第275話 魔の落とし子達
篝火焚かれる星空の下。集落としての妖精郷の境目へ張られたテントの傍へと、そっと歩み寄る影が一つ。
「何の、用だ?」
「つれないネ。仮にも旅の仲間だってのにサ」
かけられる声はにべもなく。
それ以上寄らば、斬る。そんな剣呑な気配を纏わせる侍従姿の女は肩口で切り揃えられた黒髪を僅かに揺らし、背を向けて座ったまま肩越しに睨み据える。その視線の向こう側にはやや離れた位置で立ち止まる、この郷の住人である証を背に携えた、小柄な少女。
「自分の弟分さえも追い出すような薄情な奴に仲間呼ばわりをされたくはないな。あの長老に言われて……同族へと手をかけにでもきたか?」
傍らで寝付く子供達の安寧を脅かさぬよう低く響き滲ませられる、静かな敵意。その指先に灯された光は既に妖精の少女の眉間へと狙いが付けられており、正に一触即発と言える状況。
だのに少女の側は一切の緊張を見せる事もなく。仲間の若者が皮肉気な態度を表す際によく見せる、両の肩を大げさに竦めてみせる。下らない、とでも言わんばかりに。
「あんなの表向きのポーズに決まってるじゃナイ?お前が頼太にやってたのと同じくサ」
お前達の好きにはさせない―――
お前の企みはお見通しだ―――
疑念と確信を携えて、短い間を睨み合う二人。互いに相手の真の思惑を見抜かんとする化かし合いは、まだ始まったばかり。
「ふん……言っておくが、この二人をお前達に渡すつもりは、ないぞ。あの破廉恥男に乞われたというだけではなく、お前達は、どうにも胡散臭いんだ」
「妖精差別はんたーい、と言いたいところだケド。どーぞご自由ニ~」
少女はさも当然であるかの如く金狼へと声がけて。そしてテントの脇にて伏せていた金狼もまた少女の呼びかけへと応え、のそりと立ち上がり四肢を踏み出した。その際に一度振り返った金狼の顔はテントの中で眠る、黒に染まった妖精の子供達へと向けられ――最後にその子供達を護るように座る女へと視線が移される。
「朝までは、戻れよ。私も、睡眠不足で美容を損ねたくはないからな」
「わぅん」
返されるは短くも冗談めかした軽い一言。最早女は切った視線を合わせようともせずに、改めて今宵の寝床を整え始めてしまう。さっさと行ってしまえ。そう、背中で語りながら。
「ところで、ガラムのおっちゃんは何処行ったノ?近くにも居ないっぽいケド」
「奴なら一度お伺いを立てると言って、昨夜の内に発った。今頃は帝都で報告を終えて、酒場で綺麗処を相手に暖でも取っていることだろうさ」
なるほど道理で姿が見当たらない訳だ。女の言葉に納得したかな頷きを見せた後、少女と金狼はその場を離れていった。
後に残るは、頭上に淡い星の光瞬く静かな闇夜。テントの中で眠る子供達の他に息遣いは聞こえず、広場の中央の社よりは僅かに漏れる紅灯。不気味な程に人気を感じられず、本当にここが妖精族の集落であるかも怪しい。
「さて、どうしたものか。肝心の奴が居ないのでは、私も動くに動けないな」
最後にそうぼやくような呟きを零し、篝火へと新たな薪をくべていく。
生命の息遣い溢れる妖精郷とはいえ、冬の夜は寒い。疲れ切った様子で寝息を立てる妖精族の子供達が凍えぬ様、女はテントの防寒を改めて整えていった。
ゲーム、セット。そう表現するしかない、俺とニケ、そして蛾にも似た印象を持つ人型の魔物との小競り合いはここに幕を閉じた。
結果は言わずもがな。どちらが魔物か分からない程の食欲の権化と化した俺達の前では、精一杯の虚勢を張っていた蛾の魔物も形無しというやつだ。よくよく見れば恐怖に顔を引き攣らせながら泣きじゃくるその顔には、そこそこの可愛げが残っているものな。良心の呵責が半端なくはあるものの、これにて無事試練は完了だ。
「ごはん?ごはんー!」
「ピッ、ピィ~!?」
『これは、どう判断すれば良いものか』
腰の抜けた様子の魔物達を涎を垂らしながら追い掛け回すニケを眺め、呆然と呟く白蛇。気持ちは分からないでもないが、そもそもが簡単な仕事だと言ったのはあなたではありませんか。
恐れ慄いた魔物が飛んで逃げればニケも浮遊し追いかける。そして地上へと追い込まれれば不詳この俺までもが参戦し、さぁさぁ腹が減っては戦が出来ぬ、だから飯の種をひり出しやがれと押し迫る。
最早その目的が完全にすり替わってしまっている気配も多分にあれど、対多数戦の鉄則としてまずはこうして相手の心をへし折るのが手っ取り早い解決手段の一つとして有効だ。説得交渉なりはその後にすれば良い。
「明確な思考能力を有する相手であれば、それを利用しない手はないってね。対人戦の基本っすよ、基本」
『……この者達を、人と言い切るか』
この反応には馴染みがある。呆れながらも一定の評価は得られたという事かな。
厳密にはまともな生物であるかどうかも怪しい魔物達だが、少なくともこれまでの諸々の反応を見れば分かる。樹精神殿周りでよく目にした翠の大蜘蛛達と同じく、そして言ってしまえば昨夜に対峙したギアや今も魔物達を追い掛け回しているニケだってその分類に入る、人との意思疎通を可能とするモノ達だ。この妖精郷を取り巻く状況が把握出来ない現状では結論を急く訳にもいかないが、一概に鎮魂、などという物騒な物言いをしなくても良いんじゃあないかと思う。
「ともあれ白さんの要求通り、鎮魂の『交渉』準備までは整えましたぜ」
その先をやるのは自分ではない。あくまで仕事は仕事と割り切って、そして続く本題は丸投げだ。俺が願われたのは交渉までで、その結果についてはただの一個人の補償の範囲外だからな。
言外に含む意味を正確に把握したらしき白蛇はだんまりを貫き通す。未熟な俺にも分かる程に判然と漏れ出る動揺の気配。結論が出るまでは時間がかかりそうでもあるし、そろそろ蛾の魔物達にトラウマを植え付けそうなニケの回収に動くとしようか。
「ほーら、ニケ。今夜は焼き魚で我慢しとけー?」
「きゃはっ!やきざかな、おかわりー」
追加の焼き魚を作るべく再度生け簀の中を覗いてみれば、更に入り込んでいた何匹かの魚。先程のディナーに際し作っておいた簡易台の上で内臓を処理し、虎の子の携帯用岩塩をたっぷりと振りかける。然る後に枝を裂いて作った粗雑な串に刺していき、鮎にも似た魚を塩焼き風に焚き火へ炙らせる。
「ぴぃ……」
その声に振り向けば魔物の群れ。その視線は揃って香ばしい匂いを漂わせる焼き魚へと向いており、先程のニケもかくやといった様子で物欲しげにこちらを眺めていた。
「……食うか?」
「キッ!?キュッ、きゅう……」
試しに焼き上がった一本を手近に陣取っていた一匹へと差し出してみる。確信を持って言える訳ではないが、見覚えのある翅の模様からすれば恐らくは昼に俺達へと卵を放り、そのまま逃げ去った個体だろうか。
恐る恐るといった有様で差し出された串を受け取ろうとし、その際に触れてしまった俺の指の感触に吃驚仰天の反応を示す。思わず串を取りこぼしそうになって、慌てて両手でキャッチして、その熱にまたも飛び上がってしまい。
そんな何とも微笑ましい絵面が展開される中、ようやくもそもそと焼き魚を食べ始めた蛾の魔物。蒼一色に染まる目からは、不意に想い溢れる一筋が流れ落ち―――
「――なぁ、白さん」
『………』
「もしかして、こいつらって」
『この子達は魔の落とし子。過去に魔の気質を一身に吸い上げ、その身を以てこの妖精郷の維持に勤め上げた――同胞達の成れの果てだよ』
白蛇の告白を聞いた俺の目の向く先。そこには泉へと零れ落ちた想いの一筋が蒼白く光る、浄化の名残。それも僅かな間に儚く消え去ってしまう。
知らず立ち上がっていた俺はその滴を生み出した一体へと歩み寄る。過剰に反応し、後ずさりかける魔物。それでも俺に敵意が無い事だけは理解出来ているのだろう。頭に手を乗せる一瞬こそ身体を強張らせはしたものの、わしゃわしゃと乱暴に撫でくり回す俺を呆然と見上げ、俺達と変わらぬ涙を流す顔をくしゃくしゃに歪めて泣きじゃくる。
「……よっしゃ!ちょっと待ってろよお前ら。すぐに泉中の魚を捕まえて、全員に焼き魚を配ってやっかんなー。ニケッ!」
「こおれー!」
今日一日の試行錯誤で随分と連携の取れたニケが俺の意を汲み、泉の表面部分に分厚い氷の塊を作成する。対し俺は近場に転がっていた子供の胴体程のサイズの石を両手で抱え、泉に作られた氷塊をロックオン。
「自然環境を破壊しかねないので普段は自重をすべき、禁断のサバイバル秘奥義!即席ハンマーヘッド石打漁法ッ、とうっ!」
ここ二日でお馴染みとなった、幾度目かとなる聖なる泉へのダイブ。周囲へは静寂を掻き乱して盛大に響き渡る轟音。ついでに勢い余って割れた氷の破片にリアルハンマーヘッドをかましてしまった俺は、だくだくと血を流して氷の影響で更に下がった水温に凍えながらも、同じく衝撃と寒さで動きの鈍った魚を生け簀の中へと追い込んでいった。
「さっ、さむむむむっ……」
「きゃははっ!しおやき、いぱーい!」
新たに起こした焚き火に当たり、暖を取る俺の傍らではいつの間にやら蛾の魔物へと串の刺し方を教えるニケの姿。ぎこちない動作で見様見真似に串を通し、魚を焼き始める蛾の魔物達の目には揃って心弾む期待の色が見え隠れ。やはりお子様はこうあるべし、だな。眼福眼福。
「……あっきれタ。ちょっと見ない内に見た事もない魔に呑まれたかと思ったら、今度は何を普通に魔物達と馴染んじゃってんだカ」
「へっ、何を今更……ぶぇっくしっ」
唐突な声でこそあったものの、俺にとってはある程度は予想の内。寒さに震える視界の中で焚き火の暖かい光に照らし出され、弟分の背に乗り歩み出てきたのは馴染みも深き、生意気幼女だ。
「ま~今更だよネ~。ちょっとでも心配して、損したヨ」
「そういうこった。んで、そっちはどんな状況だ?」
「ンー、くそジジイは相変わらずカナ。でも姉ちゃんは影ながら、協力してくれるってサ!」
ごく自然に尋ねる俺へと対し、やはり当たり前だとばかりに返される挑戦的にも見えよう得意顔。白蛇そして魔物達の動揺が広がる中、仲間内ではやや下卑ているとも評される俺達の黒い笑みが交差する。
妖精郷へと入ってこのかた、体感としては随分と長くは感じたものではあるが。ここからようやく俺達のターンの始まりだ。
という訳で、ようやくピノと合流です。




