第032話 人狼の村にて②
「妖術師……?」
いきなり食って掛かってきた人狼族の男の発言に、思わず扶祢が眉を顰め聞き返す。
「しらばっくれるな!族長に取り入り怪しげな術で虜にしただけでは飽き足らず眷属まで呼びおって!――いやそうか。その尾の面妖さ、貴様の方が本体という訳か……今度は人族に取り入りついに我等を滅ぼす気だなっ!」
その扶祢の返しに何かが我慢出来なくなったのか、その男は更に激昂してしまう。鬼気迫る表情とはこの事か。例え昼間でも良い子が見たら間違いなくおしっこちびってその後のトラウマになりそうな顔で扶祢に跳び掛か――チッ!
キィン、ザシュッ!
「ぐあっ!?」
奴の爪撃を槍で弾き、その反動による返しで攻撃してきた側の腕の腱を斬る。扶祢は当然反応しているものの、俺の方が位置が近かったので先んじて防ぐ事が出来た訳だが……。
「手前ぇ、何いきなり殺しにかかってきてんだコラ」
「あ…頼太……」
あっぶねぇ!完全に殺気を中てられていなければ反応できなかったぜ……。
扶祢を殺す気だったのに対し頭にきてるのも事実だし、それをさせるものかよと思う心も本心ではあるけれど、実は内心バクバクでありました。悪足掻きスキルスゲーな、明らかに力と反応速度が一瞬上乗せされたのが感覚的に理解出来てしまった。
そうと思って振り返れば、釣鬼の修行時にも何度か発動していたのが今になってみればよく解る。これは案外当たりスキルだったのかもしれないな。
「ザンガ!?」
「おのれよくも貴様等ァァ!!」
その状況に残りの人狼達も一斉に沸きたつ!しかし―――
「黙らんかこの愚か者どもがッ!!!」
「「「―――っ!?」」」
人狼の若長のとんでもない大音声による一喝が響き、人狼族の男達が動きを止める。耳まで抑えて相当効いてるみたいだなこれは。
そこで俺はふとある出来事を思い出し、横の扶祢の方を見――ジト目で睨み返され無言で前に視線を戻す。
「……何を期待してたのかな、頼太くん?」
「い、いやぁ別に。扶祢さんのことが心配で振り向いてみただけデスよ?」
「それにしてハ視線が妙に高かったケドナー、まるで耳を見ていたかの様ナ」
「わぅわぅ」
「まぁ俺っちも一瞬もしかして、と思ったりもしたが」
「………」
うん、そりゃこの状況で怒号による喝で耳をやられるなんてボケはかまさないよな、失敬失敬。
まぁそれは置いとくとしてだ。
「――この者共が大変失礼をした。言い訳になってしまうが、現在我々は切羽詰っているのでな。タガが外れやすくなっている者が居たようだ。非礼を詫びよう」
そう言って、若長は深々と俺達に頭を下げる。確かにさっきのザンガと言ったか、そいつが族長がどうとか言ってたな。
「何か訳有りみてぇだな?」
「ああ……恥ずかしながらな」
「何だったら冒険者ギルドに掛け合うかい?妖術師がどうとか言っていたが。冒険者ギルドはそういった手合いの処理の専門家達の集まりだぞ」
ここが妥協点を引き出す切っ掛けと見たか、恐らくこの場に居る者達の中で一番落ち着いて全体を見渡していたであろう釣鬼が代表して若長と話し始める。
「うむ――お前達、落ち着いたか?」
「は、はい。すまねぇ若長」
「グッ……俺は信じねぇ……ぞ」
だが、ザンガと呼ばれた男は未だ扶祢に強い憎悪を向けている。その強い視線を受ける扶祢は随分と居心地が悪そうだな……。
「手前ぇいい加減にしろよ。そのふざけた目付きで扶祢を見るんじゃねぇよ」
「………」
「ザンガ」
「――チッ」
扶祢の前に立ちその視線を遮り、ザンガに槍を突きつける。それでもまるで間に居る俺が見えないかの様子でこちらを睨み付け続けていたが、若長の呼びかけについには折れて明後日の方を向く。
「あー……兎も角だ。その気になりゃ殺し合うなんざ直ぐにでも出来るんだからよ、まずはお互い腰を据えて話し合って状況の整理をしねぇか?」
「そうだな。ここまで迷惑をかけてしまった以上は説明をするべきかもしれない」
「若長!?」
「良いんですかい?奴は決して村の者以外には教えるなと――」
「ここで何も出来ず手をこまねいているだけではどうしようもない。ならばこれも縁と考え、彼等に助けを求めるのも一つの手だろう」
「クッ……」
「そう…かもしれませんね」
「くそっ、師匠……」
どうやら相当に深い理由がありそうだ。
そして場が静まったのを見て取った若長が、この村に起きた事件について語り始めた。
「今から半年程前の事になるか。一人の狐人族の女がこの村へ立ち寄ったのだ――」
―――その女が村人達へ話した来訪の目的は近くの森の生態調査。
気位の高い狐人族にしては妙に物腰柔らかであり、またその見た目の麗しさも相まって、典型的な村社会であり刺激の少ないこのサカミ住人達は珍しい物見たさと旅先の話目当てに概ね歓迎する傾向であった。何より、その女は一年前から病で臥せっていた人狼族の族長を診察し、その病を祓ってくれた。これにより病状は徐々に回復し、快方に向かったのがこの女の滞在を認めた理由としては大きいだろう。
だが、今を遡る事およそ二月。族長の容体が急変してしまう。
世話役の子供達が族長に声をかけようとも目の焦点が合わず、そしてまともなコミュニケーションも取れなくなってしまう。またその頃より狐人の女が夜な夜な族長の家に忍び込むようにもなった。それは人狼族の耳で辛うじて聞こえる程度の僅かな衣擦れの音ではあったが、それが決定的な要因となった。
元は余所者、ここにきて疑心暗鬼を生じさせた村人達は狐人の女へと詰め寄り悪し様に罵り始める。
『恩を仇で返すとはこの事だ』
とはその女の言葉。それの真偽は定かではないが、長い時を閉鎖的な環境で過ごし視野が狭くなっていたこの村の人狼族にとっては耳に痛い言葉であり、しかし疑念を抱えた状態ではその言葉を素直に聞き入れる事も出来ずに互いの主張は平行線となってしまう。
「あの時、もう少し俺達が冷静になっていれば。あるいは今日の状況は無かったのかもしれないが……」
「何を言うか!現にあの後あの毒婦めは族長を誑かし、村の子供達すら虜にしてしまっただろうが!」
「……あぁ、そうだな」
当然の如くその場の交渉は決裂してしまう。
女は言った。村の汚点になる故に自分が解決するまでは村の外には知らせぬのが無難だろう、と。
元より余所者などに頼る気は無い、だが最早この女の態度にも我慢がならぬ。村の自警団の若者達はその場で女に襲い掛かるが、のらりくらりと躱された挙句に族長を操りけしかけてきたのだ。
これは性質の悪い幻か?最後に倒れる若長が見た光景は、操られた族長の側で目に冷たい光を湛えて自分を見下ろし、呆れたような溜息を吐く狐人の女の姿だった。
「それから女は族長の宅に居座り、夜になると村人を弄ぶかのように出歩き恐怖を振りまいていた。一度完膚なきまでに叩きのめされた我々ではどうする事も出来なかったが、更に事態が悪化したのが一月前の事だ」
そして最悪の事態がやってきた。村の子供が一人、また一人と神隠しに遭い始めてしまったのだ。数日後に森の近郊で発見はされるものの、揃って正気を失ったその子達は今も回復の目途が経っていない―――
「――もう、限界だ……村の誰もがそう感じていた。そんな折だ。あの女に瓜二つな狐人族が冒険者を名乗る一団に同行し、我等の目の前に現れたのは」
若長はそう言って話を締めくくり、扶祢に視線を向ける。見れば人狼族の若者達も皆、恐怖と疑念に満ちた目付きで扶祢を見ていた。
「はぁ……ほぼ黒じゃないのそれ」
だがそれを知ってか知らずか、そんな感想を口にする扶祢に人狼族の若者達は揃って面食らってしまい、場には何とも言えない微妙な空気が流れ始めてしまう。普通に考えれば族長を操って子供を拐かしてる時点でアウトだよなぁ。だがそれを真っ先に口にしたのがその妖術師とそっくりらしい扶祢が言う事にかなりの違和感を覚えてしまったらしい。
「だけどよ、そいつは自分が解決するって言ってたんだよな?その時にもうちっと落ち着いて話し合いをしときゃ、もしかしたら別の解決の糸口も見えたかもしれねぇな」
「……そうなんだよなぁ。せめてあいつの事情を聞いてからでも遅くは無かったんだよな」
うーん。どうやら若長は比較的冷静な感じに見えるんだよな。村の若い衆の意見に押されて止む無く決裂、って感じなのかな?
「だが、若長!あいつが族長を操っていたのは事実だ!若長は悔しくは無いのか?アンタの親が良いように扱われているんだぞ!」
「その一時の感情こそが誤った判断をしてしまったかもしれない元凶だと言っているんだ。今この場だからこそ言うが、俺はこの昔ながらの村の慣習を時代に合わせ、変えていくべきだと思っている」
「……アンタまであの女に操られているんじゃあるまいな?」
「まぁまぁ待て待て。そういった話はこの事件が解決してから存分にやってくれよ。今はまずその妖術師の一件が最優先だろ?」
またも熱くなり始めた人狼族の若者達に釣鬼の諫めの言葉がかかり、その場はひとまず解決に向けた話し合いをする事となった。
「それにしても、扶祢そっくりで見た目は狐人族な妖術師、ねぇ」
「そもそも妖術って何なのサ?」
「正確には分からん。怪しげな術を使うから妖術師と言っているだけだ」
ならば相変わらずその正体は不明という事か。
「だがよ、扶祢にそっくりってのがちと気にはなるな」
「誑かしたり拐かすって辺り、狐人族、っていうよりも狐狸の類に思えるな」
「コリ?」
「うちの故郷の伝承みたいなものでな。狐と狸が人を化かすと言われてて、それから生じた妖狐とか化狸というイメージが象られた妖怪……こっちで言う魔物みたいなものだな」
オウム返しに聞いてきた大雑把にピノに説明をしてやる。詳しく説明すると文化的な概念からになるので長くなるからな。
「ふーん……アレ?それって扶――」
「ほいそこまで。それは後で話そうか」
「モガー」
「ごめんねーピノちゃん」
そんなやり取りを経てモガモガともがくピノを扶祢へとパスし、若長に目を向ける。
「やはり魔物の類か……念の為に聞くが。そこの狐人族の娘は本当に何も関係が無いのだな?」
「もしかしたら知らん場所で関係があるのかもしれねぇが、少なくとも心当たりは無ぇな。とは言ってもどうせ信用出来ねぇだろ。一応ギルドカードもあるから登録情報位は見せられるが……扶祢」
「あ、はい。これです、どうぞ」
釣鬼に促された扶祢が若長へギルドカードを渡す。それをじっくりと読んでいた若長だが、
「生憎この村には冒険者の経験がある者は居ないから、こうして見てもさっぱりだな」
「ですよねぇ」
と嘆息をつきながら扶祢へカードを返してきた。まぁそうだよなぁ。
「まぁ本当に狐人族で妖術師って線もありそうだけどな」
「そだね。霊術にも似たような精神汚染の術が無くもないから……私は使えないからね?」
霊術の話になった途端全員の視線が向いたのに気付き、慌てて否定をし始める扶祢。
だがその隙をついて扶祢のハグから脱出したピノが言った言葉に、その場に居た人狼族の村人全員が凍り付いてしまう。
「プハァ!後ハ、吸血鬼とかの可能性もあるかもネ」
吸血鬼―――
地球でも各地に吸血鬼の伝説があるが、こちらの世界では実在が確認されているようだ。地球の伝説と同じく非常に危険な存在。確認されている個体数が非常に少ないのが唯一の幸いだろう。
夜にのみ現れ、一度拠点と定めた場所を死で覆い尽くすまで止まらない生命無き災害の一種。図書館で見た報告では実際この規模の村であれば一夜にして滅んだケースもあるらしい。
「吸血鬼か。あいつ等って物理攻撃あまり効かねぇから面倒臭ぇんだよなぁ」
「あまり、ってことは少しは効くのか?つかやり合った事があるんか……」
「あるぞ。俺っちが森に居た頃にやり合ったのは爵位も無ぇ成り立てのひよっ子相手だったけどな。余程上位の爵位持ちクラスじゃなけりゃタイマンでも何とかはなると思うぞ」
しかし村人以外の反応はと言えば、あんまり普段と変わらなかった。吸血鬼の存在をほのめかす先程の発言よりも更に常識離れした釣鬼の返答に、呆れた様子やら驚愕の表情やらを作ってはいたけれども。
まぁ釣鬼だしな、うん。無駄な突っ込みを入れても疲れるだけか。
「爵位持ちでさえなけりゃ無効とまではいかねぇだろうが、物理半減に加えて高速再生で魔法攻撃手段が無ぇ者にとっちゃ厄介極まりねぇ相手だ。魔法耐性もかなり高ぇから攻撃魔法が使えても結局苦労するんだけどよ」
「そっかー。ピノちゃん、武器への属性付与魔法みたいなのってある?」
「ボクは持ってないナー、そんなのかける位だったら攻撃魔法ぶっ放しちゃうシ」
「残念。じゃあ私も相手が吸血鬼だった場合は今回は術メインかな」
「俺も吸血鬼相手じゃ役に立たないし、現場のサポートに回ろうかね」
「いやぁ、そうでもねぇぞ?伝説の狼男なんかとは違って物理耐性が高くて傷が回復するってだけで、基本人型時にゃ体術が通用するからな。今のお前ぇでも一方的にやられるだけって事はねぇだろよ」
へぇ。完全無効じゃなくてあくまでも傷が回復するだけ、という事なら確かに、時間稼ぎ位は出来なくもないか。そりゃ良い事を聞いた。
まぁこのように俺達は既にのんびりとした様子ながらも対策を練っていたりする。それにしても釣鬼先生、吸血鬼との戦闘経験まであるとか百戦錬磨過ぎですな。
「お前達…本当に我等を助けてくれるのか……?」
そんな様子を見て、人狼の一人が恐る恐るといった様子で聞いてくる。そんなモン、答えは決まってるじゃないか。
「後でギルドに依頼の事後手続きお願いしますね」
そして、それに対してニコッと首を傾げ営業スマイルを浮かべる扶祢であった。胡散臭ぇ…けどこの状況でこの仕草はコロっといってしまう奴が多そうだなぁ。実際先の戦闘による気絶から覚めた内の何人かはぼうっとした様子で扶祢を見つめているし。
「疑り深くて済まない。どうにも俺にはこいつらが君に魅了されている気がしてならないんだが。本当の本当に、大丈夫なんだよな……?」
「ふふふ、お上手ですね。私はどちらかというと武術寄りなので、そんな魔法は使えませんから」
「こいつどっちかと言えば詐欺師的な誑し込み使うんで、皆さん見蕩れてるだけじゃないっすかね」
「ひっど!なんて失礼な事を言うんですかねこいつは」
「まぁ、乗り掛かった舟だ。出来るだけの事はするから任せておきな」
「……お願いする」
このようなノリの中、釣鬼が優しい口調で若長へと語りかける。それを聞いた若長は苦い物を飲み込むような表情を形作り、震える声でそう言った。
こうして、仮ではあるが人狼族の村と俺達パーティの契約は交わされたのだった。




