第273話 頼太とニケのサバイバル奮闘記
書くだけ書いて投稿忘れてたオチ。遅ればせながらorz
『あまり、魔という言葉に惑わされるでないぞ――』
目に映るは夢現。どこかで聞いた覚えのある、しかし何故だかその詳細へは至れない、甘く響く吐息の記憶。
その声を思い出す度に心のどこかで今の自身への警鐘が鳴らされ、それでもその正体に辿り着く事の出来ないもどかしさ。今の俺を占める心の大半は、柔らかく降り注ぐ陽の恵みさえも感じられぬ程に昏い渇望へと突き動かされ―――
「きーすさまー?」
「腹、減った」
こうして泉に釣り糸を垂らす最中にも思考を乱し続ける、堪えようもない空腹感。朝起きた際には昨夜の欲し肉一切れな寂しい夕飯を思い返し、そのせいだろうと考えていたが……どうにもこれは異常と言うほかない。
その感情が泳ぐ魚達にも伝わってしまったか、藻屑を餌に見立てた簡素な釣り竿へかかる気配は一切見られない。そんな現状も相まって、俺の思考は徐々に一方向へと集約されていく。
飢え。それは生きていく上で最も忌避すべき、本能に直結する三大欲求の警告。減量苦の極まったプロボクサーなどは必要に迫られ研ぎ澄まされた本能により、隣の家の水道よりぽとりぽとりと垂れ落ちる、水滴の音さえも聞き逃さないとも言われている。また野生に生きる肉食獣の日々は常に飢えとの戦いだ。その本能を最大限に生かし、命の危険と隣り合わせな狩りを成すという。
「……ニケ、狩りにいくぞ」
「ごちそうだー!」
最早限界。今日という日をより良い一日とする為に、俺達が明日を生きるべく命の糧を得るために。いざっ、出陣だ!
泉から岩が頭を覗かせてでもいれば石打漁法の真似事が出来たものだが、ないものは仕方がない。近場に生えていた常葉樹らしき生い茂った枝を何本か拝借し、釣鬼先生よりこれまで伝授されたサバイバル知識を基に腰に差していた解体用ナイフにより、簡易的な仕掛けを作る。それを池へと投入した後に、飢えた狼と化した俺達は腹を満たす獲物を見定めるべく、森の中へと足を踏み入れるのだった。
・
・
・
・
「何も、いやしねぇ……」
結果から言えば、獲物は皆無。そういえばこの妖精郷の奥地集落部へと入ってからというもの、不穏なモノ達との遭遇こそあったものの、まっとうな野生動物達を見た憶えが無い。ギア達は妖精族と共に暮らす共生関係であるし、白蛇はどちらかと言えば霊獣に近い気もするものな。
改めて自覚をしてみれば、昨夜は数多に感じた視線すらも今朝目覚めてからは感じる事が無く、ただひたすらに空虚な不気味さを感じるばかり。
だが、今はそんな感傷などどうでもいい。大事なのは、何かしらの獲物にありつけなければ冗談抜きで倒れてしまうであろう我が身の危険。このままでは、あの白蛇との待ち合わせの時間まですらもつ気がしない。
「いっそ、あの白蛇の眷属でもいねーかな」
「きゃはっ、かばやきーたべたーい!」
そろそろ見境がなくなりかける程度には空腹の狂気に侵され始めたらしい。
この妖精郷の長老もそうだが、祭祀にある連中は顔を合わせる度に、魔がどうとか、不吉がどうとかご高説を垂れてくれる。今でこそ唯一それを受け入れてくれている無貌の神官でさえ、宗旨替えをする以前には思うところがあるかな素振りを見せてくれた事は一度や二度ではない。
確かに瘴気に代表される魔の気質は扱いが難しく、一つ間違えば生命一つを簡単に奪う程に危険な物なのだろう。だが、こうして実体験をする度に思うんだ。それは、凶器と何が違うのかと。
極端な話、過程の差異こそあれど、飢え死にだって死に至るという結果としては変わらない。直に訴えかける生物としての本能からすれば魔がどうこうと言ったところで、そんなものは些末事だと断じる事が出来る圧倒的な現実感。
「どいつもこいつもくだらねぇ縄張り争いに終始しやがって……生きて日々の糧にありつけるだけ、有り難いと思いやがれってんだ」
「きゃはぁ?」
知らず口にしてしまった愚痴に、今も健気に応えてくれる声。ミーアさんは多くを語らなかったが、もしかしたらこういった癒しの意味でニケを同行させてくれたのかな。
幼女形態のピノに勝るとも劣らないもちもちほっぺの感触を存分に堪能し、幾分棘の抜けた精神を落ち着かせる。そして空腹モンスターと化した俺達は手当たり次第に餌を求めて木々を漁り、再び枝をかき分け進んでいった。
それにしても小動物の一匹さえも見つからない。今ならば昆虫食にさえ手を出せる――そう覚悟を決めたところで蟻っこ一匹すらいないというこの一帯の状況に、ついに膝折れ地へと倒れ込んでしまう。
「はら、へったぁ……」
「きーすさま、おねむ?」
胸に膨らむ期待を持って歩み出したこの世界の旅路。その果てに待っていたのは、まさかの餓死エンドだったとは。
顔を動かすのも億劫になった俺の視界に入るのは、木々の間より見え隠れする憎たらしいまでの平和な晴れ間。脇にはこの期に及んでも楽しそうに添い寝をしてくるニケがいて。孤独を紛らわせたまま逝けるのがせめてもの幸いか……。
疲れ果てて、喉も乾き、そんな中でも腹から鳴る切ない音だけは一丁前に主張をする。まだ諦めていない身体の業腹っぷりにくすりと笑みを浮かべながらも、どこかで諦観を受け入れてしまう自身が見て取れる。これがあるいは、修行僧達が感じる達観の境地というやつなのだろうかね。
そんな益体もない事を考えながらに空をぼうっと見上げたまま、右手にはニケのさらさらな髪の感触。そんな最後の安寧も、抜けていく気力と共に徐々に薄れていき―――
「――そこッ!」
「キッ……」
葉擦れとすら言えない程の、ほんの僅かな動くものの気配。予備動作さえなしに両の脚のバネを最大限に活かし、自分でも驚く程の跳躍を見せてそれを掴む。
「キッ、キキッ!?」
掴む手に伝わる感触は思いの外柔らか。見た目としてはこの郷で暮らす妖精族にも似た、大きな翅を背に擁く昆虫然とした姿。それなりに残る人の形が表すは動揺、だろうか。
つい先程までは終わりさえも意識していたというのに、我ながら現金なものだ。掌より感じる抵抗力の強さに、大物の予感を覚え心踊らせてしまう。ついに見つけた本日のご飯、こんにちは。命の有難みを感じつつ、余すところなく頂いてあげましょう!
「なんだこいつ。魔物、か?」
全体的にわさわさとした柔らかい毛に覆われ、蛾にも似た印象を受ける。身体の大きさは通常時のピノと同じ程度か。ニケと比べるとやや一回り小さく、今も俺の手から逃れようと必死に暴れる姿は駄々を捏ねる幼児のよう。
よくよく見れば海洋世界にて出逢ったパピルサグ達にも似た、眼全体が一色に染まる可愛げのある顔と言えなくもない。それを焦りに顰め、咄嗟の事に蛾の翅部分より鱗粉を撒き散らしながら暴れ始める。
「キシュァー!」
どういう経緯でここに来たのかは分からないが、魔物である以上この森では捕食者に位置するのだろう。人で言えば口に当たる部分を怪奇に解けさせ、凡そ大半の者は生理的な嫌悪感を感じるであろう光景が目の前に広がる。
それでも今の俺を止めるには少々不足と言わざるを得ない。生きとし生ける者である以上、抗い様もない本能、つまりは極度の飢餓状態である俺はその生き足掻く姿を見て、思わず呟いてしまうんだ。
「……肉の部分なら、しっかり焼けば食えなくもなさそうだな?」
「がのさなぎやようちゅうは、えいようまんてんでくりーみー!」
「ピャアッ!?」
大味なご馳走の予感に二人揃って涎まで垂らし、その脚を掴んだ掌に力を入れる。途端に蛾のような魔物は悲鳴を上げてしまう。
先程までの威嚇は鳴りを潜め、脚を掴む俺の手を離そうとじたばたと宙でもがき始める姿はまるで蜘蛛の巣に囚われた哀れな獲物。今や喰われる側となってしまった者の必死とも言える抵抗に心が痛みはするが、俺の空腹アラームは既に周囲にまで聞こえる程に最大限の警鐘を鳴らしている。
「これも弱肉強食たる自然界の定め。許せよ……」
我が生命の糧となるこの魔物に冥福を――こうして極限状態に陥ってしまった今だからこそ分かる、諸行無常の響きが重さよ。
平時はやれ人としての矜持だ、思いやりだのと嘯いてみたところで所詮は人間も大脳に突然変異を起こしただけの動物の一つに過ぎない。せめてもの情けとしてなるべく苦しまないよう、空いている側の手で解体用ナイフを抜き構えを取る。自然の恵みに感謝を、そして斯くも罪深き人の業に懺悔を―――
「ピッ、ピィー!」
「わぶっ!?ごぇっへ、ごへっ……な、何だ?」
「いたちのさいごっぺー?」
分かり易い説明有難う、でも説明する暇があったら捕まえておきましょう?
正に尻の部分より最後っ屁の如く複数の何かを放たれた俺は、それを顔面でまともに受けて魔物の脚を手放してしまう。貴重な……貴重なたんぱく源がぁ~!
「って、なんだこりゃ?」
「がのたまごは、えいようまんてん?」
自らの油断に悔いる間もなく、起き上がった俺の視界に入る拳大の白い楕円形。ニケの返しの意味するところを吟味した後、顔を見合わせた俺達の胃袋からは揃って空腹の証が鳴り響き―――
・
・
・
・
「ごちそうさまでしたー!」
「まじうめぇ。何このご馳走」
空腹は最大の調味料を地で行くような発言で申し訳ないが、本気でクリーミー。念の為に一個目を切り開いて寄生虫の有無などを調べた後、戻った先で泉の水を利用して水炊き風に煮込んでみたら大当たり。
心なしかもちもちとした白身部分を切り拓けば、天然のコクそのものと言えようトゥルットゥルな黄身の香りが鼻腔を突き抜け、嗅覚をこれでもかという程にくすぐってくれる。
本当に、こんなご馳走を食べて良いものか。場違いな感傷を抱きながらも恐る恐る一口。溜息しか出ない。そんな俺の横では精霊の少女も同じく、木製のスプーンを片手に満足げに頬をさすっていた。
暫しを謎の卵料理に舌鼓を打ちつつ、黄身と白身のアクセントを愉しみ続ける。これは世のゲテモノ食いの方々が、愛好会まで作って日々料理会を開くのも理解が出来るぜっ。
「きーすさまー。おさかな、かかってる!」
「そいつは夜用にそのまま生け簀にしておくか。いくぞ、ニケッ」
「きゃははっ!」
こうして辛くも飢え死にを回避した俺達。何か大事な事を忘れている気がしないでもないが、そのまま昼と夜用の食材探しに精を出す事となる。
腹も膨れ余裕が出来たからか行動範囲は更に広がり、また精神的にも落ち着けた事により、これまで見落としていた山菜の類も発見する事が出来た。今更ではあるが、生活魔法や各種小物の便利ツールを持ち硬直していた思考パターンに、この極限状況下で新たな引き出しが加えられる機会を得た様にも思える。これはこれで悪くはない。
「ぬぉぉぉっ!」
「ふれー、ふれー、きーすさまー!」
「よっしゃ!まずは枯葉だ、燃え易い枯葉から投入しろっ!」
「やったー、たいまつのすみにけむりがではじめたー!」
その後も人力による摩擦熱からの着火作業に挑戦してみたり。
「ニケ、氷魔法でレンズって作れるか?」
「いけ、こおらせるー?」
「あっ馬鹿、今やっちゃ……冷てぇええええっ!?」
ふんだんに存在する泉の水を近くの木の幹から彫った手製の型枠にはめ、たまに凍結に巻き込まれかけながらも歪んだレンズ作り太陽光照射からの発火実験をしてみたり。
そんなこんなで二人して試行錯誤で小技の数々を開発している内に、気が付けば陽も傾いてきたらしい。そろそろ白蛇が現われる頃合いでもあるし、今夜のディナーとなる焼き魚を遠火の強火でじわっと焼き始めましょうかね。
「それにしても、なんだな」
「きゃはっ、きゃんぷふぁいあー!」
うむ、そんな感じ。昼間に試した数々の発火実験により、今や泉の周りは火種だらけ。発火熱による延焼ぎりぎりの距離に次の火種と枯葉を置き、時間差での焚き付けチェインという高度な火種維持の感覚まで掴んでしまったからな。
そういえばニケは氷精の亜種に分類されると記憶していたが。今更ながら、こんな熱源だらけの場所で溶けてしまう危険などはないのだろうか。
「やきざかなも、おいしー」
特には問題ないらしい。いつもいつも想像が一つか二つほど抜けててすまないな、所詮は俺、スライムを倒し続けてレベルを上げただけの凡人なんでね。
『この有様は、一体――』
「お、どもども昨夜ぶりっす」
「ぶりっすー!」
どうやら今夜もあの白蛇が現われた様子。それでは昨夜の続きと参りましょうか。
妖精族に伝わる聖なる泉を使って罰当たりな事をしている二人でした。




