第255話 不穏に這い寄る軍靴の響き
「論外だ。お前ぇらは大人しく留守番しとけ」
「「ええ~!?」」
「あっはい。そんじゃ僕ぁ、お先に失礼しまっさ!お三方、頑張って下さいねっ」
我先に逃げ出そうとする薄情者へと武器に見立てた皿を投げ、倒れ込んだその四肢にミーアの操る樹木の枝が絡み付く。まずは一名捕獲完了だ。
「はっ、離せェ!」
「駄目ですよ、頼太先輩。レディを残して一人逃げ出すなんて男の風上にもおけませんっ」
「いつ俺が先輩になったんすか!?」
こういう時の頼太は四肢を縛っていてもどんな隠し札を切ってくるかが読み切れない場合がある。無用な騒ぎを起こさせない意味でも念の為にその目の前へと歩み寄り、半眼で睨み付ける事で抑止力とする。
「つーか面子と状況的にどう考えても殺しが関わる案件だろこれっ!そういった覚悟の出来てない甘ったれた主人公ポジがせんでもいい試練とかを味わいながらダークサイドに堕ちてったり、元から病んでるヒロイン格が更に精神的に打ちのめされて廃人エンドになったり、きっとそういう洒落じゃ済まない感じのやつだってー!」
「……ねぇ。病んでるって、もしかして私の事言ってる?」
「むしろ頼太って脇役ポジだよね」
混乱の極みを見せる無節操な自虐発言の影には真に精神を病んだかなお馴染みの昏き眼の光を見せる狐娘。加えて分を知れとばかりに痛烈な幼女の毒舌が突き刺さりと、俄かに始まった身も蓋もないやり取りに、傍ではこれまでに見た事のない扶祢の態度を目の辺りにしたルシエルまでもが珍妙な面持ちを見せていた。
こいつらが揃ってしまうといつもこうだ。平時はともすれば荒みかねない心を適度に和ませてくれる特効薬たり得る仲間達のかけあいだが、たまには空気を読んでくれても罰は当たらないだろう。腹立ち紛れに頼太の頭蓋を少しばかり掴んでみれば、これまた上がるは実に力が抜けそうな小者感丸出しの悲鳴。
「つってもお前ぇはその辺りの分は弁えてっからな。そういうこった、今回は姫さんみてぇに気を遣った用兵をしてくれる訳でもねぇ。その覚悟を持たねぇ奴が入って良い領域じゃあねぇんだよ」
「だから俺、最初から参加する気なんかないって言ってるじゃねぇかよぉ……あたまっ、汚ねぇ花火になるぅ……!?」
殆ど泣き声に近くなってきた頼太には悪いが、そのまま押さえ付けながらに残る二人へと厳しい視線を向ける。そんな釣鬼のドスの利いた眼を見た娘達は顔を若干引き攣らせながらもそれでも負けぬと踏み止まり、ややもすればここで意地の一戦をも辞さないといった様子で揃って睨み返してくる。
「わ、私だってギルド所属の冒険者なんだからっ。いつまでも釣鬼にばかり辛い思いをさせて自分一人、はいそうですかと子供みたいに護られるのは真っ平なのよ!」
「右に同じく。それにー、扶祢がこう言って聞かないからさ」
辛い思いときたか。釣鬼にとっては今更な話ではあるが、純な娘達の気遣いに少々感じ入る部分が無い訳ではない。思わぬ真摯を向けられて、次いで自身の頬が緩みかけてしまったのを横合いからの愉しげな視線を感じる事で自覚をし、努めて平静を装おうとする。
「くっく。中々どうして、麗しい仲間意識ではないかね」
「ちっ」
若干赤らんでしまった顔を誤魔化す様にそっぽを向き、そろそろ息も絶え絶えとなってきた頼太を長椅子へと放り出す。そのまま自身もどっかと椅子に腰かけながら、仕方がなしに詳細の説明を織り交ぜながら理を以て説得にかかる事にした。
「――だからよ。こいつは俺っちの郷、本来の仕事に近ぇんだ。扶祢、お前ぇのその気持ちは嬉しく思うし、頼太の役割を弁えた戦況判断も悪くはねぇ。だがどのみち隠密技能に類するものは必要で、表立って暴れる訳にもいかねぇ。だから今回ばかりは目立つお前ぇらでは不適格だと、俺っちは判断した」
「そっ、か……うん」
「すまねぇな」
諭す様になされた説明を何度も何度も反芻し、しょぼくれながらも自らを説得させるかの様に頷き続ける。そんな扶祢の表情は実に寂しげであり、横ではピノが無言のままに責める様な目を向けてくれる。これには釣鬼も苦笑をもって返すしかなかった。
「そんな目をするなぃ。今回厄介なのはあの聖印からの思考の毒だけだからよ、ミーア嬢の提供してくれる精神防護の品とやらさえありゃどうとでもならぁな」
「承りました。それでは我等、樹精神殿からはこちらを貸し出すと致しましょう」
言ってミーアが差し出してきた品は、言わずと知れた無貌を象る白亜の仮面。その色と手触りには釣鬼自身も覚えのある、堕ちたる者の棺の名で呼ばれた遺跡址に佇む白亜の巨像と同じく、神秘力そのものを吸収無効化させる素材が使われているであろう事実が窺える。
「助かるぜ。それじゃあ大将、ルシエル嬢。戻るとするかぃ」
予定されている後方支援部隊も含め、人数分の仮面を受け取った釣鬼達は樹精神殿を後にする。あとは容疑者達の追跡調査をしているであろうギーズ麾下の神職部隊と合流し、作戦へと従事をするだけだ。
《ふふ。ですがその不審の信徒とやら、聞くにその根は深くまで張り巡らされていそうです。釣鬼さん方の仰る通りに簡単に片が付きますでしょうか?》
敷地を抜けて門をくぐろうかといった地点にまで差し掛かった折となり、ふと付近の桑の木より囁く様な声が聞こえてきた気がする。反射的に辺りを見回す釣鬼ではあったが、周囲に見えるは少し離れた場所で養蚕に精を出すアラクネー達、そして傍らでは訝る視線を向けてくる帝室出身の二人のみだ。
僅かに思い悩んだ後に神殿を辞する際にかけられた忠告をも併せて思い返し、詮無き事だと首を振って頭から追い出した。
「さっ、行くかい大将。こんな辛気臭ぇ宗教戦争なんざに興味はねぇからな、ちゃっちゃと片付けて、そんですっきりと依頼達成といこうや」
「ふむ――あの娘は人を殺す覚悟はなくとも、どんな目に遭おうとも引かぬといった決意こそは見えたように思えるがね。平民に関して言えば一度はこの私に明確な殺意を向けてきた程であるし、元より妖精郷の出身である少女は言わずもがなだ。少しばかり、過保護というものではないかね?」
「……それは言ってくれるなぃ」
「扶祢さまって、異邦人だったのですね。道理でどこか、浮世離れをした印象を受けた訳ですわ」
作戦の詳細に関わる中で小耳に挟んだ情報によれば、不審の信者達もまた異邦人の思想体系に近しいものがあるという。
類似したもので語るとすれば彼の北部戦線における徹底された戦術思想、人非人とも言えよう自称神聖国による作戦の数々――ギーズ直近の部下でもある若き日のジェラルド将軍をしてようやく敵の思惑の半ばまでを想像するに至り、その非道さを知ったが故に敵前逃亡とも言えよう撤退戦を余儀なくされたと聞く、当時の戦場の悪夢。
「ときに釣鬼。君はこの帝都の民の暮らしぶりを見てどう思うかね」
また随分と話が飛躍したものだ。散歩がてらのに釣果を聞くかな軽い語り口に面喰らいながら、それでも雇い主の意向となれば付き合うのみだ。質問の内容を少しばかり吟味した後に遠くに見える王城の側へと振り返り、質問に答えるべく口を開く。
「ん……話に聞いていたよりは、随分と洗練して映ったな。政務と軍務の分権もそうだがよ、まさかヘイホーよりも発達した上下水道までもが完備されているとは思わなかったぜ」
「あたくしも、そこは驚きでしたわね。あたくしが眠りにつく以前の帝都では、貴族でさえ一部を除いては湯浴みも満足に出来ず、香水などで体臭を誤魔化していましたから」
当時を懐かしむとはまた違った、鼻を押さえて眉根を寄せる反応を返すルシエルの言葉に成程と共感を覚えてしまう。
釣鬼自身、取り立てて周囲に零すつもりはないがこの特異な体質になってからというもの、日々の暮らしには時折不便を感じる事がある。扶祢を始めとする獣の血を引く者達程ではないものの、感覚が鋭敏になった影響か様々な音や臭いをより強く感じるのだ。
少々趣に欠ける言い方をしてしまえば、手洗いや浴室、それに更衣室付近の臭気には未だ慣れはしない。以前の乱闘騒動の際に頼太を捕獲すべく地下水路で待ち伏せをした時などは、立ち込めるすえた臭いに随分と不快にさせられて少々やり過ぎてしまったものだ。生活基盤となる整備施設もままならなかった時代に生まれ、ある時期から突然感覚が鋭くなってしまった当時のルシエルの心情はそれは散々なものだったと想像するに易かろう。
「あぁ、それだな。皮肉な話だが、戦争というものは実に多くの恵みを齎してくれる」
「恵み、ですか?あの戦争が?」
その言葉にルシエルがいまいちしっくりとこない素振りで首を傾げる。だがしかし並び歩きながら聞く釣鬼としては、その出自より類似した心当たりによりすとんと腑に落ちてしまうのだ。
これまでのギーズの話から類推される、文化面での浸透の事実。そして智慧の神に似て非なる、排他的なまでの宗教観。未だ衆目へは晒さぬものの、それは遠き異邦にて釣鬼自身も聞き齧った、他国へと攻め入ろうとする際に好んで使われたという信教の名を借りた侵略行為の歴史そのものだ。
「裏は取れている、って事かぃ」
「未だ確信とまではいかんがね――ここ最近、彼の国の動向が俄かに先鋭化の色を帯びている。なればこそ懇懇と亡国の神を奉ずるのみである異教を許容してでも対策を講じるべき、差し迫った事態が動き始めたと判断せざるを得ないのだよ」
今は自らの勘に過ぎないが、そう言葉を締めくくる。どうやら想像以上に不審の勢力の暗躍は進んでいるらしい。
あるいは元より帝国の民として長きを暮らし多少なりとも政務へと関わっていたミーアによる提案だ。悪魔の誘惑とも言えようあの言葉は、本心では飛び付きたくなる程に至極魅力的に響いたことだろう。
「国を治める者の苦悩の何たるか、ってか。ご心情、察するぜ」
「むははっ!そう思うのであればいっそ、我が配下に加わる気は無いかね?帝国軍は優秀な軍人たり得る者はいつでも歓迎しているからな、君であれば正規の斥候隊の隊長待遇で取り立ててやっても良いぞ」
「生憎と、傭兵業は廃したとは言っても最低限の矜持ぐれぇは守りたいんでな。光栄な話ではあるが辞退させて貰うぜ」
返す言葉に応ずるは更なる快活な笑い声。傍らではよく分かっていない風に疑問符を浮かべるルシエルの頭に手を置きながら、その視線は真っ直ぐに前を見据え。
「なに、それについては君の本筋の依頼が終わった後にでも考えてくれれば良い。ともあれ目下のところは思考の毒をまき散らす不信心者共を摘発し、背後関係を洗うが肝要となろうな」
気付けば遺棄地域の端を示す道標が見える区画にまで歩みを進めていたらしい。話に一区切りをつけた一行は最新の報告を受けるべく、そのまま軍務参謀府の建つ帝都北部域へと足を向けるのであった
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「――猊下!?ご無事でしたかっ!」
平時と変わらぬ街並みの中で、勘に聡い者であれば見逃す事のない違和感。
軍務参謀府へと近付くにつれ、異様なまでの緊張感と共に向けられる焦燥の込められた視線が増えていく。表情を消したままに馬車を進めるギーズの顔を確認し、まずはほっとした表情を見せ。然る後に口々に軍務副総括としての彼へと今ある状況を報せていく。
「聞こう。どこが押さえられた?今動ける部隊はどれだけだ?」
「突然の事態ゆえに詳細は未だ判明しておりませんが、猊下の配されます北部方面軍の第一から第三連隊、ならびにその駐留地である北部棟エリア全般が抑え込まれている模様です。現在は訪問中のセルヒオ閣下と会談中であったジェラルド将軍麾下の独立部隊を中心として交戦中ではありますが、数の差はいかんともし難く北部棟を死守するのがやっとです!」
あまりにも急な報に、それを耳にした者達の衝撃は計り知れず。真の戦場を識る事のなかった娘は血の気の失せた顔を晒しながらによろめき、頽れてしまう。それを支えたギーズは対照的に感情の見られないままに、それでも裡より徐々に滲み出る圧倒的な覇気は誤魔化しようがない。
「……そこまでとなると、御老が動いたか」
「は、恐らくは」
それだけを口にした連絡員にしかし、ギーズは何の反応をも見せる事はなく。ぽつりと一言、ある名前を呟いた。
―――帝国軍・軍務総括大総長ヴィクトル・ブラーギン。
当時の北部戦線にて神聖国よりの大打撃を喰らい、その責を取る形で軍の実権をギーズへと移譲した、かつて軍務参謀府を執り仕切った長だ―――




