第236話 新入り野郎の雇われ囚人物語⑤
話の内容に合わせ、直近五話のサブタイ変更しました。
誓約書より吹き荒ぶ魔力の暴風凪いだ後、まるで最初からその場に在ったかの幻視を見せる、空虚を内包した貌の無い黒衣。その本質はおよそ生きとし生ける者全てが識るであろう、彼らの最期に平等に舞い降りる『死』そのものの象徴たる存在。
それの目に当たる部分に灯る断罪の蒼光が向かう先は契約事項を破った形となるキェゾさんに留まらず、場に立ち並ぶ全員へと冷たい意志を向けていた。
「先程も言った通り、私はこの室内へと結界を張る。その間の護りは任せよう」
「心得た――ライタは如何にする?」
長年の知己らしく副総括とキェゾさんは短いやり取りのみで分担を決めた様子。キェゾさんの氷障壁により行動不能となり、端から頭数には勘定されていないおっちゃんはともかくとして、俺は……どうすっかな。
「人目を憚っている場合ではあるまい。古の魔法現象を相手取るとなれば、君が操る魔の顕れは大いに役立つだろう」
『いやぁ。言いたい事は分かるんすけどね』
今も入り口の側よりひしひしと感じる魔の気配が本物だという事は、この場に面する誰よりも魔に馴染みも深い俺自身がよく分かっている。それの中身がどうあれ、誓約書に籠められていた魔力を起点とし現れ出でたそれはこの世に遍く法則から真っ向反するモノ。その性質は太古の死霊と同じく物理現象を透過し、神秘力の大半をも相殺軽減する事だろう。それは俺の裡に棲まう、魔狗の形もまた同じくだ。
しかしながらリセリーは言った――俺の裡に働く魔法効果の一切を暫しの間無効化する、と。それは先の洗浄術の例にもある通り、今現在もその封印状態は続いている。そして存在としては変わらず俺の呼びかけへと元気に応えてくれているミチルだが、昨晩の過酷に過ぎる鬼ごっこにより消耗して俺の裡に引っ込んだことが原因で封印状態に巻き込まれてしまったのか、実体化他諸々一切の能力を失って身動きが取れないらしいのだ。
『という訳で今の俺、本気でただの一般人なんで副総括のご期待には沿えないと思うっす!』
「何だそれはぁっ!?」
俺の唐突なカミングアウトを受けてそんな絶叫を上げながら、それでも手早く鉈に簡易祝福をかけて投げ寄越してくる辺り流石の対応力だなと思う。だがしかし、それを受け取った時点でまたも起こってしまう異常事態。
―――ぽしゅんっ。
『ですよねー』
「あっさり納得してどうするかっ!」
俺が触った時点で見事にその部分から祝福効果が立ち消えてしまい、神聖なる錆びた鉈は今やただの錆びた鉈にレアリティダウン。もう今の俺、どう考えても状況の足引っ張ってるよネ。
「結界は諦めだ。キェゾ、エイカが私の得物を持ってくるまでは二人でどうにか凌ぐぞ!」
本気で申し訳ない。そう次なるメッセージを書こうとする俺を見る事も無く、キェゾさんへと号令を下し前へ出る副総括。対しそのサポートに回りながらも、キェゾさんの顔には思案の念がありありと浮かんでいた。
「ライタ。君は今、魔法効果の全てを無効化すると言ったか?」
『え、えぇ。見た通り、どうも身体の表面にまで無効化現象が影響しちゃってるみたいなんですよね』
俺の返答を受け、キェゾさんの堀の深い顔は更に何事かを案じる様相を見せ始める。その間もサポート魔法の数々はその規模こそ小さいものの、絶妙なタイミングにより死神の鎌を弾き、押し出し、激突による副次的な衝撃により死神の動きを制限し続けていた。しかしそれはあくまで一時的に動きを止めるに過ぎず、直接的なダメージはほぼ見込めない。
至極冷静なキェゾさんとは相対的に、一人で死神の相手を務めている副総括は至極忙しそうだ。かろうじて神力による極小な障壁を両手に纏い徒手空拳にて立ち合ってはいるものの、重力の影響すら受けない浮遊体でかつ、副総括の攻撃は神秘力を纏ってなお透過させられる。これでは分が悪いどころの話ではなかった。
先の副総括自身の言葉にもあった通り、ここに至っては出し惜しみをしてどうにかなる相手ではない。何かの肚を決めたらしき副総括の身体から遺棄地域での共同作戦の最後に見せ付けてくれた、無貌の女神にも似た圧倒的な気配が徐々に膨らむのを感じたその時となり、不意にキェゾさんよりある提案が為されたのだ。
「ライタ、次にギーズが奴の鎌を避けたタイミングで体当たりをしてみてはくれないか」
『へっ!?』
副総括にもその言葉は聞こえたらしく、その裡に秘めた気配をたちどころに萎ませながら怪訝な顔を向けてくる。
『いやでも今の俺、魔法武器の一つも持てない状態なんすけど?』
「だからだよ……という訳だ、合わせ易いよう段取りを頼む」
「ぬうっ、こんな時に随分と無茶を言ってくれる!平民、準備は良いかっ?」
それでも迷う事無しにキェゾさんの提案を受け入れ、副総括は死神の鎌を誘い込む姿勢を見せる。意外に取れている連携を見てこの二人の過去に並々ならぬ興味が湧いてしまうものの、まずは目先の死神対策だ。副総括が躊躇する事も無く見せたキェゾさんへの信頼に俺も倣い、死神の次なる攻撃を見極めようとする。
「――今だっ、来るぞ平民!」
『だらぁあぁっ!』
準備が整った段階でキェゾさんが敢えて薄めた弾幕をすり抜け、死神が鎌を大きく振りかぶる。それを見たタイミングで副総括が合図をし、鎌が振り抜かれたところで突撃を敢行した。
果たして透過効果によりすり抜けるかと思われた俺のショルダータックルはその予想に反し、軽い手応えと共に何と死神の身体の大半を溶かす様に崩し、突き抜けたのだ。吹き飛ばされた死神は勢いそのままに中空へと横たわり、断罪の意志の光は徐々に薄まっていく。やがてはか細い明滅を繰り返しながら掻き消えてしまった。
時を同じくして誓約書より流れ出していた魔力も大気に沁み往く様に枯渇をし、誓約書そのものが魔法の発動体としての機能を停止してしまう。
『なん、だったんだ……?』
「想定通りであるな」
終わりの始まりとも思えた死神の来襲時に比べ、あまりにもあっさりとしたその結末に俺と副総括は驚きを隠せない。対照的にキェゾさんは満足げな笑みを浮かべ、気分良さげにその銀の尻尾を揺らめかせていた。何が起こったんだ?
「うむ。つまりはライタの身に起きたという、魔法の無効化現象よ」
「……成程な。古の誓約書の呪いすらをも断ち切るあの常軌を逸した無効化作用、今回はそれに偶然にも助けられたという訳か」
どの様な原理かは分からないが、どうやら俺にかけられた魔法の無効化作用があの死神を構成する魔法的要素へも浸透し、俺自身が死神に対する強烈なカウンターとなり得たらしい。ここまでの伝聞や資料の参照によりある程度の想像がついていたが、やはりそれが近代共通語の翻訳機能にも影響をきたし、言語の発信に障害を齎しているのであろうとのこと。
「となれば近代共通語における翻訳機能とは相互作用の類ではなく、発信部分にこそその根幹があるという事か?」
「そこまでは専門家ではないキェゾには分からないが。ライタの現状を勘案する限りではその可能性が高かろうな」
ふぅむ……そう言われてみれば確かに。今も言葉の発音そのものまでが喪われている訳ではなく、簡単な片言らしき単語程度であれば今のこの状態でも発する事が出来るんだ。それを考えればキェゾさんの推論はかなりの精度で的を得ているのではないかとも思える。
そこからはいかにも理論派といった外見に違わず、キェゾ先生による魔法学講座とでも言えよう解説が延々と行われる。それはおっちゃんが意識を取り戻し、そしてあの侍女さんが副総括へと幅広の意匠を凝らした長杖を持ってきた後にまで続き、副総括共々辟易とさせられたものだ。
「しかしだな。以前に見た隠し札といい、今回の絶対的とまで言えよう魔法無効化といい、そろそろ参謀府の権限により君の身柄を拘束しても良い頃合いとは思わないかね?」
『はっはっは。それを言ったらさっきの副総括から感じられた、人ならざる気配も相当なモンじゃないっすかね。あと俺、こう見えても一応外交特権に守られている身ですぜ?』
「……言ってくれるな、平民よ」
『ここ最近に起きた騒動で色々と肩身が狭い思いをしてますんで。ここらでまた大っぴらに外を出歩ける身に戻れるよう、俺も必死なんすよ』
先程までの死の気配濃密な空間で時を過ごした影響は多大だったのだろう、互いに引き攣った笑い顔を晒し暫しの間を睨み合う。やがて主人の様子に報復の許可が出たと勘違いしたらしき侍女さんが再び暗殺者を彷彿とさせる据わった目付きで懐に手を伸ばし、その不穏を察知した俺が目に見えて逃げ腰になりかけた段となり、それまで完全に空気と化していたおっちゃんが空気を読まずに大声を張り上げたんだ。
「あぁっ!?もう監獄の収監時間ぎりぎりじゃねーかっ。おい新入り、やべぇぞ下手したら刑期が伸びちまう!」
『何だってー!?』
「……む。もうそんな時間だったか」
ひと時の幻想考察から世知辛い現実へと引き戻すその一声により、今度こそ俺達の間に漂う最後の緊張感は雲散霧消する。見れば廊下の奥からは侍女さんが呼んだらしき増援も徐々に駆けつけてきたようではあるし、互いにここらが引き際かね。
「く、やむを得ん。今宵この場であった事件については他言無用、といっても君は主人へ報告する義務もあろうが、大っぴらには喧伝せぬようにな」
『イエッサ!』
「しかし君に関わると毎度妙な事態に見舞われるというか、思惑通りに事が進まんものだな――次こそは逃がさんぞ?」
うっへ、また余計なロックオンをされちまったぜ。暫くの間は参謀府付近には寄らんとこ……。
ともあれこうして今日も今日とて、危うい状況証拠こそ多分にあれど物証不十分により何とか凌ぐ事が出来たらしい。心の裡でほっと一息を吐きながら、就寝時間が近付いた俺とおっちゃんはキェゾさんに連れられて監獄へと戻る事となる。
最後に俺を見送る副総括の脇では俺をずっと睨み付けていた侍女さんの瞳がやはり以前にどこかで見た気がして、妙に気にかかる……いや、そんな訳はある筈ないか。普通に考えればとんでもない破廉恥行為をやってしまったんだ。うちのお気楽狐達とは違って根に持たれても仕方が無いだろう、反省反省。
後日――再びリセリーとの交信が復帰した後となり、満を持してのレポートを提出した。
《ふぅん?過去の人類は完全なる魔法言語を扱っていた様に思えたけれど、小虫君の現状を見る限り今の共通語は口語の発音そのものも独自の言語としてしっかりと体系立てられているのねぇ》
(どうよ、俺の華麗な調査能力はっ!今回は我ながら、短期間でスムーズに解決出来た気がするぜっ)
《はいはい、良い子良い子~》
実際ここ数日で様々な奇縁に恵まれ、当初予想していたよりは随分と推論の裏付けを取るのは容易だったと思う。それ故に尚更解決に導いた充実感を得てドヤ顔を晒してしまった訳だが、返ってきたのは至極あっさりとした子ども扱いな御尊言。
(……まぁ良いけどな。こうしてレポートも上げたんだし翻訳部分の発信源は掴めたんだ。そろそろこの状態、解除してくれよ)
《うーん。でも一つだけ、解き忘れがあるのよね》
(解き忘れ?)
暫しの不便により健康体の有難味を痛感した俺は、日常生活への第一歩を踏み出すべく疾く願う。対する天使さまよりの御言葉は、やや苦笑交じりの悪戯っぽい声音。
《この世界の人間達相手のみであれば、このレポートで事足りたでしょうけれど。仮に翻訳機能が発信側に依存するものとして、ではこの世界で初の会話をした際のお前達はどうやって言葉による意思疎通を図れたのかしらね?》
(む……)
そんな指摘をされ、俺は再び黙りこくってしまう。そういえばそうだ。口語で発信し合う事により互いに翻訳効果を補完し合えるというのであれば、あの時まだ共通語を話す事が出来なかった俺と扶祢は、どうやって釣鬼との会話を成立させられたのだろうか。
《という訳で、統一言語についての謎は深まるばかりなのでありました~♪》
(だから勝手に人のモノローグを奪うんじゃねえって、いつもお願いしてるよね!?)
ともあれこの世界の統一言語に関する調査はまだ終わりを見ないらしい。残る謎の調査結果については追って報告を上げるとしてだ、今日のところはこれにて失礼させてもらうとしよう。
次回、主人公側最大戦力なお子ちゃま達の出番なり。




