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狐耳と行く異世界ツアーズ  作者: モミアゲ雪達磨
第十章 神墜つる地の神あそび編
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第249話 終わりの詩は、理不尽に

「よっ、と。これで百個目か。リハビリにゃもってこいだが、見事にお手本みてぇな罠ばかりだったな」

「そんなっ!?今のはボクの渾身の作だったのに……」


 おっちゃんの気力が回復した後となり、改めて大樹迷宮内の探索を再開した。

 その道中についてはまぁ、横で驚愕を見せる幼女が監修したという時点で色々と察して欲しいと思う。見た目こそ少々育ちはしたものの、尻叩き一つで人目を憚らず泣きじゃくった挙句にしおらしくなってしまう辺り、やはりこいつの根っこの部分はまだまだ幼女なのだと思う。

 それはさておきだ。俺でも容易に対応出来そうな罠から幻想世界内で遭遇したデストラップ一歩手前な洒落にならない代物までと、旅の合間に薄野山荘へと寄る度にピノがやり込んでいた迷宮踏破ゲームで出てきそうな罠の数々を、おっちゃんは大した労苦も見せずに解除し続けていた。


「何なのこのおっちゃん。とても素人には見えないんだけど!」

「ぶっちゃけ俺も驚きだわ。おっちゃん、無茶苦茶有能じゃね?」

「そりゃ俺だって伊達にこの齢まで探索者やってねぇからな」


 あまりの手際の良さに俺達二人、ほぼやれる事もなく。時折姿を表すマンドレイクや大蜘蛛達を適当に追い返しながら、暫しを芸術的とも言えよう作業をこなすおっちゃんの後ろ姿に見惚れてしまう。


「くっそー、ボクもまだまだって事かぁ」


 そう悔しげに呟きつつ、いつの間にか外していたロープを俺へと押し付けたピノはピコの背に乗り直す。


「それじゃあボク達はこの辺りでさよーならかな」

「そっか。ギルドの連中にはちゃんと謝っとけよ、ボルドォ代行なんかもう俺よりもお前の方に怒り心頭らしいからな」

「うーん。ほとぼりが冷めてから、ね」


 最後にそう苦笑いを浮かべ、ピノ達は去っていった。それを傍らで見ていたおっちゃんは何とも微妙な表情を向けてくれたものの、俺としては肩を竦めて返す程度しか出来ないのが残念なところだ。


「今回に限ればあいつは討伐される側ですからね。相対する側の矜持として譲れないものでもあったんじゃないっすか」

「そんなものかね」


 どんな絡繰りかは分からないが、数日前の突入戦ではギルド側を壊滅直前にまで追い込んだ魅了効果までをも持ち出しておいて追撃は一切なし。この時点で少なくとも神殿側に明確な敵対の意志は無く、やむにやまれずといった事情があったと察せられる。であればこその協力に至ったという事なんだろうな。


「それよりも、ここからは気を引き締めていきましょうか。あいつが離脱したって事は、そろそろ本命の遭遇が待っているって事ですから」

「お、おうっ……本当に、これで魅了効果が防げるんだろうな?」

「きゃははっ」


 不安気に呟くおっちゃんの裡からは、それに応えるかの素振りでにょきっと生えるニケの頭。しかし哀しいかな、こういった非現実に慣れていないおっちゃんは自らの胸から突き出る精霊の頭に情けない悲鳴を上げ、逆に意気消沈してしまった模様。こりゃ対峙そのものは俺一人でやるしかなさそうだな。

 そのまま暫し道なりに進み、雰囲気満載な樹木の扉の形が目に入る。いよいよ本命との遭遇か。


《これより始まるはワタシの信者同士の哀しき対立。故にこのワタシは奉じられるモノとして、どちらへ与する事も許されません――》

(へいへい)

《……付き合い悪いわね。たまには心に響く応対ってものをしてくれても良いと思うのだけれど》


 いつも通りの軽口かと思いきや、妙に不機嫌を表へと出してくれる。そんな裡なる声に俺は少しばかり思考を巡らせ、それならばと歯の浮く様な台詞でも考えてみるとしようか。


(そうだな、それじゃあ――奉じられる機構への祈りとしてではなく、元より暇を飽かした神遊びと称して俺の裡にひっついてくれた、一個のリセリーに対して俺もまた個の存在としてお願いする。どうか俺の為に、手助けをしてはくれないか?)

《―――》


 うん、俺としては本番に入る前の軽口に応じただけだったのだが。何だこの、胸一杯に溢れ出すかな充実感の発露は。


(……おねいさん?あんた実は、あのお狐様並にちょろくないっすかね)

《うっ、五月蝿い!もういいからさっさと決戦場に行きなさいっ》

「やぶへびぁっ!?」

「なぁ坊主。今のそれ、監獄入り口でも似た状況があった気がするぜ……」

「きゃはぁ」


 最早お約束とまで言えよう余計な一言からの恥じらい溢れる天罰執行コンボ。我ながら学習能力がない気もするが、今も俺の裡で溢れる感情の中に僅かに垣間見えたどうしようもない存在としての孤独。それもまた事実なんだろうなと思う。


(まぁ、なんだ。俺はこうしてこっそり憂さ晴らしに付き合う程度しか出来ないけどさ。前にも言った通り、それで良いならいつでも遠慮なく使ってくれよ)

《……お前、後で覚えておきなさいよ》


 うむ。フォローを入れたつもりが見事に分不相応なたらし臭い発言となってしまったらしい。どうにも上手い返しが出来ない我が身の凡庸を憂いつつ、情感のたっぷりと籠もった恨み節に一人冷や汗をかく俺でありました。

 ともあれ装備等々の最終確認も終わった事だ、最後の扉を押し開けてラスボスとの対峙に挑むとしよう。






「……リセリーさま、ずるいです」


 道中で仕入れた情報通り、吹き抜けとなった大樹の中心部に埋まりその身を枝葉に縛られるは森人の祭祀だった者。今や伝承になぞらえた魅惑の果実を模した姿が持つその名は、アル・ミーア。ここに建てられた樹精神殿を無貌の女神の復活拠点として据え、その権能の一部を借り受ける神の僕だ。

 この人のことだ。一糸纏わぬままに膝上までを埋め込み、自らの果実を惜しげもなく魅せているのも過ぎた拘りというものであろうが、不覚ながらも男である身からすればその効果は絶大と言わざるを得ない。漂う魅惑の香りを瘴気の鎧で遮断してなお、肉感的な視覚情報とその退廃的にも見えよう流し目は俺の心を揺さぶってやまず。おっちゃんなどは既に目が釘付けとなり、ニケの憑依による精神防護が効いているかも怪しい状態だ。


「私はここ暫くを勢力圏の確保に忙しく立ち回っていたというのに、その間リセリーさまと言えば面倒事の殆どを私に押し付けて。しかもさっきなんかちょっと良い感じに雰囲気まで作っちゃって……ブツブツ……」

「――あん?」


 だがここに来てどうにもミーアさんの様子がおかしい。話に聞いていた権能の簒奪者にしては極めて落ち着いた物言いながら後ろ昏さが一切見られず、主へ対する信仰も微塵の揺らぎさえ感じさせない。そしてその物言いはどこか不貞腐れた素振りを見せ、艶やかなる妖華な見た目とのギャップがこの上なく俺の精神と肉体双方に響いてしまう……いや、落ち着け俺。思考が混乱しているぞ。魅了効果以前に若き活力滾る野郎の生理的欲求を刺激しまくるその煽情。何という恐ろしい対男性限定攻撃だっ……。

 いつの間にやら靄がかってしまった頭を振るい、どうにか違和感の正体を突き止めようとする。そんな俺へと不貞腐れた様子から一転、ミーアさんは決然とした表情をこちらへと向けて来る。


「こうなったら私だって遠慮はしませんっ!さぁ、頼太さんっ。今の私の豊潤なる果実の香りに酔いしれて、我等無貌の女神信者の勢力に敗北を喫しちゃって下さいな!」

「させるかよっ!」


 言うなりその身を縛っていた大樹の枝が触手と化し、俺達の立つ空間へと振るわれる。反射的に避けながらも対決の雰囲気に中てられてついそんな啖呵を切ってしまった俺だったが、着弾点となった大樹の壁面より上がる、凄まじい破砕音に思わず硬直してしまう。


「おい坊主、これっ!」

「うおぉ……」


 振動剣の威力を以てすらそれなりに時間のかかった侵入時の掘削作業。それを鼻で嗤うかな超威力を目の当たりにし、昂ってしまった俺の精神は冷や水を浴びたかのごとく醒めていく。


「おっちゃん、通路に逃げ込めっ!魅了どころか物理的な巻き添えでやられちまうぞっ」

「そうさせてもらうぜっ、死ぬなよ坊主!」


 縁起でもない事を言ってくれる、だがその言葉には俺の身を案じる響きが確かに感じ取れた。そう期待されちゃあ奮っていかないとな。心は熱く滾らせながらも、頭は努めて冷静に、じっくりと腰を据えてかからせてもらうとするかっ!


(んで、とんだ騙りを働いてくれたどこぞの駄天使さんは、どんな素晴らしい言い訳をしてくれるのだろうかね)

《な、何の事かしらぁ?》


 そんな空恍けたふりをしても騙されませんよ。魅惑の香りに中てられかけてすぐには気付くに至れなかったが、幸いにもあの強烈な一撃で完全に正気に戻れたからな。つまるところは―――


「ミーアさん共々、裏ではばっちり組んでたんじゃねぇか手前らっ。何が権能の主導権を奪われただ!」

「……ふっ、全てはリセリーさまの御心のままに!」

《あっ、ミーアぁっ!お前いきなりワタシに罪を擦り付けようとするんじゃあない、この不信心者っ》


 道理で危機察知能力の高いピノの奴がさっさと逃げ出した訳だ。今頃はここの中継映像を受け取っているであろう出雲達が揃えて頭を抱えてしまっているだろう事が想像に難くない。あるいは騙し合いそのものは好む出雲の事だ、あいつだけはむしろこの顛末に腹抱えて大笑いをしているかもしれないがね。


「という訳でミーアさん。後々の沙汰を出来得る限り軽くする意味でも、ここで一つ俺からのお仕置きを素直に受ける事をお勧めするぜっ」

「いやぁ!?折角ここまで伝承通りにアルルーナを育てたのに、そんなのあんまりですっ!」


 すっかり化けの皮が剥がれてしまったミーアさんではあったが、裡に秘める信仰そしてその身に刻んだ知識と経験の数々は健在だ。芝居気たっぷりにただ魔物然と振るうだけだった触手を途端に鞭を操るかな洗練された動作で扱い始め、更にはそこに無貌の女神が御力を籠める事により物理破断効果対策としてくれる。ちっ、これで振動剣は完全に防がれちまったか。


「ならば接近戦っ。大樹に縛られたその身が仇となったな、ミーアさん!」

「くぅ……私の身体がそんなに魅力的だからって、そこまで近くでがっついて見ようだなんて。頼太さんったら青き情欲滾るケダモノさんですねっ」

「アンタ女神の権能だけじゃなくて性格まで影響されてきてね!?それでも神職ですかっ」


 大樹の側に密着し、死角を回り込みながらのヒット&アウェイにより小回りの利く俺に場の利が傾き始めはしたものの、元よりミーアさんは正規の神職拳術師(モンク)であった者。神殿の中枢たる大樹そのものの呆れる程の防御力に加えてミーアさん本体の手捌きも相まって、中々決定打を得る事が出来ない。流石にこんな茶番でまともに剣や瘴気を叩き込む訳にもいかないし、このままでは俺の体力が先に尽きてしまうだろう。

 何かないか、何か――目まぐるしく動く戦況の中、少なくない焦りを抱えながら周囲に目をやり利用出来そうな物を探し始めたその時のことだ。


「きーすさま、これつかうー?」

「うぉ……っと、ナイスだニケ!そして有り難く使わせてもらうぜ、おっちゃんっ」


 いつの間にか俺の側までふよふよと宙を漂ってきたニケが手に持つ物、それはおっちゃん達探索者が愛用する、遺跡探索用の特別製ザイルだ。

 俺達のパーティでも所持している補助用のそれとは違い、一つ選択を間違えば命の危険に直結する迷宮内の探索用に永続的な神秘力付与(エンチャント)がなされたそれは、時には迷宮の番人である魔法仕掛けの人形(ゴーレム)達の動きを止める用途で使われる場合もあると聞く。それ程の対物理強度と束縛効果を得られる代物であれば、今のミーアさんの動きを封じるにうってつけではなかろうか。

 通路の入り口にて親指を上げるおっちゃんへ声がけながらザイルを受け取り、危機を察し慌てた様子を見せるミーアさんへと向き直り突撃体勢を整える。


「ついでだニケッ、ミーアさんの顔に暫く纏わり付いておけっ!」

「きゃはははっ、ねえやー!」

「あちょっ……ニケさん、どいて下さーい!前が見えな……きゃあっ!?」


 とんだ横槍により多大な隙を晒したミーアさんの肢体へと特別製のザイルを荒く巻き付けていく。時折上がる艶っぽい悲鳴に何だかイケナイ事をしている気分に陥りながらも心を鬼にして縛り上げていき、そう長くない時が過ぎた後にそれの完成を見た。


「よしっ。おっちゃん、これがラストだ!二人で引きずり出すぞぉっ!!」

「むほっ。おうっ、任せとけ!」

「あっ駄目ぇ!今引きずり出されたら、制御がっ……」


 やはりこの巨大な大樹を自在に動かせたのは、ミーアさんがその内部へと入り込み直接操作をしていたからだったんだな。リセリーとミーアさんが実は裏ではグルだった、という事実からしてもミーアさんが躊躇なく我が身を魔物と化す筈もなし。そうと分かれば遠慮なく、容赦なく引き抜かせて貰うとしよう。

 妙に鼻息が荒くなったおっちゃんと共に渾身の力を込めてザイルを引く。深く埋まっていた当初こそ多大な抵抗がありはしたが、それもミーアさんの脚が抜け出していく度に徐々に徐々に減っていき―――


「――んぁああンッ!?」


 最後に一際甲高い喘ぎ声を上げると共に、ミーアさんは全身を弛緩させて地面へと崩れ落ちていく。しかしながらこれにて一件落着かと思いきや直後に起きた悲劇を目の当たりにして、最後までとんでもない仕込みをくれていた事実を知り愕然としてしまう。


「ほげぇ……」

「おっちゃーん!?死ぬなー、正気に戻れぇっ!」

「ふ、ふふふっ……これぞアルルーナ最終奥義、魅惑の叫声ですぅ……あふっ」


 ニケが妨害作業の為におっちゃんの護りから離れていた以上、今やおっちゃんを護る精神防護手段は存在せず。アルルーナ特有の特大魅了効果を受けてしまったおっちゃんは恍惚の表情を浮かべながら泡を吹いてしまっていた。

 そしてその惨状の生みの親はと言えば正規のマンドレイクと同じく、埋まっていた両脚より止め処ない血を流すという有様を晒しながらも満足げな笑みを浮かべて身体をびくびくと痙攣させるその姿。どうやら裡に持つその業により今回も行き着くところまでいっちゃって、マンドレイク属に共通する呪いの叫声までをも再現してしまったらしい。正にアルルーナの名を冠するに相応しき最期と言えよう。


「おっちゃん、おいおっちゃんやべぇって!?ミーアさん治療っ、このままじゃおっちゃん廃人になっちゃうって!」

「ひぃんっ!?今ちょっと身体が敏感なので触らないで……っておかしいですね?ここまでの症状には至らないよう、調整をしたつもりだったのですが」


 既に俺、目の前の惨状に瘴気の鎧すら霧消させミーアさんの肩を揺らしてしまう程に混乱しきっていた。ついでにその下に収まる形の良い二つの果実もゆっさゆさと揺れ動くのが目に留まり、更なる動揺を晒してしまう。


「こほんっ、ちょっと向こう側を向いていてください」

「さーせん!」


 その後おっちゃんの背嚢に入っていた布を拝借し、間に合わせに身に巻いたミーアさんの治療により一命は取り留める事となった。正気を取り戻したおっちゃんは哀しいかな、暫し背中を煤けさせながらもぞもぞと股間部分の男の性の後始末に励んでいたそうな。おっちゃん、すまん……。


「ぶはぁ~。つ、疲れた……」

「お疲れさまですっ。正直なところを言いますと、私達のあれだけの仕込みと信仰をあっさりと引っくり返されてしまったのは忸怩たる思いではあります。ですが、今回は私は完敗ですっ」


 ともあれこれにてミーアさんが組み込まれた大樹のオーバーボディの制圧も完了し、後は方々への謝罪を兼ねた挨拶周りで終了か――そう、楽観的に考えていた俺の脳裡に浮き上がるは一つの違和感。


「……ん?ミーアさん、今『私は』って言いました?誤字ではなく?」

「はい、言いましたね」


 文法的な間違いかと思いきや、どうやらミーアさんははっきりと「私は完敗」と言い切ったらしい。

 思えば対峙したその時から何か重いものを背負ったかな鬼気迫る顔付きを見せていたミーアさんは今やすっきりしたかな惚れ惚れとする笑みを向けてくれているし、それを目の当たりにした心の裡からは先程から何やら不気味な嗤い声が響き続け。


「――良いわよね、頼太は」


 不意に頭上よりかけられるは恐らく俺に最も馴染みも深き、涼やかながらも不吉を多分に孕んだ昏き声。


「今日もまた、色々と役得を見れて満喫しているみたいだし」

「な、何だ。ありゃあ……」


 それでも破滅の予感を回避すべくよくよく心を落ち着け思い返してみれば、戦闘中にも感じた幾許かの心当たりが揃って頭の中へと反響し、本日最高潮に発揮をされる絶望への虫の報せ。


(ワタシ)は、公務(コノ地)に縛られ続けてずっとずっと……窮屈な思いをして(苦シンデ)いたというのに」

「おっちゃん、駄目だっ。逃げっ……」


 こいつは、このタイミングでのこいつはまずい。しかもものっ、物言いが……完全にあの夜の無貌の女神と一致して―――


《一つだけ、本当の誤算があったとすればこの娘かしらね》

「えぇ。まさかリセリーさまより借り受けた無貌の女神の権能が、まるまるあの人に呑み込まれてしまうとは思いませんでしたっ」

《しかもさっきの小虫君の大活躍のお蔭で完全にお前の制御から離れちゃって、本人の自我まで復活しているものね》

「おっおまっ、洒落になって……」


 手遅れとは思いつつも、それでも生まれ持ったこの性か。肉体的にも精神的にも大事を終えて疲弊しきった身体をどうにか動かし、離脱を図ろうと通路側へと駆け始めたその矢先。先の触手の大振りにも匹敵しよう破壊力を以て投げ落とされるは、懐かしき片刃の長柄。


《元よりその出自からも、小虫君などより余程器の容量が大きいあの娘です。その気になればこんな事態が起こり得る事も想定すべきだったと、今では反省しているわ》

「ですね。今や私よりもあの人の方が余程その権能を使いこなしていると言いますか、ぶっちゃけますと無貌の女神様そのものですよね、今の扶祢さんったら」

「あぁ――(ワタシ)はずっと、お前が来るのを待っていた。こんな(ワタシ)を憐れんでくれると言うならば、どうか一時のストレス解消(カミアソビ)に付き合ってはくれないか?」


 最早逃げ道は完全に断たれ、逝く先に降り立つは無貌の仮面を被りながらも病んだ目付きを隠そうともしないお狐様。人の業を表す大罪を象徴したかな七尾を不穏に揺らめかせ、先触れもなしに周囲へと浮かび上がるは翠に輝く大量の狐火。


「ワタシが言うのも何だけれど、見事に当時の無貌の女神(ワタシ)を再現してくれてるわねぇ。いっそ面倒な権能など捨てて、全部この子に任せちゃおうかしら?」

「だめですよリセリーさまっ。リセリーさまに仕え奉る第一人者はこの私なんですから!」

「きゃははっ。きーすさま、なむー!」


 あぁ、今日もこの駄天使と僕の主従コンビは絶好調らしい。いつの間にやら実体化を果たしたリセリーと共に、場違いな和みっぷりを見せてくれる新たな祭祀と精霊達。

 どこか悟った心境でそれを見る俺の隣では、人智を超えた現象に畏れというよりは怖れの字が似合いそうな有様で腰を抜かすおっちゃんの姿。つくづくすまんねおっちゃん、これはもうどう足掻いても脱出の目がないわ。


 音も無く地へ降り立った無貌の仮面を被った人型の何か。それは諸手を広げ、優しく慈しむように。それでいてここ暫しの鬱憤を晴らす相手をようやく見つけたかな歓びの感情をも激しく向けながら、一歩また一歩と歩み寄ってくる。

 どうやら今回の俺の旅はここまでのようだ。それでは皆さん御機嫌よう、これが性質の悪い悪夢である事を祈りつつ、まずは体力の許す限りの逃走劇を試みるとしよう。


「――ア"~~~~~ッ!?」

「なんで俺までぇっ!!」

 扶祢さんもきっと、色々ストレス溜まってたんですよ。夜会とか。

 終わってみれば一つのお話になってしまった。次回こそ小噺的な。

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