閑話⑳ 狐耳達の日常譚
「最近、狐要素が少ないと思うのです!」
「まーた始まったかぃ」
「……扶祢、お前はいったい何を言っておるんだ?」
帝国外務省の内部に誂えられた来客用サロンの一角にて。今日も今日とて姫様プレイに精を出していた駄狐一号は唐突に心からの叫び声を上げていた。
何処よりかの駄目な電波を受信してしまったかな扶祢の様子に、その横では作法も何も無く紅茶と茶菓子を胃に流し込んでいた釣鬼は呆れた目を向け、対照的に向かいの席で優雅にティーカップを傾けていた出雲はそれを興味深げに眺める。
「ほれほれ、そんなに狐要素が欲しければ余の尻尾とでも戯れておれ。それとも耳の方が良いか、ん?」
「うぁん、違うのよ。ほら、ここ最近色々と礼儀作法とかを学んだり舞踏会での挨拶周りばかりで息が詰まっちゃってるじゃない?だから何というか、つい叫びたくなっちゃって……」
やがて新たな玩具を見つけたかの表情で席を立ち、流し目を送りながら自らの狐耳と三尾を悪戯っぽく揺らめかせながら扶祢の顔をくすぐり始める出雲。それを受け若干こそばゆい顔でこれまた狐耳と七尾をぴくぴくと反応させながら、扶祢は先の叫びに至ってしまった理由を言い繕う。差し詰め慣れぬ宮中儀礼にストレス極まり、元より若干緩み気味な頭の螺子が更に緩んで外れかけてしまったといったところか。
「お前ぇ、昨日もどこぞのマダムから挑発されて作法対決をしてたくれぇだもんな。あのマダム、にわか仕込みの癖にお前ぇの作法にしてやられたって顔してたぜ」
「釣鬼だってそうでしょ。小休止で避難していたバルコニーにまでナンパしにきた貴族の子弟達相手に踏鳴り一発で脅して黙らせたの、見てたんだからね」
「……あー、あん時ぁ鬱陶しいにも程があったからよ。それに俺っちは護衛担当だ、別にその程度は構わねぇだろ」
昨夜を思い返し言葉にした事で当時の辟易とした想いまでもが蘇ってしまったのだろう、互いに苦い表情を見せ合いながらやや気落ちした様子で溜息を吐いてしまう。
「お前達、色々と溜まっておるんだなぁ。宮中儀礼の類は確かに面倒な部分も多々あるが、あれはあれで習熟しておれば独自の情報網を構築するにはもってこいなのだがなっ」
「うーむ、その考え方は姫さんが逞しすぎるだけな気もするんだけどよ」
「出雲ちゃんってサバイバルも軽くこなせちゃうし、その気になればどこでも生きていけそうな気がするわね……」
「わははっ!照れるではないか、もっと褒めるのだっ!」
事も無げにそう言う出雲に対し、釣鬼と扶祢の二人は複雑そうな顔でそんな感想を返すのみ。そこに横合いからの声がかけられた。
「でしたら折を見て気分転換にあちらのお仕事の手伝いでもしてきますかな?お二人にはここ暫しのお頭のご政務代行をしていただいたお蔭で日程的には少々余裕も出来ましたし、明日からはそれなりに時間も空くとは思いますぞ」
「やったっ!」
「そりゃ良いな。これも仕事だってのは分かっちゃいるんだが、どうにもあの宮中儀礼だけは慣れねぇからなぁ」
喜び様にこそそれなりの温度差はあったものの、やはり二人とも窮屈な思いはしていたのだろう。出雲へと報告書を上げるついでにそんな事を言ってきたトビの発言に俄かに湧き立ち、明日への想いを馳せ始める。
「ところで今ってあの二人、何やってるのかな?あっちはあっちで大変そうだってアトフさんが言ってたわよね」
「そうか、お前達には知らせておらんかったな。あいつ等は先日の頼太へのペナルティを兼ね、外務相殿の意向で解放された遺棄地域での観光資源調査中だとか言っておったぞ」
「また妙な事をやっていやがんな」
此度の特使団としての立場上、表向きは未だ扶祢が姫の影として振舞っている現状だ。アトフ外務相やジェラルド将軍といった一部の情報に聡い者達からは半ば公然の秘密と化してはいるものの、そういった情報に精通した者からすればそんな現状もまた利用に値するものとして扱われているという事か。これまでの間は特に不都合もなく進んでいた。
そういった背景により付き人を演じている出雲は形骸的な政務に関してはトビと扶祢によく押し付け、シノビ達の牙城と化している街中の借宿へと足繁く通っていたりする。故にそういった事情にも通じていたのだ。
「面白そう……あれ?でも観光資源調査ってあそこ、街中よね?」
「うむ!ここ数年に亘りアンデッド共による猛威の影響で寂れてこそおったが、数年前までは住民もおったという話だなっ」
「街中なのに観光なぁ」
観光資源という言葉から連想出来るのは、一行が帝国領へと足を踏み入れてより間もなく立ち入った、元『堕ちたる者の棺』などがその最たるものだろう。そういった古くよりの歴史を感じさせる遺跡、または見る者の心に響く景観といった要素が候補に上げられる。しかしその観点から考えた場合、あの遺棄地域の現状から観光資源といった言葉へ結び付けるには些か不足している様に感じられるのだ。
「あの区画の街並みもそこそこ古き良きはあった気がするけど、観光名所と言うにはちょっと疑問よね」
「だよな。これから作るってんなら分からねぇでもねぇけどよ」
「うむ、それよ。元はミーアの案らしいが、復興後を想定しあの遺棄地域に合った娯楽施設を作れないものかと何やら模索しておるそうだぞっ」
「娯楽施設、ねぇ……それ、あいつ等が何かしら吹き込んだんじゃねぇか?」
そんな釣鬼の言葉に扶祢もうんうんと頷いてしまう。元の題材選定に関する突拍子の無さといい、彼の区画の後処理の際に扶祢自身も一度だけ目にした三人揃っての悪巧みの如き黒い笑顔といいだ。諸々の要素と関わっているであろう人物達の性格を併せて考えてみると、何故だか背筋に謎のむず痒さが這いずり回ってしまうのもやむなしだろう。
「うぅっ、何だか嫌な予感がするのだわ……」
「その予感、見事に的を得ているな。流石はあの妖精族の娘に次ぐ霊感の持ち主といったところか」
その背なへとかけられるは確固たる自負を感じる落ち着いた声。聞き覚えのある声に扶祢が慌てて振り向いた先には、人族の平均よりはやや低い、緑の肌と深緑の髪色を持ち豪奢な衣装に身を包む壮年の男が立っていた。
「アトフ殿、お勤めご苦労っ!」
「あぁ、殿下もご機嫌麗しゅう」
「こ、こんにちはっアトフさん。ところで、そのう……的を得た、っていうのは……」
執務が切りよく一段落をしたのだろう。アトフ外務相は鷹揚に頷きながら席へ付き、ここのところ執事の真似事に精を出し始めたトビより淹れ立ての紅茶を受け取った。そしてその香りを一頻り嗜みながら杯を傾け、喉を潤わせた後に口を開く。
「その物言いからすれば半ば想像は付いている様だな。ミーア達が進めているのは目下、あの死霊達の猛威に各所へと追いやられた、土地に憑いた元からの地縛霊や浮遊霊を説得して回りながらの幽霊屋敷計画というもので――」
「ぎゃー!?聞きたくないやめてもう良いですっ!」
「あいつ等、仮にもアンデッド相手に何考えて動いていやがるんだかな。ミーア嬢も一応神職だろうに」
アトフの説明によれば、やはり碌でもない企画を立てていたらしい。現場担当の仲間二人、更にそれに意気投合をしてしまったプラスワンの動向を知り、またまた比較的常識人担当な者達の悲鳴と溜息が同時に上がってしまう。
「まぁ、これまでの数年間にあの区画で起きた惨劇が齎す民への心象を考えればだ。多少不謹慎と言われようともその位に突き抜けた企画を成功させた方が、地域復興には役立つというあの三人の意見も強ち間違っているとは言えないのだろうがな」
「また随分と面白そうな事をやっておるなぁ。余も政務さえ無ければ、その企画に付きっきりで参加をしたいところだぞっ!」
「残念ながら御前にはもう暫し俺と連携して事に当たって貰わねばならないからな。お気持ちは理解もするが、今は控えて貰おうか」
「うむっ。残念至極というやつだな、わははっ!」
口では残念と言いつつも全く残念そうな素振りを見せず奔放に高笑いを上げる、そんな出雲にアトフのやり取りを目の当たりにした残る二人は微妙な表情で顔を見合わせてしまう。その心境を察したからという訳でもなかろうが、定時連絡を兼ねたやり取りに区切りがついたところでアトフが取り残された二人の側へと向き直った。
「それで、気分転換にあの三人の仕事を手伝うというのであれば外出の許可は出すが。早速明日から君達も幽霊捜索に出てみるかな?」
「全力を以て引き籠らせていただきますっ!」
「こんな状態のこいつ一人残して行くのも可哀想だからよ。向こうの現場はあいつ等に任せるとして、俺っちも留守番に付き合うとすっかね」
「ならば明日からは僭越ながらこのトビめが帝国の歴史に関するご教授をし、並行してこちらの習わしに慣らす時間を費やすと致しますかな」
「うぇぇ、もう宮中儀礼やだぁぁ……」
「……俺っち、すっかりドレスの着こなしが身に付いちまったぜ」
「わははっ!何なら儀礼に関しては、余が手ずから手ほどきをしてやっても構わぬぞっ!」
こうしてたまの休みも外務省内に入り浸る事が確定してしまった扶祢と釣鬼。来たる次の夜会へと向けての練習等を想像し、自らの意思に反して淑女度が益々上がっていく哀しい現実を再認識してしまうのであったとさ。
一方その頃、帝都より遠く離れた異郷では―――
「最近、狐要素が不足しがちだと思うのです」
「……静よ、汝は出し抜けに何寝惚けた事を言うとるんじゃ?自らの耳と尾でまだ足らぬと言うのであればほれ、童の尾を貸す故な。存分にモフるが良いぞ」
「もっフー!いえ、わらわが言いたいのはそうじゃなくってですね」
どうやらこちらもどこぞの愚妹達へと同調をしたかの如く、見事に駄狐成分を振りまいているらしい。その傍らに映されしは、長き時を超えて帰ってきてくれた愛娘へ対する幻想が最早粉微塵となってしまった母の悲哀。どうしてこうなった、正にこの言葉が似合うであろう様子のサキはそれでも娘達への愛ゆえに努めて優しく声がける。
「お前達、何阿呆な事をやってるんだい……」
「何かこう、何処かよりそろそろわらわがアクティブに動く時だという指令をびびっと受信した気がするのです」
「……今年のインフルエンザの予防接種は二週間前にした筈なんだけどねェ」
「母上、いい加減諦めも肝要じゃでな。静は何処までいけどもこういう奴なのじゃ」
それでも娘を想う親心によりどうにか駄目な原因を外部に求めるべく、サキは静の額に手を当て熱でもないかと模索を試みる。しかしもう一人の娘により現実の厳しさというものを諭され、遂にはがっくりとテーブルに両手を付き頭を抱えてしまう。
「上の二人は電波に厨二で武器オタク、下の娘は抜けきった不思議ちゃんって。アタシの娘達はどんだけ変わり種だらけなんだか……」
「静よ、やはり厨二病は痛々しいと思うのじゃ。改善をお勧めするぞよ」
「むしろシズカの武器蒐集癖の方が余程厨二な原典だと思うの」
「……くふふ」
「……ふふふ」
母の嘆きに混じる聞き捨てならぬ響きを耳にし、互いに気付かぬ振りをしながらも不名誉な称号の押し付け合いという醜い争いが始まってしまう。
「誰が厨二じゃっ!童はただ有象無象共にナメられん様、こういった言動を心掛けておるだけじゃ!」
「わらわだってただ心の赴くままにやりたい事をやっているだけですからー。それにそんなに荒ぶるって事は、少なからず心当たりがあるって事じゃあないかな?」
「はいはい、いい齢こいて子供じみた喧嘩をするんじゃないよ」
先程までの至極安閑とした仲睦まじい姉妹愛は何処へやら。姦しくも見苦しい口喧嘩を始める二人に近頃恒例となってしまった溜息がまた一つ。そこでふと向けられた申し訳の無さげな視線を感じ、サキは愛娘へと優しい眼差しを向ける。
「……もうそんな目をするんじゃあないよ。現世に舞い戻ったばかりであやふやだった頃ならば兎も角だ、今はシズカも傍に居るんだ。今度こそ元気にまた、ここへ戻ってきてくれるんだろう?」
「うん……ごめんね、母上。わらわ、やっぱり色んな世界を見て回りたい」
「そっかそっか。そういえばあの時のお前も、当時の日ノ本を見て回りたいって言って出て行ったんだものね。アタシはもう大丈夫だから、お前のやりたい様にすれば良いさ」
何処かさっぱりとした様子で語る母へと何かを言いかけて、それでもぐっとそれを堪える。ともすればそのままその場に頽れてしまいそうな切なげな表情を見せながら、静は暫しの時を煩悶とした様子で立ち尽くしてしまう。それを見守る二者の面持ちは如何なるものか。
やがて静は決然を貌に顕し母へと相対する。そんな想いを受けるサキの側もまた、僅かに揺れる瞳を娘へと向けながらも別れの儀式であるその言葉を静かに待ち続けていた。
「母上、静は行ってまいります。お土産、楽しみにしてて下さいね」
「ハハッ。どんな口上を垂れてくれるのかと思いきや、随分と緊張感に欠ける物言いだねェ。ま、お前達の元気な顔をまた見せてくれるのが、アタシにとって一番のお土産と思いなよ」
ここに母娘の抱擁を以て旅立ちの儀式は完了する。さぁ、新たな旅路の始まりだ。先往く道は未だ見る事叶わぬものの、胸に抱く熱き想いは尚一層燃え上がる事だろう。
短き時を互いの温かみを感じ続けたサキと静は、今度こそ吹っ切れた様子で笑みを交わし合う。
「ふっ、静よ。今はこうして気丈に振舞っておるがな。母上のことじゃ、我等が出立したその後にさめざめと女々しく泣く事請け合いじゃぞ?」
「むむ、それは聞き捨てならないよ。それじゃあ帰ってきた時に貴重な母上の感涙シーンを見れる様、隠し撮りする用意をしてから出かけないとね」
「……お前達と来たら、全く」
一頻りのやり取りを無言で見守っていたシズカによる、揶揄う様なそんな物言いから始まる他愛ないやり取りもこれで暫くお預けか。そんな感傷に浸ったサキは無性に胸にこみ上げてくるものを感じ、思わず娘達をまとめて抱き留めてしまう。
「シズカ、出自なんか関係ない。もうアタシとしちゃお前の事だって実の娘だと思っているんだ。頼り甲斐のあるお前に静の事を頼むと言いたい気持ちは当然だけれどね、お前自身も無理はしないでおくれよ」
「なっ……いきなり何らしくない事を言ってるの、よ……」
「お前の事だって案じているのはアタシの偽らざる想いさ。ま、普段はこんな木っ恥ずかしい事なんざ口が裂けても言えないけれどね」
「……ええぃ、調子が狂うわっ!童は静とは違い、千年の時を研鑽に励んでおったのじゃ。要らぬ鬼胎を抱くなどそれこそ今更というものよ。じゃからして母上もいつも通り、童には憎まれ口の一つでも吐きながら送り出してくれればそれで充分なのじゃっ!」
「ふふっ、シズカったら照れちゃって」
サキより思わぬ心の裡を向けられ満面に朱を注いでしまったシズカは、言いたい事を一方的に言い切った後に脱兎の如く山荘内へと駆け込んでいってしまう。だがその戸口へと入った後、自らの証である太く大きな四尾のみを表へと残しながらにそっとか細く言葉を零した。
「その……行ってきます」
「ククッ。あぁ行っておいで、我が愛しのシズカちゃん」
「~~~ッ!母上の馬鹿ぁっ!」
この様にして、自らの鏡映しとは対照的に最後まで素直になり切れないもう一人の娘との儀式も恙なく完了した。ふと見上げてみれば、そこには奇しくも当時の胸が張り裂けてしまいそうな想いの情景と瓜二つとも言えよう冬の寒空。だが何故だろう、当時を想起させるその情景に、今のサキは一片の不安すらも感じる事は無かったのだ。
「――いや、そんなの考えるまでもないさね。これは旅立ちを祝う情景だ、あの時の引き裂かれる別れとは違うのだから」
「母上、どうしたの?」
「いいや?何でもないよ。さっ、そうと決まればお前達の旅支度を手伝ってやらないとね」
そこに何かを感じたであろう静の言葉にしかし、サキは気にするなとばかりに景気付けにその背を軽く叩き言う。対する静はその様子を無言でじっと見つめていたが、やがてくすぐったそうな表情を形作りながら甘える様に母へと寄り添い、そのまま共に山荘内へと戻っていったのだった。
という訳で、次回よりシズカ達も再び異世界入りとなります。
※お知らせ追記
再試に向けた勉強も並行しているんで、合格するまでは週一回から多くて週二回(水曜・日曜辺り)予定になりそうです。次回で何とか受かりたいなァ。




