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狐耳と行く異世界ツアーズ  作者: モミアゲ雪達磨
第十章 神墜つる地の神あそび編
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第216話 亡霊少女の想起譚

17/1/24追記:頼太とギーズの会話内容、一部変更しました。

 ニケ、君は優しい子だね―――


 あのひとはそう言ってくれた。わたくしはそれが、とっても嬉しくて。


 ニケ、君には僕がついている。周りの心無い者達の声など気にするな―――


 その言葉の意味はよく分からなかったけれど。あのひとがそう言うのであれば、きっとそうなのだろう。


 ニケ……お願いがあるんだ。僕は今、とても困っている―――


 わたくしをずっと可愛がってくれたあのひとのお願いだ。ならばわたくしは、それに応えなければいけないと思う。


 ニケ、お疲れさま。これで僕は、やっと―――


 もう、今のわたくしにはあのひとの声すら聞こえない。この身体より徐々に生命の活力が零れ落ち逝く中、光の無いこの世界を彷徨い続けるのみだったわたくしの精神(ココロ)は、最期にあのひとの姿を探し……。








 寝台より身を起こした少女の亡霊は、死した際より時間を止めた姿さながらに俺達を出迎える。


「キースさま」

「ほら呼んでますよ副総括。長い間待たせてたみたいだし、その想いに答えてあげないと!」

「私はキースではなく、ギーズであるからして人違いだろう。それにどちらかと言えば、あの娘は君の側を向いている様に思えるがねっ!」


 死した際の姿――即ち副総括により知らされた真実では謀略により絞首刑に処され、更には体中を槍衾に晒されたという処刑直後の惨憺たる有様を晒した、所謂すぷらったーなハウスもかくやといった状態だ。それがおぼつかぬ足取りで体中の穴という穴から零れ落ちた血と臓物に塗れながら、それでも嬉しげに、本当に嬉しそうに無垢なる笑顔を見せつつ俺達の側へと向かい歩み寄ってくる。

 グリム童話並の可憐性(おもて)被残虐性(うら)を同居させたかの様な少女の亡霊の有様に、俺達は互いに亡霊の側へと相手を押しやろうと必死な素振りを見せながらもその場を動く事すらままならなくなっていた。


「さっさと別々の方向に逃げれば良いんじゃね?」

「もしそれで仮に私の側へ来られたら困るだろうっ!」

「あんなんにターゲッティングされちまった日にゃまたトラウマが一つ増えるっつの!」


 一人状況に取り残され、呆れた様子で零すピノに対し揃って上ずった叫びを返す俺と副総括。そんなやり取りをしている間にも少女の亡霊はよたよたと歩み寄り――途中で自らの引き摺る臓物に足を引っかけバランスを崩してしまう。


「あぶっ……」

「ぬぉっ!?」


 目の前で起きたその出来事に、咄嗟に身体が動いてしまった。気付けば床に顔面スライディングをしながらも倒れ込む少女の亡霊を受け止め……ようとしてそのまますり抜けてしまう。そして突発的に動いてしまった俺に巻き込まれた形となる副総括もまた床へ転げながら、こちらは柔らかな光の帯をその腕に纏い、見事に少女の亡霊を抱き留めていた。


「相変わらず、頼太って締まらないよね?」

《見事に道化を地でいっちゃってるわねぇ》

「くっ、悔しいっ」


 とまぁ、俺の報われない理不尽な現状はさておくとしてだ。少々男の側が年嵩ではあるものの、そんな俺達の脇で繰り広げられる情景は長い時を経て果たされたボーイミーツガール。これで新たなトラウマは回避されたかと思いきや、少女の亡霊は首を巡らせ明らかに俺へと向けて声がける。


「大丈夫ですか、キースさま?」

「まじかぁあああ!?」

「むははっ!勝利の女神は我が身に微笑んだっ!」


 その時の副総括の満面の笑みといったらもう、絶望のどん底に落とされた俺の内心と完全なるリンクをしていたのは間違いないだろう。主に反比例的な意味で。

 しかし次の瞬間、そんな高笑いを上げる副総括の顔はこれまで俺達に見せた事のない、戦慄奔る引き攣った様相を晒す羽目に陥ってしまう。


「あれ、キースさまはこっち?」

「ぬおおっ!?」

「ざまぁ!」


 再び自らへと振り向かれ、ついでにその勢いで首がもげ落ち副総括の懐へところころりん。これには流石の百戦錬磨を謳う副総括も思わぬ動揺を晒してしまったらしい。


「その物言いは流石に不敬ではないかね平民!?これでも私は現皇帝の実弟であり、かつ軍務参謀府のナンバー2なのだぞ!」

「俺は所詮他国出身の旅人ですから。帝国へ対する忠誠心なんて曖昧なものよりも自らの心の安寧の方が余程大事なんですよっと」

「よろしい、ならば戦争だっ。手始めにここで私が目にした、君の魔気に塗れる業をアトフへの交渉材料にしてやろう!」

「汚ぇぞアンタ!?」


 この部屋へ入る前には俺なりに過去の悲壮へと対面する決意を固めたものだったが。決意?何それ美味しいの?とでも言わんばかりに喜びを晒すこの少女の亡霊の屈託なき笑顔、そして対照的にグロテスクを体現し続けるその身体のギャップにすっかり中てられてしまい、暫しの間を状況も鑑みぬ副総括との口汚い罵り合いに費やすのだった。

 やがて奇天烈な現実に徐々に慣れ始め、現状を把握出来る程度に落ち着いてきた頃となり。ふと傍らへと目を向けてみれば、もげた首を胴体へと据え直した少女の亡霊は状況に付いていけないままに無垢なる笑みを振りまいていた。


「……そろそろ、状況を進めるとしようか」

「そっすね……」

「キースさま達、おはなしはもう終わったの?」

「こいつ、相手の見分けが付いてないだけじゃない?」


 どうやら、そういう事らしい。無垢に過ぎるこの子にとっては男イコール、キースという固有名詞になる訳か。事実ピノに対しては「ねえや」と呼び、ピコへなどは「新しい子?」と首を傾げながら手招きをしていた程だ。そんな少女の亡霊の有様を目の当たりにしながら、俺達はある違和感に囚われ始めていた。


「しかし、解せんな。我々が部屋に入った際に見たこの娘の目の光。あれは間違いなく――」


 ―――そう、そこだ。


 こうしてじっくりと見てみれば、世俗に浸かり穢れてしまった人の心を洗い清めてくれる程に無垢を晒す亡霊の少女だが。扉を開けた直後に見たあの瞳は、世の非業を味わった者特有の昏い光を有していた。

 あの廊下に吹き荒れた氷雪嵐にしてもそうだ。訪れる者へあそこまでの拒絶を示し、副総括曰く軍の専門調査隊ですら過去には到達を断念せざるを得なかった事実がある。幸い俺達には精霊使いの常識を突き抜けた理論を実践した結果、力押しではどうにもならない壁をあっさりと突破してしまったピノがいたからこそ、無事にこの部屋へと辿り着く事が出来たのだがね。

 そんな今回の立役者へと振り向いてみると、一人話に参加しようともせずに中空へ視線を向け、心ここに非ずといった素振りを見せていた。


「どした?」

「気にしないでいいよ、ただの名残だから」

「……?」


 だがそれ以上を答えてくれる気はないようだ。当然ながら副総括も俺達のやり取りには気付いていたらしくこちらに鋭い目線を向けてきたものの、その膝には今や少女の亡霊がお気に入りの場所を得たとばかりに鎮座ましましていたからな。生暖かい目を返された副総括は些か気分を害した風に片肘を付き、扱いに困った様子で少女の亡霊を見下ろすに留まっていた。


「娘よ。お前の名はニコラ・ケーテで相違ないか?」

「ううん。わたくしはニケ。ニケって呼んで?キースさま」

「ニケ、なぁ……」


 すっかり保父さん状態と化してしまった副総括。自身をニケと呼ぶ少女の亡霊に威厳を込めた声で問いかけるものの、無垢なる笑顔に圧され気味に曖昧に言葉を濁らせてしまう。

 それなりに落ち着き状況は把握出来たが、この先どうしたものか。そんな停滞した状況に曖昧な空気が流れ沈黙が降りてしまった場へと、ふと上の空であったピノの声が不意に木霊する。


「多分話にあった魔物使い本人で合ってると思うよ。その名前の略し方、西の妖精郷特有の慣習だからさ」

「ほう?そういえばこの娘の半身には妖精族の血が入っているのだったな。であれば旧き亡霊ながらに我が擦り切れず、未だ残っているのにも頷けようものか」

「そゆことー」


 ニコラ・ケーテ、略してニケか。ミーアさん達ゴブリンにも当時はフルネームで呼び合う慣習があった様に、同じく片親が妖精族だったこのニケもその慣習を色濃く受け継いでいたんだな。


「さて、これでこの屋敷に棲まうモノについての謎は解けた訳だが」

「……どうしましょうかね?」


 思い返してみれば俺達が受けた依頼内容は、調査を阻害するこの屋敷の動物霊の対処をせよ、だった。その動物霊であるデッドリー・ブルは今も主に俺に対して唸り続けてはいるものの、庭での対峙以降は襲い掛かってくる気配は無い。またニケを護ろうとする強い意志の表れからは、確とした躾が施された背景を感じる。となれば今後のギルド側の方針にもよるが、今ここで無理にどうこうする必要は無いだろう。


「こいつ、ぜんっぜん話そうとしないけどさ。ニケを護りたいだけみたいよ?」


 物言わぬモノとの会話を可能とするピノからもこうして太鼓判を押された事だ。これで俺達の依頼としてのこれ以上の対処の理由は立ち消えた。

 その意を以て副総括へと視線を巡らせる。しかしながら副総括は渋い顔を見せながら、それでも義務を果たさんとばかりに口を開く。


「だが、私とて神職の身にある者。この地に縛り付けられた亡霊と化し、未来永劫救われぬ身にある者を前にして、このまま去るつもりはないな」


 そう、なるよな。サリナさんが所属する一派とは別の派にあるらしいが、副総括も智慧の神を奉じる立派な神職だ。軍人でもあるが故に正式な位の叙任は辞退してこそいるものの、最低でも高司祭クラスの祓魔や浄化の類を可能とする信仰。それを真っ向から否定する亡霊の存在を認める訳にはいかないか。


「では軍人としてはどうです?国是に背いてまで民を護れ、なんて妄言を吐く気はありませんが。それでも今ある民を軽んじては何が軍人か、と思いたいんですよ」

「思いたい、か。ふはっ、君は考えていたよりは博学であるようだ……言いたい事は分かろうが、厳密に言えばこの娘は我が帝国の民ではない。それにだ、私個人のみならずあるいは軍そのものへ対しそこまでの物言いをするならば、相応に示すものが必要ではないかね?」

「キース、さま?」


 俺なりに言葉を選び切り口を変えたつもりではあったが、どうやら逆効果であったらしい。小童如きが軍の何を知るかと言わんばかりに威圧を含んだ言を発し、また子供心ながらに異変を察したか、その膝に収まるニケも怪訝な表情で険を露わにした副総括を仰ぎ見る。対し、逆に決断を迫られてしまった俺はと言えば自らの心に為すべき事を問いかけ――そして導き出した結論は。


「……なぁ。俺ってやっぱ、馬鹿だよな」

「だよねー。下手すれば国家反逆罪で吊るし首にされるんじゃない?あ、その前にボルドォ辺りが責任感じて抹殺しにくるかも」

「う、それ聞いて少し心が揺らいじまったぜ」


 皆まで言うなを絵に描いた様なピノの合いの手に、俺は苦笑を浮かべながらも立ち上がる。そして剣の峰を相手の側へと向けた後、地へ刺す所作を取った。確か帝国では、これが遺恨なき決闘を示す意志の顕れだと聞いたが。


「くくっ。たかが異国の一平民がこの私を相手に、しかも何の縁もゆかりもない亡霊が為、それをするかよ」

「キースさま……」


 俺の意図を受けた副総括はこれまでで最も嬉々とした貌を晒し、戸惑うニケを優しく抱え傍らへと下ろす。そして正規の所作として手に持つ剣を中空に幾度か振った後に同じく床へと剣を刺す所作を示した。これで互いの儀礼は執り行われた、あとは互いに相手への礼節を以て意志をぶつけ合うのみだ。


「だが、私も神職である前に帝国に生まれ育った一人だ。我が帝国の儀礼に則り見せたその意気に免じ、仮に私を打ち倒す事が出来たならば引いてやるのも吝かではない。この無礼にも目を瞑ろう」

「そりゃ助かります。この齢でお尋ね者にゃなりたかないんでね」

「ならば平和な話し合いでも目指せば良かろうに……とはいえ行動で信を示せと言った私が批難出来る事ではなかったな」


 外へ出る――そう言って副総括は部屋の窓へと歩み寄り、そのまま庭へと飛び降りた。

 少々高くはあるがこの程度で腰が引けてはお話にならないか。俺も続き窓の桟へと足をかけた後に一息に飛び降り、着地の衝撃を全身のバネを利かす事によりどうにか分散する。


《このワタシに対し、あれだけ大口を叩いてくれていた小虫君のことだ。まさかこんな事にワタシへの信仰を使おうなどとは、言わないわよね?》


 いざ対峙をした段になり、心の裡よりご丁寧にもそんな発破をかけてくれるおねいさん。ハッ、それこそまさかだろうよ。


(下らねぇ事言ってないで引っ込んどけよ、リセリー。特等席で手に汗握るぶつかり合いを見られる、滅多にない機会だぜ?)

《……ふふっ。あっさり打ち負かされて泣きを見ないよう、精々気張りなさいな》


 おーらい。お蔭さまでこちとら気力は漲っているからな、準備は万端だ。見ればあちらさんもまた好奇の光を強めながら、意匠をこらした軍用の剣を片手に構えやる気に満ちている様子。


「やはり君は興味深い。先の業が顕れにはやや拍子抜けをさせられたものだが、今の君の有様はそれを補って余りあるな」

「そりゃどーも。ただの意地っ張りって説もありますがね」

「むははっ!だとすれば、大した意地もあったものというものだ」


 さぁ、軽口の時間は終わりだ。暗黙の了解により此度の対峙は肉弾のみ。こちらが奥の手の数々を使えない様に、副総括も闘気や神職魔法の類を使ってはこないだろう。それでも剣を手にしている以上一定の確率で万が一は起こってしまうだろうが、それを言うならば最初から立ち向かうなという話だ。知らずその現実を実感し、背に冷たい物が流れ落ちる。

 いざ、尋常に――そんな言い回しが似合いそうな状況に浸り前傾姿勢へと入ったその時だった。


「きゃあっ……」

「ぎゃいんっ!」

「むっ?」


 屋敷の二階部分より二つの悲鳴が響き渡り、次の瞬間窓を突き破って一人と一匹が空中へと投げ出される。


「ピノッ!」


 予想だにしなかった異常事態。俺は咄嗟に石壁を足場として飛び上がり、落ちてきた一人と一匹をどうにか受け止め、諸共庭へと落下する。


「がほっ」

「無事か?……おう、大事はないな」


 この期に及び暢気に決闘などをしている場合ではない事は明白だ。副総括は即座に落下した俺達を診断し、軽い治療を施してくれた。しかし一体、何があったんだ?

 見上げれば屋敷の二階部分からは廊下で目の当たりにしたそれとは桁違いの規模の氷雪嵐が吹き荒れ、庭部分にまでその影響の白が降り注いでくる。


『……ぁぁアァあァあアアッ!』

「何、だ。あれは……」


 やがて辺り一面が白く染まる中、流れ出す慟哭の叫びと共にニケの居た部屋全体が氷結に割れ落ちてしまう。そして視界が晴れた後、俺達の目に映ったのは血の涙を止め処なく流し、大地より突き出た巨大な茨の十字に磔をされるニケの姿。現実には有り得ないであろう致死量を遥かに超えた血が流れ落ち、それを吸った茨が更なる棘を生やしニケを貫く。その度に上がる悲鳴は聞くに堪えず、精神が虫食まれてしまう地獄絵図が広がっていくかの様だった。


「……ぅぐ」

「ピノ!気付いたかっ」

「あ、だめ。あの子、死の瞬間を思い出しちゃってるっ」


 平時は何をおいてもやられた事を倍返ししてから憎まれ口を叩くこのピノが、この時ばかりはそんな余裕すらなく焦燥を滲ませる。それ程の重大な事態が、今俺達の目の前で進行しているという事か?

 死の瞬間を思い出す、それはきっと言葉の通りの意味だろう。この亡霊の魔物使いは、恐らくは閉じた小さな世界しか知らなかった無垢なる少女は……謀略の末にここまでの惨たらしい最期を迎えるに至った。


「ざっ、けんなぁあああっ!!」


 その現実離れした非業の死が再来を目の当たりにし。その理不尽を想い身を震わせながら、俺は知らず心の底から人の計り知れない悪意に怒りの叫びを上げてしまったのだ。

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