狐の二十四 不穏の影は謎めく五芒
「――姪、じゃと?」
「そうさ、シズカ。どんな気まぐれか、凡そ他者を愛するという事を知らぬあの姉さんが唯一つ生み落とした、可愛い可愛い僕の姪……だ?」
振り向き様に流し目を向けた狐妖はそこで目を丸くしてしまう。その視線は明らかにシズカの横に立ち並ぶ静へ釘付けとなっており、その一瞬の隙を衝き予備動作すら見せぬシズカの逆袈裟が裂き奔る。
「うぉっと!?さ、流石はあの姉さんの娘だな……決断の速さが尋常じゃあない。というかその凶暴さからしても君の方がシズカなんだろうけど、誰だいその君そっくりな子は」
「汝の戯言に付き合うのは後じゃ――怪次よ、大事は無いな?」
サキの類縁を自称する狐妖が既の所で得物を引き抜き飛び退いた後、踏み込んだ勢いそのままに倒れ込む怪次を空いた側の片手で受け支える。その間も切っ先は狐妖の側へと突き付け、虚を感じさせよう胡乱な眼差しで睨め続けたままに。対する狐妖は袖にされてしまったとばかりに肩を竦め、そのまま動く気配も無く暢気に乱れた衣を着直すに留まっていた。
「ぐぷっ……ペッ、酷ぇなシズカさん。これ見て大事が無いなんてよ」
「人の子や我等獣妖といった生身の存在であればさておき、汝は人の想念より生み出された怪異じゃろ。ましてや付喪神なんぞ、核さえ無事であればどうにかなろうといった適当極まりない身体構成が売りじゃ。気遣われるだけ有り難いと思えよ」
「……本気で酷ぇ。まぁ、実際そうなんだけどよ」
辛辣ではあれど気遣いそのものは見せるシズカの言葉に若干傷付いた素振りを見せながらも、喉元よりこみ上げる血を吐きつつ大地を両の足で踏みしめ立ち上がる。その発言通り、怪次の巨体からは未だ余力といったものが垣間見えていた。
「そうそう、今の衝撃で思い出したぜ。文魅の前身の内面を引き摺り出し……それを取り戻すべく御先の領域へと乗り込んだ俺の前身を殺ったのは、このひょろっちいカマ野郎だ」
「やだなぁ、僕にその気は無いってば。この装いはただの趣味なのさ」
「あ、アニキ……」
怪次の言葉を受け僅かに視線を傍らへと向けてみれば、地へ蹲り小刻みに震える文魅の姿。瞳孔は開いて荒い息を吐き、明らかに怯えの色を見せていた。それを見たシズカは当時に文魅が前身へ訪れたであろう悲劇を連想し、更には遥かな過去に自らも身を以て味い嘆きの慟哭を上げてしまった、あの凄惨な災禍の記憶と重ね合わせてしまう。
「……そうかぇ。汝が、主犯かぇ」
そう呟くなりシズカは瞬く間に自らの本性である赤の毛色を晒し、その裡に秘める憤怒に渦巻く鬼気を立ち揺らめかせていく。その手に持つ妖刀もまた主人の鬼気へと反応し、鬼殺しとしての切れ味を増していく様が紅い光となりて輝き始める。
「あ、あれ?もしかしてこれって、話し合いの余地とか、無いのか……なぁッ!?」
目に見えた異様を発するシズカに、対する狐妖は気圧された素振りを見せ俄かに後ずさってしまう。
だがその頭上より突如襲い来る霊爪の一撃。狐妖は上ずった声を上げつつも間一髪でそれを避け、次なる連撃をどうにかやっとといった様子で捌こうとはするものの、完全に密着された状態ではそれもままならない。
「ちょ、ちょっと!霞草殿の妹御似の君もっ、少しは落ち着いて僕の話を……」
「御託はお前を叩きのめした後で聞いてあげるわ。お前にとっては残念な事だろうけれど、今の私は少しばかり気が立っているのよ」
「くっ、こんなの、僕が一番嫌う汗苦しい展開じゃあないかっ!?僕はただ、文車の領域を霞草殿から返してもらうついでに、新たな遊び相手を得る絶好の機会だと思っただけなのに……」
猛攻に晒されながらもいけしゃあしゃあと都合の良い寝事を吐くその狐妖の醜態。それは正しく火に油を注ぐ結果となり、瑠璃の怒気は益々鋭さを増し更に苛烈に攻め立てる。対照的に、その成り行きを目の当たりにしたシズカはと言えば刹那呆けた様相を見せた後、熱を増していく瑠璃とは対照的に平静を取り戻したかの様子で鬼気を霧散させてしまう。
「もしかしてあれ、瑠璃一人でどうにかなるんじゃない?」
「……じゃな。あの得物もこの安綱に劣らぬ程の相当な銘と見たが、とても使いこなせておる様には思えぬでな。あやつ相手に懐へ入られた時点で既に詰みじゃろ」
「つーか静さん。さっきのシズカさんが発した鬼気の傍に居て、よく平気で居られるな……」
「ふふ。わらわにとっては慣れ親しんだ気ですから」
先の鬼気より負った傷を庇いながらもそう零す怪次に対し、静は意味ありげな笑みを浮かべ返す。それを見た怪次は理解に苦しむといった表情で首を傾げつつも、それ以上を問うてくるつもりは無いらしい。
「まぁ、あんたらのやる事に一々驚いてちゃ身が持たないからな。文魅が無事ならそれで良いや」
「くふっ。なに、猪笹王殿との一件が済めば暇も作れよう。ここまで付いてきた汝等にであれば、そろそろ我等の素性を明かしても良い頃合いじゃろうて」
「そーかい」
話の半ばより既に投げやりな返しをしつつ、自らの身体へとしがみ付いて震える文魅を抱きあやし続ける。そんな兄妹の微笑ましい情景を見た二人は肩を竦め、あるいは微笑み見守り続ける。
やがてそれより長くはない時が過ぎ、一つの悲鳴とも苦悶ともつかぬ呻き声が森の中に響くと共に場の異界化が解けた気配が感じられた。
「お、決着がついた様じゃな。どれ、お縄に付かせるとしようぞ」
「はーい。折角の霊場だし、どうせなら縁起物繋がりで特製しめ縄の術でも作ってみようかな」
「……前々から気になっておったんじゃがな。静よ、汝は術を遊び道具か何かと勘違いしてはおらぬかや?」
このやり取りに見られる通り、既にシズカ達に先程までの懸念強き色は無く。ようやく落ち着いてきた文魅を連れ、森の奥より白目を剥いた狐妖を引き摺ってくる瑠璃との合流を果たしたのであった。
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「最後の尻切れな捕物劇には笑ってしまったが、まぁ悪くはない演目だったな。褒めてつかわす」
「こんな事言ってるだが猪笹さま、ご満悦でしただぁよ」
一連の事件の容疑者をお縄に付かせ、封印の基点へと戻ってみればタタラ達が満更でもない様子で出迎えてくる。どうやら猪笹王の御眼鏡には適った様子。
「お言葉、忝く。ときに猪笹王殿におかれましては――」
「本心からならば兎も角だ、上辺のみの繕いの言葉なぞ聞き苦しいのみよ。気負わず話すが良い」
「……然らば。猪笹殿は、未だ御先への怒り収まらぬと申すかや?」
ここで一拍をおき、シズカと猪笹王、互いの視線が絡み合う。そのまま暫し無言の時は続くも、やがて猪笹王はお気に入りらしき煙管を燻らせた後に大きく煙を吹き、何故か静へと視線を向けながら不敵な笑みを浮かべ言う。
「無論だ――が、条件次第ではその怒り、忘れてやっても構わんぞ」
「……どのような、条件でしょうか?」
真の鬼よりの意志を篭められた視線を受けてしまえば、さしもの静も緊張した面持ちで返さざるを得ない。そんな張り詰めた雰囲気を一頻り愉しむかの素振りを見せていた猪笹王ではあったが、不意に若干の愛嬌らしきものをその貌に乗せ、一つの提案を出してくる。
「ふ、一昔前の様に村一つを生贄に寄越せだの、社を立てて祀れなどとは言わぬよ。彼の上人により封印を受け幾年月、ようやくこうして二十日を迎える事無く現世へと解放をされたのだ。この縁を使い、どうせならば完全な解放を望みたい。ただ、それのみよ」
「え、っと。それって、もしかして……」
予想外に軽い調子で紡がれたその言葉に、今生の若き身である付喪神兄妹、そして日ノ本の歴史事情にやや疎い瑠璃は何だその程度かと揃って胸を撫で下ろす。人の世では畏れられるタタラの王ではあれど、同じく妖の身からすれば忌避する程のモノではない。そういった心境ではあるのだろう。
しかし歴史の造詣深いシズカ、そして自らへ振られた意味を正確に把握してしまった静の二人はと言えば、見事に相対性とも言えよう引き攣った表情を形作ってしまい―――
後に穴掘り実働部隊として狩り出された瑠璃と怪次の二人は語る。
複数の県に跨る巨大な山脈中を当てもなく、遥か昔に埋められたと伝えられる封印の経文を少人数で探り当てるなど、狂気の沙汰に過ぎると。
「なぁんで私がこんな事しなきゃならないのよっ!?シズカッ、アンタの身内の不始末なんだからさぼってないで手伝えっ!」
「くしゅんっ。童は先日の薄着の無理が祟り狐インフルエンザにかかってしまったのじゃー、体中震えがきて痛いのじゃー」
「わらわも御先の陣をばれない様に改変する作業で忙しいから、瑠璃は怪次君と一緒にいってらっしゃーい」
「アニキッ、がんばー!」
「だから俺まで巻きこむんじゃねぇって、何度もお願いしてると思うんですけどねぇっ!?」
しかしながら面倒事を人に押し付ける天才であるこの二人にそんなまっとうな非難が通じる筈もなく、苦労性という共通点により揃って泣きを見た肉体派二人により、連日連夜ひたすらに経文探しが続くのであった。
「――サキ様。瑠璃よりの経過報告書が上がってまいりましたぞ」
「ん、ご苦労さん。こっちの仕事もあと少しで一息吐くから、そしたら休憩がてらお茶のお供に読ませて貰うとしようかね」
シズカ達が彼の接続口より異界へ旅立ってより、暫しのこと。年の瀬に入った神宮裏郷では、年始の祭事へ向け御先稲荷の面々も忙しなくお勤めへと励んでいた。そんな折、近年珍しいとも言えよう法術にて何処からともなく一通の手紙が裏郷御殿へと舞い込んできたらしい。
あくまで瑠璃の代理という事で、筆頭としてではなく瑠璃の担当する部屋にて書類を書き記していたサキの下へと、霞草がどこか浮かぬ様子でその手紙を持ってくる。労いの言葉をかけ残りの書類作業を進めようとするサキではあったが、何故か霞草は向かいの席に居座って動く気配を見せようともしない。
「霞?……あぁ、可愛い妹の安否証明でもあるものね。そら気にもなるかー」
「む、気にならぬと言えば嘘になりましょうが。そうではなくて、ですな」
やはりどうにも煮え切らない。そんな態度を見せながらに落ち着かぬ様子で身じろぎをする霞草を見て、これはもう仕事になりそうにないなと心の裡で苦笑を浮かべ、作業の手を止め書類を閉じる。
「分かった分かった。それじゃあ少しばかり早いけれど、午後の休憩としようか」
「はぁ、それではご相伴にあずかりまする」
その言葉を合図にサキは呼び鈴を鳴らす。御殿の厨房係を差し置いてサキが直々に仕込んでおいたお茶請けを配膳させた後、二人は改めてその手紙を開き内容を読み始める。
『今はシズカの故郷の日ノ本で探偵事務所を開いてます。やっぱりこちらのサキさまはラスボスらしくって、あに様は人喰いになっていて、あと朽木の奴が天狐やってました。色々とそちらとの差異があって面白いですけれど、割と不穏であまり予断を許さないかもしれません。それと――』
「………」
「………」
その後もつらつらと小学生の日記帳よろしく書かれ続ける自称報告書。読む手を半ばで止めたサキは代理職へ就いてからというもの定番となってしまった添削を大真面目に始め、今や向かいの席に突っ伏し震える霞草の顔は既に赤黒く染まって噴火直前な模様。
「……あの子が帰ってきたら、真面目にこっち方面の教育をし直した方が良いかもしれないさね」
「あの、阿呆娘が……」
そこはかとなく物悲しくも、彼方とは違い極めて平穏無事に過ぎていく神宮裏郷の年の瀬の一幕。やがて添削だらけの惨状と化した手紙の最後に書かれる「桔梗」の二文字に、サキと霞草が揃って目を瞠るのはもう暫し後の事となる―――
裏章・日本皇国前編終了。もう一話かかるかと考えていましたが、あっさりと今回で終えられました。残った謎も含め、後編は本編の帝国編終了に合わせてその後に展開予定です。
次回12/29(木)、一話だけ閑話を挟んだ後に12/31(土)に楽屋裏。新年より本編再開となります。




