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狐耳と行く異世界ツアーズ  作者: モミアゲ雪達磨
第九章 無貌の女神編
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第207話 貌の無い偶像

 ―――最期に思い返されるのは、一面の赤。


 赤、紅、朱……場の全ては血に塗れ、僅かに残る者達は口を揃えて声を大にする。故郷(くに)の往く先を護らんが為、我等最後の一兵に至るまでその礎となろう、と。

 同胞を思うその気持ちはワタシとて変わりはしない。だのに何故こんなにも、ワタシと彼等との間には隔たりがあるのだろう。


 それは、天より堕とされしあの忌まわしき日の記憶。


 それは、天に至った者共に討たれ、地へ堕ちた後に奉じられた想いの相反。


 ワタシ、ハ―――








 徐々に強まる無貌の女神像よりの圧力。だがその力を間近に受ける程に、俺のよく知るある存在との共通点に思い至ってしまう。


「こいつは――」

《……そういう事か》


 この地下祭壇の間に充満し、今や俺にもはっきりと感じ取れるこの気配。それはリセリーそのものとも言えようものだった。

 個々の人格にはそれぞれ好みや癖の差異がある様に、身に纏う気配にもまた、それぞれの特徴が見られるものだ。近しい例で言えば互いの世界の鏡映しであり、またその身体も本体より培養して作り上げたものである静さんとシズカの関係がその最たるものだろう。シズカ曰く性格の差異はともかくとして、過去に混じったシズカの鬼の因子を別としても僅かにではあるがその気質は異なっているらしい。

 しかし目の前の女神像より発せされる気配と言えばどうだ。最早リセリーのそれと完全に混ざり合い、その境界すら曖昧となってしまっている程だ。


「頼太、大丈夫!?」

「ああ、俺は何とか。でも何が起こるか分からないから、悪いが上で待機していてくれ!」


 地上へと繋がる階段上よりかけられるその声に、俺はそう返すしかなかった。今でこそリセリーの守護もあり先日の二の舞にならずに済んでいるが、魔への親和性の無い者がこんな場所へと立ち入ってしまえば短時間でも体調を崩し、長く居座れば死の危険すらあるだろう。それ程の魔気が、今やこの地下祭壇内には充満していたのだ。


《その判断は賢明ね。けれど小虫君、お前に警告をしておくわ。アレと分かりあおうなどとは思うな。今すぐあの像を破壊してお前の内側にこびり付いているアレの欠片とお別れしないと……お前、死ぬわよ?》

「何だって?」


 これ程までに酷似している気配同士だ、リセリー自身の先の言からしても心当たりはあるのだろう。しかし、本来リセリーにとっては恨み骨髄である人類よりも、目の前の女神像に封印をされた存在の方が余程近しい関係ではないのか?それを問答無用で破壊しろとは穏やかじゃあないな。

 偶発的な数々の要素の積み重ねにより既にリセリーは封印より完全に解放されている。片や無貌の女神は未だまともな身動きすら取れないであろうこの現状。何をそこまで警戒しているんだ?


《残念ながら、お前の言う事は概ね正しいわ。常であればたとえ仮に他の天使達を相手取ろうとも、封印が解けた今のワタシであれば物の数ではない。でも、あれだけは駄目。だって、あれはワタシ自身なのだもの》


 ―――な、に?


 先日の夜の件を別にすれば、封印より解放されてからというものリセリーの言葉にはいつも余裕というものが感じられていた。だが今やその余裕は見る影も無く、焦燥感に駆られる気配の中、衝撃的な事実を口にする。どういう、ことなんだ?


《ワタシが長きに亘りあの土地へと縛り付けられ、地脈より神力を吸われ続けていたのは前にも話したわね。幾らなんでもあの白亜の巨像だけで、ワタシから吸い上げた神力を留められる訳がない。ではあの巨像でさえも留めきれない神力は――どこに消えたと思う?》

「……まさか」


 辛うじてそれだけを絞り出す俺に、あっては欲しくなかった肯定の気配が返される。つまりこの無貌の女神の正体とは―――


《――ワタシから吸い上げられた余剰神力は地脈を通り、この土地へと送られた。そして如何なる方法かは分からないが、人間達に都合の良い機構としてこの土地の者達に利用され続けたのでしょうね》


 それを語るリセリーからは僅かではあるが怒りの感情といったものを感じ、その感情に呼応したか、女神像もまた言葉を紡ぎ始める。


『ソウダ。ワタシハ、コノ土地ヲ守護ル目的ニヨリココニ縛ラレ、祀ラレタ。ソノ成レノ果テダ』

《……今ならばまだ、アレの動きをワタシが抑え込めていられる。破壊しなさい、小虫君》

「いや、待て。一体どういう事なんだ?」


 半ば話の流れについていけなくなってしまった俺に、しかしこれ以上無貌の女神との言葉を聞かせてなるものかとばかりにリセリーが割り込み、破壊を命じる。だがこの無貌の女神にそんな背景があったのだとすれば、それはリセリー自身の半身を殺す事になってしまうんじゃあないか?


『オ前ハ、アノ夜ニ約束シテクレタナ。マタ今度(・・・・)ワタシト話シテクレル、ト』

「む……」

《頼太っ、耳を傾けるなっ!》


 ここにきてリセリーは小虫君、ではなく俺の名を呼んでまで俺を留めようとする。耳を傾けるなとは言うが、この無貌の女神からは先日とは違い一切の負の感情を感じない。果たして本当にそれで良いのだろうか。

 それにだ。今も俺へと静かに語りかけてくる無貌の女神の言う通り、俺は確かにあの時、無意識的ながらに約束をしてしまったんだ。


「だから悪い。少し話をさせてくれよ、リセリー」

《……ワタシは、お前を殺したくはないのよ》


 その言葉と共に俄かに滲み出る、リセリーよりの殺気。一体、何だというんだ?その豹変ぶりに精神の確固たる足場が崩れ落ちてしまったかの錯覚を受けながら、それでも俺は得物を引き抜く事が出来なかった。だって、こいつの話が真実であればこの無貌の女神もリセリー自身という事になるんだぞ?


《その通り。元はワタシ達は一つの存在……いえ、ワタシがワタシである事は今も昔も変わりはないのだけれども。この偶像に封じられた存在はワタシの一部であったモノ。だからこそ今こうしている間にも我が内へ還らんとする力が働いているの。そして一度還ってしまえばアレの溜め込み続けてきた、この遺棄地域が広がるまでに至ったこれまでの想いすらをも取り込んで、ワタシが今までのワタシではなくなってしまう》


 後は、分かるわね?――そう続けるリセリーの言葉に、戦慄を覚えてしまう。

 あの地の底で出逢った際にリセリーは言った。過去の感情などはとうに、封印されていた長きに亘る時の狭間に置いて来たと。当時はただそんなものかと聞いていただけだったが、果たして何事も無いままに封じられ続けただけで、過去の怨念とも言えよう人類へ対する憎悪がここまで綺麗さっぱりと消え去ってしまうものだろうか。

 つまり、このリセリーとなる過程で抜け落ちてしまった、今も尚沸き立ち続ける人類へ対する憎悪は―――


《えぇ、ワタシも今ここにきてやっと気付けたのだけれど。あの封印はきっと、神力だけではなくワタシの内面に巣食っていた憎悪の念すらをも、長い時をかけて洗い流す機構だったのね》

『………』


 ここに来てようやく合点がいった。今の俺達とリセリーとの関係は上手く偶然が重なった産物とばかり考えていたが、それは思い上がりも甚だしい、とんでもない勘違いだったという事に。

 この世界の天響族により天から追い堕とされ、この地で封じられし天使と呼ばれた存在は。その実、ただの敵としてではなく当時の人類達からは信仰の対象とも成り得ていたのだ。あの太古の死霊の正体とは詰まるところ、神として奉じた者の怒りに共感し、その贖罪として自らの死を賭してまで志願した人柱達の成れの果てだった。

 そしてその真実が示すのは――そんな彼らの犠牲の上に成り立ったこの浄化機構無くしては、あの日あの時にリセリーと遭遇をしてしまった俺の命運もまた、そこで尽きていたであろう必然。


《ワタシはお前達を気に入っている。それに僅か数日の間だったけれど、こうして誰かと共に在れる時間は心地の良いものだった……だからこそ、今のワタシにはアレは要らない。だって、憎悪に囚われたワタシでないワタシは、お前達を消し去ってしまうかもしれないのだもの!》

『……ソウカ。ワタシヨ、オマエハ今、存在トシテノ喜ビニ満チテイルノダナ』


 当時の人類によって信仰の対象として創られた機構である、貌の無い偶像(むぼうのめがみ)。その存在は偽り無きリセリーの本心を聞いた今、何を思うのだろう。あれ程までにこの地下へと満ちていた澱の気配は気付けば一切を感じられず、女神像の貌より流れ出る鮮血もまたいつの間にか、止まっていた。


『人間ヨ。アノ時コノワタシニ身ミヲ委ネ、最後ノ暖カサヲクレタ、愛オシキモノヨ……ワタシヲ破壊シテクレ』

「……な」

『ワタシハ、モウ疲レタ。今ヤワタシヲ奉ジテクレタ者共ハ去リ、機構トシテノワタシ自身ノチッポケナ意志一ツデハ、コノ死ノ体現タル状況ヲ止メルコトスラモ出来ヌ。ダカラソコノワタシノ言ウ通リ、モウコノ残酷ナ世界ニ、コノワタシハ、不要ダト思ウ』


 思いの向かう側は違えども、奇しくも一致してしまった二柱の望みに俺は言葉を失ってしまう。だって、だってよ……。


「……出来ねぇよ。だってアンタ、リセリーなんだろ?」

《お前――》

『………』


 仮にこいつと出逢う以前にこの無貌の女神と先日の如き遭遇をしたならば、あるいはただの脅威として破壊をする事が出来たかもしれない。だがここ暫くのリセリーに絡んだ様々な出来事は、突飛に過ぎようとも楽しかったと言うに足るものだった。そして無貌の女神の想いをこうして知ってしまった今、もう俺にはこの女神像を破壊するなんて事はとても出来そうにはないんだよ……。


「な、なぁ。だからほら、こいつが拒否するってんならこのままアンタも俺の内で欠片のままでもさ、今在る世界をこれから共に楽しめば良いじゃないか?」


 だから俺は懇願する。どうか、消えないでくれと。恥も外聞も無く、止め処ない涙が溢れてくるのを自覚しながらも、一緒に居てくれとみっともなく縋りついてしまう。

 やがて地下の異常を察したのだろう、気付けば泣き崩れる俺の傍にはいつの間にか降りてきた仲間達が居り、各々が複雑な表情を浮かべ俺を見守っていた。


《頼太、有難う。ワタシもお前と共に居るのは楽しい。でもね、だからこそやはりワタシはこのワタシを受け入れる事は出来ないのよ》

『アァ。ワタシガコノワタシノ内ヘト戻ッテシマッテハ、往キ付ク先ハ元ノ黙阿弥ダ。ソノ温カミハワタシガズット求メテイタモノダガ、ワタシガ戻ッテシマエバソレスラヲモ自ラ消シ去リカネナインダヨ……ダカラ、オ願イダ。オ前ノクレタ温カミニヨッテ刹那ニ穏ヤカトナルコトガ出来タ今ノ内ニ、ワタシヲ破壊シテクレ』


 言われ俺は、この優しき気配に圧されてしまう。だが、それでも俺は……全身全霊を以て拒否の意を示そうとする。

 しかし悲劇は不意に訪れてしまう。そんな俺達の背後より突如として聞こえたのは、今この時にこの場には居てはならない筈の者の唸り声だった。


「――ガ」

「グルゥ……ならばこのオレが今生きる帝都の民の安寧の為、引導を渡してやる」


 半ば反射的に女神像を護ろうと自らの身体を盾とした俺の瘴気の鎧すらをもぶち抜いて、白銀色の獣毛に包まれた腕が女神像の胸部を貫いてしまう。それにより最後の拠り所を失ってしまった無貌の女神の気配は見る見るうちに薄らいでいき―――


「ゴ、ギィッ!?お、レの中に来いっ!」

《……この、莫迦っ!》


 今でこそリセリーによる干渉のお蔭で妙な障りといったモノが溜まる事の無くなった俺の身体だが、元はシズカに指摘された通り無自覚ながらの霊媒体質というものであるらしい。ならば、本来の媒体となる女神像を破壊され力を急速に失いつつあるあの哀しき偶像の欠片を俺の中へと呼び込み、留める事が出来るのではないか。そう、思ったんだ…が……。


《莫迦、莫迦莫迦この大莫迦野郎っ!アレは歪で不完全とはいえ、仮にもワタシの現身なのよ?そんなものをちっぽけな人間の身で受け入れてしまっては、幾ら魔への親和性が高いお前の身体とて、器がはち切れてもつ訳がないっ!》

(そう、か……悪り、下手打っちまった)


 今や、偶像の欠片を取り込んだ俺の身体は先の虎男の一撃による傷も相まって熱がどんどんと抜けていき、先の夜に感じたよりも更なる怖気が全身を奔る。それと共に、走馬灯の如く偶像の欠片に集約された、過去にリセリーが抱いていた人間達への憎悪……そして、長きに亘り奉じられ続けた偶像自身の人間への想いまでもが俺の心へ差し込み、千々に張り裂けようとする。


《――頼太。残念だけれど、これでお別れだわ。お前と過ごしたこの数日間、楽しかった》


 そんな中、不意に落ち着いた声が心の中へと響き渡る。まさか……やめてくれ。そんな事を、言わないでくれよ。


(待、てよ。お前まで、居なくなっちまうのかよ……)

《最後に長きをただ在ったモノとして、お前に忠告をしておいてやるわ。全てが円満解決するハッピーエンドなど、物語の中でしか有り得ない――ふふっ、お前の不始末の尻拭いをして去らざるを得なかったこのワタシの姿、そのちっぽけな魂に刻み付け今後の糧としなさいな》


 その言葉を最後に俺の内へとこびり付いていた無貌の女神の欠片をも拭い去り、それっきり俺の内からはリセリーの存在を一切感じなくなってしまう。


「ち、くしょぉ……ちっくしょおおおおおおっ!!」


 それが最後に残された活力だったのだろう。まともに声を出すのも難しい重傷のままに心の底からの無念の叫びを上げ、精根尽き果てた俺はそのまま床へと倒れ込んでいったのだった―――

 お休み前に先行しての連投という事で、明日も投稿日となります。次回、帝国編前半最終話!

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