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狐耳と行く異世界ツアーズ  作者: モミアゲ雪達磨
第十章 神墜つる地の神あそび編
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第253話 無性に抗う闘士の信念

 ―――気付いた時には、視界が紅く染まっていた。


「なん、だ……?」


 限界近くまで昂る意識をどうにか抑え込み、銀の鬼は辺りを見回す。元は漆黒であったドレスを返り血に染め上げながら。呆然と立ち尽くすその目の前には全身を朱に濡らし、神気を込めた短杖を片手に片膝をつきながらも闘争心に塗れた意志を叩きつけてくるギーズの姿。そして奥にはやはり浅くはない傷を負って護られるかのように臥せながら、怯えたように自身を見つめてくる少女の瞳。


「俺っちは、一体何を」

「……凄まじいな、鬼に連なる者の闘争本能というものは」


 その吐息を零すと共に力尽きたかの様子でギーズはその場へと蹲り、その隙を衝いた形で闇の中より襲い来る二つの煌めき。反射的にそれの軌道を魔力を纏う掌で写し取り、その挙動のままに反動を付けて投げ返す。

 夜の鋭敏な感覚を以て微かに聞き取れる程度のくぐもった呻き声。俄かには判断が付かないままに周囲への警戒を強める釣鬼に静止の声がかけられた。


「それよりも、また自らを見失わないようその昂りを張り詰めておけ。まずは封印処置を先に進めるとしよう」


 言ってギーズは治療行為もそこそこに裏路地の地へと落ちていた聖印を拾い直す。聖印……そう、聖印だ。あの時、この印より発せられた不可視の何かが場の空気を侵食し始めて―――


「俺っちは、意識を失っていたのか……いや」

「記憶はある、のだろう?」


 確信の響きを含むその言葉に、再び浸食し始める頭の中の靄を意識しつつ。言われるままに燃え盛る闘争心を以てその靄への抵抗を試みる。

 やがてどれだけの時が過ぎたろうか。気付けば靄よりも夜の自身の気質の方に引き摺られ、はち切れんばかりの闘争本能を抑えるのに苦労を覚え始めた頃となり、もう良いとの声がかけられた。


「すまねぇ、嬢ちゃん」

「けふっ、けふっ……ふぅ。あの夜にこれをやられていたら、あたくしの命運はとうに尽きておりましたわね」


 未だ震え上がって涙目ながら、茶化すかな言葉からは気にしてくれるなといった気遣いを感じる。

 その言葉に自覚は無いまでも今宵の事が終わった確信を得て路地の壁際へと背を預け、ずるずると蹲る。そんな釣鬼の周囲の地面には例外なくその手で切り裂かれ、潰され、刺し貫かれて臥せる人影。彼らがこの先動く事は二度と、無い。


「……これが、当時に起きた北部戦線の真実とやらかぃ」

「あぁ。事が終わった後に不幸にも生き残ってしまった者は極々一部を除いて皆が皆、望まぬ記憶を抱えて過ごす事となった。程なくして残らず正気を喪い、儚くなってしまったがな」

「そりゃあ、確かにくそったれだな」


 正に反吐が出そうな思いを抱え、柄悪くも路上へと血の混じった唾を吐き捨てる。その視線が忌々しげに向かうはギーズが手に持つ、今や何の変哲もないただの印となった件の品だ。


「自業自得とはいえ、襲い掛かってきたこいつらを殺ったのは誰でもねぇ、俺っちだ。記憶はばっちり有りやがるのに、その時の俺っちは俺っちじゃなかった。胸糞悪ぃどころの話じゃねぇぜ」


 オークション会場で聖印を確保するべくギーズが動き出した際、各所より揃って上がった不気味な呪言とも取れる響き。それに呼応したかの様に発せられた聖印からは不可視の何かが場へと漂い始め――まず異常をきたしたのは聖印の入った箱の側に立っていたオークショニアだった。

 奇声を上げたり飛びかかったりと目に見えた奇行を晒す事もなく、歩み寄るギーズへとにこやかな笑みを浮かべたままに躊躇なく隠し持っていたナイフを突き出し、そのまま制圧をされるに至る。その後に軍属としての名乗りを上げ来訪目的を告げたギーズに場は騒然となり、その後に入り乱れるは闇市の場に紛れ控えていたらしきギーズ麾下の神職部隊と不信の信者達の激突。


「――そこから先はもう『覚え』ちゃいねぇ。我に返った頃にはこの裏路地だった」

「ふむ、やはりか」


 ここまでの経緯、それと闇市へと入り込む前に呈された可能性の話を思い返し、臨時の聴取が進められる中で自身に起きた状況を自覚していく。つまりは当時の北部戦線で自軍の半数近くもの洗練された軍属達が裏切り、一時は帝国領の北部域の一部を削り取られるまでに至った忸怩たる事実。

 無論の事、これは最高レベルの軍事機密。その後の混迷により結果として戦線を押し返せたが故に公にされこそしなかったものの、一歩間違えれば帝国の体制そのものにさえ多大な悪影響を残していただろう。

 一通りの聴取が終わった頃にはギーズとルシエルもまた、自らの足で立てる程度には回復をしていた。晴れない気分に悪態を吐きながらもそれとは対照的に調子の良い身体を起こし、釣鬼もまた後ろ頭をかきながら立ち上がる。


「よっ、と。大将、どうもあの血を練り込んだワインはあまり効果が無かったみてぇだぜ」

「そのようだな。あの我を失った状況で血を目にしても些かの反応も見せず、まさか戦闘の筋道を徹底的に実践踏襲されようとは。お蔭で血で隙を誘おうにも逆に不意を打たれる形となってしまったな、むはははっ!」

「お二人共、そういうのを戦闘狂と言いますのよ……」


 不満たらたらな様子で挙げられる指摘に互いに誤魔化す様に引き攣った笑い声を上げる中、我を奪われていた記憶を引き出し釣鬼は思う。夜に本性を晒す身となった今でも有り難くもその半生の大半を費やしてきた在り方は変わらず、念の為と用意をされた芳しい香り漂う甘露も脳筋族の矜持の前には用を為さなかったらしい。それ程までに滾る闘争本能が不審の聖印による思考の毒をも打ち破り、こうして手遅れとなる前に正気に戻るに至れたのは僥倖ながらも皮肉な話だ。


「しかし大将な。流石に狂信者を相手にする事が分かっててそれでも自らの身を囮と化すってな、ちっとばかり無謀に思えるんだがよ」

「そうですわよっ!あたくし、もうこれ以上ギーズさまの無謀に付き合わされてトラウマを増やしたくはありませんわ!」

「なに、我らが神はただ何も言わず見守ってくれる。大叔母御もそれは重々自覚しているだろう?」


 我らが神とはデッドリー・ブルの一件では釣鬼も目にし、また夜会の一件にてルシエルが語っていた帝室の一族に伝わる一族の守り神というものだろうか。僅かながらも神霊に類される者達との接点を隠し持つ釣鬼としては、あまり過信すべきではないものと思わなくもない。平時の彼らはその実態を知らざる者達が思い馳せるよりも、余りにも俗な動機で動くものだから。


「まぁ言いてぇ事は分かった。その聖印の妙な効果を防いだのも、大将達を護る何かしらのお蔭っつぅ事だな」

「あたくしの場合、既に帝室由来の異能は喪って久しい身です。スコルピオに護って貰っているからこそ、ですけれど」


 少しばかりの訂正を入れるルシエルの言葉に魔を纏う仲間の若者の実情を連想し、次いで元よりの接点があった頼太ではなく何故自分へと依頼を出したのか、その疑問へと至る。

 身も蓋も無い言い方をしてしまえば、今夜の釣鬼は気合いで洗脳効果を退けた様なものだ。そんな博打を打つ真似をせずともこの程度の精神汚染は無効化するであろう頼太を投入すれば、犯人達を生きて確保しその本拠へと攻め入る事も可能だったのではなかろうか。


「……いや、それじゃあ解決の目が引き寄せられないと判断した訳かぃ?」

「流石は傭兵の郷を出自とする者か、こういった作戦行動に関する思考の構築は的確だな――補足をすれば、あの姿では悪目立ちが過ぎる。後先を考えない殲滅作戦であれば兎も角、秘密裡に処理を進める段階で警戒を強められてはな」


 やはりそういう事か。鷹揚に頷きながらの説明に、釣鬼もようやく納得をするに至る。そこへ機会を見計らったかの様に闇の中より神職部隊の連絡員が現れ、ギーズへと二、三言を耳打ちする。


「どうやら私と大叔母御が痛い思いをしてまで打った芝居が功を奏した様だ。先程取り逃がした二人の逃げ込んだ先が判明した」


 その内容を語るギーズの貌は不敵に歪んでいた。首筋にぞわり、としたものを感じさせる昏い感情。それは無謀にも彼等へ襲い掛かってきた狂信者達もかくやと想わせるものだ。それでいて作戦を執行するべく思考と感情を切り離し、狙った獲物を確実に仕留めようと準備を固める様は捕食者のそれに近かろうか。


「ですけれどもギーズさま。その狂信者達の本拠へ向かうにしても、精神防護が万全でなければまたあの聖印の餌食になりかねません。そこについてはどうするおつもりなのでしょう?」

「ふむ。そこが痛いな」

「なんでぇ。まだ考えてねぇのか」

「仕方があるまい。君の暴れっぷりが予想以上で、芝居としては些か効果が多大に過ぎたからな。連中にしてみれば今宵の手薄と背信に乗じて私を亡き者にするつもりが、君の暴走に全てを薙ぎ払われた形になる訳だ」


 そう皮肉気に肩を竦められ、知らず憮然とした表情を浮かべてしまう。それではまるで自分が悪い様な言い方ではないか。


「とはいえ、そうだな。精神防護のみであれば神職部隊の精鋭を見繕い、集中して補佐をさせれば可能だとは思うが……万全を期すのであれば根本的な対策は必要となる、か」


 変わらず好奇に満ちた視線をこちらへ向けながら、ギーズは対策へ向けた次の目的を二人へと語り始める。対しそれを提示された釣鬼はどうしたものかと考え込み、結果としては明確な反論も見出せずにその提案を受けて繋ぎを付ける形となる。






 翌日の昼下がりとなり、互いに拠点へと戻り準備等々を整えた後に遺棄地域の入り口で合流する。目的地は言うに及ばず、昨夜の闇市でも無節操な信仰を切り売りしてくれた無貌の女神信者達の新たな神殿だ。


「一般人が立ち入り出来ない今はまだ良いが、この状況も後々何らかの対策を立てる必要があろうなぁ」

「何なんですかあの大蜘蛛達は!?帝都の中にあんな魔物が跋扈しているだなんて、聞いておりませんわっ!」


 このギーズをして呆れの色を醸し出させ、ルシエルなどは既に連日の度重なる衝撃に終始混乱しきってしまう有様。その要因となった存在達は今日も忙しそうに、それでいて生の実感を感じさせながらも遺棄地域内部での運搬作業に勤しんでいた。


「一応誤解のねぇ様に言っておくが。あいつら、魔物じゃねぇからな?」

「……え?」

「魔物ってな、厳密には魔核を基にして根幹を成す存在だろ。あいつら、魔核なんて持ってねぇって言ってたからよ。こっちの話も普通に通じるし、うちのちびっこ曰くアラクネーの親戚みてぇなモンだって話だぜ」

「……あの平民と言い、無貌の女神と呼ばれる存在がいよいよもって分からなくなってきたな」


 この遺棄地域の詳細を知る釣鬼の説明により、横の二人は揃って絶句し、然る後に互いに戸惑った顔を見合わせながら溜息を吐いてしまう。現にそんな釣鬼の言葉を証明するかの如く顔を覚えていたらしき翠の大蜘蛛の一匹が寄ってきて、挨拶をするかの素振りを見せたところで見知らぬ姿に気付きその場で硬直をしてしまう程に情緒たっぷりな人間臭さ。これには残る二人も良心に呵責を覚えてしまったか、何体目かになる大蜘蛛とすれ違う頃にはすっかり警戒の色も薄れていた様子。


「さて、こっちだ。アトフ大臣が言うには、ここ数日はやるべき事があるとかで神殿に籠もりきりらしいからよ」


 その後も往来のど真ん中にこれ見よがしに自らの身を埋め、期待の籠もった眼差しを向けてくるマンドレイク。更にはそれを定期除去しにきては大蜘蛛と同じく怯えた様子を見せながらも遠慮がちに挨拶を交わしてくるアラクネーなど、とても一国の首都の一光景とは思えない遺棄地域を歩み進める事暫し。いよいよ目的地である聖域へと到着する。

 入り口付近の桑林で養蚕作業に従事していたアラクネーの一人へと訪問理由を告げ、意外にもしっかりと作り込まれていた樹木の待合室で時間を潰す。やがて案内の声に誘われ赴いた神殿の中枢部分に、それは居た。


「ようこそいらっしゃいました。この地の真なる守り神である無貌の女神様を祀る、この樹精神殿へと――」


 元は小鬼公(ゴブリンロード)の神職として外務大臣である兄に連なる異色の注目を受け、今や無貌の女神へとその信仰を一身に捧げる新たな神託の代弁者。ここ暫しを帝都の民達の噂に上り続け、国を執り仕切る者達の頭を悩ませる問題の一つともなっている、翠の娘だ。


「まずは服を着てそこから出ろ、この引き篭もり痴女が!」

「ええっ、いきなりそこですか!?」


 以前の小競り合いが起きた原因ともなり、要らぬ誤解を解く為にやむなく開かれた緊急会議にて映し出された中継動画での討伐時の姿そのままに。大樹の中に半身を埋め、伝説の妖華を再現した者の名はアル・ミーア。

 既に小鬼としての名残であった角の跡さえも残す事さえなく、更に一回りの成長を果たしたその姿。薄い緑の肌や髪の色を別とすれば、人族のそれと変わらぬまでに至っていた―――

 進化し続ける残念娘。物理精神面の双方において。

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