第222話 社交の夜に、紅咲く一輪②
明日2/11(土)、悪魔さん第43話投稿しまス。
中継所へと入るなり、つい先程まで内部に控えていた者達が一様に倒れているのを認識する。
「――脈は、あるな」
手近に伏せる被害者の下へと躊躇いもせず即座に駆け寄り、首元に手を当てた後に表情を変える事もなく呟く。そんな出雲の声で我に返った扶祢も慌てふためきながらに被害者達の確認作業へと取り掛かる。
幸いにして中継所内に倒れ込んでいた衛兵、利用者共に犠牲者は居なかった。その事実に一先ずほっと胸を撫で下ろし、さりとてこの原因不明の意識消失劇にまみえて浮かぶ疑問に首を傾げてしまう。一体この場でどんな不可思議な出来事が起こったというのだろうか。
そんな中、狐を由来とする鋭い聴覚を以てようやく聞き取れる程度の微かな葉擦れの音に、揃って戸口の側へと振り返り、息の合った挙動にて突き込みと掬い上げによる時間差の一閃がそれぞれの得物より繰り出された。
「うひぃっ!?」
「……え」
概ね手加減のない一対の衝撃により中継所の入り口部分が大破すると同時に、場に上がるはどこか聞き覚えのある切羽詰まった悲鳴。それが誰かを理解した扶祢は思わず間の抜けた声を上げてしまう。
「パーシャル殿下っ!? こんな場所で何をされておる!」
「そ、それはこっちの台詞だよっ。君を見送りに来たらいきなり馬車から飛び出すものだから、何かと思って様子を見に来てみればこの有様だ。一体全体、何があったんだい?」
そう指摘をされ我に返ってみれば確かに、異常事態を察知し俄かに殺気だってしまったという背景こそあれども、自分達がやった破壊行為は過ぎたものだとも思えた。
僅かにもう半歩程を踏み込んでいれば正に必殺となったであろう自らの軌跡を振り返り、扶祢は慌てて壁へとめり込ませた青龍戟を引っこ抜き手元へと戻す。その一部始終を目の当たりにしたパーシャルは何故か更に顔を引き攣らせていたが、非常時には違いないので気にしない事にした。
「ひ、姫って結構。力があるんだな……」
「女子へかける殿方のお言葉としては、些か不適切でありますぞよ?」
てこの原理で足を引っかければ案外いけるものなのです――心の裡ではそんな言い訳をしながらも事実を誤魔化す様に殊更に冷たい視線を向ける。片やそんな扶祢とは対照的にだんまりを決め込んだらしき出雲はと言えば、澄ました鉄面皮を張り付けながらちゃっかりと傍らに控える素振りを取っていた。
「いや、しかし成程。その侍従の子といいそれ程の腕があれば、大した数の護衛を付ける事もなく夜の庭を堂々と歩けているのにも頷けるものだ。これは杞憂だったかな」
「……もしや、妾は慮られたのかや?」
「フッ、それは言わぬが花というものさ」
暗に自身の身を案じてこの場へ駆けつけたとでも言わんばかりの呟きを聞き、扶祢は思わず目を丸くしてしまう。夜会の度にこの皇子の女癖の悪さを嫌という程に見せ付けられ辟易としていた扶祢ではあるが、それでもこういった場面では生来の性とも言えよう頑固な乙女回路が働き、不謹慎にも心揺らいでしまうのだ。
その横では出雲が何か言いたげな目線を向けてはいたものの、この場でそれを指摘するにはいかんせん従者としての主張が過ぎる。結果、見えない位置より尻尾の一本を力一杯握るに留まるのであった。
「あいっ!?」
「……姫?どうかしたのかい?」
「い、いえ!気にしないでたもれっ」
一部そんな締まらないやり取りがあった後、合流したパーシャルとも中継所内外の状況を共有する。それによれば異常が発生しているのは主に中継所が存在する中庭のみで、夜会が開催されている宮殿の側では変わらず夜会が催されているらしい。
「それにしても、この惨状は酷いな」
その言葉に改めて中継所内の有様を確認する。皆一様に深い眠りについている、と言えば比較的穏やかな状況にも思えるがその実そこまで安穏とした話ではない。
扶祢達と同じく馬車を待っていた来賓達はともかくとして、警護の任に就いていた兵や荷卸しをしていた者達までもがその場に崩れ落ちている様子を見るに、皆が皆ほぼ一瞬にして意識を失った状況が想像出来る。それの意味するところとはつまり―――
「――怪盗スコルピオ、でございましょうか」
「あぁ。また、やられてしまった様だ」
侍従に扮する者の言葉に無念そうな顔を見せ、パーシャルが俯きがちに同意を示した。
出雲達皇国特使団が帝都へ訪れた時分より更に遡る事一年程、一つの不穏な噂が夜会の場へと流れ出でた。月の見えぬ夜に気まぐれに現れ、闇に紛れて見定めた獲物を蠍の一刺しの如く穿ち去る――まるで暗殺者とも取れよう文言ではあるが、命を失うといった意味での犠牲者は一人もおらず、奪われるのは決まってそれ以外の何か。
ある時は蒐集癖の嵩じた貴族により集められた珍品が一つであり、またある時は満を持して夜会へ望まんとする子弟が一張羅を闇に乗じて切り抜いたりと、愉快犯としか思えぬ犯行を繰り返す。時には高飛車に過ぎた有力貴族子女の心を穿ち、恋する乙女と化したなどと実しやかに囁かれる程には主に貴婦人方の間でロマンスの象徴とまで噂されていた。
そんな背景からか、初の被害者が出てより一年が過ぎた現時点でも未だ犯人の足取りは掴めていない現状だ。主に宮殿付近で発生する事件、それも直接的な傷害は皆無と来れば軍務参謀府が本腰を入れる理由もなく、そして貴族諸侯の側では妙な人気を誇る。故に野放し状態で今に至るまでその手がかりすらも掴めていない。
唯一判明している手口として、広域に亘る睡眠導入系魔法の類を使うという事。正に目の前に見られるこの状況こそが怪盗スコルピオの犯行証左と言えよう。
「ふむ。となれば今回の犯行目的が気になるところでございましょう」
「いやいや!幾ら君達の腕に覚えがあるからといってもそれは流石にまずいだろう?専門の捜査班が来るまで手は出さずにいた方が良いって」
やはりというか、好奇心を抑える事が出来なかったのだろう。表情と物言いこそ努めて平静を保ちながらもその尻尾を興味を引いた印にぶんぶかと振りまくり、早速現場検証を始めようとする出雲をパーシャルが慌てた素振りで引き留める。そんな二人へと苦笑いを浮かべつつも、どこか違和感を感じるその情景に居心地の悪さを感じてしまう。
なんだろう、これは――違和感の正体を掴もうと目を凝らして見てみるも、どうにもピントが合わないというか、確証を持てないながらに何かが違うとしか言いようがない。
やがて無言のままに佇む扶祢を不可思議に思ったか、遂には羽交い絞めにされた側とした側が揃って向けてきた顔を見たその時だった。不意にパズルのピースが填まったかの予感を覚え、自らも予想だにしない言葉が口を衝いてしまう。
「……殿下って、そんな雰囲気でしたっけ?」
その言葉にいち早く反応したのは、一瞬にして侍従の仮面を脱ぎ捨て物騒極まる本性を顕わにした出雲。羽交い絞めにされた体勢そのままにパーシャルの両の足を尾の一振りで掬い、その卓越した身体能力により空中で体勢を整え馬乗りになると共に掌を首元へと突き込まんとする。
「うぉっと!?」
だがその掌底は空しく床を叩いてしまう。対しそれをどうやって逃れたか、僅かに距離を置き佇むパーシャルの貌を被った相手はその衝撃で大きく裂けた顎元の裂け目をさすり、心外だとばかりに大仰に肩を竦めてみせる。
「まさか本業とは全く関わりのない相手に素性があっさり割れるとは……いやはや、愛らしいながらも狂暴極まるお嬢さんだ。そこな主の貞淑さを見習った方が良いのでは、と進言致しましょう」
「余計なお世話というものだっ!逃しはせんぞっ」
大破した中継所の入り口部分に立ち、慇懃無礼に余裕を見せるパーシャルの似姿。しかしその余裕の表情は長くは続かなかった。
「ははっ。若き勢い結構なれど、それのみではこのスコルピオを捕える事など夢のまた夢というもの……でぇっ!?」
言葉の最中に背後より襲い来る破滅の一撃。既の処で察知した影はそれをどうにか躱そうとし、しかしながら大砲の如き衝撃までをも軽減する事は叶わなかった様子。死の渦を連想させる凄まじい回転に全身を巻き込まれ、錐揉みをしながら中継所の内部へと吹き飛んでいく。
「おう、よくは分からねぇがあいつが下手人って事で良いんだよな?」
「でかした釣鬼!」
その執行人は銀に煌めく髪を無造作に肩まで流し、然るにうっすらと身に纏う闘気によりそれを揺らめかせるは夜の支配者たる種族の証明。紅き眼を怪しく光らせ、突き出した拳をそのままに傍らに立つ仲間達へと口の端を吊り上げ牙を見せる。
「さぁっ、この余に対し分無礼千万な寝言を吐いてくれた盗人崩れを捕獲するのだ!市中引き回しの挙句、晒し首にしてくれるわっ」
「待って待って!?ここ帝国なんですからね、無茶言わないのっ」
奇しくも今度は扶祢が怒気に塗れた出雲を羽交い絞めにする羽目となってしまう。三人をしてそう思わせる程に先の釣鬼による一撃は完全に決まったと思われたものだが、その認識に待ったをかけるかの様に襤褸雑巾と化した者のくぐもった声が響いてくる。
「グ、かふっ……なんテ、事だ。このスコルピオがまサか、こんな無様を晒すだなんテ」
「おいおい、随分と頑丈な奴だな。これでも割と容赦無しの一撃を叩き込んだつもりだったんだがよ」
そんな軽口を叩き返す釣鬼とは対照的に、スコルピオを名乗る者は衝撃に身体を震わせながらも徐々に息を整えていく。
「――ふうっ。いやはや、酷い目に遭いました」
「え……傷がなくなってる!?」
驚いた事に喉元より顎まで奔っていた裂傷は今や僅かな痣が残るのみ。釣鬼による一撃こそ未だ芯にまで叩き込まれた衝撃は癒えぬ様子であるものの、これは極めて不自然だ。ここにきて居並ぶ三者もようやくその異常事態に気付き、改めて警戒感を滲ませる。
「……姫さんよ。この手の面倒な奴ぁ、この場できっちりと仕留めておいた方が後腐れがねぇと思うんだがよ?」
「うむっ。いざとなれば外交特権を無理にでも適用させれば如何様にもなろう、血祭りに上げてしまえっ!」
「「えぇええええっ!?」」
確かに異常事態ではあるものの、それはあまりに暴論ではなかろうか。完全に戦闘モードへと移行してしまった二人によるあまりにも殺伐とした即断即決に、別々の側より上がる異口同音。皆まで言わせず紅き眼を持つ鬼が解き放たれ、その直後に更なる悲鳴が上がると共に巻き込まれた建物の内壁に大穴が開けられる。
「ちょ、ちょっと出雲ちゃん!あの人ってまだ容疑者の段階なんだし、夜の釣鬼に本気出させたらまずくない?」
「なーにを呆けた事を言っておるのだ。お前も見ただろう、あの異常な再生能力に釣鬼の一撃をあそこまで凌ぐ物理耐性。あれは間違いなく、今のあいつと同類ぞっ」
「同類、って……」
平然と言い放つ出雲の言葉を呆然と反芻しながら、反面で心のどこかではその意味を知り。今度こそ扶祢の思考はその衝撃に打ちのめされてしまう。夜の釣鬼と同類――それは即ち夜の支配者の代名詞と言える、あの種族である事を意味する。
「いひぇええええええっ!?」
「おっ?また面白い叫び声を編み出したな、その独創的センスがどこから出てくるのか興味深いところだぞっ!」
言いたくって言った訳じゃありません!頭の片隅でそんな冷静な突っ込みを返しつつも、あまりの驚愕に口から出るのは変わらず言葉にならぬ叫び声。そんな扶祢へと出雲が殊更に意地の悪い笑みを向け、とどめの一言を言い放つ。
「そうそう、あんな広域催眠能力まで使える程の格持つ者だ。あのまま放っておけば遠くない内に下僕である死者や亡霊なんかで山盛りな、さぞかし愉快な夜会に参加させられる羽目になるだろうよっ」
「ひっ……」
刹那に死者達とシュールなタップダンスを踊り続ける絶望的な未来を夢想し、短い悲鳴と共に白目をぐるりと剥いてしまう。然る後に無慈悲な雇用主による気付けを受け、どうにか立ち上がった者が取った行動は―――
理不尽に襲い来る暴の一撃により、今や皇子の変装さえもが削ぎ落とされた襤褸雑巾が中庭へと吹き飛んだ後のこと。スコルピオを名乗る夜の支配者はただならぬ脅威に多大な焦燥を抱き、逃げ惑う。
「いやさ、待ちたまえそこなレディよっ!見れば不完全ながらに君もお仲間ではないかッ!このスコルピオ、レディに手を上げる如き野蛮な真似はぶげらっ……」
「余計なお気遣い、あんがとよ。だが生憎と俺っちは脳筋族の出でなぁ、そんなキザな心情なんぞとは無縁なのさ?」
「……なっ、あの傭兵の郷出身で吸血鬼だとぉ!?そんな出鱈目な化け物相手に付き合ってられるかっ!些か不細工ではあるが、ここは可及的速やかにお暇をさせて貰おう。とうッ!」
奇しくも脳筋族の一言で通じる辺り、皮肉なものではある。凡そ吸血鬼らしからぬ誇りもなにもない、しかしながらそれが故に逃げ時を見誤らぬ厄介さを見せるスコルピオはその身を即座に魔霧と化し、一目散に逃走を試みる。
「チッ」
「あははははっ!それでは皆さん、御機嫌ようっ。予想外の事態に陥ってしまったものの、これはこれで悪くない夜でありましたよっ!」
さしもの釣鬼もこの状態で完全に逃げを決め込まれてしまえばお手上げだ。舌打ちをしながらも宙へと漂う魔霧を睨み付け、追う足を止めたその時だった。
「幽霊やだぁああああああああああっ!」
「えっ……うきゃあっ!?」
拍子抜けをする程にあっさりと、解き放たれた黒の波動の直撃を受け、魔霧と化した吸血鬼は夜の闇へと消えていく。先程までのシリアスは何だったのかという程に間の抜けた空気が流れ、後には発生源たる腰を抜かした狐耳が引き攣った顔で不自然な笑いを上げるのみ。
「ひっ、ひっ、ひっ……」
「……いや、良いんだけどよ」
最早不要とばかりに緊張を解し、平時の暢気を醸し出す釣鬼の前に一枚の羊皮紙の破片がひらひらと舞い降りてくる。何気ない動作でそれを難なく掴み、そこに書かれた内容に目を通した釣鬼は今度こそ脱力をしてしまった。
『今宵の対峙は痛み分けという事にしておきます。決して負けを認めた訳ではないので、そのつもりで!』
「……なぁ、姫さんよ。これ、誰に対してだと思うよ」
「はっはー!よくよく落ち着いて振り返ってみれば、中々面白い奴だったなっ。いつ何時に来ようとも返り討ちにしてくれるわー!」
「もうやだー、おうち帰るぅ!?」
それぞれ突拍子もない側へと独走を続ける狐耳達の様子に何かを諦めた風な表情を見せた後、些かくたびれた様子で宮殿の側を仰ぎ見る。その釣鬼の視界には幾人かが宮殿の側からこちらへと向かって来るのが見て取れた。どうやら先の騒ぎを聞きつけ、異常を察知したらしい。
これは長い夜になりそうだとうんざりした面持ちで一人大きな溜息を吐いた後、腰を抜かした扶祢を抱え再度中継所へと足を運ぶ一同。こうして今宵の邂逅は終わり、次なる対峙の場へと移るのであった。




