第229話 闇に沈む意想の細流
月なき夜陰に乗じて迸るは、闇よりもなお深き黒。夜に蠢く獣達よりも更に濃密な獣性を湛えたそれは、朔夜の征野を縦横無尽にひた走る。
『WRUAHHHHHHHHH!!』
「くぁっ……」
「チィッ!」
昏き異形が疾走る度に耳障りな金属音が辺りへ響き、それを聞きつけた制圧部隊による増援が次々と駆け付ける。しかし隊員達の振るう武器は悉く躱され、魔爪に弾かれ、あるいは当れども致命傷には程遠く。闇夜に現れた漆黒の襲撃者の動きに翻弄され、思わぬ苦戦を強いられていた。
『NUVAOHHHHH……GOAHッ!?』
「――仕留め損ねましたか」
そこに突如にして炸裂した白光。異形の頭部が大きく傾げ、その隙を見た取り巻く者達による矢継ぎ早な攻撃が叩き込まれる。それらをまともに受けるかと思われた異形ではあったが、驚いた事にこれまでの様な四肢を使った獣然とした動きから一転、その背なより取り出した何らかの得物を利用し明らかに技術を以て猛攻を凌ぎ始めたのだ。
この世のものともつかぬ唸り声やその外見と相まって対象を魔獣の類と位置付けていた隊員達は、想定を大きく外れた異形の動きを目の当たりにし俄かに色めき立った素振りを見せ始める。
「将軍の予想通り、やはり現れましたね。狂い狐の走狗めが……この魔狗は私の班で処理します。他の者達は引き続き、スコルピオの捜索を」
「「ハッ!」」
しかしながら彼等はこの帝都を護る為、夜を統べる存在との対峙に向けて配された実働部隊。指揮官らしき者の声に押され、即座に作戦への復帰にかかる。
対し異形の側はそれを追う素振りも見せず、先程の一撃を受けた頭部を庇いながらに何やら慌てた様子で手元を手早く動かしていた。
その挙動を見て不審に顰め、首を傾げる。そんな指揮官の下へと微風に乗って一枚の紙片が投げ渡された。
「ファンタジィ的な戦闘場面で問答無用に即殺狙いとはこれいかに――ですか。ファンタジィとやらが何を指すかは分かりませんが、あなたの主張は理解に苦しみますね。我等は軍人です、任務の障害たる事態に対し速やかなる対処を取るのは至極当然の事でしょう」
『FACH!?』
平時のそれとは打って変わった平坦な声による執行宣言を突き付けられ、異形の影は驚愕とも取れよう悲鳴を上げてしまう。一方で場に残った面々はその間にも間合いを詰め始め、まるでお前の芝居はお見通しだとばかりに異形へ対する明確な敵愾心を向け対峙する。
「とはいえ、隊長と鉢合わせずに済んで幸運でしたね。今宵は敵対する立場にありますが、スコルピオ以外へ対する抹消命令は受けておりません。ですので知らぬ仲でもないあなたです、準戦闘時想定での仮制圧をするに留めておきましょう」
淡々と語る指揮官の肩に光るは、独立機動小隊の副官を示す徽章。平時はカンナ・シュトラウフの名で冒険者ギルド帝都支部カウンターの受付担当を取り仕切り、日々沈んだテンションにより周囲を何とも言えぬ静寂に包ませる事に定評のある、ボルドォ大尉の右腕だ。
その指先に灯す浄化の魔弾を異形の額へと差し定め、平時とはかけ離れた冷徹なる意志を以て部下へと命を下す。
「プーシャ、リンダ。いつぞやの隆興都市が一件での鬱憤、さぞや溜まっている事でしょう。殺さぬ前提ではありますが、存分な意趣返しを許可します」
「アイ、マム!感謝致します!」
「ふふふ……あの時は任務上致し方なしだったとはいえ、お前には公衆の面前で恥をかかされたからな。覚悟、しておけよ?」
異形にとっても馴染みの深い、見覚えのある獣の血が証。夜風に靡くその耳は怒りを晴らせる予感からか歓びに揺れ動き、対照的に貌へと映るは煮えたぎる激情の現れ。
その姿態に異形は目に見えて狼狽える素振りを顕わにし、然るに対する三対の視線は一際鋭く絞られる。程なく包囲網が完成した後となり、指揮官による無慈悲な号令が下された。
『――Jesuuuuuuuuuuuus!?』
その叫びは獣の断末魔と言うには理性的に過ぎ、さりとて知性湛える者としての慟哭を表すにもやや欠ける。敢えて訳すとするならば「何で俺だけこんな目に」といったところか。日頃の行い、さもありなん。
しかしながら形はどうあれ、ジェラルド麾下ボルドォ小隊の運用面で多大に貢献するカンナの一班を引き留めたという意味では大きな成果と言えよう。これにより現場の指揮系統へと僅かに生じたその間隙に紛れ動き出す、シノビ達の仕込みに気付いた者は、まだいない―――
「――つぅ事は、俺っちはボルドォを相手取りゃ良いんだな?」
「うむっ!この作戦上、一番の障害となるのはやはり幕間に来るであろう、あの爪舞めの強襲だからなっ。その意味で言えば、今宵が獣化に極めて不利な新月とはついておるっ!」
夜の宮殿内にはスコルピオの一件についての情報統制が敷かれ、表向きには未だ絢爛とした夜会の華やぎに包まれていた。それが功を奏したか、中庭部分へと配されていた出雲配下がシノビ達の手引きにより、パーシャルを連れた扶祢一行はさしたる障害もなく出雲、そしてルシエルとの再会を果たすに至る。
「互いの疑問などは山程あろうが今は時間が無い。まずはあの捻くれ率いる機動小隊への対策ぞっ!」
再会して間もなく醸され始めた貴族達の悲壮な雰囲気。それを一喝で吹き飛ばし、ギラギラとした獰猛の色を灯す猛獣の如き出雲の覇気。扶祢を始めとする出雲の人となりを理解する面々はともかくとして、普段の猫を被った侍従姿それのみを目にしていた二人はその激調に揃って呑まれてしまったらしい。
「姫。出雲殿下とはいつも、このような性分なのか……?」
「えぇとその……見たまんまと言いますかー」
「そこの二人っ、些末事は後にしろと言っておるだろー!それと扶祢ではなく、余こそが姫だからな!」
「これは、いず……扶祢さまが成り代わり夜会へと参加せざるを得なかったのにも納得ですわね」
哀愁漂う扶祢の答えにこちらも曖昧な面持ちを晒し、何かを察したらしき二人はどちらともなく顔を見合わせる。
その横では彼の棋士への競争意識滾った面相を見せる出雲が不気味な含み笑いを垂れ流し、さながらその場は舞台の幕裏が一場面。やがて廟堂内へと表れた連絡員よりの報告に大きく頷き、次なる一手を指し示した。
「よしっ、頼太の奴が見事に爪舞の抑え役を絡め取った様だ。釣鬼よ、彼奴めの足止めは任せたぞっ!」
「おうよ……そういやぁ、いつだかの足止めの時にあいつと一緒に厨二病な台詞を言ってくれた奴もいたっけなぁ?」
「な、何の事だか私には分からないのだわっ。もたもたしてたら頼太の犠牲が無駄になっちゃうし、さっさと行きましょう!」
本来であれば決死の覚悟で臨むべき場面ではあるが、真なる姫を含め皆が皆、一切の悲観を感じさせぬその風情。それに絆されパーシャルとルシエルの二人もまた、知らず次への一歩を歩み出すべく心の気勢を上げていく。
「ルシエル。過去に何があったかは分からないが、こんな形で君と二度と逢えなくなるなんて僕は認めない」
そんな折、決意に満ちた宣言をするは夜会の貴公子。その真摯なる瞳は夜の闇に淡く光るルシエルのそれを正面より見据え、思いの丈を吐き出さんとする。
「僕は欲張りでね、好いてしまった者には言い寄らないと気が済まないし、それが他人に奪われるのも我慢ならないどうしようもない好き者だ。だがその想いは身内に対してだって変わらない、だからこんな事で君を喪うなんて以ての外なんだよ」
「……何それ。あたくし、人ならざる者なんですのよ」
「だが、少なくともその吸血の犠牲者が出たとは聞いていない」
「う……で、でも!これまでもずっと怪盗なんて真似までして……そりゃ夜会を騒がせる賑やかし程度の愉快犯ではありましたけれど――」
言い訳を探すかの様に言い繕いながら、パーシャルの真摯から目を背けようとする。そんなルシエルを一言で表すならば、咲かぬを是とする夜の蕾。二人を見守る者達は互いに揶揄いあったり羨ましげに見惚れたりと、思い思いの視線を向けていた。
「――で?結局お前は助かりたいのか助かりたくないのか。どっちなのだ?」
「……っ」
やがては煮え切らない様子に業を煮やした出雲による、骨身を断ずる言葉が差し込まれ。ルシエルはひとたび息を呑んだ後に、今度こそ覚悟を決めた素振りで立ち上がる。
「よぉし!ならば今すぐに出立だっ!周囲の雑音処理は我が配下共に任せておけっ!」
「んじゃ俺っちは先行してボルドォの野郎をおびき寄せるとするかぃ。お二人さんも、頑張れよ」
「それじゃあ私は取り巻きの露払いのお手伝いをしようかな」
そして動き出した一行は各々やるべき事の確認を終え、廟堂を後にした。
シノビ達の情報によれば、間もなくジェラルド率いる一派との交戦ルートへ入るという。まずはルシエルを護る為、場を離れる釣鬼の補佐につこうと扶祢が名乗り出たその時のことだ。
「いや、扶祢よ。お前には他にやってもらう事がある。それに闇夜の中の釣鬼ならば、一人の方が何かとやり易いだろうからなっ!」
「まぁ、そういうこった」
自らに眠る情感をも入れ替え事に備えようとした扶祢ではあったが、その意気込みを横から踏み付けられる様な言葉に思わずたたらを踏んでしまう。ついでにうっかり黒の魔力を漏らし、ルシエルの裡に棲むスコルピオの気配に要らぬ警戒を抱かせてしまった扶祢へとかけられた出雲の真意。それは―――
主人公リアル俺屍。扶祢パートなんでおめーの出番ねーから的な。
次回、夜会編最終話。3/5(日)に投稿出来ればイイナーと懲りずに自分を追い込むスタイル。




