第209話 遺棄地域復興調査隊①
本日より、新章開始です。まずは序盤の一幕より―――
遺棄地域へ潜入しての太古の死霊撃滅作戦、その先で知り得てしまった貌の無い偶像の真相。偶像女神の遺したこの世界の人類へ対する憎悪をもその身に取り込み、真に復活を果たした無貌の女神。
そんなあいつと邂逅の地である彼の遺跡の最深層にて人知れず対峙をし、どうにか今ある怒りを堪えつつ人類を見直す猶予を貰ったあの日から約一月が経過した。そして今―――
「審判の時まで、あと……三分」
「猶予短けぇよ!?」
この通り、人のモノローグにまでばっちりと介入してくれやがる程に絶好調なおねいさんは健在だ。まぁ、今もこうして帝国外務省内のカフェテラスにて実に寛いだ様子で宣わってくれている辺り、そうそう心配する必要もないんじゃあないか、とは思うがね。
そう、リセリーはいつもの幽世からの憑依通信といった間接的連絡手段ではなく、俺の目の前で実体を以て寛いでいた。遂にというか或いはいつの間にかと言うべきか、この帝都クランウェルへと縛り付けられていた無貌の女神がその身に還った影響か、帝国内の地脈の整理とやらが予想外に進んだ結果としてつい先日、本当の意味での解放に至ったのだという。
「そんな訳だから暇が出来てしまってね。あの地の底も長年住んでいた古巣だし居心地は悪くはないんだけれど、どうせならばお前達人間を観察する意味でも近くに居ようかな、って思ったのよ」
「俺は別に構わないけどなぁ。よりにもよって帝国外務省に入り浸るのはどうなんだ、と思うんだが」
「あら、そこの娘は昨夜ワタシが顕れた際には歓迎の意を示してくれたわよ。この館は、その娘の類縁が管理しているのでしょう?」
それなりに理のあると思われる意見を言う俺に、しかしリセリーは悪びれぬ様子でお茶の香りを楽しみながら焼き菓子を切り、俺ともう二人程、同席をしている面々へと選り分ける。それを恭しい素振りで受け取りながらそれでいて嬉しそうにきらめいた瞳で語るは、緑髪に薄緑色の肌の種族的特徴を持つ、娘時代を卒業したばかりといった時分の若い女性だ。
「ええ、それはもう。兄さんが外務大臣職に就いている間はこの館は半分兄さんの家の様なものですから。それは即ち、私の家でもあるという事です」
「そーかなぁ……」
お前の物は俺の物、的な某ジャイアニズムを彷彿とさせながらもその実すねかじり極まる発言に、同席していた最後の一人が辟易とした様子で大きな溜息を吐いてしまう。隣席する女性と似た風貌を持ちながらもその佇まいからは威厳といったものを感じさせ、責任を背負う者としての自負に満ちた有り様。だがそれも今は類縁の言葉によりやや萎びた風で、どことなく諸行無常を感じなくもない。
「ほらほら兄さんもそんな顔をしてないで。折角リセリーさまがこうして直々にお姿を顕して下さったんですから、我等精霊信仰の徒としてはその最上位たる神霊を奉じる義務があるのです」
「誰のせいだ誰の。大体お前は小鬼公でありながら神職へと傾倒した異端児だろうが……」
「神霊も神の文字が付いているので充分信仰の範囲内ですっ」
上機嫌ではしゃぐミーアさんへと嫌々ながらに突っ込むアトフさんではあるが、即座に節操のない返しをされ、思わず顔に手を当て天井を仰いでしまった。そのお気持ち、お察しします。まさか興の乗ったミーアさんがここまで変貌してしまうとは。
「どうやらお兄さんにはあまり歓迎されてなさそうねぇ。それならば仕方が無い、落ち着ける所が見つかるまでは小虫君に憑いて回るとしましょうか」
「それ字、違くね?」
「そう思う?」
あっ、これ駄目なやつだ。やたらにこやかな笑みを浮かべそう返すリセリーの獲物を見定めた風な目の光を見、そういえばこいつ、以前にも俺のプライベートを殺しかけてくれたよね……などと暗澹たる雲立ち込める自らの気運を悟り、軽く心を打ちのめされてしまう。
この様にしてアトフさんに次ぎ俺までもがある意味絶望的な心境に打ちひしがれる中、廊下の曲がり角の側からはこれまたミーアさんにも引けを取らぬ程のテンションの高そうな、最早お馴染みとなったテンションの高そうな馬鹿笑いが響き渡る。
「はぁーはっはっはー!アトフよ、そう落ち込む事も無かろうっ。聞けばリセリーは余等へ協力する事吝かでは無いという話であるし、いざとなれば頼太の奴を生贄に捧げれば大概の無礼はチャラにしてくれるとも言っておる。今一手勢に欠ける余等にとっては一つの不都合も無く、そして大きな札足り得る。良い事づくめではないかっ!」
「俺!それ俺が多大なる不都合を被るから!?」
「まぁ、そうなのだがな……」
そんな寝事を言いながらお茶の席に参加する出雲の気持ち良いまでの使い捨て発言に思わず叫ぶも、アトフさんまでがそれに消極的同意を以て返す事でさらっと流されてしまう。こ、これが言論闘争に於ける弱者が意見の封殺というやつか……。
本気で一度、サキさん辺りに本格的なお祓いを頼み込もう――そう心の裡に決めた俺の横で、ふとミーアさんが真顔に戻り穏やかな笑みを形作る。
「紆余曲折あれどリセリーさまはこうして現世へと再び顕れ、幸いにも私達はそのお姿を拝見する光栄に恵まれました。この世界には未だ知られざる神秘の存在が生まれ、しかしながら私達はその大半と見える機会を得る事なく去っていく……歴史を紐解けば、そういった不幸なすれ違いは数知れずだと思うのですよ」
特に説法をするつもりではなかったのだろう。紡がれた言葉からは話を纏めるというよりも、感じた思いを吐露していくだけといった印象を受ける。
ミーアさんはその半生を民俗学の研鑽に費やし、その造詣は深い。であればこそ棄てられた慣習や信仰といったものへの哀惜をよりいっそう感じ、可能であればそれを引き留めたいと思っているんだな。
「ふふっ、これだものね。この娘から感じるワタシへの信仰は、旧き時代にも奉じられたそれと同じ。だからこそ、無貌の女神でもあるこのワタシはこの娘の信仰に応えてやりたい。地を這う小虫風情にそう思えてしまう存在となってしまった自らを痛恨の極みに思いはすれど、その一方でそれもまた悪くはない、そんな感情もあるのよね」
自分も焼きが回ったものだ――そう言いながらもミーアさんへと優しく微笑みかける。そんなリセリーより笑みを向けられたミーアさんは感極まった様子で床へと跪き、本格的なお祈りを捧げ始めてしまう。
「あの、ミーアさんって智慧の神信仰じゃありませんでしたっけ?」
「事ここに至っては、宗旨替えも辞さぬ覚悟ですっ!あぁっ、リセリーさまー」
「うんうん、今なら現役信者第三号特典として手厚い加護を与えてあげなくもないわよ」
あぁうん。やっぱりこの人の信仰って、流行に乗りやすい人達のそれに似たものがあるんだな。この人の場合その度合いが重すぎて、真に信仰のレヴェルにまで達しちゃっているという怪奇極まる現実が伴っているだけで。
傍らを見れば俺と同じく、それを理解したらしき出雲は更なる大笑いを上げながら馬鹿受けしているし、アトフさんに至っては本格的に頭を抱える始末。このアルカディアでは未だその神名は明らかとはなっていないものの、某世界のヘルメス曰くこの世界の智慧の神であるらしきトート神もとんだ背信を受けてしまったものだと思う。
尚、信者第一号には不詳この俺、陽傘頼太。そして第二号は連日の夜会で疲れ果て、今も釣鬼共々惰眠を貪りこの場へ姿を現す気配も見せない、薄野の扶祢さんが本人の許可を得る事もなく決定してしまっているらしい。完全に信仰のキャッチセールス状態だよネ。
「何言ってるのよ?お前達の素地は信仰ごった煮な異邦の地出身らしく、万物が八百万を認めているじゃあない。ならば神霊たるこのワタシも同様に認められて然るべき、後は早い者勝ちというものねっ」
だそーです。節操のない日本人の宗教観に乾杯!
「そうそう、頼太にミーアよ。遺棄地域の復興状況はどうなっておる?上げられた書類に目は通したが、お前達の体感を直接聞きたいのでな」
俺達の雑談に一区切りが付いたのを見計らったか、不意に出雲よりそんな問いかけが為される。そうだな。俺は今日、その報告に来たんだった。そのついでに外務省館との連絡員を兼ねていたミーアさんより昨夜のリセリー顕現の報を受け、こうして回収しに来た訳だ。
「ん、太古の死霊の討伐後は特にこれといった重大な問題は無いな。大体は俺達だけで片付けられるものばかりではあるし」
「そうですね。長らく地脈が不自然に管理されていた反動か、随分と亡霊で賑わってはおりますが。ここ一月で大半は害の無い浮遊霊と化している様に見受けられます」
「そうか、特に危険は無いと見て良いんだな?」
「ええ兄さん。幸いな事に我々現場班には心強い肉壁、もとい蝿取り紙……でもなかった、頼太さんがおりますからっ」
「こんなミーアだが、宜しく頼む……」
「……うっす」
何だか無性に泣けてきたぜ。報告を受け、はしたなくもソファへと寝転がり色々無防備に見せ付けながら腹抱えて大笑いをしてくれている狐耳とか、同じく失礼にも人の顔を指差して涙さえ浮かべながら馬鹿受けしてくれてちゃってる駄天使とか、色々と滅べばいいのに。
そんな訳でここ一月の俺達はあの大討伐の夜の縮小版とも言うべき、ゴーストなバスターを生業としながら遺棄地域に於ける復興調査を進めていた。ボルドォ代行を含む一部軍属には知られているものの、未だ表向きにあの地域は死の土地であるという認識が一般的だ。そこに着目したアトフさんが真っ先に介入し、今やあの地域はアトフさんが管轄する特区予定地となりつつあった。
「無論、あの地の現状を知るジェラルド将軍一派には一定の譲歩をする必要があったがな。冒険者ギルドに屯する、麾下の軍属達への配慮を頼むとだけ言われたよ」
「ふぅむ。あの捻くれ棋士め、何を企んでおる……?」
先程までとは一転、大真面目な皇女としての顔へと戻った出雲の呟きに、傍らで控えるトビさん共々僅かな間を思考の沈黙が横たわる。どうやら出雲達ワキツ皇国の面々には、破軍棋士の二つ名は多いに思う所があるらしい。
「まぁ、現状としてあの地に関していえば我々が主導権を握っている。まずはしっかりと足場を固める方向で動くが良いだろうな」
「で、あるなっ!では行け、者共っ。そして万人が楽しめるテーマパーク創設への第一歩を乗り出し、最近馬車の修繕費とか借宿の買い上げとかで少々懐が寂しくなり気味な我等皇国シノビ衆もその利権に一枚噛むのだぁっ!」
「お頭、本音が駄々漏れでございますぞ」
最後に欲望丸出しなぶっちゃけ方をされ、脱力をしながらもその多大なる出費の原因が一端でもある俺としては強くも言えず従うのみだ。とはいえ出雲の発言そのものは俗物的ではあれど、言っている事は間違ってはいない。先立つ物が無ければ何をするにも片手落ちだからな。
こうしてリセリーを回収した俺達は本日の依頼を進めるべく外務省を辞し、ピノの待機する冒険者ギルド帝都支部へと出向くのであった。
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「お帰りー。やっぱりリセリー、来てたんだ」
「はろー♪やっと地脈の整理が終わってね。暫くはこっちに滞在する事にしたわ」
帝都支部へと顔を出してみれば、すっかり軍属出身のギルド員達とも打ち解けた様子のピノが待機要員達とお手製のボードゲームに興じていた。その傍らではピコが暢気に午睡を楽しんでおり、ピノは予てからの自らの要望が叶ったこの状況に見るからにご満悦な様子。
「そんじゃカンナさん。今日の担当区域教えて貰えます?」
「はい、本日はS-32地区となります。どうぞ、よしなに……」
「……あ、はい」
「申し訳ございません……任務中であれば気分を一新するのも易いのですが……」
「い、いえ……人には得手不得手ってものもありますし。で、では行ってきます」
今日も沈みがちなカンナさんに見送られ、そのローテンションに引き摺られつつも出立の準備を進めていく。この人もあの夜の作戦に参加していたそうで、任務中は代行の副官として人族ながら直属の獣化部隊をも指揮する程に有能らしいんだけどね。ちょっとその、普段のテンションがね……。
「それじゃあワタシは街中を散策してくるわ。何かあったら小虫君経由で呼びかけてくれればアドバイス程度はしてあげるから、お仕事頑張ってらっしゃいな」
「あいよ。そんじゃ皆、行くかー」
「はいっ、今日も頑張りましょう」
「おー!」
「わぉん」
リセリーは久方ぶりとなる人々の暮らしの営みを見に行く事にしたらしい。その気になれば地の底からでも周囲の様子を見渡せる程の権能を持つリセリーではあるが、今生は存在に囚われず一個の者として自分の目で見て歩いてみたい、とも言っていたものな。俺達としてもそんなリセリーの希望は尊重してやりたいし、過去にあった無貌の女神の顛末を識る身としては無条件に頼るのもどうかとも考えはする。
だから特に約定を交わした訳ではないが、リセリーとはこれまでと変わらず個として付き合い、そしてこれからも特に変わる事のない日々を送っていくのだろう。
「Sの32地区って言うとー、この辺りかな?」
「そうですね。多分あの屋敷の辺りだとは思いますが」
おっと、少々思考に埋没している間に目的地が見えてきたようだ。では気分を改めて、本日の案件へ取り掛かりますかね。懐に入れていた依頼書の写しを取り出し、三人してその内容を確認する。
「何々……S-32地区に出没する動物霊の対処をせよ、か」
「通称『デッドリー・ブル』?こんな居住区で牛のオバケでも出るのかな?」
ここ一月の間、地域復興の名目で始まった帝都支部主導による依頼作業は俺達とシノビの面々、そしてギルドの軍属の皆で分担し担当をしている。コタシンさん達も先日ギルドへの仮登録を終え、これで追加報酬が貰えるぜとばかりに楽しげに調査作業へ飛びまわっていたのは記憶に新しい。
それはそれとしてだ。俺達のトリオはその特性と相性により、主に亡霊への対処に回されていた。
「まずは屋敷の中に入って、それを確認してみっか」
「そうですね。頼太さんが居れば大抵の亡霊相手は無力化出来ますし」
「便利だよねーその鎧」
本当な。先日の死霊討伐の際に新たに判明したのだが、俺の瘴気の鎧は基本的に霊の類を受け付けない。これは狗神が邪霊そのものである事に起因している。既に半ば霊に憑依をされている状態であるからして、余程高位の霊体を相手取るでもない限りはミチルの影響力の方が勝るといった寸法らしい。流石にリセリーが俺の裡へと顕現をしていたあの夜とは違い、憑依完全無効化とまではいかないが基本的には現状でも十分ではあるからな。
そして身に纏う瘴気の鎧はそれそのものが半物質化した霊体でもある。つまりミチルを纏っている間は問答無用で霊体を掴むのを可能とする訳だ。よって負の生命力を活性化させる肉持つ屍体を相手する場合とは逆に、肉持たぬ亡霊相手であれば少なくとも俺は悪影響を受けず、そして透過した霊を逃がす事も無いという圧倒的優位を保つ事が出来る。これが先に言われた肉壁兼蝿取り紙という、不遇かつ有用な役割を果たすのだ。
「よっ、と。装着完了、じゃあ行くか」
「探検だー!」
「はいっ」
いざ瘴気の鎧を身に纏い、廃墟と化した屋敷の敷地内へと足を踏み入れていく。やがて庭部分の半ばも過ぎた頃となり「それ」が徐々に形を伴っていくのを視認した。
「んん?」
「あれ、これって牛……ではありませんね」
そう、だな。体長1.5m、体高1m程か。筋骨隆々とした四肢に如何にも咬筋力溢れる見た目な顎周り、見るからに闘争心に燃える、爛々と輝く猛獣然とした目付き。
そのシルエットは牛というよりかは、俺達にも馴染み深い、とある四足獣達に酷似をしており―――
「ピ、ピ、ピ……」
「ちょ……これ、やっ」
唯一「それ」を知らぬミーアさんが一人暢気に首を傾げていたのは無理からぬ事だろう。そして地球出身である俺と、溢れんばかりの知的好奇心により育まれた多彩なネット雑学知識を持つピノの二人が、揃って顔を引き攣らせてしまったのも。
「「ピットブル先生だー!?」」
『GAHWWWWWWWW!!』
俺達の目の前に出現したそれの犬種は通称ピットブル、正式名称はアメリカン・ピット・ブル・テリアと呼ばれている。
犬科の中で最も闘争心に溢れると伝えられ、その超が付く程の危険度により地球では飼育を禁じられている国や地域すらある、闘犬の最たるものだ。それが今、俺達の叫びを切っ掛けとして一息に襲い掛かってきた―――




