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狐耳と行く異世界ツアーズ  作者: モミアゲ雪達磨
第十一章 魔を誘う祭祀 編
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第267話 妖精郷に生きる禍々②

 不自然に赤らむ空の下、その色を映しながら微笑み佇むは妖精の娘。

 先程のエイカさんによる指摘をされてより、言葉が通じているようで通じていない。その背に生やす虹の翅、空の赤が徐々にその白いキャンバスへと染み込んでいく。


「ねぇ、ちゃん?」


 普段の憎たらしいまでの負けん気が見る影もなく、腰砕けとなってしまったピノは姉へと縋りつく様に手を伸ばす。鏡合わせの様に見つめ合う二人の貌に映るは片や目に見えて湧き起こる不安と焦燥、片や……人間味を感じさせない作られた安定、とでも言おうか。

 これに近いものをつい最近に目にした覚えがある。王城と軍務参謀府へ対して一斉に蜂起された、同時クーデター未遂。樹精神殿にてその一報を受けた俺達はすぐさま外務省へと取って返し、遅ればせながらも王城の側へと加勢をする事となった。

 結果としては駄目押しの形となる参戦であったが為に見る機会はそう多くはなかったものの、あの時の「感染」者と今も目の前で何の疑問も返す事無く佇むピアの姿が、嫌が応にも重なってしまう。


「思考の、毒……」


 我知らず口を衝いてしまったそのフレーズに、腕の中の小さな身体がびくんと震えたのを感じる。それを目にしてなお、佇む娘は何の反応を返す事も無い。


『仮に対策もなしに彼奴等めと対峙してしまったその時は、覚悟を決めるのだっ』


 あの攻防戦の際、それだけを語った出雲の言葉が脳裡に木霊する。

 何の覚悟か、そんなのは決まっている。ああなってしまった者達は須らく身の破滅を誘うべく、笑顔で抱擁を交わしながら愛する者さえも躊躇なくその手にかけてしまうのだから。


「やだ、やだヨッ。姉ちゃん、姉ちゃんガッ!」

「がうっ!がううっ!」


 目に見えて混乱をきたしたピノが俺の腕を振り解こうとする。地精の腕が足を取り、身の回りへと吹き荒ぶ風精の輪舞に皮膚は裂けて血がしぶく。俺だけではなく、脇でその小さな片腕を咥え踏ん張る弟分にさえその脅威は襲い来て。だのに、そんな俺達を見るピアのあの貌は。


「どうしたの、ピエラ?早く行きましょう……?」


 明らかに尋常ではない。俺達の今の状態を目の当たりにしてなお、出てくる言葉がそれだけだぞ?駄目だ、ここでピノを離す訳にはいかない。

 だが俺達のそんな確信とは裏腹に、姉の様子を見たピノは更なる憤りの叫びを上げ、それに応じるかの如くいよいよ精霊達の暴挙は激しくなっていく。間近で感じる雷の気配が辛うじて俺達を護ってくれているのが分かるものの、このままでは―――


「くっ、そ……ニケッ!こいつを押さえ込めっ!」

「ねえや、めーっ!」


 ニケが叫び続けるピノへと覆い被さり、暴走する精霊力を押さえ始める。目に見えて周囲の暴風や地揺れなどがおさまっていき、少しの後に響き残るはやるせない声、そして俺の腹を殴りつける憤りの音。


「全員に、精神防護の祈りをかける。お前達も侵されないよう、気合いを入れて精神を集中しておけ」

「こいつぁ、いきなりきな臭ぇ流れになっちまったな」


 ピアは先程から一言すらも発しない。集落へと繋がるであろう道の最中で微笑みんだまま、片手を差し伸べてそれに応える者を待ち続けていた。エイカさんによる祈りを捧げる声が流れる中、そんなピアの光なき瞳を為す術もなく眺めるのみ。


 ―――ぴちゃり。


 前触れもなく道の奥より現われたのは、名状しがたき薄土色の芋虫。この世界基準で言えばワームのようなものか。


「なん、だ。ありゃ……」


 硬そうな膜に覆われた深海魚のような眼球部分がその背の左右に一つずつ、胴体の先端部分からは半ば肉が腐り落ちたかな形状に突き出る剥き出しの歯茎と化石化した骨。見た瞬間に絶望的とも言えよう怖気が奔り、衝動的にピノをニケに任せて駆け出していた。このままでは確実にピアはそいつ(・・・)に喰われてしまう。そんな確信に近い予感に突き動かされて。

 果たしてその予感は的中する。俺が駆け出すと同時に芋虫もその形状からは考えられない程の速度での移動を始める。自重に押し潰されたらしき腸の一部を道に塗り付けながら、巨大な口よりは耳障りな笑い声を上げくねりくねって這い寄ってくる。

 もう、一刻の猶予もない。少々傷付けてしまうかもしれないが、アレに喰われるよりはマシだと狗神(ミチル)を纏い、無形の鎧を形成した俺は雄たけびを上げて突進する。


「さぁ、逝きましょう……?」


 思った通り、差し出してきた逆の手には握り込まれた黒光りをする尖った何か。自らの掌をも傷付けながら的確に首筋を狙って来るその一振りを受け止め、そのまま背後に感じた気配へとピアの身体を投げ放つ。


「おっさん、下がってろ!加護も何もなしにあれを直視すると、多分やべぇ!」

「おうよっ!坊主、死ぬんじゃねぇぞ!」


 おっさん、それフラグだから。

 縁起でもない言葉へ苦情を返す替わりに景気付けに唾を吐き、両の手へと塗りたくる。今や両目の間に縦に裂ける新たな口まで開き始め、呵々としわがれた声さえ撒き散らす名状しがたきモノ。その突進へと対抗するかのように気合いの怒号を上げて大地を蹴る。


「ミチィィィィルッ!!今のお前に頼むのも妙な話だが、魔除けの声、頼むぜぇッ!」

『アォォオオオーッ!』


 両手を格子の形にクロスさせ、退魔の意志を持ってそれへと肉薄する。過去の見様見真似な俄か手法ではあるが、やらないよりはマシだろう。

 そのまま俺は躊躇することなく、芋虫モドキとの正面衝突を果たす。そのでっぷりと肥えた醜悪な見た目から予想をしていたよりは随分と軽い衝撃。

 少しの後に足を止めた俺の目の前には、盛大に吹き飛ばされたらしき芋虫モドキの惨憺たる現状が広がる。脆い身体を突き抜けられた影響か、全身を大きく裂けさせた巨大な傷口が広がって。そこから体液の代わりにじくじくと染み出す、靄の様な気体が周囲の空間へと噴き出してくる。


『ケタケタケタ……』


 やはり、そうか。最大限に警鐘を鳴らしていた虫の報せに従い、その気体を吸い込まないよう心掛けながら大きくその場を飛び退いた。少し離れた場所へと着地し芋虫の側を振り返ってみれば、そこには肉食獣の牙により噛み裂かれたかな傷を全身に開けてグズグズに地面へと溶け込んでいく芋虫だったモノ。

 地面へと崩れ落ちた腐り果てた肉の内からは、最期に老人のミイラのような巨大な頭蓋が一瞬現われる。それもやがては地の中へと溶け込んでいった。


「うぉえっ。気持ち悪ぃぃ」

『くぅーん』


 気遣う様なその鳴き声にあの傷の意味を知る。ミチルも俺を護る為、必要以上に頑張ってくれたという事か。そして些か納得がいかないものの、俺が身に纏う瘴気の方が禍々しさでは上であったらしい事実。結局魔除けの唾が効いたかどうかは、よく分からずじまいだったな。


 芋虫モドキが完全に消滅したのを見届けた後、泉の付近へと戻ってみると目を虚ろにさせたまま四肢を押さえ付けられているピアの姿が確認出来た。その背に抱く翅の色は先程までの異様な浸食こそ止まってはいるものの、大部分を占める不自然な赤み部分が僅かに残る白い光を塗りつぶすかのように明滅を繰り返す。


「くそっ。精神防護はかかったが、一度中へと入り込んだモノを祓うには至らないか」

「そんな……姉ちゃン……」


 ニケに押さえ込まれていた先程よりは多少落ち着いたらしい。ピノはその場へとへたり込み、エイカさんによる診断を受けて呆然と震える声を零すばかり。近付くのも禁じられ、今にも失意に倒れ込みそうなその小さな身体はガラムのおっさんに支えられる事でぎりぎり体勢を保つに至っていた。それ程に、こいつの受けた衝撃は大きいのだろう。


「仮にこのままだと、どうなる?」

「……分からない。帝都での症例報告では、まず長時間生きた者がいないからな」


 俺も出雲経由ではあるが、思考の毒に侵された者達の末路は聞いている。処置の早かった大半は亡失した意識を回復させる治療により、どうにか日常への復帰を果たした。しかし、処置の遅れてしまった残る者達は―――


「ねェッ!どうにかならないノ?お前、神職でショッ!?」

「……済まない。わたしの信仰は、未だその域には至っていない」


 ひとたび狂気に侵された者を再び現実の扉へと誘うには、神職であっても相当な熟練と信仰の篤さが必要だという。ミーアさんは魅了効果により狂いかけたおっちゃんをあっさりと癒していたりもしたものだが、あれは無貌の女神の直属の神官としての篤き信仰によるところが大きい。それ程に、亡失の世界へと旅立ってしまった者を現実に引き戻すのは難しいのだろう。

 無力感に苛まれる中、ぎりと唇をかみしめる音がする。愛らしい口の片隅よりは血の筋が流れ、地へと垂れる一滴。それが泉へ触れた瞬間、俺の目に映ったのは……仄かな、蒼白い光。

 不意に頭の中で新たな予感と既視感が混ざり合わさる錯覚を覚える。蒼…白…赤、そして吸われた精気に解けた互いの儀礼顕現。未だ不明瞭な部分が多すぎるが、何か――何かを思い出しそうで思い出せない、そんな不確かさ。


「なんデッ……何なのさ、これっ。久々に姉ちゃんに逢えたと思ったら、いきなりっ……」

「ちびっこ、お前……」


 今の激情を表すかの様に、その翅よりは蒼い光が漏れ始める。それは泉の水面へと投影され、僅かに反応を起こした様に見えたが……それまでだった。

 だが、そこで俺は思い出す。ジェラルド将軍より伝え聞いた、ある品についての記述を。


「ピノ。この泉は、妖精郷ではどんな役割を持っている?」

「こんな時に何言ってんだよっ!?今はそんな事よりも……」


 激昂するピノの言葉を押し留め、そのまま口許の血の滴を指で拭い採る。そんな俺の急な動作にぎょっとしたピノへとそれを見せ付けた後、指を振って泉へと一滴。


『――巫女、もしくはそれに準じた祭祀の立場にある者が、映しの泉にて儀礼顕現の禊祓を行う際に払い落された世俗の滴。それを然るべき過程を経て精錬させた品は、妖精族の次なる代を担う至高の宝となる』


 思った通り。泉の変化を目にしたピノははっとした顔で俺を仰ぎ見る。それは周囲でそれを同じく見守っていた面々もまた同じくだ。


「細かい話はこの際あと回しだ。少なくとも今のお前でこれ程の浄化の力が泉に漲るんだったら、このピアの状態にはうってつけだとは思わないか?」


 そのままピノのリュックを拝借し、中から扶祢特製の魔糖水飴を取り出した。その口を開けて水飴を一掬い。ここまでやれば身内の危機に気が動転したこいつだって気付く事だろう。それを受け取ったピノはごくりと喉を鳴らした後に、意を決した素振りで口へと運び―――






「――う」

「姉ちゃんっ!」


 結果から言えば、俺達の想像は見事に的中した。

 魔糖水飴を口にして儀礼顕現を果たしたピノは、先の状況をなぞるように口の端を噛み切り、血の滴を泉へと垂らす。その際の泉に映った浄化の光は顕現前とは比較にならず、泉に浸したピアの身体からはあの芋虫モドキが末期に吐き出したのと同種の靄が漂い出でたのだ。

 ご心配なく、泉の浄化作用に苦しめられて動きの鈍っていたあの靄はエイカさんがあっさりと祓ってくれたからな。確証を以てとまでは言えないが、ピアの裡へと入り込んだあの良くないモノに関しては今のところ心配ないだろうとは神職でもあるエイカさんの言葉。


「ふぇ~ん、良かったよぉ~~~!」

「ピエラ、どうしてここに?それと皆さんは、一体……?」


 どうやらさっきまでのこの子の記憶はすっかり吹き飛んでしまったらしい。また同じ繰り返しをする羽目になりそうな予感に駆られつつ、まずはピノの姉であるこの子の無事を喜ぶとしよう。

 いきなりピアと呼んでみたらどんな反応を示すだろうか。いつの間にか元の青へと戻っていた空を見上げてほっと息を吐きつつも、少しばかり悪戯っぽい考えを浮かべてしまう午後の一幕だった。

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