第266話 妖精郷に生きる禍々①
「あはっ。お前、本当にピコなのね?」
「わふん」
森に囲まれた薄暗い泉を背に、対照的に明るく弾んだ調子で語る妖精族の少女。透き通る白金の髪を首元で一纏めにし、ごく身近の妖精族であるピノとも酷似した容姿。それはそうだろう。レオナール殿下からの情報を受けてピノが真っ先にその候補として挙げた、当時の殿下との逢瀬薫らす想いの相手その人であり、ピノの姉でもあるのだから。
改めてその姿をじっくりと眺める。目元がややピノよりも柔らかく見える以外、その印象はほぼ変わらない。そして先にも挙げた白みがかった光沢を帯びた金の髪。今は仕舞っている為に確認出来ないものの、その背より生やしていた翅の形状もピノのそれと酷似をしていた。
「……?えっと、どうかしましたか?」
「おおっと、さーせん。いや、本当にこいつそっくりだなぁって思いまして」
「それはもうっ!わたし達、双子の姉妹ですもの。ねー」
そっくりと言われただけでこの喜びよう。その膝を枕に伏せる自らの妹を抱きしめる。その際どちらかと言えば要救助レベルが高い重篤患者の様相を呈する痙攣にも似た動きが見えた気もするが、それに突っ込んでしまったら負けだろう。
「た、助けっ……抱き殺されっ……」
「ピエラったら大げさなんだから。でも、そんなつれないあなたも大好きっ」
「ひアッ!?」
俺へと向けて救いを求めるその手を背後より絡め取り、そのままついと背筋をなぞれば仕舞われていたピノの翅が本人の意志に反したかの如く一斉に開花する。
「~~ッ!?~~~ッ!!」
その情景を敢えて擬音で表現するならば、むっちゅうぅぅっ!かな。
いとも容易く行われた百合百合しい行為に犠牲者の四肢はバタバタと宙をかき、そして一際大きな痙攣を起こした後にぐったりと力尽きる。やがてちゅぽんっといった感じに貪っていた口唇を吸い終えた姉君、満足げに恍惚とした表情を浮かべながらしゅるしゅると縮まっていってしまう。
「ふぅ……あ、あれ?もう戻っちゃった」
「……ふぁ」
俺は今までに、この変異を目にした経験が幾度かある。ここ最近のおませなピノのお気に入りでもある、いわゆる妖精族の儀礼顕現状態。それが解ける事により、本来の幼女然とした姿へと戻ってしまうのだ。そして姉君が口にした通りピノと双子だと言うのであれば、その齢も同じく妖精族としてはまだお子様の域。であれば先程までの少女然としていた姿は儀礼顕現となり、こうしてやはり馴染みに近い幼女姿となるのも大いに納得出来よう。
だがしかし、そんな俺でも今回ばかりは驚愕を隠せない。何故ならば姉君と時を同じくしてピノもまた、鱗粉飴をなめる事もなく儀礼顕現状態が解除されてしまったからだ。
「ピノっ!?」
「はい?」
「……えっ」
「えっ」
慌ててその名を呼んだ途端、何故か姉君からの返事がきた。互いの言葉に目を丸くして俄かに間の抜けた空気が流れ――僅かな後となり、姉君がその小さな掌をぽんと叩き何かに納得をした様子で頷き始める。
「あぁそっか。そういえば外の人って、そうですもんね」
見た目としては小さくなろうともやはりここもピノと同じく、性格までは変わらないらしい。息も絶え絶えな妹のぷにぷにほっぺをつんつくと突付く姉君。その内満足したらしく、またもやピノにそっくりな愛らしい笑みを浮かべる。
「わたし達妖精族って、身内以外に対しては本名で呼び合う事は少ないんです」
「そうだったのか……」
それであればあの時に姉君がピノへと声がけた、ピエラという本名が別にあったのにも納得だ。一説には名は力を持つ、なんて話も聞くし、自然の祭祀たる妖精族ともなればより深い段階でそれを理解し実践をしているという事なのだろうかね。
「うーん、昔ながらの慣習なだけかもしれませんね。爺様方からもあまりそういう話は聞きませんし」
ふと生まれた俺の疑問へ対するはそんなあっけらかんとした答え。
言われてみればニケだって今でこそただのニケだが、その基となった人格の名は確かニコラ・ケーテと言ったか。あの時のピノもそれを匂わすような発言をしていた覚えがあるし、こいつもその慣習に従っていたという事なのだろう。
「んっと、いう事はもしかして。姉君のお名前って」
「はいっ。本当は妖精族以外の方に本名を教えてはいけない事になっているので、秘密にしていて下さいね?わたしの名はピア。姓はノビレと申します」
そう言って姉君改めピアと名乗った幼女さん、ピノそっくりな顔にあるまじき礼儀正しい動作で俺へ向かってぺこりと一礼。つまりこのピアさんも姓名の頭文字を取って対外的にはピノと呼ばれ、そして今も目を回してうわ言を呟き続けている元祖幼女の本名は、ピエラ・ノビレとなる訳だ。
「う~ん……」
「寝ているピエラも可愛いけれど、今までずぅっと離れていたのだもの。その間のお話、いっぱいいっぱいしたいわっ。早く起きないかなー」
自らの行為を省みる事もなく妹の脇へと寝そべって。再びほっぺを突付き始めるピア…さんの傍らでは、さりげなくそんな二人を護る位置へと伏せながらもこれ見よがしに溜息とも取れる鳴き声を上げるピコの姿。一度だけ合ったその目は微妙な心情を実に分かり易く示しており、それが証拠に気まずげな様子でそっぽを向いてしまう。
ともあれこれで、あれほど故郷の妖精郷を悪し様に言っていたピノが文句の一つも無しにこの旅へと同行をした真意が判明した。
姉の名はピア、妹であるピエラが大好き。そしてピノもまた、出会ってしまえばこうなる事が目に見えていてもそんな姉を憎からず思っていた。軍務側より示唆された、妖精郷の大事の恐れ。それを聞いて表に出さないまでも、居ても立っても居られなくなったのだろうな。
「この、意地っ張り幼女が」
ついつい頬をにやけさせ、悪戯気味に残る側のほっぺをつまみ上げる。それを見たピアさんも目をきらきらと輝かせながら真似をし始めた。そのまま揃って無心に幼女のもちもちほっぺを堪能する。
狐コンビのつやっつやな黒い尻尾に狐耳なモフりと双璧を為すであろう、そんな役得の時間がどれほど経過したろうか。ごく近場より突如にして弾けるは悍ましき悪寒。
「りゃ~ひ~た~~~!!」
「あっ、やっべ……」
咄嗟に四肢を伸ばして跳ね上がり、逃走経路を確保すべく周囲の状況確認ッ……をしたところでお留守となった足下へと必殺の『落とし穴』が設置され。
「のぉおっ!?」
「そのまま墜ちロッ!」
―――どっかん。
「へでっ……」
勢い余ってつんのめり、死に体となった上半身が泉の前にてシーソーゲーム。駄目押しでいつの間に作っていたのか人造メトロノームっぽい謎の振り子に背中を打たれ、想像以上の反動に悲鳴を上げながら頭から泉への再ダイブを果たす焦げ付き野郎が約一名。
「ぶはぁっ!?……てっ、手前殺す気かっ!?やるにしたって、わざわざそんなモン作らんでも風で押し出すだけで充分だろうがよ!」
「ふんっ!」
水面より浮かび上がり怒鳴り上げ。しかし加害者たる幼女様は当然とばかりにそっぽを向き、取り合うつもりはさらさらないらしい。
「凄いわピエラッ!『落とし穴』用に喚んだ土精を余すところなく再利用するだなんてっ。郷に居た頃から精霊との対話は突出していたけれど、もう精霊そのものの扱いは爺様達に引けを取らないじゃないの!」
「ふふーン。あとで姉ちゃんにもやり方、教えてあげるヨ」
どうやら幼女達の関心は既に他へと向かっているらしい。これ以上を言ったところで取り合っても貰えなそうであるし、いい加減冷えてもきた。仕方がなしに岸へと泳ぎ、岩壁に手をかけて一気に身体を地上へと引き揚げる。
「よっ、と……何だ?」
腰まで上がったところで何か柔らかい枝葉のようなものへと頭を突っ込んでしまったらしい。泉に飛び込む前に一応は周囲の状況を確認したんだけどな、周囲を森に囲まれた薄暗さも相まって見え辛いったらありゃしねぇ。
「おい」
「へっ?」
そこへかけられるは真に底冷えを覚える若き女の声。何故だか背筋をぴんと伸ばしてしまいながらも振り向いた先には……記憶にも新しき頬を包む柔らかな感触と共に、開いた花弁にも似た有様となって尻もちをつく、メイドさんの素敵なおみ足。
「何か、言い遺す事はあるか?」
「……拙者、これより冬場の水遁の術な苦行へ参る次第。それを以て此度の謝罪といたすで候」
正直なところ、ここ数日の災難遭遇率から考えてここで命果ててもおかしくはないと思っていた。だがその予想に反して返ってきたのは冷たいながらも呆れ果てた様な、そんな溜息。エイカさんは手早くロングスカートの裾を纏めて立ち上がり、次の瞬間には何事も無かったかのように泉の周囲を見渡し始めていた。
この人も謎だよな。帝都に居た頃はあれ程までに俺に対する拒絶反応を示してくれていた癖に、妖精郷への旅路へと出た途端、表面上はともかくとしてその態度は一気に軟化した様に思える。そして……昨夜のおっさんとのあの一件。
今も旅用とはいえ基本は侍女を強く印象付ける姿でこそあるものの、その立ち振る舞いはむしろ軍属達に近いものがある。あの副総括率いる直属部隊の一員である以上は当然と言えば当然ではあるが、やはりこの人の在り方にも若干の違和感を感じざるを得ない。
「……何だ、莫迦みたいに呆けた顔をして。あの夜の様に、追い掛け回されたい。そんな被虐的な趣味でも持っているのか?」
「いえっ!?何も無ければそれに越した事はない、平和なのは良い事ですよねっ!」
せせら笑うその貌の向こうからは、やはり追い付いてきたらしきおっさんにより向けられる意味ありげな笑い顔。何というか、この二人の間でも妙な緊張感がありやがるなぁ。
ともあれこうして皆も揃った事だ。早速ではあるが、交渉に入ろうか。
「ところでピアさん。落ち着いたらで良いんで、ちょっと突っ込んだお話、出来ますかね?」
「はいっ。ピエラが呼び捨てを許す程の方ですし、さん付けは要りません。どうぞわたしの事はピア、とお呼び下さい」
「了解っす。そんじゃピアにピエラ、で」
「勝手にボクの名前を使うナー!」
「分かった分かった。暴れんな」
愛らしくも恭しく、ピアは改めての一礼を振る舞ってくれる。そして一方では案外しっかりとした体重移動を披露しつつ、抉る様なグーパンを俺の腹部へと叩き込んでくるピノという、好対照な幼女姉妹。
兎にも角にも先程遭遇した惑いの仕掛けと言い、未だきな臭さが漂うこの妖精郷。このタイミングでピノの類縁、しかも見たところ随分と仲が良さそうに見える実の姉との邂逅を果たせたのは喜ばしい事だ。まずは情報収集に励むとしますかね。
概ね柔らかな雰囲気のまま、ピアに案内されるままに泉の奥へと歩み出そうとする。そんな気の緩まった一瞬のことだった。
「その前に一つ聞きたい。お前はピノとは違い、その姿になっても随分と流調に共通語を話すようだが……いつからこの妖精郷は、近代共通語を自在に扱える程に開けた場となったんだ?」
「ア…そういえバ……」
刺し込まれるは暖かな夢を醒ますかな、無情なまでに冷ややかなる現実の響き。途端に張り詰めた空気が広がる中で、一人場から浮いたまま。背を向け佇むそのカタチ。
「姉、ちゃン……?」
不安を押し殺すかのように。壊れ物を扱うように。そっと何かを訴えかける妹の声へ振り向いた、姉であるべき者のその貌は。
「――なぁに?」
先程とは一切変わる事のない表情を見せながら。それでも何かが決定的に破綻した、笑顔。
ぐらり、と揺らいでしまったピノを思わず抱き留める。いつしか薄暗くも未だ高くあった筈の陽は何処かへと消え去って。まるで俺達の向かう不確かな未来を映し描いているかの如く、不安に赤焼ける空が広がっていた―――
や、やっと没投稿の影響を抜けたぜ……。
次回、今度こそ6/21(水)にあがればいいなーと思いつつ。




