第292話 騒動の裏側で
場としては以前の『聖印』騒ぎの起きた仮宿近く、皇室御用達の印を持つ教会の一つ。
手慰みに手土産となる盤上遊戯を嗜みながら、差す側の一方の言葉を皮切りに話題が呈される。
「ときに釣鬼君。本当に君は、大叔母御と種族を同じくするのかね?」
「何でぇ、藪から棒に」
それはいつぞやの教会立てこもり騒動の際に扶祢が目にし、ルシエルが眠っていたとされる、宮殿内部に位置する古ぼけた廟堂にも刻まれていた印。
過去にこの地で栄えた王国で広く信仰され、しかしながら氷の神獣が大災害によって記録の大半が闇に葬られてしまった。今は詳細不明とされる無貌の女神のそれと酷似する、一対の巨大な翼を象った印だ。
違うのは印の色。無貌の印は闇に染められた漆黒へ対し、知られざる皇族の守り神を顕す印は、純白。また翼に包まれた貌を表す部分にも憤怒に紅く見開かれた瞳とは対照的に、感情を感じさせぬ平坦に閉じた瞼。奇しくも今の妖精郷にて交錯する、白と黒の対照を見るかのよう。
「大叔母御はああ見えて、中々に不自由を強いられているのだよ。気を抜けば鏡に自身の姿を映せなくなってしまうし、招かれぬ場へ足を踏み入れるにも相当な精神的負荷がかかると聞く」
「そう、だったんかぃ」
ステンドグラスに刻まれた印を眺めるギーズにより、初めて耳にする少女の現実。暇を見つけては外務省へと遊びに来ては屈託のない笑顔を向けてくる蠍の少女がまさか、陰ではそんな苦労を背負っていたとは。
異能を変質させた代償――思い返せば先の作戦時には区画を移動する度にわざわざ入り口前で立って待ち、入っても良いかなどとしきりに訪ねていた。慣れぬ潜入作戦で緊張でもしていたのかとばかり考えていたが、招かれねば内部へ入る事の出来ないとされる吸血鬼の伝承と照らし合わせてみれば、成程そういった機微には疎い釣鬼にも日常生活での不自由が想像出来ようものだ。
「唯一の救いとしては君と同じく、自ら生の活力を持ち得るが故の吸血の不要か」
口にされる響きはどこか胡散臭げに。神職を名乗る者の端くれとしては、不死者の最たる吸血鬼と聞いて気分の良いものではないのかもしれない。
「まぁ俺っちはルシエル嬢と違って、身体系の恩恵以外にゃ異能なんざほぼ無ぇようなモンだからな。ローリターンのローリスク、吸血鬼としちゃ最下級って事なんじゃねぇか」
「はっ、君が最下級な。だとすれば、世に遍く吸血の輩が脅威は天変地異のそれにも謳われるだろうよ」
「ンな事言われてもよ……水晶鑑定の結果だ、ならそうなんだろ」
また随分と皮肉気な返しが来たものだ。事実、釣鬼が吸血鬼化してしまった要因も明確であるし、時の賢者が神器を模したとされる水晶鑑定の的中率は驚く程の正確さを維持している、と伝えられている。その手の分野はからっきしな釣鬼としては、そう答えるしかなかった。
「鑑定、か。どうにもあれは、好かんな」
「好かねぇって、大将。軍なんかじゃむしろ、便利で重宝すんだろ?」
追い詰められた心境のまま、つい口に出してしまった軽い本音。対してギーズは珍しく不機嫌の色を隠す事もなく、容赦もなしに相手の瑕となろう基点へと自らの駒石をぴしりと打つ。
お手上げとばかりに諸手を上げ、投了の意志を示す。そんな釣鬼を前に、腕組んで背もたれへと身体を預けたギーズはやはり、どこか気分を害した風に語り続ける。
「ジェラルドの奴は参考程度にはなるなどと言ってはいるがね。我が軍では公式なあれの使用許可は、出してはおらんよ」
ギーズ曰く、人の心の深層がそんなもので軽々しく見えてたまるものか、だそうな。随分と嫌われた過去の賢者に幾許かの哀悼を捧げつつ、言われてみれば帝国領へと足を踏み入れてより、幾つかの関での検問の際にも、鑑定の類をされる事はなかったなと思い返す。
「だけどよ、あれを使えば簡易的な取り調べが易いのもまた事実、だろ?」
「問題なのは、あれの全容が解明されぬままに民間のギルドなどを中心として、広く普及してしまっている事なのだよ」
そこに至り、釣鬼はようやく納得を見せる。この軍務参謀を取り仕切る男は、日々のコストパフォーマンスよりも重篤なる事態へ対する危機管理の側に、大きく比重を寄らせているのだと。
それは国防として譲れない一線。聞くところによれば公国界隈でも、公と民の情報調査に関する姿勢の差異が齟齬の要因とも言われている。近しい者では出雲やトビも鑑定結果に目を通しこそすれど、足を使った調査を疎かにする事はない。調査そのものには時間をかけ、綿密に当たっているのは釣鬼も知るところだ。
サリナを始めとする、サナダン公国に本拠を置く冒険者ギルドの職員達は基本、水晶鑑定を多用する。それは責任の重さの違いとも言えるが、公国が比較的魔法水準の面で諸国に先立つ位置を取っている自負、といったものも理由の一つ。
対してここ帝国では軍が技術の主導をする文化として、魔法もあくまで目的を達成するが為の手法の一つ、といった考えが根強い。目の前のギーズもまた然り、専業として軍務に従事する魔砲部隊所属の魔導師などはその最たるものだろう。
「余もその意見、そのものには賛成だなっ!」
「おう、やってきたな子狐姫」
「だからその恥ずかしい言い方をやめろと言っておるだろー!」
そんなやり取りへと、やかましくも闊達な声を張り上げ割り込む童姿。釣鬼の直轄の雇い主でもあり、ワキツ皇国特使団を率いる長たる者だ。
出雲はずかずかと教会の通路を横切り、奥まった壁際に陣取る二人の前へと進み出る。そのまま半身をずらした釣鬼の隣の席へとつき、行儀も悪く片足を立てながら、挨拶代わりとばかりに散らばっていた駒石の一つを一指し、音も高く打ち付けた。
「昨日の今日で、懲りずにまた挑戦かね?」
「言っておれっ。今日の余は、手強いぞっ!」
互いに臨戦態勢を取りつつも、そんな自身を愉しむ余裕を見せ付け合う。
出雲とギーズの戦績は、七日程前にこの場で引き合わされてより、三勝三敗。互いに今日こそはと意気込みながらもその目は笑ってはいない。
本来であれば政務と軍務が対立の代理人、しかも片や他国の裏を司る者だ。非公式とはいえこうして同席し、暢気に駒石を差す仲ではない。
それが何故に結び合わされたのか。その理由は、以前にシノビ達の借宿へと姿を見せた白を名乗る者の存在だった―――
「――我等が妖精郷の協力をどうしても得たい理由が、あるのだろう?」
伴の数も制限されたままにこの教会にて引き合わされ、即座に臨戦態勢へと入ったのも束の間。妖精族としての証を持ちながらも見た目の幼さにそぐわない、確信をもったその一言により二人は理解をしてしまった。ここで無闇な対決をすれば、仮に相手を制したとしても得るものは何もない、と。
「それと、この情報は一陣営にしか教える気はないよ。今の我等の如く、敵味方に分かれられては交渉相手にも不自由してしまうのでね」
「ぬっ」
「む……」
ここにきて当の関係者らしき人物よりの、重大な言質。
今の妖精郷がとある事情により、分裂の危機に瀕している事はそれぞれ手の者を使い、双方共に把握している。しかし直に見聞きした情報ではないが為、どう動いたものかの判断が今一つ付かなかった二人だ。この発言に対する反応としては実に悩ましいものとなる。
「あぁ、そうそう。我はライタ個人へ対して、全面的に協力をする理由がある。さて――」
馴染みも深い生意気幼女にも通ずる、愛らしい顔に浮かぶ探るような目線。
「ふっ、あの平民と私は一度は決闘にまで至り、後に善き協力を得る関係となったのだ。私との交渉の席に臨むのであれば、この帝国との円滑な協力関係の再構築は保証しよう」
「なにをっ!あれは元々、余の配下だっ!余が許可を出さねば此度の依頼自体、受ける事は無かったわっ」
兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきを睹ざるなり――話題に上った若者の出自である世界の、とある国の故事にある。
威圧から一転、それを体現するかな掌返しな姿勢を見せるギーズに対し、あれは自分の所有物だと殊更に繋がりをアピールする、今だ女狐としては不足な姫君。その一見微笑ましくも中身は見苦しさ極まる利権の奪い合いといったやり取りに、眼前の席へとついた白の妖精は気分を害する様子もなく、くすりと余裕の笑みを見せる。
実に、やり辛い。この時の二人の心境はこれに尽きるだろう。常日頃より相手を煙に巻き、あるいは恫喝し、手を替え品を替えで相手の反応を見るに長けた者達としては、こういった反応が最も対処に困るのだ。
「ふふ。レイモンドとのやり取りを思い出す様で、懐かしいな。あの時も条件のすり合わせで苦労をさせられたものだ――結局、三日三晩を語り通した辺りであいつが音を上げたのだったっけ」
駄目押しとして建国の祖たる、初代皇帝のファーストネームまで親しげに出してきた。
この時点でギーズは先の釣鬼を彷彿とさせる様子で諸手上げ。残る出雲にしても、怪しく光る瞳を以てその内面を覗き込もうとする白に薄気味の悪さを隠せない様子。
「一つ、聞かせるのだ」
「何なりと」
「その面は、ピノの奴の姿を借りたものか?」
帝国が興ってよりはや数百年。いかな妖精族を出自とするとはいえ、当時に皇帝との直の交渉を可能とする立場であった者が、今以て見た目通りの存在とは考え難い。齢経て化ける、とはよく言ったものだが……目の前で怪しく含む笑みを見せる白き妖精もまた、その類であろう想像をするに易い。
「ふふ、さぁてね」
投げかけた問いかけへと返されるは、実に妖精らしき悪戯っぽい仕草。
言葉としてははぐらかしつつも、目に映る感情までを排するつもりはないらしい。予想外に見せる真摯な顔に、確信を得た素振りで渋い顔を晒した出雲は嫌々といった風にギーズへと視線を向ける。
面するギーズの側もまた何かを察した様子で瞼を閉じ……やがてそう長くはない時が流れた後に、示し合わせたかの様に口を開いた。
「ジェラルド達へ、どう伝えるかが問題だな」
「あの捻くれが、素直に応じるかなっ」
ガラムの報告を受け、危急と判断したジェラルドの隊が出立したのがつい先日。それに遅れること数日、よもやこうして妖精郷の側より直の接触があろうとは。
こういった緊急時に使用を想定された護法文書は、既定の場と相手へ向けて送られるものだ。しかし外苑部近郊へと赴いた、ジェラルド達の正確な現在地はギーズでさえも把握出来ていない。
その求められる性質上、前線や旅先の相手へと送る事も可能な護法文書ではあるが、此度のような相手の位置が把握出来ない状況では送信先の設定が出来ず、機能しない。つまりジェラルドとの連絡を取るには近場まで赴き狼煙を上げて報せるか、実際に探し出すしかないというのが現状だ。
「……ここは一つ、中間管理職達に泣きを見てもらうとするか」
「余の配下共が接触を試みたとて、聞く耳も持たんだろうからなっ!」
「話が纏まったようで、何よりだよ」
こうして帝都の一角で、現地で葛藤をしていた頼太の想いなどを遥かに超えた、腹黒いやり取りが取り交わされてしまう。傍らでそれを聞かされる羽目となった釣鬼など、昨今定番となりつつあるうんざりとした顔を晒してしまう始末。
「ときに釣鬼君。ここらで一つ、ボーナスなど欲しくはないかね?」
「うむっ!我らがシノビ衆にも劣らぬ隠密性に、各種対処能力。有能な配下を持って、主として誇りに思うぞっ」
「はぁぁ……結局そうなるのかよ」
どうやら自分は今回も、貧乏くじを引かされるらしい。
結果としてとても表に出せない話ではあれど、アトフにすら秘密裡となる協力関係はここに成ったのだ。
「んじゃ、行ってくるぜ」
「頼んだぞっ!あやつらのみでは捻くれの隊を相手取るにはちと苦しいからなっ」
都合七戦目となる陣取り遊戯が引き分けに終わったのを見届けた後となり、こちらもどこかで所用を済ませてきたらしき白の妖精による先導を受けて出立する。
釣鬼の役割としては夜陰に乗じて引っ掻き回す、妨害担当。傭兵業を廃した身が何の皮肉か、ここにきて過去の斥候経験を役立てる場面が増えてしまったものだと複雑な想いに深い息を吐いてしまう。
「そう気を落とす事もないだろうさ。聞くに、君はあの子達の保護者のようなものだろう。見守る者達が成長をする様をこの目にする、というのはこれで中々、悪くない」
「……へっ、それを言われちゃ何も言えねぇんだけどよ」
考えてみれば、帝都周りの不穏は当初に比べ随分と落ち着いてきたものだ。白の妖精が言う通り、たまには観光がてらに遠出をするのも悪くはない。
一つ大きく息を吸い、冷たく澄んだ郊外の空気を肺へと取り入れる。そして気分を入れ替えた後、釣鬼は白と共に妖精郷への旅路に就いた。
という訳で帝都側の動向を少々。釣鬼先生の出陣です。




