第290話 妖精郷内部劇⑤-狂い始めた、セカイ-
「さよならっ、ワァ~!いつまでたってモォ~♪」
とてもいえそうに~、アーリーまっせん~。
いまだ査定会も真っ只中、このまま妖精郷に別れを告げるには少しばかり事が不足していると思わせられる時期尚早。壇上にてこぶしを利かせ、喉を震わせるは明るき衣。幼き姿にそれを纏い、見合わぬ情感を詩に込めて伝え広げる出演者。
「ナニコレ、ナニコレ?」
「スゴーイ!」
「ねえや、かっこいいー!」
その詩の意味は分からずとも、感性として伝わる部分は、ある。
別れと、旅立ち。二つの意味を持つその詩に感化され、遠い異邦にて幅広い支持を得た、歌謡曲の流れを汲む抒情詩が一つ。謳うは日々の宴会芸でもその美声をふんだんに活用し、知る人ぞ知る巷の歌姫として名高い我らが幼女だ。
『腰の捻りが甘いっ!もっとこう、キレを感じさせつつもっ!ぼんっとしてからきゅっと締めて、限界まで内面に引き絞った衝動をまたぼぼんっ、って華咲かせるようにするのだわ!』
『何言ってんのかわかんねーヨ!?』
この三日程というもの、その道の専門家でもある某お狐様による仕込みが施された。
妖精族の特産品である、透き通った翅をあしらった薄絹のような羽衣。アラクネーの糸織物にも引けを取らぬそれを上機嫌に縫う合間にも続けられた扶祢のレクチャーは、いわゆる天才肌タイプというか、正直何の参考にもならない内容だったと記憶している。自らの実践する例としては見事かつ艶めかしいと言えようながら、言っている内容は擬音まみれで教育者としては赤点も良い所。
『はッ。興味の無いものには全く触れようともしないピノじゃア、やったって無駄だろッ。精々査定会で恥を晒すんだなッ』
『言ったナァ~!?』
それでも基本的に短気なピノにしては、相当の頑張りを見せたと思う。
巫女の社へと赴いたマニが、帰り際に揶揄う様に残していった言葉。皮肉にもそれに奮起して、平時であればとっくに投げ出していたであろう、地道な振り付け訓練をこなし続けた姿勢にはついついほろりとさせられたものだ。
『モー、いいから扶祢はお手本だけ踊り続けといテ。それ見ながら自分でコツを探すカラ……』
『それじゃあ折角だしこの機会に!新作モーションのお披露目、いきますっ』
『だからそういう余計なアドリブが要らないんだってバ!?』
『……私がここに居る意味は、あるのか?』
『重ね重ね、お手数おかけします……』
帝国よりの使者との会議という名義で貸し切られ、巫女自ら風の精霊への呼びかけにより防音化を施された樹上の会議室。その内部でこんな俗っぽいやり取りが行われているとは誰が思うだろう。
一番の被害者はある意味、訪問者がときおり訪れる度に難しい顔での会議の振りをさせられた、ピアとエイカさんの二人だったのかもしれない。
「――私は私はア・ナ・タからッ、た~びぃだち~まスゥ~♪」
それでも、そんな数日間の努力の甲斐はあった。
妖精族達にとっては耳に慣れぬであろう旋律に、ピノご自慢の美声による歌唱力。歌詞としては日本語そのままながらも、そこに情感の演技までもが加わった事により舞台は大盛況。感受性の強い一部の妖精達などは、はらはらと涙を流しながらの感化をされた様子で起こる、スタンディングオベーション。
「くそうッ、意味も分からない歌の癖にッ!」
「だ、大丈夫。マニちゃんだって、素敵だったものっ」
この通りぎりぎりと対抗心を剥き出しにしてくれるマニだって、一つ前の手番では過去にこの妖精郷が興った成り立ちを再現したと言われる、見事な伝統舞踊を披露してくれた。
どこか郷愁を誘われるかな、しっとりとした祝詞を伴った旋律を口ずさみ、まるで見えない何かとの接見の様子が受け手にもはっきりと見えるかのよう。心が洗われる、そんな陳腐な言葉を高尚なままに体現していたんだ。
「デモ、見栄エシナイヨネ」
「飽キター」
「ぐぎッ……芸術を解しない連中めッ」
だが、忘れてはいけない現実がある。
相手はほぼほぼお子様連中。そして子供心というものは兎角、珍しくも真新しいものに目が向きがちだ。この高尚な振る舞いを理解せぬ愚民共が、などと顔をキリッとしてみせたところで、投票権という絶大な影響力を持つ者相手にそれをやってしまうは悪手。これは、頃合いかな。
「作戦、開始――プラン"D"」
「……ピッ」
マイクパフォーマンスによる実況はそのままに。ぼそりと呟いた俺の声に呼応して、檀の下よりはそんな声。フードを目深にかぶった小さな者達が動き出す。
「あ、あれ……今のは」
「はいミキさま!どうか致しましたかっ」
こんな高揚とした場でさえ仄かな気配の変異に気付く辺り、やはり過去にこの妖精郷を率いていた白の直系。現巫女であるピアをして、その資質だけで言えば自身を超えるとまで言わしめる程の逸材。
それだけに、こちらも事に当たる上では最も手強い相手としての認識を持っている。であればこその精神的な揺さぶりとして、会場の意識をミキへと誘導する。
「えっ。あ、えぇっと……何でも、ないです」
「どうやらミキさま、お次の演目へ向けて少々緊張されていたご様子ですねっ。皆さま、ミキさまの心を解す為にも盛大なる声援をっ!」
「ガンバレー!」
「男ノ娘、カワイー」
「あ、あぅぅ……」
これで、上り性なミキも身動きが取れなくなるだろう。
知らず気分が高揚し、その証としてマイクを片手に握る手の平にはじっとりとした臨場感の証左。
失敗は許されない、それでもだ。やはり、勝負に出る際のこの心躍る感触は堪らない。
ただ漫然と生きるだけではなく、何かを成す。その為に頭を捻って、小細工と揶揄されようとも最大限に努力をする。それこそが現在の俺にとって、現実を生きる実感となる。
司会進行の薄っぺらい笑顔の仮面を被りつつ、その下では虎視眈々と相手の玉を喰らう機を窺う。この裡に秘めたる焔が燃え上がるかな高揚感。それがどうしようもなく愛おしく、そして代え難い。
(――キヒッ。い~い塩梅に儂の側へと近付いてきたのう)
ふと、とてもちかいどこかで。そんな。こえがきこえる。
(じゃが、本来のおのれは本当に――《お前の、望むままに進メ》)
でも、その声は。割り込んできた更なる声により掻き消されてしまう。
耳を澄ましても、もうそれ以上は聞こえてこない。仕方がなく意識を現実へと引き戻す。
そうだな。俺の、望むまま。それは―――
「あ、あなたは。何故、そんな状態で生きていられるのですか……?」
「―――」
気付けば目の前で震える白の巫女守は、目を一杯に見開いて。
その身体は目に見えて震え、か細い脚は今にも崩れ落ちそうで。
「頼太、さん?」
「猊下の不利益になる真似を見せてみろ。そっ首、この場で撥ねてやる」
どうやら白の巫女守を皮切りとして、同じく壇上に立つピア、それに集計席で処理に励むエイカさんにもその異常は察知されてしまったようだ。少しばかり、出過ぎた真似をしちまったか。
「やだなぁ、皆――」
「もう、限界だってナラ。せめてこのボクが、引導を渡してやるケド?」
凛と刺し込む声。それは至って冷静で。
反射的に振り向いた先。そこに映るはやはり、冷めた眼の光。
それでもだ。若干遅れて蒼の巫女守までもが危機感を孕んだ殺気を向けてくる中で。唯一紅の巫女守が眼に映してくれる意志だけは、不機嫌ながらも確固たる何かに支えられている様にも見えた。
「……クソが。ンな目を向けられる程、俺は聖人君子じゃねぇっつの」
「頼太なんかにそんな期待、してる訳ないじゃン。で、どうすんノ?」
何故だか抱いてしまった胸糞の悪さに吐き捨てる。返ってきたのは同じ位に程度の低い、憎まれ口。
しかし俺は見てしまった。微かにだが、ピノの瞳の中に揺れる、想いを。
そして俺の視線を受けたピノは、自らのそれを斜め上方向へと移す。
「へっ。あれこそが、本当の対策ってか」
「ソッ。改めて聞くけど、どうするつもリ?」
その方向に位置するものを確認し。俺の裡に燃える焔が、急速に萎んでいくのを感じる。何故ならば……いや、それこそ語るまでもないってやつか。この生意気幼女達は平常通りに俺と付き合いつつもその実、しかと俺の裡に起こっている異常を察していたと、言う訳だ。
「――プラン変更、Aでいくぜぁ!」
「ピキッ!?」
「ピピッ!」
もう、これ以上の醜態は晒すまい。元より俺達は、青き未熟を絵に描いた未完成。ここで無理に妙な仕掛けを施してしまえば、それは巡り巡って火種となって取り返しのつかない事となりかねない。
『プラン"A"と"D"?AとBじゃ駄目なノ?何でD?』
『そんな一号二号みたいなのじゃあ味気無いだろ。ここは意味ある頭文字をだなぁ』
『ふーん……ちなみにDって、何の略なのさ?』
それに対する俺の答えは何だったか。ややぼやけてしまった頭の片隅で、朧げとなってしまった記憶を弄る。確か、あれは―――
―――ドミネーション【domination】:支配、制圧。あるいは威圧の略。
ふとどこからか、こえが、きこえる。
――あぁ、そうだった。旧態依然とした仕組みを変えるには、大掛かりなものが望ましい。そう、答えた俺に対して、あの二人の向けて来た目は、実に哀しげで―――
「―――」
「ドシタノ?」
「アノ人族、マタナンカヤッタ?」
身を焦がす昏き衝動を改めて認識しながら、出来得る限りの抵抗を試みる。
時には若さゆえ、その勢いこそが必要とされる場合もあるだろう。だがそれは、あくまで最終手段にしたい。少なくとも今この時に楔を打ち込んで、後々へ響く不和を生じさせてまでやるものではない。
「えー、皆さん誠に失礼致しましたっ。こちらの手配に色々と不備と怠慢が生じた為に少々裏作業へと入っておりましたが、一部それがフェアではないとのご指摘を受けてしまいましたっ」
「あの、頼太さん。一体、何を?」
会場へと向けて語り始める俺に、皆が戸惑いを見せる。既に宝玉を展開していたマニでさえ突如として起こった状況の推移についていけない様子で訝しげに眉を潜め、代表して俺へと問いかけてくるピアの声には混乱の色がありありと見える。
今の俺は、まともな状態ではない。これはもう、疑いようもない事実。これまでは症状も比較的軽かったが為に騙し騙しでやってはこれたが、事ここに至ってはもう、誤魔化しようもない。
自分が塗り替えられてしまうかもしれない恐怖。まだ明確に実感をしている訳ではないが、この身を包む漠然とした不安感。
あのパピヨン達、それに黒に染まりかけてしまった妖精族の子供達。あの子達はこんな、自己認識が狂ったかな恐ろしさを、味わい続けたのだろうか。
「ツマリ、ズルシタ?」
「ズルシチャッタノ?人族、ズッケー」
「はいっ。先日に引き続き、またまたやってしまいました!これこの通り、甘んじてお仕置きも後で受けますんで、平にご容赦をォ~!」
俺はそういった魔の気質への親和性といったものが高く、それがそういったモノへ対する感受性の鈍さにも繋がっていると、その道の専門家達は口を揃えて言ってくれる。
その俺に、自覚を出来てしまう程にここまでの症状が顕在化してしまった。となれば、終わりは予想以上に早いのかもしれない。
軽薄な芝居はそのままに、体中に衝撃の痺れが奔り、奥歯は寒気に打ち鳴らされて。
怖い。平時の目に見えた恐怖や強迫感などとは全く別次元の、自身の喪失への予感。今ならば、あの腐れジジイが何としてでもこの世にしがみつきたかった、あの切羽詰まった想いの片鱗が理解出来る。それは言い方を変えれば、自らの終わりに対する恐怖。
「どう、します?」
「却下だッ!もうこの人族だけは信用がならないッ、すぐにでも郷より追放しろッ!」
「ボク、はんたーイ。これって今回の動議と、本質的には同じ話だもノ。そんなのに強権使ってたら独裁と変わらないッテ」
「あっ、あのあの!僕は、えっと……」
内面ではそれどころではないというのにだ。頭の片隅ではそんな恐怖と混乱に相反し、冷静に現代表達の話を聞いて理解をする自分がいる。
人の心とはかくも不完全な癖に、平時には考えられない程のスペックを発揮する、などと学生時代の心理学マニアな先生が垂れていた蘊蓄を思い出し、苦ら顔にもくすりと笑み一つ。
「――ふふ、この期に及んでそんな笑みを零せるとは。君は思ったよりも、自己の根幹がしっかりしているのかもしれないな」
俺の異常に端を発し、進行が止まってしまった査定会。会場の至る所よりざわざわとした喧騒が流れ、暢気な中にも聡い妖精達の一部が騒ぎ始める。そんな最中に、かけられたのは。
「えっ」
「なッ!?」
「いつの間にっ」
聴衆達をしん、と静まり返らせる、落ち着いたながらも凛と響くは、白き言の葉の顕れ。
「やぁ。見るにまだ幾許の余裕はある様子で何よりだ。我の望む形とは少々違ったが、今こそあの時のお返しをする時間かな?」
「そう、っすね。こいつは少しばかり、いち凡人の身には余る事態かもしれませんわ」
耳に心地良くも落ち着いた優しさ。その音色は聞く者に幾許かの精神の安寧を齎してくれる。
今やはっきりと往年の形を取り戻した、白さんとの再会だ。




