第303話 姿なき妖精
意気込みもよろしく瘴気の鉤爪を振るい、樹牢の扉をこじ開けた俺達。まず真っ先に取り掛かるべきは、一人出歯亀に興じていた下手人の捕獲。
「ふふ。今は失われし、光霊の陽炎。未だ道半ばな君達に、これが破れるかな?」
やっこさん、どうやら本気で今を愉しんでいるらしい。無形の鎧を着込んだままの俺へと対し、どこぞの対決モノに出てくる敵役ばりな挑発の響きは、実に弾んでいる。
「ちィ……魔気の雲が邪魔して、感知がまともに働かねェ」
遠いような、近いような。そんな曖昧な距離感。姿なき妖精の声が音として鼓膜を揺さぶり、その度に三半規管が揺さぶられる錯覚。それは本来あって然るべき感覚の一部が絶たれた事による、身体からの不調の訴え。
本人の言葉にもある通り、光霊の導きという聞き慣れない響きは今の妖精郷に使う者のなき、失われた技術、あるいは固有の能力を指す言葉なのだろう。
その概要としては、一言で言えば認識迷彩効果。間近より声は聞こえども、それがどこから響いているかが視覚聴覚共に認識出来ない。そしてピノと同じく広大な感知範囲を誇るマニのみならず、俺の実に頼りない、だからこそ上空の魔気の雲の影響を受けない筈である神秘力感知さえも全て潰されているときた。
「……これも閉ざされた郷で平和を享受し、のどかに暮らしていた代償か」
ぽつりと呟かれたその言葉に含まれる、僅かな落胆の色。それを察したマニの表情は目に見えて歪み、可愛らしく覗くその八重歯は、下唇へと血の気が失せる程に食い込み破る。
各種感覚を封じて忍び寄り、無防備な懐へと入り込む――それがどれだけ恐ろしい事かは想像に易い。その質の差異こそあれど、シノビ衆の長い歴史を連綿と受け継がれてきた秘奥とまで称される、あの隠形術。それと同等以上の効果を俺とマニの会話に費やされた長時間、披露し続ける辺りはやはり、異能の最たる初代巫女。
だが―――
「あんたらの時代は時代で色々あったんだろうがな。平和に過ごしたなりにも、今を生きる者達の技術は日進月歩しているって事を、忘れないで貰いたいもんだ」
「お前……?」
俺の確信をもった口調にマニは訝り、そして姿なき妖精より返されるのは皮肉気な感情の顕れ。
俺は、身をもって知っている。この手の術に共通する欠点、それは白さんのような半霊体と言えどもここまで物理的な影響を及ぼす肉持つ身である以上、感情の機微に応じて発散される色靄のようなもの、あるいはそこから生じる隠しようもない音といった、肌に感じる振動。
『――なっ!?何故に余だと分かるのだっ!』
ごく最近に披露された、出雲による隠形術にも似た術法。声が聞こえる、といった特性からその対策もまた同じくだ。ならば、と素早く耳打ちをする。はっとした驚愕を返しながらも、マニの瞳に映るは紛れもない、確信。
「それじゃあ時間もない事だし、下らねぇお遊びはここでお終いにさせてもらうぜ」
「へぇ。今やただの仮初となったライタの名残風情から、ここにきてそんな言葉を聞けようとは。いや実に、君は興味深い」
「随分と余裕がありやがりますね」
わざわざ自身の居場所を示すかな拍手の音。だのに感覚を乱されたこちらには、この場のどこかに奴が居るとしか分からない不確かさ。少なくない苛立ちが積もりながらも、それでもはっきりしているのは声が聞こえる、その一点の真実のみだ。
「……準備、出来たッ」
先の俺にも比する程に、志向性を持った風に乗ってか細く囁かれる言葉。そうか、では終わらせるとしよう。
奉じるべき祖霊相手に、マニは対峙の意志を突き付ける。
踏み出される一歩。やはり気配は曖昧に、姿なき白の妖精は俺へ向けていた好奇とは一転、冷めた感情をマニへと向ける。
「一族に伝わる蒼雷の法を受け継いだ、あたしの探査精度を舐めんなッ!」
「おっと」
突如の叫びと共に、放たれるノーモーションからの雷光。マニが得意とする宝玉よりの遠隔射撃は狙いを付けた空間へと迸り……しかしながら手応えとしては、皆無。
「どこを狙っているんだい?」
揶揄の色も濃くせせら笑う声。対するマニは次弾となる宝玉へと雷撃を補充させ、油断無く構えながらも明後日の側を向いたまま。
「いかな速度を誇る雷霆とはいえ、それを司る雷精の動向にさえ注目していれば、まぐれ当たりなどは有りえない。その程度、巫女守たる君ならば分かっているは……ずっ!?」
あの大蜘蛛が森の外周部で大暴れをしていた際の話として、いつだかピノが自慢たらたらに話していた。多くの生命息吐く森の中でも比較的探査対象の詳細を知る方法として、雷精による電磁波反響といったものがある、と。
ピノの場合、切り札の基点ともなる雷精の補助をしてようやく可能とする段階。だがしかし、俺の隣で今も嗜虐に染まったいい笑顔を見せている、マニであれば。雷霆を自在に操り、宝玉へとその効果を埋め込んでの並列遠隔操作という精密操作をも可能とする蒼の一族、ならば―――
「大口叩いていた割にはあっけなかったな、白さんよ?」
「……これは、驚きだ」
マニが雷を放つそのタイミングで、俺は無形の鎧を解除した。すぐ傍を通った雷光による視覚へのフラッシュ効果、また強い精霊力の発揮により俺の動きは一瞬、意識から逸らされた事だろう。
意識の隙間を衝いての数瞬の動向。そして、正確に把握していたマニにより教えられた白さんの居場所ごと、包み込む様に魔気の「繭」を展開させる。こいつを使うのは初めてだが、扶祢が実践した一部始終を目の前で見ていた俺だ。純白の象徴たるその肢体を冒さない程度には、操作にも慣れてきた。
「あたし達の勝ちだ、ざまぁみやがれッ!」
達、ってか。この短時間で随分と縮まった距離感に、やはりこいつも根はおおらかな妖精族だという事実を実感し、苦笑を隠せない。そんな俺に気付く事さえなしにドヤ顔を見せ続けている辺りなんて、特にだな。
ともあれまずは、事情聴取へと入るとしよう。諸手を上げて姿を現した白さんを小脇に抱え、はしゃぎ始めたマニの許へと歩いていく。
これが姿なき妖精捕獲劇の全容。これにて第一ミッション、完遂だ。
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「――あぁ。我はもう、どうしようもない程に、穢されてしまった」
物悲しくも囁く声は、かつてこの妖精郷を背負った者の成れの果て。
事が終わった後に伏せるは当時の優美の見る影もなく、惨めに這いずる地虫のように。悲哀に散り逝くこの姿をかつての同胞達が目の当たりにすれば、果たして何と思う事だろう。
「マニ、一個追加」
「反省が、足りねぇッ!」
「痛ぁ!?しび、しびびっびっ……」
抒情的な三文芝居への付き合いはもう充分だ。現実に戻るとしよう。
おイタをやらかした際のピノ宜しく、目の前で転がされているのは他でもない。現在の俺達を悩ませている事態を引き起こしたであろう、主犯の一人。
「まさか我の切り札の一つを、あんなにあっさりと見破られるだなんて。やるじゃないか」
「見えないものを探る際には、徹底した各種探査からと相場は決まってますからね――こういった現代のスタンダードだって、捨てたもんじゃないでしょう?」
「……ははっ、こいつは一本取られたな。我も所詮は時代に取り残された、過去の遺物に過ぎなかったようだ」
俺の返しに虚を衝かれた様子できょとんと目を丸くし、そう語る白さん。受ける印象は、打って変わって自虐的な感傷。先程までは嬉々として雷玉を振る舞い腹いせを満喫していたマニも、憮然ながらに複雑な表情を見せる。
とはいえ、過ぎ去った過去ばかりを見ていても仕方がない。特に部外者かつ牢へと投げ込まれ、マニの心変わりがなければ今ここに存在するのさえ難しかったろう、今の俺を取り巻く状況が厳しいのは仲間……だったあいつらが一切顔を見せない事からも明らかだ。さっさと本題に進めさせてもらう。
「あぁ、そうか。成程、そうとも受け取れるか」
「あ?」
逸る心に先を促したところ、返されたのはそんな反応。気にするなとは続く白さんの言ではあるが、このひとの場合、前科が多くていまいち信用しきれない部分がある。そこを指摘してみるも、結果としてはのらりくらりと躱されてしまった。
「本来は姿なき誘導者として、謎解きに悩む姿を愉しませて貰うつもりだったけれど。あぁまで見事に捕えられては仕方がない。敗北者が負うべき責務として、魔気の雲に関する情報だけは伝えておくとしよう」
言って伝えられたその内容。俺としてはある程度の納得がいくものながら、妖精郷に生きる者としてはとても信じる事は出来ない話だったらしい。愕然とした顔を見せるマニへ対して、本来ならば妖精郷を護る祖霊としての立ち位置を取っていた筈の白さんはにべもなく。
「つまり俺――の元であるあの身体をフィルターとして無貌が想いの部分だけを裏漉しして食った結果、吐き出された廃棄物は大量の魔気とはなりつつも、もう妖精族を侵食するモノとしては機能をしない、と?」
「全てが全て、という訳でもないのだけれどもね」
「……馬鹿な、有り得ないッ!」
「有り得ない。証拠も無しにそうと断じる事こそ、ナンセンスではないかな?」
同じ出自を持ちながらも、片や再生した最も古き白、そして片や次代を担おう新たな蒼。暫しを睨み合う、互いの間に刻まれた溝は、未だ深い。
「現に蛾堕ちしたあの子達が日を追うごとに本来の人格を取り戻してきている事は、君もよく知るところだろう」
意味深に語られるその言葉に、俺もまた心当たりを思い起こす。
確かに、初めの頃のパピヨン達はまだ、魔物然とした雰囲気を残していたと記憶している。あのパピヨンリーダーにしても、ニケと共に遭遇した昼の時点ではまだ俺達への敵意を剥き出しにし、明確な知性に類するものは見られなかったから。
それが目に見えて変調をきたしたのは、俺達と行動を共にしてから。目の前の白さんが本来の姿を取り戻す以前の、斑な大蛇であった頃にはまともな自我さえ見られなかった。
全ての切欠はあの時に発生した、謎の魔の吸引現象……いや、今更か。あの頃にはもう、喪われた無貌が明確な我を取り戻す兆候が見られていたのだから。
「そんなッ。こんなにもあっさりと解決をされたんじゃあ、あたし達が過去に断じた同胞達は、何の為にッ……」
やっとといった様子で震える声を絞り出す、マニ。蒼の一族は、この妖精郷を護る役割を担っていた。
護る――その言葉の中には、決して表沙汰には出来ない意味もあったろう。マニ達だって、好き好んで犠牲となった元同胞を排除し続けた訳ではない。だというのに、マニ達からすればぽっと出の部外者が乗り込んできて、好き放題をやった後に解決したと勝手な宣言をされたようなものだ。その心情に立ってみれば、到底納得出来よう筈もない。
「とはいえ、話はそう簡単という訳でもない」
その物言いは変わらずながら、不意にその声のトーンが変わる。
ほぼ同時に俺達の立っていた場へと、振り降ろされるは重い蹄による一蹴。
小柄な二人を抱え跳び、着地と共に振り向く反動を利用して後方へと投げ飛ばす。マニは当然として、簀巻きにされていた白さんの落下音や悲鳴なども聞こえない辺り、ようやくおちゃらけた愉悦モードから気持ちを切り替えてくれた様子。ならばもう、後顧の憂いはない。
「つまりこういった連中が、話をややこしくしている理由ってやつですか」
「うんうん。何を置いても現実と向き合う、その話の早さ。実に好ましいよ」
「何なん、だ……こいつはッ!?」
久々となる溜息一つを吐きながら、目の前の物体を仰ぎ見る。
生物、ではなく物体。そう表現するに相応しき、腐臭を放つ半腐れの何か。
額に穿たれた痛々しい傷痕、そして元は純白に覆われていたであろう灰褐色の荒れた毛並み。その全体像より連想するに、神秘の森の最奥にのみ生息すると伝えられる、一角獣の成れの果てか。
「我等、妖精郷を出自とする者を内面より虫食む、魔への誘う気質の大半は消え去った。だが、あの神霊の影による強引なまでの顕現の反動で……今の妖精郷には、ああいった過去の屍達が跳梁跋扈し始めている」
今やニケを彷彿とさせるかな精霊体の姿へと変貌を果たし、肉の枷を断ち切った事により真白な蝶にも似た印象を受ける白さん。呆然とその姿――儀礼顕現の最たるものを目の当たりにした俺達へと向き直る。
「今代の巫女はまた、別の場で違った対峙をしている事だろう――蒼の巫女守よ」
「はいッ……ッグ!」
これまでの道化の如き言動は全て計算尽くとでも言わんばかりに、ごく自然に振る舞われる威厳の中にも慈しみを感じさせる、柔らかな声。それに素直な反応を返してしまったマニは、刹那の後に悔やむ素振りを見せる。
「蒼の自負を語るならば。研鑽を積み続けた護る力、今こそ存分に振るうが良いさ」
「畜生、やってやりゃあ良いんだろッ!」
響き渡る怒号と共に、周囲へは雷玉が駆け巡る。それらは背後の木蔭に潜んでいたらしきモノをずたずたに引き裂き、灼き尽していった。
「うん。やはり蒼の一族はいつの時代も、こうでなくてはね」
完全に臨戦態勢へと入ったマニを中空より満足げに見つめ、気分良さげに宙返り。然る後に白の精霊は、自らの属性に対極をなすであろう存在へと振り返る。
「さて、今の君は確かに仮初だ。しかしそうかといって、この状況を目の当たりにして尚そのまま踵を返すには、些かお人良しが過ぎる――我はそう期待しているのだけれどね?」
君の為すべき事があるとすれば、それだ。そんな声無き言葉を、視線に交えながら―――
読み返してみれば当初のプロットから随分と変更点が増え、まさに跳梁跋扈としてまいりました。ようやく着地点が近付いてはきたものの、依然かじ取りが難しいのう。
P.S.その一方で、ちょっとした別話を思いついて書いてみたら30分程で7割方完成っていうね。つくづくパッションって大事ですわー。




