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狐耳と行く異世界ツアーズ  作者: モミアゲ雪達磨
第十章 神墜つる地の神あそび編
302/439

第243話 ピノとミーアのハッタリ神霊宣教団⑦

 明後日4/14(金)辺り、悪魔さん第46話投稿しまス。

「……おい、幾らなんでも多過ぎじゃねぇか?」

「でかすぎんね、あいつ。やっぱ帰ろっか」

「そ、それは流石に駄目ですよっ、集落が全滅しちゃいます!」


 大蜘蛛達の親である巨大蜘蛛、それの棲家たる蜘蛛の巣の発見には至れた、至れはしたのだが。いざ作戦を実行に移すに多大な障害となるであろう、新たな問題へと直面をしてしまう。


「『電磁加速砲(きりふだ)』も使えない森の中、おまけにこの数を焼き払うとなるとどこまで延焼してしまうか分かりませんよね」

「だよねー」


 この妖精郷は帝国西部域に広がる巨大な森林地帯だ。一言に森林地帯と言ってもその実、自然に富んだ様々な地形の集合体であり、内部には生贄の祭壇のあった湖畔や小さな草原とも言えよう下映えの連なる地域もある。

 そして現在、一同が突き止めた大蜘蛛達の巣は小山と言える程の風吹き荒ぶ小高い丘の周囲を囲み作られ、そこかしこで卵嚢(らんのう)より子蜘蛛達が生まれ出でていた。

 『電磁加速砲(マグネティックランチャー)』で吹き飛ばすには地形が邪魔をして討ち漏らしが出かねない、かといって焼き払うにしてもこの風ではまるまる一地域が山火事の類となるだろう。蜘蛛の総数を把握しようにもこの視界の悪さがネックとなり、それも困難だ。

 並の手段では最早この大軍を止める事は叶わず。そして再び蜘蛛達が動き始めてしまえばもうどうしようもない。一見この絶望的とも言えよう大蜘蛛達の棲み処の惨状にしかし、討伐者達の目に灯る光は未だ衰えはしなかった。


 ―――きゅるるるぅい。


「やっぱりそうだ。あの声が響く度に大蜘蛛達の動きが留まるというか、思考が統制されてる感じだよね」

「あの声は親蜘蛛か。てことはある種の思考制御の働きでもあんのかね?」

「吸血鬼に見られる親子関係のような強制力、ですか」


 大蜘蛛の群れが集落へと襲撃をかけてきた時もそうだ。蜘蛛達に共通して見られていた学習能力、それによりアラクネー達の一斉射撃は幾度となく回避、または蜘蛛糸により軽減され、時には仲間の死骸を足場に防塞をよじ登る個体までいた。それ程の知能に類するものを見せながら、子蜘蛛達の心が挫かれ戦線が崩れそうになる度にあの親蜘蛛の声が響き、それまであった混乱は仕切り直しをされたかに消え去ってしまったのだ。

 結果として先の防衛戦ではその殆どを討つに至った訳だが、本来の想定ではあそこまでの苦戦を強いられる謂れはなかったのだ。それが陥落一歩手前となる程に追い込まれてしまったのも、あの不気味な軋り声によるところが大きいと一同は判断していた。


「これはもう、あのプランでいくしかありませんね!」

「たはぁ、あれだけはやりたくなかったんだがなぁ……」

「しょうがないじゃない。命あっての物種って言うしさ」

「何ですか、それ?」

「扶祢と頼太の故郷の諺~」


 故に目の前に見える光景は惨憺たるものとはいえ、辛うじて想像の範疇には収まっていた。先の戦闘から判明した蜘蛛の性質を鑑みた上で様々な想定をし、そうすべく対策を練りに練った面々だ。この状況を見た上でも手持ちの札との兼ね合いで、今ならばまだ間に合うと判断する。


「本当に、こんなものを使う気なのか……?」

「へっへっへー。どうせなら景気良く、大盤振る舞いでいっちゃおー!」

「おー!」


 その傍らでは場のノリについていけない様子で戸惑いを見せるサップとラニ。そんな二人に対し妖精と精霊のお子様コンビは揃って明るい声を上げ皆へ鼓舞をする。不安と期待の入り混じった対照的な空気を醸す者達はこうして各々得物を手にし、大蜘蛛達の巣食う丘の周囲へと最後の仕込みをするべく散っていった。








 吹き荒ぶ夜風の中。蜘蛛の子達はまたかと嘆き、それを声にする事さえ出来ない我が身の悲憤に哭いていた。


 ―――アァ、モウ痛イノハ嫌ダ。苦シイノハ嫌ダ。

 ―――アンナニ辛イ思イヲシテ、マダ苦シマナケレバナラナイノカ。

 ―――誰カ、救ケテ。ワタシ達ヲ……殺シテ(タスケテ)


 声にならぬ声は合唱となりて丘全体へと軋めき、その不協和音を耳にする者達の精神までも浸食していく。それは蜘蛛同士も例外ではなく、それが為に互いに互いを縛り合い、より一層の悪循環を生んでしまう。


 ―――きるるぅい。


 そこへ差し込まれる一際大きな軋む音。この小丘へと沈み込み、今や子蜘蛛を生み出すだけの歪んだ魂蒐集機関と成り果てた親蜘蛛の声だ。その声が響いた途端に子蜘蛛達の精神はある一定のベクトルへと絡め取られ、先程までの声なき哭き声は揃って抑え込まれてしまう。それは再びの死の行軍へ向けた準備段階であり、押さえつけられた子蜘蛛達の精神は表向きの平静を保たせる。


《きっ、きひひひひっ》


 ここに一個の異質な声が木霊する。子蜘蛛達を見下ろす親蜘蛛の裡で響く耳障りな声、それは我が子達へと何の感慨もない視線を向ける親蜘蛛とは明らかに違う、意志の発露といったものを感じさせ。だがしかし、それは空虚な傀儡(くぐつ)と化した親蜘蛛の裡に巣食うもの。故にそれが聞こえる者もなく、下卑た声はその裡で猛り続けていた。


《下等な亜人の分際でこの儂に歯向かいおって。だがこの十数年でより一層の進化を遂げた儂の忌魂循環炉に隙は無いのだ!》


 その響きからははっきりとした意志が感じられ、その言葉よりはある種の目的を読み取れる。過去に贄となり慟哭を湛える子蜘蛛とは明らかに違う、濃密な敵意と悪意の表れ。

 巨大蜘蛛の内部には、その空虚を埋め尽くす程の気の毒が巡り続ける。それはあたかも蜘蛛の精神を糧とする発芽前の冬虫の如し。姿は親蜘蛛の体を取りながらその実、魂を感染させ自らの(せんりょく)を増やしていく寄生物。奇しくも碧の娘が口にした通り吸血鬼のそれを参考に作られた、外法の極みに類される機構だ。


《見ておれよ、儂を追い落としてくれた神殿の連中共。この研究の完成が暁には、無限の傀儡軍団にて蹂躙し、あのお高く留まった神官共の尊厳を公の場で引き裂いてやるわっ》


 過去に忌むべきものとして廃れ喪われた筈のその呪法。今の世にそれらを正確に識る者などはおらず、であればこそ蜘蛛の裡に巣食うそれ(・・)は慢心を隠そうともしない。それ故に足元で小賢しく動き回る小虫共を見落とす程に、高笑いを上げ続け―――


 ―――ッヒィイイイイッ!!


《っ!?……くおぉ……》


 突然だが、蜘蛛という生物にはその見た目の印象に反して比較的鋭敏な聴覚が存在する。正確には聴毛という器官により音を発する空気の振動を感じているのだが、それはさておきだ。

 先にも見られた通り、親蜘蛛の声を聞き分けて状況を判断出来る程度に聴覚が発達をしているのは魔物と呼べよう異質さの大蜘蛛達も変わらない。そんな蜘蛛達の目の前で丘の全体より突如として親蜘蛛の声を遮る程の大音声が響き渡ればどうなるか。ましてや全くの別種である、親蜘蛛の裡に巣食う何者かがそれをまともに受けてしまっては。

 結果として暫しの時を呆然に費やし、反応の遅れた親蜘蛛の形が何が起きたのかを把握した時には全てが手遅れとなる。それを親蜘蛛の裡に巣食う者が知る由もなく、呪声の大音声は夜の丘へと響き続けるのであった―――








「っくぅ……精神防護を受けててもこりゃぁきついぜ……」

「きゅう」

「あぁっ、ニケさんがまた耳塞ぐのを忘れてたみたいですうっ!」


 大蜘蛛達が親蜘蛛の一声により静まった隙を見て冒険者達は行動を始めていた。

 適性な処理を経て採集した「眠れる」マンドレイクの数々を然るべきポイントへと埋め直し、その息を吹き返させる。更には周囲に急造の拡声器まで配し、その上で一斉にマンドレイクの茎部分へと刺激を与える事により突発的な阿鼻叫喚を発生させたのだ。

 これにより親蜘蛛のそれを遥かに超える音の振動を間近で感じた蜘蛛達は俄かに正気を取り戻し、所々に見られる人影を刹那の自我を以て呆然と眺め立ち尽くしてしまう。その中には過去に自らが取っていた姿の映し身を目の当たりにした結果、物言わぬ瞳より涙を溢れ蹲ってしまう者さえいた。


『大蜘蛛の皆さん。いえ、過去に尊い犠牲となり魂の虜囚となってしまったアラクネーの皆さん、朗報ですっ!』


 一層と吹き荒ぶ風の中、虹色の彩光を背に夜空へ舞う碧の娘の声が木霊する。

 その語り口は場の陰惨さとは対照的に、まるで定期市にて時折開かれる祭りの開催告知を想わせる弾んだ声色。未だ動かぬ親蜘蛛に何が起きたのかを理解し得ないまま、久しく耳にする事のなかった明るい語りに子蜘蛛達の視線が宙へと集中する。


『この度、わたくしアル・ミーアが仕え奉る無貌の女神さま復活記念として、一斉浄化キャンペーンを行わせて頂きますっ!ついてはその障害となる、魂の捕獲機構と成り果てた親蜘蛛さんにはこの現世からご退場願おうかと考えておりますが、どうか皆さんご賛同願えませんでしょうかっ』


 ―――きゅるぅあっ!!


 そこまでを語ったところでそれを遮る様に、再起動を果たした親蜘蛛の怒れる軋り声が響き渡る。その声に子蜘蛛達は一斉に反応を示し――しかし先程までとは違い、子蜘蛛達の瞳には大いに溢れる戸惑いの色。蜘蛛の本能としては親蜘蛛の声に従えとの強迫観念が押し迫り、それでも僅かに取り戻した生前の自我はそれで良いのかと自問の果てに動きを止める。


『皆さん、負けないでください!これは皆さんの正念場!

《呪われた運命に立ち向かう意志を持て。ならばたとえ無惨にその身を散らそうとも、その魂を我が許に受け入れ安寧を約さん》――無貌の女神さまよりのご神託です。生き地獄から抜け出すこの機会、是非とも生かそうではないですかっ!』


 ―――きゅるるるっ!


 その後もミーアと親蜘蛛の合戦は続いていった。怒り猛った親蜘蛛は小山の中心より巨大な多脚を振り回しミーアを叩き落そうとするも、虹の後光を背負ったミーアはそれを悉く空中で回避し、あるいは木々の協力により受け止めながらも説得の声を止めようとはしない。

 それでもやはり親蜘蛛の強制力の方が圧倒的に勝っているらしく、親蜘蛛の再度の声が響く度に子蜘蛛達の瞳に浮かぶ光は徐々に昏く消えていってしまう。そして子蜘蛛達は侵入者を排除すべく徐々に彼等へと向き直り―――


「あたしからもお願いだ!どうか、お前たち自身の手で自らの終わりを取り戻してくれっ!あたし達はもう、あんな悲しい想いを繰り返したくない……お前達だってそうだろうっ!?」


 そんな蜘蛛達に思いの丈を込めて叫ぶは魂の虜囚と化した蜘蛛達の同胞。贄となった者の慟哭を知り、悼んで涙を流しながらも必死の訴えを向ける蜘蛛の妹だ。その言葉に子蜘蛛達は一瞬だけ最後の灯を瞳に宿し――さりとてそれに被せるかな親蜘蛛の軋り声が一際大きく響いた後、未来(さき)の見えぬ子蜘蛛達の瞳は完全に光を喪っていた―――


 ―――きゅるるぁっ!


 それを見て勝利を確信したか、巨大蜘蛛による軋り声が丘全体へと響き渡る。

 やはり、無理か。一同が無念の殲滅戦を覚悟したその時だった。


 ―――きゅるっ?


 まずは手近に居た一匹が親蜘蛛の多脚の一本へと噛み付いた。

 続き背後に位置する一匹が丘と同化し、膨れ上がった腹部の節へと喰らい付き。

 そして一匹また一匹と、その巨体へ群がる様に攻撃を始めたのだ。


「……え?」


 アラクネーの娘がそんな呆然とした声を上げるのも無理はない。親へと牙を立て、無惨に散っていく子蜘蛛達の瞳は変わらず昏く沈み、親の強制力に支配され続けていたのだから。だのに彼女達はもはや見えぬ瞳に最期の意志を焼き付け、迷うことなく終わりへ向けて走り続けようとしているのだ。


「ピノさん、下ろしてくださいっ!私は魂の回収作業へと入りますっ!」

「おっけー!ボクは上空から親蜘蛛の撃滅準備に入るから、このまま落とすよー」

「えっ……わきゃぁっ!?きっ、木々よっ。今すぐ私を受け止めてくださーい!」


 慣性のついた自由落下をする最中、ミーアの目に映ったのは群がる子蜘蛛に喉元へと喰い込まれた鈍重な親蜘蛛の姿。周囲には仲間達の援護の光なども見え、ほっと一息を吐きながら枝葉を広げ受け止めてくれた樹木の上に立ち然るべく集中を始める。

 暫しの後になり、夜空には太陽を彷彿とさせる山吹色の極光が迸った。それと共に大量の魂が地上の躯より吸い上げられ、今や土に埋まった半身が千切れ最後の抵抗を始めた親蜘蛛の中へと還されようとする。


「させませんっ!魂の虜囚となってしまった皆さんが最期に見せた高潔なる想い。それに敬意を表し、無貌の女神さまの名においてこの私が責任を以て護ってみせますっ!」


 それを遮るかの様に響くは自身も長き時間を迷い続け、ようやく見つけた自分の道を歩み始めた者の矜持。確固たる意志を以て、ここに魂の虜囚達を神の御許へと送り届けよう。

 最後に残った者達の死闘が繰り広げられた後、やがて力を使い果たしたらしき親蜘蛛の残る半身が地に倒れ伏し、崩れ落ちていく。裡に秘める元の大蜘蛛としての存在はとうに掻き消え、巣食っていた異質のモノも急速に分解されていく様子が霊的な視覚部分により認識出来た。

 これで終わったのだという確信を得るに至り、緊張の糸が途切れたミーアは大きく息を吐きながら御業の受け皿として酷使した身体を枝葉の上へと横たえた。これにて決着だ。

 見れば防衛戦の際にあれだけ暴れまわっていたピノですら精根尽き果てたといった様子で愛犬の背にしがみついており、他の面々も揃って地に伏せている辺りを見ても激戦であった事が察せられる。


 超常たる親蜘蛛の敗因を挙げていけば切りがない。しかし敢えて決定的な敗因を挙げるとすれば、片や空虚な傀儡と化し異質な中身の傲慢さが故に見るべきを見落とし、片や情報が不完全ながらもあらゆる事態を想定し事に当たったという、事態に向ける姿勢の差に尽きるだろう。結果として、子蜘蛛達への説得の言葉を紡ぐ時間を与えた時点で大勢は決していたのだ。

 こうして不可解な謎を残しながらも大蜘蛛の退治は完了を見た。今は神の御許へと召された気高き過去の犠牲者達にささやかなる黙祷を捧げ、静かに見送ろう。








「――ぐうわぁっ!?」


 決戦の地より遠く離れた都市。その一角に居を構える屋敷にて、主である老年の男が絶叫を上げながら儀式の棺より跳ね起きる。その全身からは脂汗が流れ、死に瀕した恐怖からか顔には死相に近いものを表しげっそりと頬をこけさせていた。


「はぁっ、はぁっ……あ、危なかった。あと少しばかり離脱が遅れていたら、あの蜘蛛の自壊がフィードバックされて儂まで死んでしまうところだった……」


 主の目覚めを感知した魔導人形が傍らで動き出し身体の世話をする最中、老爺は自らの計画がまたしても道半ばで潰えてしまった事を自覚する。


「おのれ、許さんぞあの不埒者共。奴隷蜘蛛風情に加担し、この儂に立てつき、あまつさえ儂の計画を更に遅らせてくれたその罪。貴様等自身を新たな贄とする事で贖わせてくれるわ!」


 老年の身でなお身に滾る憎悪と活力は衰えず、昏き思いに歯を軋る傲慢。親蜘蛛の目を通して記憶した相対者の顔を順々に思い返し、復讐の炎をその心へと焚き付ける。


「キキッ、彼奴等の顔と名前、覚えたぞ……特に妖精族と森人(もりびと)の娘。貴様等二人はあの奴隷蜘蛛共とは比較にならぬ程の悍ましい目に遭わせ、その魂までも辱めてくれルァアアッ!」


 その貌に映る不遜の狂気。最早人のそれの域を超え、まるで何かに憑りつかれたかのよう。ひとしきり奇声を上げて引き攣った嗤いを晒した後、憂さ晴らしをするかの如く世話役の魔導人形へとその激情を叩き付ける。

 残骸と化した魔導人形を散々踏みにじってようやく落ち着いたのか、未だ苛立ちの残る表情のままに高笑いを上げる気狂いの老爺。その狂気迸る声が響き渡る室内に、それは前触れもなく染み出してきたのだ。


「キィ~ッヒッヒッヒ……ひっ?」


 老爺にとっては変わり映えのしない部屋の中、その中途の一点に顕れた黒い染み。老爺がそれに気付いたその時には既に人の頭一つが通れる程の大きさへと成長し、その内側より覗く漆黒の中に翠が浮かぶ何かとの視線が交錯してしまう。


 ―――み。


 はじめは何事かを理解する事さえ出来ず。


 ―――ぃ。


 次に全身に奔る怖気に我が身に起きた異常を理解するに至り。


 ―――つ。


 やがてその半生を費やしてきた禁忌の研究の賜物として、自らが目を合わせているその存在の片鱗を朧げながらに察してしまい。


 ―――け。

 

 それと目を合わせてしまった事を今更ながらに後悔し、命運が尽きたのを知る。


 ―――た。


 ここに至ってはこの老爺がかつての魔導時代が賢者の再来と呼ばれ、人が持つべき倫理観と引き換えに人智を超えた業を得ていようと然程の意味はない。何故ならばそれ(・・)は生半可な神秘や禁忌をも遥かに超越した、神話時代に顕れた人類へ対する憤怒の体現そのものだったから。


「あ……ひ、ぃっ!?」

『僅かに感じた懐かしき傲慢の残り香を辿ってみれば、何の事はない。所詮はちっぽけな残り滓がこびり付いた人間風情だったか。何だか拍子抜けね』

「ひっ、ひっひひい……そ、そうだっ。儂はただの人間風情だっ!だから見逃しっ……」


 恐らくはその行為が無駄なものとは知りつつも、人の業ゆえに自らへの温情を請うてしまう。そんな老爺を翠の視線は僅かに気の抜けた風に見つめ、更に広がった孔よりぞろりとその姿を顕した。


「お、おぉ……なんと艶やかで神々しくも悍ましい……」


 一見すればエルフを想わせるその造形。芸術的なまでに均整の取れた肢体を覆うは一面の黒に染まり、今や灯り一つなき部屋の中で唯一翠の瞳を仄かに光らせる。知らず祈るかの様に頽れてしまった老爺の前へとその歩みを進めた人外の存在は魂までをも蕩けさせよう嫣然とした笑みを浮かべ、再び老爺の震える瞳へと自らのそれを合わせ御言葉を紡ぐ。


『ですがお前は今、ワタシの信者を喰らうと言いましたね――残念だわ』

「……あ」


 最早ここまでくれば子供でも――否、人の身である以上は須らく理解出来る。

 本能に刻まれた恐怖がその突出してしまった不幸な魂へと諭してくるのだ。話など到底通じる相手ではない。もう、諦めろと。


「せ、せめて……最期に御身のその神秘を賜りたく……」


 それでも、それでもだ。魔道に堕つるは元より覚悟の上で歩んだこの半生。どの道終わりが避けられぬのであれば、せめて最後の一時まで探究者としての在り方を全うしたい。ここに至っては最早復讐の念も何もなく、老爺は真摯な想いを胸に抱いてしまう。

 そんな想いからだろうか、直前まで頭に浮かんでいた言い繕いの文言とは裏腹に口を衝いて出たのは素直な願い。それを聞いた眼前の存在は一瞬目を丸くし、先の破滅を匂わせる貌より一転、惚れ惚れとする笑みを零したのだ。


『本当に残念だわ。こんな出逢いでさえなければ、あるいはお前もワタシの観察対象たりえたかもしれないのにね』

「……お、おぉお」


 その言葉を受けた老爺の涙は止まらない。それは道半ばで潰える我が身の不遇を嘆いての事か、あるいは最後の最後に神秘の極致へと出逢い認められた事による感動だろうか。


『それじゃあおやすみなさい……今生のお前の無為なる人生はここで終わり。次に不幸にも世へ生まれ落ちてしまったその時には、あの小虫君の様にもう少し身の丈に合った平穏な人生を送りなさいな』


 残酷ながらも慈愛に満ちた言葉の響きと共に老爺の意識は完全に消え去った。やがて事が終わった室内からは一切の音が消失し、それ(・・)が居た痕跡さえも残りはせず―――






 妖精達の故郷が森にて人知れず蜘蛛達の決戦が行われてより数日後。帝国北部に国境を接する神聖国の中枢へと、とある衝撃的な報が流された。過去に神殿の全権を握る寸前までに登りつめた元大神官が自室で謎の変死を遂げたのだ。

 元から異色と言われる宗旨により他国、特に隣接する帝国との争いが絶えない神聖国の中でも特に不穏な噂が流れる人物。十数年前に起きた中規模戦線の責任を取らされ失脚した私人であるが故に大きく取り沙汰される事こそ無かったが、一説には魂を抜かれ呪い殺されたとも噂されるこの事件。未だその真相は闇の中とされている。

 いつものラストスパート。次回、ピノ編エピローグ。

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