第034話 vs妖術師?
「――くふっ」
その女は嗤いながら周囲の家を睨め回す。ヘイホーのような大都市とは違い家の窓から漏れる光以外には光源の無い闇夜、その中であの紅く光る眼は否応無しに目立っていた。
「あの眼って、目が合うとまずい類のやつだよな」
「だよねぇ……その護符肌身離さないでよ」
「オーライ」
扶祢に言われ扶祢の母親のお手製らしい護符を首から提げ、皮鎧の中へ収納する。
「悔しいが俺では師匠が出てきた時に何も出来ん。ここは援護に徹させてもらう」
「まぁー、まずは様子見からね」
予想していたよりも随分と冷静な様子でそう言い、ザンガは控えへと回る。それを確認した後に再び窓の外を見る俺の視界に映ったものは―――
「なぁ。様子見するのは良いんだが――」
「どしたの?どこかの弓兵の真似しても頼太には似合わないと思うよ?」
「誰がやるか!?」
また随分な事を宣ってくれやがりますね、このお狐様は。一度その緩い頭の中身がどうなっているか、ロードショー風にでも見てみたいものだ。
「……!?拙いッ気付かれたッ!!」
焦るザンガの叫び。そう、俺達が阿呆なやり取りをしている間にもその不審の女の目線はこの小屋へと留まり、そのままこちらへと歩み寄ってきたんだ。
「ふん。珍奇な視線を感じると思えば何時ぞやの暴れ坊やに……サキ、じゃと?」
余裕の証かはたまた油断か、窓の前まで優雅に歩いてきた女だが、とある一点を見て一瞬動きを止め、若干の間の後に言葉を紡ぎ出す。あの、俺は居ない扱いっすか……?
「えっ」
「な、何故このような場所に……否、サキでは、ない?未熟なこの霊気。野狐、かや?」
「……うっわ」
そのまま狐女は何やらブツブツと独り言を続け、対する扶祢は扶祢で心当たる節でもあるのだろうか。二人の間では話が通じているようだが、内情を知らぬ俺達にはさっぱりだ。
「どういう事だ?」
「えっと……どうもあれ、同郷のご同輩みたい」
「ファッ!?」
こんな異世界の僻地にて、まさかの同郷、しかも扶祢曰く狐妖としてのご同輩、現るッ!
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「ヒッヒッフー、ヒッヒッフー。オーケー、落ち着いた」
「もう、突っ込まないからね」
「……それ自体が突っ込みじゃと、童は思うのじゃが」
「くっ!」
念の為に言っておこう。いかにもなくっころタイミングではあるが、最後のくっ、は残念ながら扶祢ではない。俺達の横で一人シリアスシーンを演じているザンガの言葉だからね!
それはさておき、俺が真実による衝撃でラマーズ法なんぞを実践している時間があれば、狐女が窓の傍までやってくるには十分に過ぎるだろう。女はそのまま窓枠へと片肘を乗せ、紅く光る眼をこちらへと向けながら愉しげに声をかけてくる。
「まぁ良い。して、汝等何者じゃ?毛色こそ黒いがその顔、その霊質、あの忌々しい御先めに似過ぎておるわ」
「それはこちらの台詞ですねぇ。何故同郷のご同輩がこんな場所で、しかもここまで重大な被害を原住民に与えてるんでしょうかねぇ?」
その狐女の言葉を皮切りに険悪なやり取りが始まってしまった。でも何というか、扶祢にそっくりな顔が当人と同じような表情で喧々諤々とやり合ってる姿はどこか緊張感にかけるなぁ。一応吸血鬼の可能性もある要注意対象である筈なんだが、どこか憎めない印象だった。
「抜かせひよっ子の野狐の分際で。童は本来の妖狐のあるべき姿を取っているに過ぎぬ。古来より人を惑わし害するは狐狸の習わしよ。汝こそ何じゃ?このわっぱは日ノ本の人間ではないか、何故そのような輩と戯れておる?」
「戯れ…ってあなたがここの村の人達にやってた事の方が余程戯れでしょうが!大体あなたどうやってこの世界に来たのよ?」
「何じゃ?そんなに顔を赤くしおって。未通女か?そんなでは将来男を誑し込む事も出来ぬぞぇ?」
「――んなっ!?」
扶祢の顔で淫靡に振る舞うとここまでエロスになるのか…GJ。じゃなくて。
扶祢本人は泡を食った表情で顔を真っ赤にさせていたが、そろそろザンガの殺気が危険ラインを割り込んでいるので口を挟ませて貰おう。
「あー悪ぃなおばさん、まずは聞きたいことがある」
「ふむ、何じゃ?」
「……おばさん呼ばわりしても怒らないんだな」
「惚れた女を護る為、わざとそのような言い方をしたのじゃろ?くふふ、健気じゃのぉ?」
「いや、今んとこそういうのは無いから」
「何じゃつまらん」
俺の返しを聞き本当につまらなさそうな様子で嘆息をつく狐女。扶祢もそこで落ち込まれると勘違いしちゃうよ?今回は動揺してたってことで大目に見るけどさ。
「まずはアンタの名前も分からないんでね。自己紹介をする気はないか?」
「人に名を聞く時は『陽傘頼太、でこっちが薄野扶祢とザンガっていう』……喰い気味に言うのぉ。まぁ良い、童はシズカと呼ばれておる」
「――と言う訳だ、少なくとも今ここまで俺も扶祢もこいつの事は知らなかった。少し殺気を抑えてくれると助かるんだがな?」
「……ああ、すまん」
ふぅ、とりあえずは落ち着いてくれたか。このままじゃバックアタックを警戒し続けなきゃいけなかったからな。さて、残りは―――
「別に私だって特にどうって訳でもないけどさ……ほっ惚れた女って言われたのにあの返しは無いじゃんね……」
「今はンな事言ってる状況じゃないだろ」
「ふぁっ!?……ららら頼太今の聞いてた?」
「以降恋に恋する乙女さんって呼ばれたくなきゃきちんと対応をしてくれよ」
「ギャーばっちり聞かれてたー!?」
またしても見た目に似つかわしくない叫び声を上げながら、頭を抱えくねくねと悶える扶祢。一度テンパると立ち直りに難があるのがこいつの弱点だな。お蔭でザンガの殺気が完全に鎮火しているのである意味助かったけど。
「やはりじゃれ合っているようにしか見えんのぉ」
「それは否定出来ませんな」
「……そうかぇ」
そのまままったりとした空気が続く。扶祢がついには頭を抱えたままうつ伏せになり尻尾だけがプルプルと震えている状況が中々シュールであった。
「――はっ!そ、そうだ師匠は!?貴様ここまで村の衆を廃人にしておいて一体何が目的だ!?」
そんな中ザンガが萎えそうになる気持ちを奮い立たせたのかどうかは分からないが狐女、シズカに問い質そうとする。
「――ふん。前も言うたじゃろ、童は調査に来ただけじゃと。鉱石並に頭の固い汝等は全く取り合おうともせなんだが」
「この期に及んでしらばっくれるか!貴様が本性を見せてからというもの既に十人もの女子供が廃人にされた!その前の夜は必ず貴様が出歩いていたのが目撃されている。これをどう説明するのだ!」
「……まぁ今更言うても聞く耳持たんじゃろうが。現在この村の周囲には小賢しい蝙蝠がうろついてるでな、其奴にしてやられたという訳じゃ」
……蝙蝠だと?その言葉に、今度こそザンガの表情が凍り付く。
「それって、こちらの見解と一致するわね」
「――ほぉ?」
いつの間にか復活した扶祢もシズカの言葉に反応を示していた。
「俺達も昼間にこの村の人狼族達に聞き取り調査をしてな。あんたの目撃情報の印象が強いから判断に迷うところではあったんだが、被害者達の状況と被害の起こる時間帯からすると吸血鬼の犯行の可能性もあるんじゃないか、って意見がうちのパーティのちびっ子から出てな。最初はあんたの眼が紅く光ることからあんた自身が吸血鬼じゃあないかという疑惑もあって、こうして今晩ここで様子見をする事にしたんだよ」
「――成程のぉ」
どうやら遭遇即開戦といった雰囲気でもないようだ。なのでどうせなら本人にも意見を聞いてみようか、と話を振ってみたのだが―――
「んで、実際の所はどうなのかな?出来れば同郷のご同輩をお縄にかけるような真似はしたくはないんだけどね?」
横合いから出された扶祢の挑発的な一言で、要らぬ戦争モードに入ってしまったらしい。
「……くふっ、汝のようなひよっ子風情がこの童に敵うとでも思うとるのかや?」
「ええ確かにあなたに比べれば余程ひよっ子でしょうね。でもね……」
扶祢は目を細め、まるで射殺すかの如き視線をシズカに向けて言い放った。
「……あんた、その貌自前じゃないでしょう?母さんの顔でその下卑た表情をするんじゃあ、無い」
そう言うと同時に小屋から外に飛び出し、恐ろしいまでの霊気を漲らせてシズカへと対峙した。
「――く、くふっ…ふふ、あはははははっ!!!」
それに対しシズカは一瞬の沈黙の後、夜空を見上げ気が触れたかの如き高嗤いをし始める。同時に長い黒髪もその眼と同じく紅く光り始めていた。
「そうかそうか!その顔!その霊気!汝はあのサキの娘か!!しかも見たところ相当な幼子じゃ。なれば確かに、理由も知らずこの貌を目にするは不快に違いないのぉ!」
そして、狂喜に塗れた高嗤いが収まりこちらへ向き直るその顔は、その愉悦に満ちた凄惨な笑みは―――
「良かろう。持って生まれた霊気を振り回すだけのひよっ子に、少しばかり先達として積み重ねられた技術というモノを見せてくれる。その身を以って存分に味わうが良いっ」
小屋から飛び出した扶祢へと突き刺さるシズカの鮮烈なる妖気。
扶祢から迸る霊気が膨大な火薬によって撃ち出される大砲だとすれば、シズカが身に纏うそれは禍々しくも美しい妖刀、というか実際に妖気の刀か?その毛色と同じ真紅に染まり淡く光る妖刀を携えているな。
大砲vs刀では一見勝負にもならなく思えるが、その刀からは何物をも斬り伏せてみせようとの強い念を感じる……!扶祢もそれを察したか、険しい顔に一筋の汗が流れるのが見えた。
「如何にや?来ぬならば童より参るぞ?」
「――シッ!」
シズカの言葉を合図に双方ぶつかり合い、お互いの剣戟の衝撃で小屋の壁がミシミシと悲鳴をあげる。これは拙い…かな。
「くっ…俺では足手纏いにしかならんだろうが、ここで彼奴を止めねば村中に被害が出てしまうっ!」
「だけど、どうする?」
どうもあのシズカの言動を見るに、悪意というモノが感じられないんだよな。禍々しさはビンビンに感じるんだけど。そんな迷いに引っ張られて身動きが取れずにいると―――
「クク……安心せぇ、童は身内の幼子に手をかける程、外道に堕ちたつもりはないぞぇ」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、シズカがそんな事を言い放つ。
「……えっ?」
「くふっ、流石はあのサキの娘といったところか。地狐にも至らぬその幼き身でようもここまでの地力を出せたものじゃが。この程度で動揺するとはまだまだじゃな」
その言葉を聞いて動揺が出てしまった扶祢の隙を突き、裏へ回り込むシズカ。
先程まであれだけ痛烈に放たれていた妖気とプレッシャーが嘘の様に消え、扶祢もそれで一瞬相手を見失ってしまったらしい。僅かに反応が遅れたところにシズカの魔の手が忍び寄り―――
「――ほい、一本っ」
スパァアンッ。
「づっ――」
いつの間にか取り出した扇子で後頭部をすぱーんと。見事な透かし当てが決まった。
「ククッ、しかし凄まじい霊力じゃな。童の幼少の砌でもここまではいかなかったわ。素質だけで言えば文句無しの一級品じゃのぉ」
「――っ。そ、それよりっ。さっきの……」
どうやらツボにでも入ったらしく涙目で頭を押さえながら、扶祢は扇子を広げコロコロと笑うシズカに問おうとする。しかし余程痛かったのか、それともショックで言葉が出てこないのか、まるで言葉になっていなかった。
「どうもこいつは混乱中みたいだから代わりに聞いて良いかな?さっきの身内ってのは……」
「うむ。そうじゃな、勿体ぶらずに話すとしようぞ」
そして、コホンと可愛く一拍を置くシズカ。
「改めて自己紹介といこう。童の名はシズカ。サキ――お主の母親の種違いの娘となる。つまり、お主の姉にあたる訳じゃ。初めまして妹よ、以後宜しくの?」
そう言って自己紹介を終えたシズカはあっけらかんとした笑顔を作り、扶祢へと笑いかけていた。
「――えぇええぇぇええっ!?」
まさかの扶祢姉の登場であった……そら顔がそっくりなのも不思議じゃないわな。




