これは妖精郷の内なる問題、手出しは無用に願いますっ!」
ぽつりと呟かれる乾いた声に、興奮冷めやまぬ甲高き叫びを被せたのは、白き巫女守。鬼そして白虎へと牽制の言葉を投げかけつつも、今こそとばかりに捕縛の命を声高に上げる。反逆者の汚名を着せられたくなくば、売国の巫女を処断しろと。
果たしてガードフェアリー達による、敵味方入り乱れた総力戦が開始される。
そこに幸いがあるとすれば、大多数の妖精族は避難誘導が事前に済んでいた事。それにより今この場に残るのは程度の差こそあれ、皆戦いの意味を識る者達ばかり。互いに引かず、そのもつれ合いは長時間に及ぶ事となる―――
―――陽の恵みは既に隠れ、すぐそこまで忍び寄ってくる、夜の足音。
双方の側へ立つ総数はほぼ変わらず。違いがあるとすれば、片や信念の域にまで凝り固まった意志に対し、もう片側は迷いに攻めの手を押し切れなかった部分。
「申し訳、ありません」
「……何故、お前が謝る?」
この期に及んで敵方へと回った者達へまで身を案じ、精霊へ声掛け護りを施す。そんな真似をしていては当代で最も精霊と近しい者とまで謳われ、尚且つその裡に刻まれた創により精霊の意志をも掴む力を持つに至った巫女であろうとも、その身の側がもとう筈もない。それこそ双子の妹が手繰る異界の自然科学理論、それを突き詰めた圧倒的な対消費効果を踏襲反映でもしない限りは。
『姉ちゃん、ごめん。後は、任せタ』
それでも、ピアは諦めない。本来であれば外苑部にて、歪な妄執の虜となった時点で終わっていた筈の身。それを退けてくれた妹達の期待に報いる為に。何よりも、同胞同士で傷付け合うような、こんな争いは間違っていると、我が身を以て証明する為に。
「だから、わたしは負けません。せめて、貴女達が無事に戻れるよう――」
「ならば、何としてでもこの分からず屋達をどうにかしなければな」
「……あ、ぅ?」
数に圧され、飽和しかけていた精霊の護りは僅かな一押しにて容易に破れる有り様。それこそ意外にも軽く胸押された、その一挙動だけで。
破れた護りを突き抜けて、ピアの視界に殺到したのは白の側へと付いたガードフェアリー達の異常。
否、異質というべきか。護りが消え去った彼らの身体は、互いの手に持つ得物あるいは精霊魔法によりそれぞれが狂信の一矢と化す。それが向かう中途には、祈りを捧げるかな人の形。
「―――ッ!」
その瞬間、音が消え去った。自らの悲鳴さえその耳には届く事がない程に、濁り湧き立つは黒き感情の瘧。
―――ト、サッ。
やがて事が終わったと思われたその後となり、想像よりは随分と軽い、何かが倒れるような濡れた音が場に響いた。それを成してしまったのは、巫女を護る側に立っていた者達。
「エイカさんっ!?」
周囲では未だ蠢く、同胞の形をした何か。激憤に任せてそれらを蹴散らし、倒れ伏すエイカの半身を見定める。一部の傷は臓腑にまで達し、精霊魔法に晒された部位は痛々しくも焼け爛れていた。この傷では、もう―――
「――か、ふっ」
「ああっ、エイカさん!」
悲哀に濡れる視界の中。全身に惨劇の跡を刻みながらも、辛うじて自発呼吸を維持するエイカの肢体。
目を凝らせば夜闇の中でうっすらと輝く、治癒の光。エイカの奉じる智慧の神、その存在が信仰に応えその御業を披露したのだと知った。
「あはははっ、ざまあみろっ!魔に塗れた人族を呼び込み、隠れて不穏をばらまく卑劣な一族め!ぼくは、この妖精郷を護ったんだ!」
「……ミキ。お前は、そこまでっ!」
最早、後戻りは出来ない。巫女の心中は黒き怒涛に押し流されて。そして白の巫女守は何らかの意図により、禁を侵してしまった。
元は近しき類縁者。であったが故に、だろう。双方の殺意は限界を知らず膨れ上がり、一触即発となる。
「護りの兵達、止めを刺しちゃえっ!」
「させ、るかぁぁアッ!」
今や本当の意味での孤軍。だからといって、ここまでの暴挙を見逃しては巫女たる資格などない。何よりもピア自身、裡に刻まれ濁り立つ、汚辱の澱をこれ以上抑えきれなかった。
取り巻く颶風に猛りを乗せて、場の影響力を強引に掴み抑えつけようとする。それは本来精霊との語らいを旨とする、妖精族としてはあるまじき暴挙。
「私の事、は……気にするな……奴等はどうせ、動けやしない」
「エイカ、さん?」
意外にも、その手を留めさせたのは先程よりも幾分傷痕を減じ、その分だけ金の髪色を取り戻した被害者自身。
どういう事かと目で問えば、同じく目線のみでその証を見回してみせる。
―――全ての、顔が、呆けていた。
「久々に過ぎて、巧くいくかは分からなかったが……どうやら、成功したらしい」
心を手繰り、絡め取る。これこそが、天昌の鬼崩れに伝わる喪神の異能。
エイカの場合はその身に刻まれた痕の度合いを引き金とし、発動する。凡そ戦場に類する場でのみ通じる、自爆攻撃の類。
「魔、そのものを纏うなどといったあの非常識な破廉恥男相手には、どのみち通用する筈もない欠陥品だ。これで私の身の潔白が、示せると良いんだが」
「……いいえ、いいえっ、十分ですっ!」
この期に及んでそんなずれた事を言って来る人族の友人に、ピアの相貌は涙に濡れて。頭を大きく振って、これ以上の証左はないとその無事を心より喜ぶ。そんな、見る者によっては茶番にも取れよう麗しき儀式。
「何だよ、これ……これじゃあ、まるでぼくが悪者みたいじゃないかぁっ!」
そこへ割り込むは歪んだ正義の成れの果て。だが、真実を知るのはごく僅か。
その僅かにしても過去の類体験により想像を巡らせるに過ぎず、故にその手に握る凶刃を、止める者はいなかった。
「こうなったら、ぼく自身の手で決着を付けてやる!事が終わった暁には、お前を引きずり降ろしてマニちゃんをっ!」
倒れ伏したまま、身じろぎ一つも出来ない程に憔悴しきった様子のエイカ。その傍らで膝付き頭を抱えるピアでさえ、間に合わなかったろう。それ程にミキの未熟な殺意は捩じり込まれ、その歪んだ想いを発条にして襲い掛かる速度は群を抜いていた。
で、あればこそ―――
「いい加減に、せんかぁッッッ!」
閃くは白光同士のぶつかり合い。宙が弾けよう炸裂音が鳴り響いたその後に。
もう一方の白を広場の端にまで吹き飛ばし、その場に仁王立ちとなっていたのは銀毛を猛々しくも揺らめかせ、溢れんばかりの激憤を漲らせる白虎の姿だった。
「おいおい。手出しは無用って話だろうがよ」
「貴っ様ァ……こんな無様を目の当たりにさせられて、まだ言うかッ!」
その傍らよりは呆れた響きを零す、非難の声。
その発生源へと首を巡らしてみれば、そこには場の推移を冷めた目で見守っていたらしき、銀の鬼。怒りの矛先を向けられたのを察したらしく、それ以上は言うまいと大きく肩を竦め、再び樹の幹を背に観戦姿勢を取っていた。
そんな対照的な二人の様子に、ピア、エイカ共に場違いにもぱちくりと目を瞬いてしまう。
刹那の後に振り向けば、そこには地に倒れ伏し、痙攣を見せるミキの姿。先の昏き情動そのものは抱いたままながら、その反面、今の一撃でミキが帰らぬ者となってしまったのではないかと気が気ではなくなるピアだった。
虎親父、激おこ。
本当はマニが顔を出すところまで書きたかったのですが、思ったよりも前振りが長くなってしまった。という訳で次回より終結パート。




