第205話 ゴースト・バスターズ:前編
その日の夜になり、アトフさんへの報告と夜間調査の許可を受けに外務省へと出向いていたミーアさんが出雲配下のシノビ達の拠点である借宿に帰ってきた。
「やっぱり兄さん、呆れていましたよ。昨日の今日でよくあの場所に赴けるものだ、って」
「だよねー」
俺も感情面から言わせて貰えばそうなると思う。でもなぁ、あの太古の死霊と教会地下の無貌の女神との関連を知った今、多大なる犠牲の出かねない大規模作戦よりも、死霊達への対策を講じた比較的少数による誘導撃滅作戦の方が成り立つ算段が高いという結論に至ってしまったんだよな。
「そこについては兄さんも同意見だそうです。ですので、サポート要員として浄化を可能とする神職を一人回す、との言伝を頂いております」
「おー」
「それは有り難いっ!で、その者はどこにおるのだ?」
「はい、ここに」
思わぬ朗報に意気込んだ俺達に対し、ミーアさんがにっこりと笑いながら返す。しかしトビさん名義で丸々一件借り切ったこの借宿の食堂を兼ねる一階のロビー部分には、俺達の他に目ぼしい人物は見当たらない。はて……?
「あの、ミーアさん。どこにその神職の人、居るんすか?」
「ふふ、どこを見ているんですか?ここに一人、居るじゃないですか」
皆の疑問を代表した俺の問いかけに、今度はその笑みをやや悪戯っぽいものと変えたミーアさんは自分自身を指し言い直す。言葉の内容が脳内へと浸透した俺達が改めてミーアさんの出で立ちを見てみれば、外出用の外套の下ではこの人と初めて出逢った夜と同じ、修道女然とした衣装に身を包んでいた。
「普段はゴブリンが神職などと何の冗談だと笑われてしまうのもあり、人前ではあまりお見せしませんけれど。これでも私、未熟ながらも智慧の神に仕える神職拳術士などやっております、はい」
今度こそ得意気な顔で言ったミーアさんは脇に抱えていた鞄より修道女のヴェールを取り出し、慣れた手付きでそれを頭に巻き始める。その衣装、民俗学的観点からのコスプレの一環じゃなかったんすね……。
「ほー。ゴブリン、それも精霊信仰の強いと言われるロード種が神職をやっておるとは珍しい。だが余は使えるものであれば何でも使うからな、よって有り難く頼むとしようっ!」
「お任せあれ」
一方では特に驚く事も無く言う出雲に対し、ミーアさんは見事な一礼を以て返す。ともあれこうして万一死霊に憑りつかれてしまった際の対策要員も揃った訳だ。では本格的な作戦会議を始めるとしようか。
「まず、あのゾンビ達による感染の仕組みだが。奴等の一撃で受けた傷を媒介として死霊が分化し、新たな犠牲者へと入り込む、だったな。つまり消費の観点から見れば時間制限こそはあれど、神秘力が高い扶祢とピノの二人は常にそれぞれの神秘力を張りつつ前線に出なければ憑りつかれる心配はない、これで間違いはないな?」
「そーだね。頼太の言う事が事実だったら、だけど」
「そこについては兄さんに調べて頂いた当時の戦闘記録とも照らし合わせてみましたが、一定の信憑性はありそうですね」
今はミーアさんも参加している為に表向き俺情報という事になってはいるが、実際にはあの無貌の女神と呼ばれるモノと同様の存在であろうリセリーからの直情報なので間違いはないだろう。どうやら軍部の面々もこの問題についての検証をしてはいたらしく、こうして賛同の意を示される事となる。数年に起きたとされる掃討戦でこそ情報不足と相性の悪さで後れを取ってしまいはしたものの、やはり軍事国家の主軸たる組織だな。しっかりと調査等は進んでいたようだ。
「では肝心の前衛となるが……残念ながら霊的存在に対しては然しもの余も門外漢だ。よって今回の作戦では領域境界付近にてトビ達と共に、後方支援に徹する事となるのは理解して貰いたい」
「そりゃ当然だな、本来であればボスの出雲が昨日の現地調査に参加していたのがおかしかったんだから」
「物質的な身体があるものに対してならば、この渦旋槍でどうとでもなるのだがなぁ……」
夜のあの地域の危険度を考えると流石の出雲でも相性の不利を押してまで参加する、とは立場的に言えないのだろうな。今も傍らに置いた愛槍を引き寄せながら無念そうな表情を形作っていた。そういう訳でこの帝都へと到着してから初の扶祢と釣鬼も参加をしての作戦となる訳だが。
「大丈夫だ我。魔力障壁さえ欠かさなければ死霊達に襲われても何とかなるし、今回の我は後方で砲撃担当をするだけだから……落ち着け、落ち着け。幽霊なんて怖くない……」
「駄目じゃねぇか、こいつぁ?」
久々に合流した二人の内の片割れが呆れた様子で語る目の前ではこの通り、黒くなっても相変わらずの幽霊恐怖症なお狐様が足手纏いになりかねない予感極まる様子で自らに言い聞かせていた。メイン火力がこういった状態なだけに、こいつを安心させる為にもしっかりとした前衛が欲しい所ではあるんだけどな。
「まぁ憑りつかれちまう危険は否めねぇが、俺っちも……こいつを使えばそれなりにいけると思うからよ。露払いは任せときな」
そう言いながら夜の姿と化した釣鬼が掲げた腕の周りには、この姿の時にのみ使用可能となる独特の波長を発する魔力のオーラが漂い始める。確かに魔弾掌を介せば純物質を透過する死霊の類にも攻撃が通りはするし、それ自体にも防御効果を見込めるからな。いざという時に備え身近に浄化が可能な神職が待機しておく必要こそあるが、霊的対抗手段を持たない出雲よりは余程相性が良いというものだろう。
そして死霊達に対する相性で言えば、あまり自慢出来たものではないが恐らくは俺が最も与し易いと思われる。何せ狗神という、そこらの死霊なんざ目ではない程の凶の顕れを相棒としているんだからな。
《それに、今回は最初からワタシがお前の中に居るからね。そこは心配せずに任せておきなさいな》
という訳で発生源である俺には特に感じられないのだが、現在の俺からは神気だか魔気だかよく分からない化け物級の気が漏れ出してしまっているらしい。とはいえ俺自身がその気を扱える訳ではないので猫に小判といったところではあるのだが、お蔭でミーアさんが本気で警戒してくれちゃってな……。
「あの、何度も確認して申し訳ありませんが。本当に今の頼太さんは、正気なんですよね……?」
「こういったのを平然と受け入れちゃうって意味で言えば正気じゃないかもねー」
《うんうん、それは言えるわね。ワタシもあの時はお前の正気を疑ったもの》
失礼な。それだとまるで、俺が狂人みたいな言い方じゃあないか。
どうやら表にまで感じられる程に俺の内部へと顕現したリセリーの声は、ピノにだけは聞き取れているらしい。それからも二人して割と容赦なく変人扱いをしてくれながら駄弁っていたりした。
今の状態としてはリセリーが完全に俺に憑依をしており、その結果リセリーの支配下となった俺の身体は他の死霊達が立ち入る隙間なぞこれっぽっちも存在しないという力技であるらしい。リセリー曰く深海市の一件以降にも僅かに溜まり始めていたという障りに関しても、先日の無貌の女神による干渉と今のリセリーの憑依状態により跡形もなく消え去っているとの事だ。
昨日の帝都支部での鑑定結果と言い、やはり天使と呼ばれる程の存在ともなると色々とぶっとんでいるものだと思う。
《常識外れと言えばお前もですけれどね。試しにお前の中に注げるだけ力を注いでみたけれど、まさか現身が形作れる一歩手前まで入るとは思わなかったわ。いっその事、ワタシの口寄せ担当でもして生きてみる?上手い事教団でも作って祀られちゃえば、それはもう死ぬまで贅沢出来るわよ~》
これまた何とも人を誘惑し、堕落をさせる悪魔の如き言葉をかけてくれるものだな。だが、それに対する俺の答えなど考えるまでもない。
(今のところはそんな自堕落な生活を送るよりも、心躍る出逢いと旅の刺激を楽しみたい未熟なお年頃なんでね。人生に疲れたその頃に、まだアンタの気が変わってなけりゃ改めてお願いでもしてみるさ)
《……ハッ、その気もない癖によく言うわね》
(そりゃお互いさまってものだろう?)
この様に、内心互いに嫌味を言い合いながらも徐々に心の気勢を上げていく。これもまた、俺……いや、この場合は俺達か。その出撃前の儀式といったものだ。
「良しっ、配置も決まったなっ!それでは各自装備を点検の後、遺棄地域に出発だッ!!」
「「「――おうっ!」」」
「ううっ、幽霊怖いよぉ……」
そして出雲の号令により、俺達は夜の街を抜け帝都東部に位置する遺棄地域へと出発をしたのだった。
まぁ、なんだ……約一名程、恐怖で既に素に戻りかけている子がいるのは目を瞑っておくとしよう。死霊に対する手段的相性としては平時の霊力使用の方が高い効果を見込めるものの、こいつの霊力は魔力と違い、太古の死霊を消滅させる程の持続性を有する放出型の術にはあまり向いていないらしいからな。いざって時に元に戻られてぶっぱ出来ませんでした、とならない様に頑張って気を張り続けて貰うしかないか。
「――では余等はこの広間を拠点とし、後方支援を担当する。とはいっても精々が突入時に合わせた境界付近のゾンビ共を引き付ける陽動と、周辺状況の変化を信号弾で知らせる程度だがなっ」
「それでも助かるぜ。今回みてぇな生き残りを重視した戦場じゃあ、引き時ってモンが何よりも重視されっからよ」
実働部隊のリーダーである銀髪の女、そしてそれを見送るシノビの長の対話の後に、周囲に展開したシノビ達の合図を確認し五人は突入する手筈となっている。ある者は魔力、またある者は精霊力といった各神秘力による護りを張り、来るべき時を待ち続けていた。
「……狼煙が上がったな。では、検討を祈るっ!」
「そっちもな!妙な好奇心で要らん首突っ込んで、トビさんの手を煩わせたりするんじゃないぞー」
「ええいっ、作戦時くらいはその余計な口を閉じろと言っておるだろっ……行ってこい!」
いよいよ誘導完了の合図を知らせる信号弾が上がり、一同は遺棄地域の内部へと出撃する。一部腰が引けている者も居はしたが、皆為すべき事を成すべく突き進んでいく。そこに迷いの色は見られず、また見送る側も心配するのも無駄とばかりに信頼の眼差しを送り続ける。
「――で、お前達は余等の敵か?奴等の邪魔立てするのであれば容赦なく、我が軍団の総力を以て、たとえこの帝都全てを巻き込み無辜の民草の血を流そうとも排除させてもらうが?」
やがて此度の作戦の実働部隊である五人が夜の闇の中へ完全に消えた後になり、不意にシノビの長――出雲が腕組みをしたままに首を巡らせる事すらなく殺意に満ちた言葉を放つ。その言葉に応じ周囲に潜む者達の殺気もまた高まっていき、先程のある意味和やかであった雰囲気から一転、場は突如として準戦闘状況へと突入してしまう。
「……そこで何者か、とは問わないのか。上司より最も警戒をせよと言われてはいたものの、これは聞きしに勝る狂い狐だな」
「まーたその噂か、どいつもこいつもこんな小娘に一々無駄な警戒をしてくれおってからに。今の余にとって大事なのはこの場で使えるか否か、邪魔となるかならんかだけよ!」
ワキツ皇国第三皇女、出雲―――
幼少の砌より研鑽され続けたその芸は留まるところを知らず。凡そ多方面に亘る溢れんばかりの才を持ちながらも生まれの事情により、未だ表舞台へと出る事のない知る者ぞ知る不世出の神童だ。
本来であればその身の不遇を嘆き、幼心に傷を負って歪んでしまっていてもおかしくはない環境で育った出雲だが、生来の負けん気そして為政者の一人たる自負により持ち前の強気を発揮し続け、配下のシノビ部隊を使い僅か十年足らずで御国の闇の殆どを掌握し切ったその手腕。それによりワキツ皇国への他国の諜報による潜入捜査は困難を極め、その素性には様々な憶測が流れたものだ。
皇国の狂い狐――ここ十年程で諜報の世界に知れ渡ったその二つ名の正体が、齢僅か十五の小娘などとは誰が予想だにするものか。徹底した合理主義により傍から見れば気まぐれとも思われる作戦の数々を披露し続け、その上で恐ろしいまでの作戦成功率を誇る。そんな過去の所業により、常軌を逸し非情にして陰惨を好むといった噂ばかりが独り歩きをしてしまい、その筋では皇国お抱えであるシノビ部隊の長は有能ではあれど狂人でもあるとの認識が浸透していたのだ。
「その主張を聞く限り、仮にオレ達が死霊退治の手伝いにきた、とでも言えば素直に通してくれるのかな?」
「……ふん。過去に我が御国のサムライ達百余名を一夜にして殺し尽してくれた相手に、この余が手心を加えるとでも思ったか。ええ、爪舞の?」
今や全身に獣毛を生やし仁王立ちをする男へと向き直り、殊更に挑発をするかの物言いで迎え入れる出雲。対し爪舞の呼び名で呼ばれた男は先に突入した内の一人である吸血鬼のそれとも見紛う発達した犬歯を見せ付けながら、その挑発へ敢えて乗る姿勢を見せていた。
「あぁ思うな。お前について語られる噂が真ならば、過去にあった戦時下の出来事なぞ塵芥程度にしか考えていないだろうよ。ならば今お前が最も求めるべきは、自らに利するやもしれんオレの言葉の裏付けだ。違うか?」
「む……」
これまで自身が仕事に関して心掛けてきた主義を指摘され、出雲は俄かに顔をしかめてしまう。そんな自分を自覚しながらもここでも生来の悪い癖が頭をもたげ、その傍らではやはり総補佐役であるトビが無念の表情を浮かべている様子が見て取れる。
「くれてやる。つい先程にオレの上司から届いた出撃許可証だ」
「……ククッ、成程なっ。あの捻くれ棋士が頭を抱えておった様子が目に見えるわ!」
言って男が投げ渡した書状には、爪舞――ボルドォのギルドへ対する責任感の強さからきた此度の出撃許可要請に対し諫める文と共に、それに関しての許可を出す旨が記されていた。
「これが世に出回ってしまえば、お前達は軍の内部で相当厳しい立場に立たされるな?」
「好きにしろ。オレ達は本を糺せば冒険者上がりの傭兵部隊だ。その程度で音を上げる様な軟な連中はオレの部下にはいない。それにだ……そんな真似をする外道が相手というのであれば、オレ達も遠慮容赦無く貴様等を叩き潰せるというものだからな」
「ふっ――トビよ」
「はぁ、お頭のその性分。つくづく困り果てたものですなぁ」
ボルドォの言葉を受け、愉しげに口の端を吊り上げた出雲は傍らに控えるトビへとその書状を手渡した。そのトビはと言えばこれまたそれが自然の流れであるかの如く書状に火を付け、僅かな後に書状はその場で燃え尽きてしまう。
「通れ。だが、奴等の邪魔立てだけはしてくれるなよ?」
「ご理解頂き、感謝するよ。これでオレも久方ぶりに民を憂う、いち冒険者に戻れるというものだ」
その言葉を皮切りに、何処へ潜んでいたか二十を超える冒険者風の装いをした兵達が出雲の譲った道を一人また一人と駆け抜けていった。やがてその大移動が収まってより暫しの後に、一転して覇気の抜け落ちた様子となってしまった出雲が億劫そうに口を開くのだった。
「あー、作戦変更。お前達はツーマンセルでの外周部の偵察に留め、太古の死霊の位置確認に終始しておけ。内部のゾンビ共の掃討はあの武闘派連中にやらせておけば良い」
そう言いながらやる気が無さげに後ろ手をひらひらと振り、広場に仮設された椅子へと腰をかける出雲。そのまま手持ちの紙面に何やらを書き始め、思考の海へと沈み込んでしまう。
「俺達みたいな外法者と違って連中、純血の獣人族だらけですもんね。闇討ちの類ならともかく、こういった真っ向勝負じゃああんなの相手に多少の数の有利があったところでまともに対抗出来る気なんざしませんて。お頭ってつくづくハッタリが好きっすね~」
「んでお頭はまたお得意の高みの見物って訳ですか。それならそこの尖塔の屋上なんか、お誂え向きに見晴らしが良いですぜ?」
「……つまりコタにシン。お前達二人だけでも地道に臭気と汚物に塗れたゾンビ退治へ出向きたいという事だな?」
「「まっぴら御免の助でございます!」」
「それでは儂は、反対方面の偵察に参りますかな。お頭もお前達も、お遊び気分は程々にしておいてくだされよ」
俄かに始まった三人の掛け合いに苦笑を向けたトビは、その名に示される通り人族とは思えぬ程の跳躍を見せながら場を離れていった。それを見たコタとシンも互いに顔を見合わせ頷き合い、慌てた様子で各方面へと命令を伝えるべく散っていく。
それを見送った出雲は珍しく愛らしい仕草で溜息などを一つ吐き、一人何やら悩んだ素振りを見せた後、配下より勧められた尖塔の上へとよじ登っていったのだった。
サブタイに反して一体もバスターしていない話。つ、次は頑張ってバスターするんだからっ!




