第247話 魔狗と翠の神あそび
諸事情により、えっらい遅れましたorz
提供された情報を基にして嫌がるおっちゃんへとある仕込みを強制的に完成させ、俺は俺で他言無用の念を押した後に狗神の鎧を纏った。
「なっ、何じゃこりゃぁ!?」
「ご丁寧なお約束反応、あざっす。んじゃ行くぜ、おっちゃん!」
まずは大蜘蛛達が徘徊していない、廃屋の屋根部分伝いにひた走る。
二軒目の屋根へと飛び移ろうとしたところでいきなり足を滑らせて転落。既のところでおっちゃんの差し出した手が間に合い、九死に一生を得た。
「ぐあっちゃ、あっちぃ!?」
「あ!悪りっ」
ところがどっこい、現実はそう甘くはなかったようだ。瘴気を纏った腕部分を直接掴まれたせいか、上がるおっちゃんの悲鳴に慌てて鎧を解除して。途端に軽くなる腕部分への圧迫感。部分的に鎧を解除した結果出来た隙間により、おっちゃんの掴む手がすり抜けてしまったらしい。
跳躍からの勢いこそ殺せはしたものの、やはり三階部分からの落下の衝撃は馬鹿にならなかった。直接的なダメージこそ無形の鎧により軽減をすれど、全身に奔る衝撃に悶える事暫し。やがて危なげなく降りてきたおっちゃんの手により介抱されるまでを地面で見苦しく釣り上げられた鯰の如くのたうち回ってしまう。
「おぉ、あっちぃ。その黒いやつ、危険なんてもんじゃねぇな。それがあったからこそ、あの夜に狐のお嬢ちゃんからお呼びがかかったって訳か」
「げふっ……た、多分あいつの事だから、これが無くても仮面とか被って囮をやらされてた気はしますけども」
どうやらおっちゃん、探索用の特別製グローブのお陰で深刻な傷害は免れたようだ。瘴気に触れていたのも一瞬だったからな。そのまま暫し息を整えるのに集中し、ようやく立ち上がった頃には遠巻きに俺達を囲み眺める翠の大蜘蛛達の姿。
「何見てんだ?その柔らかそうなでっかい腹、モフられてぇかこらぁっ!!」
―――きゅいぃっ!?
瞬時に無形の鎧を纏い、瘴気を迸らせながら威嚇をするように大声で恫喝。正に蜘蛛の子を散らす勢いで大蜘蛛達が逃げ去ったのを確認した後にようやく一息を吐く事が出来た。
「坊主、お前結構えげつねぇのな……」
《まったくよねぇ。小虫君ったら鬼畜さんっ》
通常であればその異形に恐れ戦くところではあろうが、そこはそれ。あの蜘蛛達に関してのネタバラシは受けている身でありますから。今は時間がそれなりに限られた作戦中だ、的外れな非難の言葉はこの際聞かなかった事にして肩を竦めるに留めよう。
「屋根上伝いの移動は危ねぇな。イメージは悪いが、あの蜘蛛達に遭遇したらさっきみたいに脅かしながら行くとするか」
「くっそぅ……了解!」
このところシノビの面々の身軽さを見慣れたせいか、俺もそろそろこの手の軽業が出来ると思ったのが間違いだったらしい。釣鬼先生の域は遠いぜ。
《見ただけで何でもこなす才能など、お前にある訳がないじゃない。凡人は凡人らしく、地道に鍛錬を積みなさいという事よ》
(うっす……)
気を取り直して今度は地上を走り、道中の大蜘蛛を脅して退けながらに教会跡のある区画へと向かう。
大通りを抜けて最終ブロックへと入ったところで次に姿を表したのは、上半身は人の女、下半身は先程の大蜘蛛に近いシルエットを持つ、いわゆるアラクネーという種族。やはり事前にコタさん達から聞いていた彼女達の臆病と言われる性格を利用して同じく威嚇をして突破しようとするも、そこに響くは勇壮なる鬨の声。
「皆っ、あの死闘の夜を思い出せっ!あれに比べればたかが魔気を纏った人族一人、大したことはないっ。撃ぇっ!!」
「ふぉおっ!?」
前情報が全く役に立たぬ勇敢さによる弓矢の一斉射撃の気配を感じ、あわや蜂の巣になりかけたところで間一髪、大通りの曲がり角へと戻るに至れた。
「おい、話が違うじゃねぇかよぉっ!」
《あの娘はアラクネー達の次の長候補ですからね、例外的に戦士の心を持っているみたいなのよ》
(そういう重要度の高い情報は小出しにせずに前もって知らせてくれませんかね!?)
いつも通りに手遅れな裡に響くナビゲーションにおっちゃん共々へたり込み。またしても情報の誤誘導により壊滅の憂き目に遭うところだったぜ……昨今の情報社会の有難みを切に感じる瞬間でござった。
「こりゃ正面切っての突破は難しいっすね。そろそろおっちゃんの出番かな?」
「むう。大事な商売道具が消耗するからあんまり使いたくねぇんだけどなぁ」
そうは言いながらもおっちゃん、満更でもない様子を見せつつ颯爽と探索用小道具を取り出した。
今や少し遠目からも目視出来る、巨大なる樹木の要塞と化しつつある教会跡は言うなれば天然の迷宮とくれば専業の探索者であるおっちゃんだ、心強い踏破要員となるだろう事は想像に難くはない。
俺達は改めて周囲のアラクネーや大蜘蛛達の配置状況を確認し、懐に忍ばせた発煙筒を打ち上げ然る後に準備行動へと移るのだった。
「報告いたします!『魔狗』達はひとたびの接触の後に退避。現在はシノビ衆に取り囲まれ、私達は身動きが取れませんっ!」
「了解です。シノビの皆さんの動向は?」
「前情報の通り、本気で攻めてくる様子はありません……ですが極度の緊張感により、妹達の大半が怯えの色を見せ始めています。ラニお姉さまの鼓舞のお蔭でどうにか持ち堪えてはいますものの、そう長くは維持出来ないかと!」
侵入者発見の報を受けてより暫しの後となり。次に上げられた報告の内容は彼女達にとって、決して望ましいものとは言えなかった。
その総数こそ妖精郷より遺棄地域へと移り住んだアラクネーと大蜘蛛、そして無貌の女神の恩恵を受けて変異した歩くマンドレイク達といった、皇国シノビ衆を遥かに超える大戦力を保持する新たな神殿所属勢力。ではあるが、その実まともな戦闘訓練を受けた者はおらず、種族的にもとても戦闘向きとは言えない蜘蛛の娘達。組織的な指揮統制の観点から見れば決して有利とは言えない状況だ。
だが、それで良い。元はピノが冒険者ギルド帝都支部へと持ち込んだマンドレイク百本が全て変異を起こし、揃って阿鼻叫喚を上げながら付近の商店街を駆け巡って起こった混乱こそが原因のこの騒ぎ。逃走したマンドレイク達を回収した今、一定の規律の下に確とした統制が取れている事を証明出来さえすれば、軍と帝室の双方が抱いているアラクネー達の大移住への危惧もそれなりに晴れ、なし崩し的に認められるだろう。
無論のことその発案者でもあり発端となった自身は、後に遺棄地域の担当責任者である兄からこっぴどく叱られる事になろうが……。
「ですがそれはこの私が受けるべき試練の一環ですっ。怖れてなどいられませんっ!」
「試練、かなぁ……?」
「試練なんですっ」
控えめに見ても悪戯が判明して怒られるのを怖れている子供にしか思えないミーアの宣言に、対し横に控えるピノは微妙な面持ちにて首を傾げ。それでも多少は共犯の自覚があるからか、やれやれといった素振りで肩を竦め弟分へと跨り出撃の準備を見せる。
「同伴してる中年男、はよく分からないけどさ。頼太が潜り込んできてる時点できっと、マンドレイク軍団の呪声攻撃も無駄に終わると思うから。そろそろボクも行ってくるよ」
「この樹精神殿内は生命の波動で満ちておりますので、神秘力感知の精度は著しく落ちます。そこについてはご留意を」
「分かってるって。どうせこれも、お祭りだしね。てきとーに賑やかしたら知らんぷりして離脱するだけさ~」
その言葉を最後にピコへと合図をかけ、遠吠えと共に出撃していく妖精郷出身の姉弟。それを見送ったミーアは今や巨大な迷宮の中心部と化した自らの身体を縛る、真紅に脈動する大樹を仰ぎ見る。
「……それにしてもこれは、我ながら少しばかりやり過ぎた感がありますね。軍の方々がこの姿を目の当たりにしたら、問答無用で焼き払われそうな気がして怖いです」
その絵面に反し、やや緊張感に欠けた声。こめかみに流れる一筋の冷や汗を自覚しながらに半ば呆れた表情を見せるミーアの仰ぐ先には、奉じる神を象徴する無貌の仮面の瞳部分がより一層の不穏な光を放っているのが見える。その偶像からは人の大罪を象徴するかな七つの揺らめき在り、今は微睡むように真紅の枝葉に包まれながら宙を漂っていた。
「さて、クライマックスへと向けた私の側の仕込みはこれで全てが完了です。残された時間はそうですね――事が終わった後に奉じる言い訳の完成度を高める事にでも費やすとしましょうか」
今や神殿の内外に群れる異形よりも異形らしい有様を晒しながらに極めて俗な言の葉を紡ぐ翠の娘。その祈りを捧げる相手は未だ何を語りもせず、唯々場を見守り続けるのみであった。
コタさん達陽動部隊の面々がアラクネー達の注意を引き付けているその間に。俺達は神殿の建つ横の区画より廃屋内を潜り込む形で移動をし続けていた。移動の障害となる廃材や瓦礫は遺跡探索で培ったおっちゃんの指示により効率的に選り分けられ、時には巡回する翠の大蜘蛛達との遭遇を察知しつつもどうにか見つからないよう避けて回って神殿敷地内へと辿り着く。
「ふはぁ、でっけぇ……」
「噂に聞く世界樹の幹かよ、ってくらいにぶっといな。この神殿周り」
アラクネー達の死角となる神殿の裏側へと廻りながら外周を測ってみたところ、過去にあった教会の敷地全体よりも遥かに上回る程の範囲を天然の樹木の幹に覆われていた。周囲には桑の木か、それが整然と立ち並んでおり、原生林というよりかはしっかりと管理をされた林の一部にも見えるな。
(おねいさん。ちょっとこれは幾ら何でも、信者を甘やかし過ぎじゃないっすか)
《し、仕方が無いじゃない。ミーアが今日び信者を取り込むには最初のインパクトこそが大事だって言うから、その……ちょっと力の裁量権を分け過ぎちゃって》
(そんであろうことか、無貌の女神の主導権を握られた、と?)
《う……だって、この地だけは元のあの存在の方が影響力が強かったから……》
というのが此度の騒動に関する被疑者の釈明らしい。どうやら今のリセリーは一時的に無貌の女神がその身に還る以前の天使本体の状態へと戻っており、過去の無貌の女神信仰の聖域でもあったこの地では機構としての無貌の女神の性質からか、最も信仰深き人物――つまりミーアさんがその権能の主導権を握ってしまっている状況なのだという。
ただでさえこの帝都を狙う毒の根が侵入し始めていると聞くこの状況。帝国を担う者の身内がそんな騒ぎを起こしてしまえば状況がどう動くか分からないというのに、ミーアさんは一体何を考えているんだかなぁ。
「駄目だな。あの正門部分以外、隠し扉の類はありそうにねぇ」
「む、そっすか」
そんな事を考えている間におっちゃんによる調査が終わった様子。
その詳細によれば通用口はただ一つのみ。だのにそこの周囲にはアラクネーと大蜘蛛達が周回し、とても見つからずにやり過ごして入れそうにはないといった状況だ。
「流石に内部に入れなきゃ探索のしようもねぇぞ。どうすんだ、坊主?」
「ふぅむ……」
おっちゃんに問われた俺は神殿を形作る樹の幹へと歩み寄り、硬さに定評のある黒鉄鋼の拳鍔の角部分で軽く引っ掻いてみる。まだ生えて間もないせいか傷は付く、か。
《今回だけは非常時という事で、元の一個のワタシとして全面的にお前のナビをさせて貰うわよ》
(という事は、この外壁部分には特に魔法の類はかかっていない。そういった認識で良いんだな?)
心の裡への問いかけに、返されるは肯定の意。ならば遠慮なくアレが使えるというものだ。
「よっしゃ。おっちゃん、外周で一番薄い所を探し出せるか?」
「お?おぅ、それならこっちだ。付いてきな」
おっちゃんの答えに頷きながら背中に差したミチルと対を為すもう一つの相棒を取り出し、久々となる起動実験をする。うん、問題なく効果が発揮されているな。
軽く振るった得物が触れたその面ごと幹の一部分がバターを切るようにあっさりと破断され、その断面が灼き切れているのを確認した俺は改めて先導するおっちゃんを追い歩みを進めていった。
区切りに悩み、まる一日遅れてしもうた。無理に一話に収めようとせず、最初から二話予定で書いておけばよかったぜ……。
次回投稿は定日通り、4/27(木)予定です。




